二十六曲目『盲目の王女の想い』

 ふと、目が覚めた。

 寝ぼけ眼でベッドから起き上がって窓の外を見てみると、真っ暗だ。

 会議が終わり、レイラさんから体を休めるように指示された俺たちは、すぐに部屋に戻って泥のように眠った。

 隠密という慣れないことと、熾烈な脱出劇。疲労が溜まっていた体は睡眠を欲していて、気付いたらど深夜になっていた。


「ふわぁ……あー、体痛いな」


 ボキボキと首の骨を鳴らしながら、ベッドから降りる。

 隣のベッドにはウォレスと真紅郎、サクヤがまだ眠っていた。ウォレスのうるさいイビキを聞きながら、窓を開ける。

 ふわりと夜風が吹き抜け、新鮮な空気をゆっくりと吸い込みながら伸びをする。


「ん? あれは、ミリア?」


 ぼんやりと外を眺めていると、中庭を歩くミリアの姿が目に入る。

 こんな深夜に何を、と思って前にも同じことがあったな。あの時と同じ、ミリアは植物園に向かっているようだ。

 カツカツと杖を突きながら淀みない歩みで中庭を進んでいたミリアが、ふと立ち止まる。


 そして、俺の方をチラッと振り向いた。


「……呼んでる?」


 なんとなく、そう感じる。

 瞼を閉じた目で俺の方を見ていたミリアは、また植物園に向かっていった。

 少し考えてから、俺はウォレスたちを起こさないように部屋を出てミリアを追う。

 中庭を抜け、植物園にたどり着くと__。


「__やっぱり、来てくれました。信じていましたよ、タケル様」


 月明かりに照らされたミリアが、優しく微笑みながら俺を待っていた。

 ミリアはクスクスと小さく笑いながら俺に近寄ると、ギュッと手を握っていくる。


「よく私が呼んだのが分かりましたね」

「なんとなく、な。それで、どうしたんだ?」

「……少し、歩きましょうか」


 俺の問いかけにミリアは答えず、俺の手を引いて歩き出した。

 抵抗することなくミリアに手を引かれながら、植物園を歩く。夜風に揺れる色取り取りの花、風に舞う花びら。

 ぼんやりと月明かりに照らされ、どこか神秘的な植物園を歩いていると……ミリアはアレルイヤの花が咲いている花壇の前で立ち止まった。


「__タケル様、覚えていらっしゃいますか? 作戦が始まる前の夜に、ここでお話ししたことを」


 キュッと俺の手を握る力を強めながら、ミリアが問う。

 作戦前夜、俺はここでミリアと会話していた。その時、ミリアは俺に何かを伝えようとして、まだ言えないと言葉を飲み込んでいたな。

 頷くとミリアは頬を緩めながら、俺の手を離す。

 そして、ゆっくりと花壇の方に歩いていき、俺の背中を向けたまま話し始めた。


「私はあの時、タケル様にお伝えしたいことがありました。ですが、作戦前に悩ませるのはよくないと思い、やめました」


 囁くように、子供に読み聞かせるような優しい声で、華奢で小さな背中越しにミリアが語る。


「これはきっと、タケル様を困らせてしまうことです。いずれタケル様はこの世界を去り、元の世界に戻ってしまう。それを、私の自分勝手な理由で引き止めることは出来ません」


 それでも__。

 と、ミリアは一度話すのを止めてから、ゆっくりと深呼吸する。


「どうしても、伝えたいんです。理屈じゃないんです。私が、ヴァべナロスト王国の王女でも、魔法研究所副所長でもない、一人の女の子・・・・・・としてのミリアが、タケル様に伝えたい……たった一つの言葉」


 静かに振り返ったミリアは、覚悟を決めた表情をしていた。

 頬を真っ赤に染め、緊張しながらも意を決したように__ミリアは、俺に伝える。


「__好きです」


 ふわりと夜風に乗って、ミリアの言葉が耳をくすぐるように届いた。

 ミリアは胸元で祈るように手を組みながら、真っ赤に染まった顔で言葉を続ける。


「私は、タケル様のことが好きです。お慕いしております。愛して、おります」


 今まで溜め込んでいた気持ちが溢れ出したかのように、ミリアは矢継ぎ早に想いを伝えてきた。

 純粋で、真っ直ぐで、素直な想い。

 トクン、トクンと心臓の鼓動が速くなる。


「最初は、一目惚れでした。今まであんなに優しくて、暖かい魔力を感じたことがありませんでした。そして、目で見えなくても触れて分かる、夢に向かう意思の強い顔立ち……そのような方に、出会ったことがありません」


 ミリアは一歩足を踏み出し、俺に近づいてきた。


「そして、タケル様とお話をして、さらに好きになりました。真っ直ぐで、優しくて、ちょっと向こう見ずで……困ってる人を見捨てられない、優しい心の持ち主」


 また一歩、ミリアが俺に歩み寄る。


「自分の弱さを隠している臆病さも、それを克服した心の強さも。音楽に対する直向きさも、熱い想いも。その全てを、好ましく思っています」


 ミリアは俺の目の前で立ち止まり、静かに瞼を開く。

 光を通さない翡翠色の瞳が、俺を真っ直ぐに見つめていた。


「私は、タケル様のことが好きです」


 もう一度、ミリアは俺に告白する。

 確かめるように、噛み締めるように囁いたミリアは、ソッと俺の胸に手を当てた。

 ドクンドクン、と俺の速くなった鼓動が、触れているミリアの手を通して伝わっていく。

 

「よかった……少しは、私のことを思ってくれているのですね」


 ミリアは小さく笑みをこぼすと、俺を見上げて震えた唇で言葉を紡いだ。


「タケル様。どうか私の想いを、受け取ってはくれませんか?」


 ミリアは俺の答えを待っている。

 胸に置かれている手をプルプルと震わせ、不安と緊張が混ざり合ったような表情で、ミリアは俺を見つめていた。

 ゴクリと息を飲んでから俺は、ミリアの告白を__。


「__ごめん」


 はっきりと、断った。

 時間の感覚が分からなくなるほどの静寂が、植物園を包み込んでいく。

 ミリアはキュッと唇を噛んで何かを堪えるように瞼を強く閉じると__頬を緩ませた。


「えぇ、分かっていました……タケル様が、断ることを」


 儚く笑いながら、ミリアは俺の胸に当てていた手をだらりと下げる。

 そして、ゆっくりと息を吸い込んでから、口を開いた。


「……元の世界に帰らなければならないから、ですか?」

「……それも、ある」

「もしも、元の世界に戻らなかったら、私の想いを受け止めていましたか?」

「__多分、断ってる」


 ここで嘘を吐けるほど、俺は器用じゃない。

 静かに首を横に振ると、ミリアは苦笑いを浮かべた。


「正直、ですね」

「ごめん」

「いいえ、大丈夫です。むしろ、タケル様らしいですから。そんなタケル様だから、私は好きになったのです」


 気にしてない、と言いたげだけど……明らかに、無理をしているのが分かる。

 でも、それを口には出さない。俺が出来ることは、ミリアの想いを断ることだけだ。

 ミリアは小さくため息を漏らして、空を見上げた。


「私に魅力がないからですか?」

「違う。ミリアは誰が見ても美少女だ」

「なら、私の体つきが貧相だからですか?」

「違う。ミリアの体が貧相なんて言ったら、色んな人から責め立てられるな」

「でしたら、その……タケル様になら、全てを、お見せしてもよろしいですよ?」

「自分の体を安売りするもんじゃないぞ」

「フフッ、冗談ですよ」


 悪戯げに笑いながら、ミリアはその場で踊るようにクルクルと回り出す。


「ですが、タケル様にならお見せしてもいいという気持ちは嘘じゃないです」

「……俺にはもったいない言葉だよ」

「では、私が年下だからですか?」

「違う。年齢は関係ない」


 ピタリと回るのをやめたミリアは、真剣な表情で口を開く。


「__他に好きな人がいるから、ですか?」


 真っ直ぐなミリアの言葉が、俺の心に突き刺さったように感じた。

 責めている訳でも、怒っている訳でもない。

 でも、まるで確信している・・・・・・ような気がした。

 俺は少し目を見開いてから、ゆっくりと首を横に振る。


「……違う。俺は誰かに恋してない。好きな人もいない」

「……そう、ですか。タケル様が、そう言うのであれば」


 俺の答えにミリアは少し顔を俯かせてから、何かを振り払うように首を振って笑みを浮かべた。


「なら、どうして断るのか理由をお教え頂けますか?」


 俺が断る、理由。

 ミリアのことが嫌いだから。そんな理由じゃない。むしろ、ミリアのことを好意的に思っているぐらいだ。

 ミリアが王女だから。そんな理由でもない。

 元の世界に戻らなきゃいけないから。理由の一つだ。いずれ去らなきゃいけない俺が、ミリアの想いを受け取る訳にはいかない。

 でも、本当の理由は__。


「ミリア。俺は、タケルという男は__ミリアが思っているような人間じゃない」


 空に浮かぶ月を見上げながら、語る。


「ミリアが思っているより、俺は優しくない。困っている人を見捨てられないのも、結局は自分のため。俺は、自分勝手で自己中心的な人間なんだよ」


 心の思うままに、言葉を紡いでいく。


「それに、俺は__音楽に惚れ込んでいる。人生の全てを、命すら賭けていいぐらいに」


 俺は、音楽バカだ。

 音楽に救われ、音楽に惚れ込み、音楽に全てを捧げるつもりでいる、正真正銘の音楽バカ。

 もはやそれは音楽に対する、崇拝。狂っていると言われても、否定出来ない。


「そんな俺が、誰かを好きになる資格なんてない。だから……ごめん」


 深々と頭を下げて、ミリアに謝る。

 ミリアのことを傷つけたくはない。でも、こうするしかなかった。

 数秒の沈黙が流れてから、ミリアが口を開く。


「__人を好きになることに、資格なんていりませんよ」


 はっきりと、ミリアは言い放つ。

 頭を上げて目を見開いていると、ミリアは少し怒っているような表情で話を続けた。


「タケル様が自分をどう評価しようと構いません。ですが、私の想いまで否定することは、許せません」

「だけど、俺は……」

「私は誰がどう言おうと、タケル様がどう自分を評価しようとも__タケル様を、お慕いしております。その事実は、変わりませんし否定もさせません」


 聞き分けのない子供を叱るように、ミリアは語りかける。

 そして、慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かばせた。


「それに、最初に言いましたけど……タケル様が断ることは、分かっていました。それでも、私はどうして伝えたかったんです。私も充分、自己中心的でしょう?」


 自嘲するように笑ったミリアは、俺に背中を向ける。


「想いを伝えられただけで、私は満足です。これで私も、前を向ける・・・・・

「ミリ、ア……」

「さぁ、タケル様。行って下さい」


 背中を向けたミリアはゆっくりと深呼吸してから、花壇に向かって歩き出した。

 これで話は終わりだと、言いたげに。

 思わずミリアの方に手を伸ばそうとして、拳を握りしめて手を下げる。


「……おやすみ、ミリア」

「はい、おやすみなさいタケル様。いい夢を」


 俺はミリアに背を向けて、その場を立ち去った。

 今の俺に、ミリアにかける言葉なんてない。

 植物園を歩いていると、背後からミリアの啜り泣く声が聞こえてきた。


 だけど、振り返らない。俺にそんな資格、あるはずがない。


 血が出るほど拳を握りしめたまま、足を止めずに歩き続ける。

 そのまま城に戻ろうとしたところで__。


「__よう、色男」


 木の影から顔を出したアスワドが、声をかけてきた。



 

 

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