三曲目『懐かしのシーム』

 徐々に高度を下げていった機竜艇は、シームの近くに着陸した。

 ベリオさんとボルクは機竜艇に残り、俺たちは二日ぶりの地面に降り立つ。

 そして、アスワドはというと……。


「離せシエン! 俺はやよいたんと一緒に行くって言ってんだろ!?」

「だから! ダメだって言ってるッス! 部屋に戻るッス!」

「ちくしょう! 離せ! やよいたん! やよいたぁぁぁぁん!」


 シエンに引っ張られ、強制的に機竜艇に留守番になっていた。

 アスワドを無視して、俺たちはシームへと向かう。


「お、見えてきたな」


 魔法国シーム。

 周囲を高い塀で囲んだ、魔法を兵器として転用して他国に売ることを生業にしている国だ。

 空に伸びる真鍮製の煙突からは黒い煙がモクモクと立ち上り、どこかレトロなスチームパンクの雰囲気を醸し出している街並みが広がっている。

 俺たちのことを覚えてくれていた門番に通され、俺たちは排気ガスであまり空気がよくない煤だらけの街に足を踏み入れた。


「う……懐かしいけど、あまり長居はしたくないな」

「あたしも……早くライラック博士のところに向かおうよ」


 久しぶりのシームの街だけど、ここの空気の悪さはどうしても慣れない。

 足早に俺たちの目的地、街の外れにあるライラック博士が暮らしている方へと向かった。

 街を抜けると煤汚れた風景から一転して、空気が澄んだ草原地帯へと変わる。

 ウォレスはグッと背筋を伸ばすと、満足げに笑みを浮かべた。


「ハッハッハ! やっぱりオレ、こっちの方がいいな!」

「うん、ボクも。空気がおいしいね」

「……眠くなる」

「きゅー」


 穏やかな風を浴びながらウォレスが言うと、真紅郎も頬を緩めて頷く。

 そして、サクヤとその頭の上にいるキュウちゃんが、眠そうに欠伸をしていた。

 頬を撫でる優しい風を感じていると、やよいがどこかぼんやりと草原を眺めていることに気付く。

 その瞳には懐かしさや、どこか哀愁が漂っていた。


「やよい」


 俺が声をかけると、やよいはハッと我に返って優しく微笑む。


「うん、大丈夫。ちょっと、思い出しちゃっただけだから」


 やよいが思い出しているのは、多分シランのことだろう。

 やよいとシランはここで、長い間一緒に過ごしていた。その時の記憶が、一気に思い出したのかもしれない。

 すると、やよいはパチンと頬を叩いて、ムンッと気合を入れた。


「こんな顔してたら、シランに笑われる! ほら、みんな行くよー!」


 みんなに声をかけ、やよいは我先にライラック博士の家へと向かう。

 俺たちもやよいに続いて草原を歩いていると、遠くの方に小高い丘にポツリと建っている煉瓦造りの家を見つけた。

 あそこがライラック博士が暮らしている家。俺たちが長い間お世話になっていた場所だ。

 家にたどり着いた俺たちは、ドアをノックする。

 そして、ドアが開かれると、眼鏡をかけた細身で物腰柔らかそうな男性が出てきた。


「タケルさんたちじゃないですか! 来てくれたんですね!」

「ジーロさん!」


 その男性の名は、ジーロ。ライラック博士の助手で、シランの旦那だ。

 久しぶりのジーロさんだけど……前に比べて、頬が痩けて目の下にクマも出来ている。かなり疲れ切っているように見えた。


「あの、ジーロさん。大丈夫ですか?」

「あはは、大丈夫ですよ。こう見えて、元気ですから。さ、ここで話すのもなんですし、どうぞお入り下さい」


 心配して声をかけると、ジーロさんは頬を掻きながら柔和な笑みを浮かべる。

 そのまま家に招かれた俺たちはジーロさんに案内されてリビングに向かうと、そこには薄汚れた白衣姿の男性の姿がグッタリとテーブルに顔を伏せていた。

 緑髪をオールバックにした四十代ぐらいの男性は、俺たちを見るなり勢いよく起き上がって満面な笑みを浮かべる。


「おぉ! タケルたち、来てくれたのか! 待っていたぞ!」

「ライラック博士! 元気でした……か……?」


 久しぶりの再会に喜びたいところだったけど、俺は顔を引きつらせながらソッと視線を下に向けた。


 リビングの中央にあるテーブルには、ライラック博士。だけどその周りは……酷い有様だった。


 テーブルの上には、山のように積まれた書類と本。床にも書類が散らばり、足の踏み場もない。

 まさにゴチャゴチャという言葉をそのまま表現したような惨状に、俺たちはドン引きしていた。


「う、うわぁ」

「これはまた、酷いね」

「ハッハッハ……笑えねぇ汚さだな」

「……汚い」

「きゅー……」


 やよいは変わり果てたリビングに顔をしかめ、真紅郎は頬を引きつらせながら苦笑いを浮かべ、ウォレスは乾いた笑い声を上げ、サクヤとキュウちゃんは嫌そうに後ずさる。

 リビングの惨状に各々が反応していると、ライラック博士は足元の書類の山に足を取られながら俺たちに近寄ってきた。


「タケルたちが来たということは、無事に手紙が届いたんだな! やはり、ユニオン経由で届けて貰って正解だった! さぁさぁ、入ってくれ! 久しぶりに色々と話そうではないか!」

「いや、ライラック博士。足の踏み場もないんだけど?」


 やよいが床を指差しながら言うと、ジーロさんが気まずそうに笑う。


「あはは……タケルさんたちが来ると分かっていれば、掃除をしてたんですけどね。ここ数日は研究に忙し過ぎて、家事を怠っていたもので」

「そうだとしても、酷い気がするんですけど?」


 いくら研究が忙しかったとはいえ、こんな惨状になるまで放っておくか?

 だけど、ライラック博士は気にした様子もなく、豪快な笑い声を上げていた。


「ようやく研究が身を結びそうだったからな! 家事よりも研究の方が大事だったんだ!」

「あの、それよりもライラック博士。少し、聞きたいんですけど……」


 ふと、俺はずっと気になっていたことをライラック博士に問いかける。

 ライラック博士もジーロさんと同じく、前よりもやつれて目の下のクマが酷くなっていた。白衣も薄汚れてて、くたびれている。

 そして、一番気になったこと。それは、ライラック博士が近くに来て気付いたことだ。

 俺は意を決して、口を開いた。


「最後にお風呂に入ったのは、いつですか?」


 フワッと臭ってきた、酸っぱい臭い。汗やインクなどが混ざり合った、まさしく異臭がライラック博士から臭ってきていた。

 ライラック博士は俺の問いかけに首を傾げると、ボリボリと後頭部を掻きながら答える。


「__七日前だな」


 サラッと答えたライラック博士に、俺たちは唖然とした。

 そして、やよいは拳をプルプルと震わせながら、思い切り息を吸い込んで声を張り上げる。


「__今すぐお風呂に行ってきなさぁぁぁぁぁぁい!」

「は、はいぃぃぃぃッ!」


 やよいの雷が落ち、ライラック博士はバタバタとお風呂へと向かっていった。

 ライラック博士を待つ間、俺たちはリビングの掃除を始める。とりあえず、俺たちが座れるスペースを確保して、それ以外は適当に隅に追いやった。

 そして、七日ぶりの入浴でさっぱりしたライラック博士が席に座り、ようやく俺たちは再会を喜んだ。


「さて、よく来てくれたな。まさかこれほど早く来るとは思ってもなかったぞ」

「えぇ、そうですね。本当に皆さんお元気そうでよかったです」


 ライラック博士とジーロさんは嬉しそうに微笑んでいる。

 俺たちも嬉しいけど、それよりも本題に入ろう。


「早速ですけど、ライラック博士……転移症候群について分かったことがあるんですよね?」


 俺が話を切り出すと、ライラック博士はスッと真剣な表情になり、ゆっくりと頷いた。


「そうだ、私たちはあれからずっと、転移症候群のことを研究してきた。シランを長く苦しめ、多くの者の命を奪ったあの奇病のことを」


 ライラック博士は一度話すのを止めて、目を閉じながら天井を仰ぐ。

 そして、俺たちを真っ直ぐ見据えると、静かに口を開いた。


「私たちが分かったのは、あの黒いモヤ__いや、魔力についてだ。黒い魔力がどういう存在・・・・・・なのかを、私たちは突き止めたのだ」


 黒い魔力__闇属性。

 ライラック博士はその闇属性の存在を突き止めたと、はっきり俺たちに向かって言い放った。




  

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