二十四曲目『カトブレパス』

「な、なんだ!?」


 突然の地震に思わず演奏が止まる。

 上空に展開していた魔法陣が霧散して、音圧に押し潰されていたモンスターたちが動き出す……かと思ったら、逃げることも進軍することもなくその場でガタガタと震えていた。

 まるで、何かに畏怖しているかのように。


「タケル! あれ見て!」


 すると、青ざめた表情のやよいが遠くの地面に向かって指差した。

 大きく亀裂が走っていく地面が、徐々に隆起していく。

 そして、亀裂から黒いモヤが噴出し始めた。


「ヘイ、なんだあれ……?」


 ドラムスティックを持ったまま、ウォレスが唖然としながら呟く。

 メキメキと音を立てながら、地の底から迫り上がるようにそれは・・・姿を現した。

 四足歩行の山のような巨体に、夥しい量の黒いヘドロが覆っている。長い首を垂れ下げ、巨大な顔が地面をズリズリと這いずっていた。

 全身に纏った黒いヘドロが地面に滴り、黒いガスを発生させながら侵食するように溶かしていく。

 地面を這いずる巨大な顔も黒いヘドロで覆われ、赤い双眼が浮かび上がっていた。


「フシュルルル……」


 巨大な何かは口を僅かに開けると、そこから黒いモヤが噴出する。

 赤い瞳は明らかにこちらを__ヴァべナロストに向けられ、ゆっくりと前足を上げて地面に振り下ろした。

 たった一歩踏み出しただけで、大地を地震のように揺れ動かす。それほどの重量を持った巨大な何かが、少しずつこちらに向かって動き出していた。


「__タケル!」


 その何かを唖然と見つめていた俺に、一人の男が駆けつけてくる。

 金髪の高貴さを感じさせる容姿、黒い鎧を身に纏った騎士らしい姿の男__レイドだった。

 レイドは俺たちに近づくと、こちらに向かってきている巨大な何かを睨みながら口を開く。


「マズイな……あれだけのモンスターに襲われれば、結界と言えど即座に破壊される」

「見れば分かるよ……レイド、あのモンスターがなんなのか知ってるか?」


 俺の問いにレイドは力なく首を横に振った。


「いや、私も見たことがない。そもそも、あのように黒い泥のような物に覆われたモンスターなど、存在しないだろう」

「多分、あの黒い魔力は闇属性。間違いなく、闇属性が差し向けてきたモンスターだ」


 あの巨大なモンスターが纏っている黒いヘドロは、闇属性の魔力だ。その証拠に、俺の中に眠る光属性が反応して強くなってきている。

 そう答えると、レイドは悔しげに口角を歪ませた。


「闇属性……あの黒い魔力は、そういう名の属性なのか。つまり、ガーディの中で蠢いていたという魔力の正体は、闇属性。奴め、本格的にヴァべナロストを落とすつもりか」


 黒い属性の正体が闇属性だと知ったレイドは、ギリッと歯を鳴らす。

 ガーディが闇属性に操られていることは、アスカさんに教えて貰った俺たちしか知らない情報だ。

 厳密にはガーディじゃなくて闇属性の仕業なんだけど……今は説明している暇はない。


「__とにかく、進軍を遅らせる! みんな、続けるぞ!」


 あのモンスターがなんなのかは分からないけど、近づけさせる訳にはいかない。

 俺たちは中断していたライブ魔法を再開し、<僕は君の風になる>の演奏を続けた。

 巨大なモンスターの上空に魔法陣が展開され、俺は二番の歌詞を歌い始める。


「君が泣きたい時 僕は君の風になる 雨雲を呼んで 涙を隠してあげる」


 俺たちの魔力を充填した魔法陣は紫色に強く発光し、巨大なモンスターに向かって音圧を放った。

 上から押し潰す音圧を受け止めた巨大なモンスターは、ガクンッと態勢を低くする。


「君が叫びたい時 僕は君の風になる 強く吹き荒れて 君を守りたい」


 四本の太い足が地面にめり込み、ミシミシと巨体が軋む。

 すると、巨大なモンスターは長い首をもたげ、地面を這っていた顔を上げ始めた。


「__ブモォォォォォォォォォォォォォッ!」


 牛を思わせる低く大音量の咆哮が地面を、大気を、世界を震わせる。

 上から押し潰す音圧に負けず、巨大なモンスターは前足を踏み出して少しずつ前へと進んでいった。

 止められない。どれだけ魔力を送り込んで音圧を強くしても、あの巨大なモンスターの動きを止められず、遅くさせることしか叶わなかった。


「タケルたちの援護だ! 全軍、遠距離から魔法で攻撃しろ!」


 レイドの指示に騎士団たちは動き出し、魔法の詠唱を始める。

 放たれた炎の槍、風の刃、火の球や雷の槍が鈍重なモンスターに直撃していく。

 だけど、その全てが巨体を纏っている黒いヘドロに飲み込まれていった。


「くっ……どうすれば……ッ!」


 魔法での攻撃が無意味だと悟り、レイドが悪態を吐く。

 あいつを倒すには光属性を使うしかないだろうけど、あの巨体に加えて他のモンスターもいる状況で近づくのは難しい。

 歌いながらそう思っていると、巨大なモンスターから滴った黒いヘドロが意思を持っているかのように蠢き出した。


「ガァァァ……ッ!」

「グルォォォ……ッ!」


 黒いヘドロは怯えて逃げ惑っていたオークや、アーマーリザードたちを飲み込んでいく。 何をするつもりなのか、と思った瞬間__ゾクッと寒気がした。


「ブモォォォォォォッ!」


 雄叫びを上げた巨大なモンスターは纏っていた黒いヘドロをうねらせ、黒い塊を撃ち出してくる。

 砲弾のような黒いヘドロの塊は騎士団たちを巻き込み、結界に着弾した。


「う、うわぁぁぁぁぁッ!?」

「ぐ、お、ぉぉぉぉ……ッ!」


 黒いヘドロを浴びた騎士たちが、悲痛の叫び声を上げる。

 溶かすような嫌な音と共に、騎士の体が黒いヘドロに侵食されていっていた。


「マズイ!? <アレグロ!>」


 それを見た俺はすぐに演奏を中断して、敏捷強化アレグロを使って黒いヘドロを浴びた騎士たちに駆け寄る。

 悶え苦しむ騎士に近寄った俺は、光属性の魔力を引き出して黒いヘドロを振り払うように腕を薙いだ。

 光属性の魔力は黒いヘドロを弾き飛ばし、侵食されて火傷のように爛れた騎士の皮膚が元に戻っていく。


「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございます、タケル殿……」

「無理して喋らなくていいって! 誰か、急いでこの人を拠点に運んで! 黒いヘドロを浴びると侵食される!」

「わ、分かりました!」


 闇属性の魔力は人を蝕み、侵食する。俺の中に眠っている光属性の魔力じゃないと、助けることが出来ない。

 すぐに他の騎士に侵食されそうになっていた人を運んで貰ってから、結界に着弾した黒いヘドロの塊に目を向ける。


 そこには、黒いヘドロに飲み込まれたはずのオークの死体が転がっていた。


「あいつ、まさか……モンスターを砲弾にしてるのか……ッ!?」


 あの巨大なモンスターは、仲間のモンスターを飲み込んで砲弾にして攻撃してきた。

 ただの道具としてしか見ていない。だからこそ、巨大なモンスターの登場に他のモンスターの軍勢は怯え、逃げ惑っていたのか。

 すると、巨大なモンスターは次々に黒いヘドロの塊を撃ち放ってきている。


「__あの塊に絶対に当っちゃダメだ! 避けてくれ!」


 俺の必死な叫びに騎士団たちは急いで動き出し、塊を回避した。

 だけど塊はそのまま結界に着弾し、轟音と共にビチャリとアーマーリザードやオークの死体が地面に落ちる。


「タケル! このままでは結界が崩壊する!」


 レイドの言葉に拳をギリッと握りしめた。

 分かってる、これ以上好き勝手に攻撃を受け止めていたら、強固な結界でも壊されるのは時間の問題だ。

 かと言って、黒いヘドロの塊はモンスター。かなりの質量を持った砲撃。それを撃ち落とすのは至難の技だ。


「__だったら、俺たちがどうにかするしかない」


 あの砲撃を防げるのは、俺たち__ライブ魔法しかない。

 そう判断した俺はすぐにみんなの元に走り、声を張り上げる。


「竜巻で砲撃を吹き飛ばすぞ!」

「分かった! みんな、準備して!」


 俺の考えを察した真紅郎が全員に呼びかけた。

 すぐに準備を終えたみんなの前に立った俺は、地面に剣を突き立ててマイクに口を近づける。


「行くぞ__<宿した魂と背中に生えた翼>」


 曲名を告げてから、俺は息を吸い込んでマイクに歌声を叩きつけた。


「センセーション? そんなもん殴り飛ばせ イマジネーション? それがなきゃ人間じゃねぇ」


 篭ったようなラジオボイスに加工した俺の歌声が、戦場に響き渡る。

 そこにウォレスの小刻みに速いドラムストロークと、真紅郎のスリーフィンガーによる速弾き、やよいの長く潰れたギターの音色が追従した。

 最後にサクヤのシンセサイザーの音色が混ざり、縦ノリの疾走感溢れる演奏に合わせてBメロの歌詞を歌い上げる。


「ロックは 俺の魂に 刻んでる 旅の道具は それだけで 充分だ」


 俺たちの目の前に展開された紫色の魔法陣に、魔力で出来た風が集まっていった。

 狙いは、向かってきている巨大なモンスター。狙いを定め、集まった風が螺旋を描いて竜巻と化していく。


「綺麗事で塗り飾られた この物騒な世の中を ぶん殴るために俺は」


 最後のフレーズでシャウトすると、竜巻が巨大なモンスターに向かって放たれた。

 同時に、巨大なモンスターの体から黒いヘドロの塊が撃ち放たれる。

 うねりを上げながら向かっていった竜巻に塊が着弾し、黒いヘドロを撒き散らせながら砲弾にされたモンスターが吹き飛ばされた。


「音楽は世界を救う いや救うのは俺だ 誰にも譲らねぇ 祈りより大事だろ? 刻め、ロックは ここにあるんだ」


 追加で作り出した五本の竜巻は、そのまま巨大なモンスターにぶつかる。

 激しい曲調に合わせて勢いを増していく竜巻が、巨体に纏っていた黒いヘドロを周囲に散らしていった。

 荒れ狂う風の奔流によって、黒いヘドロに覆われていた巨体が露わになっていく。

 それを見たレイドが、目を見開きながら呟いた。


「あれは、まさか__<カトブレパス>」


 黒いヘドロの下に隠れていたのは、灰色をした硬そうな表皮。

 地面を這っていた重そうな頭の黒いヘドロが弾け飛び、牛と豚を混ぜ合わせたような顔が露わになる。

 聞いたこともないモンスターの名前に歌いながらレイドに目を向けると、レイドは信じられないと驚愕しながら口を開いた。


「カトブレパス……個体数が少ない、希少なモンスターだ。重い頭部を引きずりながら移動する、山と見間違うほどの巨体を持つ。ただ歩くだけで地形を変える、歩く災害とも言われているモンスターだ。しかし、カトブレパスは攻撃しない限りは大人しいはずなんだが……」


 明らかに凶暴そうなカトブレパスを見て、レイドは疑問を浮かべている。

 闇属性によって無理やり凶暴性を増し、操られているからだろう。

 そんなモンスターを使っててでも、ヴァべナロストを落とすつもりなのか……ッ!


「ラブ&ピース? 世界はそれで回ってる それでフィニッシュ? だからなんだ!」


 俺の怒りの感情に呼応するように、五本の竜巻が勢いを増してカトブレパスの巨体を押し込んでいった。

 その間に騎士団たちが魔法を放ち、カトブレパスに攻撃していく。


「もっとだ! もっと魔法をぶつけろ! どうにかして押し返せ!」


 レイドの呼びかけに魔法による攻撃が激しさを増す。

 だけど、カトブレパスの硬い表皮に傷一つ付かず、明確なダメージを与えるのは至らなかった。


「これほど魔法をぶつけても無意味なのか……」

「__総員、射線上から退避しろ!」


 無力だ、とレイドが歯噛みする中__上空を飛んでいた機竜艇から伝声管を通じてベリオさんの声が響き渡る。

 機竜艇は旋回しながら、竜巻を受け止めているカトブレパスの正面に位置取った。


「タケル! そのままあのデカブツの動きを止めてろ! ボルク、<破竜砲>用意!」


 ベリオさんの指示に、竜を模した機竜艇の船首が動き出す。

 重い音を立てながら口が開いていき、そこから巨大な砲身が伸びていった。

 機竜艇から竜のうなり声のような低い音が響き、砲身に莫大な魔力エネルギーが集まっていく。


「魔力充填完了! 親方、いつでも行けるよ!」

「おっしゃあ! ぶちかますぞ!」


 砲身に高密度の魔力が収束していき、バチバチと紫電を迸らせる。

 カトブレパスに狙いを定め、ボルクさんは声を張り上げた。


「__破竜砲、発射ぁぁぁぁぁぁッ!」


 破竜砲__機竜艇が持つ、最大の武器。その名の通り、竜を破るほどの砲撃だ。 

 竜の咆哮のような轟音と共に、高密度に圧縮された魔力の奔流が放たれる。

 一直線に伸びた魔力の奔流が、カトブレパスの巨体に撃ち込まれた。


「__ブルォォォォォッ!?」

 

 天地を震わせて吹き荒ぶ魔力の余波。

 破竜砲を受け止めたカトブレパスが地面を砕きながら、ジリジリと押し返されていく。

 そして、爆音が轟くと山のような巨体のカトブレパスが、地面を大きく揺らしながら横たわった。


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