二十五曲目『鳴り響く鐘の音』
「フシュルルル……ッ」
空に向かって吠えていたフェイルが、俺を充血した目でギョロリと睨んでくる。
歯を剥き出しにしたフェイルはヨダレを流し、三日月のように口角を引き上げながら嗤った。
そして、俺に向かって人差し指を向けると、体に纏わり付く黒い魔力がグルグルと渦を巻きながらその腕に集まっていく。
「__<
地獄の底から這い出てきたような低い声でそう呟くと、パチンと指を鳴らした。
その瞬間、フェイルの体を中心にどす黒い魔力波が広がり、世界から音が消える。
いや、音が消えるどころじゃない。音が、
「__ッ!?」
まるで世界を塗り潰すように黒い魔力を纏った消音魔法によって、無音の世界に変貌する。
今までの消音魔法は、同等の魔力波をぶつけることで魔法や音を無効化させていたけど、これは全然違っていた。
全ての音や魔力波を飲み込み、殺す……今までは比べ物にならないほど凶悪で、おぞましいものになっている。
これだと魔力波を意図的に乱したところで、意味がないだろう。
「__ガアァァアァァァァッ!」
そして、フェイルは喉が張り裂けそうなほど叫ぶと、地面を踏み砕きながら俺に向かって走り出した。
まるで黒い壁が押し迫ってくるような圧力を感じながら、フェイルが振り下ろしてきた剣を剣で防ぐ。
__お、重ッ!?
全体重、全ての悪意を詰め込んだかのような攻撃。あまりの重さに耐えられないと判断した俺は、剣を滑らせるようにいなした。
軌道を変えられたフェイルの剣が地面を斬り裂き、ビリビリと地面が揺れる。
「ゴアァァァッ!」
いなされたフェイルは気にも止めずに、今度は力任せに剣を振り上げてきた。
剣で防ぐと、衝撃に足がフワッと浮き上がる。腕に衝撃が襲い、思わず剣を取り落としそうになった。
それからフェイルは理性を失った獣のように、とにかく強引に、力任せに剣を振って攻撃してくる。
怒涛の連続攻撃に顔をしかめながら、ギリギリで避けていく。
「シ、ねェェェェェッ!」
今までの洗練された剣術ではなく、本能の赴くまま繰り出される変則的な攻撃に、とうとう避けきれずに腹に剣が直撃した。
ズンっ、と重い衝撃に肺の中の空気が吐き出させられ、体をくの字にさせながら吹き飛ぶ。
吹き飛ばされながらどうにか意識を保ち、地面に剣を突き立てて着地した。
__ぐっ……あ、危なかった。
斬られた腹に手を置いてみると、傷一つない。
先生がくれた真紅のマントが、フェイルの剣を防いでくれたようだ。
防刃に優れた先生が最高傑作とまで言っていたマントは、フェイルの剣を受けても斬られた形跡が残っていない。
ただ、衝撃までは殺せずに腹に鈍痛が響いているけど、マントがなかったら俺の腹は横一文字に斬り裂かれ、死んでいたことだろう。
マントをくれた先生に感謝しつつ、剣を構えてフェイルを見据える。
__さて、どうするかな……。
フェイルが身に纏っているあの黒い魔力は、間違いなく今まで見てきたものと同じものだ。
ガーディの中に宿っているという、邪悪な闇そのもの。世界を滅ぼすほどの憎悪の権化。
あの黒い魔力をどうにかしないことには、フェイルに勝つことは出来ないだろう。
そして、俺はあの黒い魔力をぶっ飛ばせる手段がある。
__でも、どうやって出すのかまだ分からないんだよな。
それは、俺の中に眠っている
ガーネットを襲ったルガルたちもまた、同じ黒い魔力を纏っていた。それを、俺は無意識に白い魔力を引き出し、消滅させた訳だけど……自分の意思で引き出す方法は分かっていない。
でも、それしか突破出来る手段はない。どうにかして戦いながら白い魔力を引き出すしかない。
浅く長く息を吐きながら、姿勢を低くしてフェイルに飛び込んでいく。今はとにかく、攻めるしかない__ッ!
「ガァァァァァァァァァッ!」
俺が飛び込んだのと同時に、フェイルも走り出していた。
斬り結び、避けて、反撃する。動きが大きく隙だらけなのに、フェイルは苛烈なまでの攻撃の嵐でその隙を殺していた。
そのせいで反撃しようにも押し込まれそうになる。魔法を使えない俺では、フェイルの攻撃を耐えることが出来なかった。
なら、避けるしかない。フェイルの攻撃を捌きながら、前に出て反撃のチャンスを窺う。
消音魔法によって音は聞こえない。だから、その他の感覚をフルに活用して、避ける。
肌で感じ、目で見て、感覚を研ぎ澄ませろ。
「抵抗すルナ、虫ケラァァァァァァァァッ!」
フェイルは怒号を上げると、ギアを上げて攻撃が加速していった。
捌き切れずに、頬が切られて血が噴き出す。それでも急所だけは避けて、最小限にダメージを抑え込む。
だけど徐々に傷が増えていき、ダメージが蓄積されていった。
「死ネ、死ネ、シネシネシネェェェェェェッ!」
どうする? このままだとジリ貧だ。
フェイルの攻撃を受け止める度に、腕がどんどん痺れていく。柄を握る手に握力が少しずつ失われていった。
これ以上は、保たない。でも、白い魔力を使う方法が分からない。
どうやって白い魔力を使えた? どんな状況で? どんな心境で?
考えろ。考えろ、考えろ、考えろ__ッ!
思考を巡らせ、白い魔力を使った時のことを思い出せ!
あの時、俺は……ガーネットを守ろうとしていた。次に使ったのは、修練の洞窟で幻影相手に使ったはずだ。
その二つの共通点はなんだ? 俺はあの時__何を想っていた?
「オレは、オマエが、妬ましイ……ッ!」
体ごと弾き飛ばされた俺に、フェイルはボソッと呟く。
呪詛を唱えるように、どす黒い感情を剥き出しにして、俺を睨みつけながらフェイルはブツブツと言葉を続けた。
「ドウシテ、オマエは、笑ってイル? ドウシテ、楽しソウニ、してイル? オマエのような、人形ガ……中身のナイ、偽物ガッ!」
フェイルは妬ましくて仕方ないと地面を踏み砕く。何度も、何度も。地団駄を踏んだフェイルはギリッと悔しげに歯を食いしばっていた。
「ナニが、夢ダ! クダラナイッ! ついでに世界ヲ救ウだと!? 思い上ガリモ、甚だシイ! オマエのヨウナ、弱者ガ! 虫ケラが語ル夢物語ダ! そんなモノ、オレは認めナイ!」
フェイルの感情に呼応するように黒い魔力がどんどん噴き出していき、地面を揺らしながらグネグネと蠢いていく。
「アァ、憎イ! オマエの全てが、憎クテ憎クテ仕方がナイ! 恨めシイ! 吐き気がスル! シネ! 消エロ! オレの前に、その姿ヲ晒すナァァァァッ!」
憎悪の限りを持って、フェイルは俺に向かって走り出した。
黒い光の尾を引いて走ってくるフェイルに、俺は静かに剣を下げる。
__夢物語、か。
たしかに、俺の考えていること__ついでにこの世界を救って、みんなで元の世界に戻るというのは、夢物語かもしれない。
現実はそんなに甘くはない。全て理想通りに事が進むなんて、早々ないだろう。
だけどなぁ__ッ!
「グッ!?」
フェイルが剣を振り下ろしてくるのに合わせ、下に向けていた剣を思い切り振り上げる。
重い衝撃が腕に走り抜けるけど、そのまま思い切り振り抜いてフェイルの剣を弾き飛ばした。
抵抗されると思っていなかったのか、フェイルはたたらを踏んで距離を取る。
振り上げた剣をゆっくり戻しながら、力の限り剣の柄を握りしめてフェイルを睨みつけた。
__例え夢物語だとしても。全部理想通りに行かないとしても!
音が殺され、無音に包まれた世界で俺は叫ぶ。
自分でも分かっている。それでも俺は、決めたんだ。
__そんな夢物語を、全力で
心の奥底から、燃え滾る炎が湧き上がってくる。
感情に呼応するように魔臓器から膨大な魔力が体を駆け巡り、紫色の魔力が噴き出した。
飲み込むように音と魔力を殺していたフェイルの消音魔法に抵抗するように、紫色の魔力が黒い魔力を押し返していく。
ほんの少しだけ、世界に音が戻ってきた。思い切り息を吸い込む自分の声を聞きながら、フェイルに向かって言葉をぶつける。
「お前が認めなくても! 世界が邪魔してきても! 俺は、みんなと一緒に戦うって決めたんだ! 誰もが笑うような夢物語を全力で歌い続けて、全ての人に届ける!」
やよいが目に涙を浮かべて俺を見つめていた。
気を失っていたウォレスが頭を手で抑えながら、俺を見つめていた。
真紅郎がサクヤに肩を貸しながら俺を見つめていた。
サクヤはただ真っ直ぐに、俺を見つめていた。
大事な仲間たちが俺を見ている。モンスターと戦っていた騎士団が、レイドが、ローグさんが、ヴァイクが……ここにいる全員が、俺を見つめている。
俺の声が、想いが__みんなに届いた。
「俺が、
心を燃やせ。魂に火を点けろ。熱く、情熱を燃やして叫べ。
世界中に轟かせるんだ……俺の、俺たちの音楽を__ッ!
心臓がドクンと激しく鼓動する。高なった鼓動が、俺の中に眠っている白い魔力に伝わっていくのを感じた。
そして、白い魔力が眠りから覚める。紫色の音属性の魔力と混ざり合い、祝福するような鐘の音となって体から放たれた。
鐘の音が波紋のように広がると、世界を塗り潰していた黒い魔力を打ち払い、世界に音が戻ってくる。
黒い魔力を纏うフェイルとは正反対に、白い魔力を纏った俺は剣を向けながらフェイルに言い放った。
「__決着をつけるぞ、フェイル!」
「__虫ケラガァァァァァァァッ!」
黒い光の尾を引いて走るフェイルに対して、俺は白い光の尾を引きながら走り出す。
同時に薙ぎ払った剣同士が、黒と白の魔力がぶつかり合う。
そして……最後の戦いの鐘が、鳴り響いた。
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