十一曲目『憧れた存在』
ベッドに横になったまま、ずっと天井を見つめ続ける。
どれぐらい時間が経ったのか。窓の外を見てみると、いつの間にか夜になっていた。
__俺がやりたいこと。俺が乗り越えないといけない過去。
腕で目元を隠しながら、ゆっくりと息を吐く。
魔女の痛いぐらいの正論が、今も心に突き刺さって離れない。人の真似ばかりしていた過去、それは自分が招いたこと。立ち向かわず、逃げ出した俺自身の弱さだ。
__自分の弱さを他人のせいにするな、か。ははっ、言ってくれるな……。
魔女が言ったことを呟き、苦笑いを浮かべる。
心のどこかで、分かっていた。たしかに、俺は母親からの愛を受けられずに虐げられてきた。学校でも虐められてきた。
でも俺は心を壊すことで、自分を守ってきた。
機械的に、漫然と一日を消化する毎日。そうすれば傷つくことも、心が痛むこともないと思って、そうしてきた。
だけど、それはただの逃げだ。
本当はそんなことしたくなかったし、そんな毎日を過ごしたいと思ってなかった。だけど、幼い自分じゃ何も出来ない、変えられないと諦めていただけ。
立ち向かうことは、辛いことだ。その辛さから逃げ、心を壊すことで自分の身を守った俺の弱さが__今の俺を形成している。
__そんなこと、分かってるっての……。
はっきりと魔女に言われ、目を逸らしていた事実に目を向けさせられた。
本当は分かっていたのに、見たくないからと目を向けようとしてなかった俺を、魔女はしっかりと見抜いていた。
今更過去のことを変えたいと思っても、過去は変えられない。なら、どうしたらいいのか?
__乗り越えるしかない。
声にならない声で、呟く。
変えられない過去に縛られず、乗り越える。それしかない。だから、魔女が言っていることは正しい、そう理解してるからこそ俺は否定することが出来なかった。
でも、そう簡単に出来ることじゃない。誰もが過去を乗り越えて生きている訳じゃない。だけど、魔女は言った。
__俺はそうしないといけない、か。本当、厳しいな。
誰もが出来ることじゃなくても、俺はそうしないといけない。そうしないと俺自身が求めている答えは得られず__得られなかったら、魔女に殺されるだけだ。
それでいい、俺みたいな奴が生きる資格なんてない……ちょっと前の俺ならそう言っていただろう。
でも、今の俺は__それでいいのかと迷っている。
修練の洞窟で見た幻影。フェイルの姿。それは、俺が一番恐怖しているもので……心の奥底、無意識の部分では打ち勝ちたいと思っている存在。
あれだけボロボロにされ、心も打ち砕かれ、二度と戦いたくないと恐れていたはずなのに__俺の心は、魂は、まだ勝ちたいと思っている。
__俺はまだ、生きたいのか……?
頭では死んでもいいと思っているのに、心は生きたいと思っている。相反する矛盾した考えに、俺は迷っていた。
俺は、本当はどうしたいのか。生きるとしても、何を目標にすればいいのか。
お前はまだ、やりたいことがあるのか。
ガーネットが伝えてきたその言葉が、また俺を迷わせる。
__考えてても仕方ないか。少し、体を動かそう。
グルグルと同じことを考え続け、頭が疲れてきた。
一度頭を空っぽにして体を動かせば、また変わってくるかもしれない。そう思った俺は、ゆっくりと体を起こす。
ずっと横になっていたせいで硬くなった体をほぐしていると、右肩から鈍い幻痛を感じて顔をしかめた。
だけど、休んだおかげか痛みは少なくなっている。これだったら多少動いても大丈夫そうだな。
ベットから降りた俺は窓を開け、外の空気を吸う。静かな夜風が頬を撫で、迷っていた俺の心が少しだけ和らいでいった。
__気持ちいいな。森の中だから、空気が澄んでる。
深呼吸して新鮮な空気を肺に送り込みながら頬を緩ませていると、遠くの方から何かが聞こえてきた。
__ガーネット?
それは、ガーネットの雄叫びだった。
遠くの方から響いてくるガーネットの雄叫び__違う、今のは……悲痛の叫びだ。
何かあったに違いない。そう思った瞬間、俺は窓から飛び出してガーネットの元へと走り出す。
森を走り抜け、ガーネットがいる場所へと向かっていると……徐々にガーネットの叫び声が近くなってきた。
明らかに何かと戦っている声だ。俺は走る足に力を込め、速度を上げて急ぐ。
__ガーネット!
そして、俺はたどり着いた。
月明かりに照らされた、森が開けた場所。そこで、ガーネットは喉を鳴らしながら何かに威嚇している。
そこにいたのは成人男性ぐらいの大きさの二足歩行の狼。いわゆる狼男のモンスター__<ルガル>だった。
五体のルガルは上半身の毛を逆立て、鋭い牙をむき出しにしながらガーネットを血のように赤い瞳で睨みつけて威嚇している。
対するガーネットは息を荒くしながら、ボロボロの翼を広げてルガルを睨み返していた。
__ど、どうしてここにルガルが……?
この森は魔女の結界により人もモンスターも寄り付かなくなっている。それに、そもそもルガルは森じゃなく、荒野や山に生息しているモンスターのはずだ。森の中にいること自体がおかしい。
それに__一番おかしいのは、その身に纏わせる霧のような
旅の道中で何度か見たことがあるそれは、マーゼナル王国の王、ガーディ・マーゼナルに宿っている、おぞましい憎悪に満ちた謎の魔力。
五体のルガルはその黒い魔力を纏い、まるで我を失ったかのように凶暴性を増していた。
「__ガアァァァァァァァッ!」
ルガルたちは身の毛がよだつほどの雄叫びを上げ、走り出した。
二体は跳び上がって上から、残りの三頭は地面を疾走してガーネットに襲いかかる。
「__グルォォォッ!」
ガーネットも負けじと咆哮すると、グルリとその場で一回転して丸太のような尻尾を薙ぎ払った。
三頭のルガルは地面を這うようにして尻尾を避け、その隙に空中にいた二頭はガーネットの背中に飛び乗ると、鋭利な爪を突き立てる。
堅い甲殻が鈍い音を立ててヒビが入り、血が吹き出した。
「__グルアァァァァァッ!?」
ガーネットは悲痛な叫びを上げ、背中にいる二頭のルガルを振り払おうと暴れる。だけど、背中に爪を突き立て、振り落とされないように堪えながらルガルは牙で噛みつき、堅い甲殻を砕いた。
鮮血が舞い、またガーネットは襲ってくる痛みに怯んでいる。
__ガーネット!
ただでさえ年老いたガーネットに、今の黒い魔力を纏ったルガルの群れを倒せるほどの力は残っていない。
すぐに助けようと魔装を展開して剣を握りしめた俺が地面を蹴ろうとして__背後から感じた気配に振り返りながら剣を構えた。
__ガッ!?
その瞬間、構えた剣に重く強い衝撃が襲ってくる。堪えきれずに吹き飛ばされた俺は、ゴロゴロと地面を転がった。
どうにか受け身を取って立ち上がった俺は、襲ってきたそいつを見据える。そこにいたのは、ルガルだった。
だけど、そのルガルはガーネットが戦っているルガルよりも一回り以上は大きい。その身に纏っている黒い魔力も、明らかに多かった。
__まだ、いたのか……ッ!
間違いなく、こいつはルガルたちのボスだ。その体から感じる威圧感が他のルガルとは比べ物にならないほど強い。
ギリッと歯を食いしばりながら剣をルガルに向けると、ルガルはまるで嘲笑うかのように口角を歪ませ、大きく息を吸い込んだ。
そして、空に浮かぶ月に向かって、咆哮する。ビリビリと空気を震わせ、森全体が揺れ動かすほど轟いたその声に、俺は後退りした。
__や、やばい。足が……ッ!
思い出したかのように恐怖心が顔を出し、足がガタガタと震えて動けなくなる。
それは、戦うことへの恐怖。目の前にいるルガルに、フェイルの姿が重なって見えてしまった。
怖い。怖い怖い怖い……今の俺に、戦う気概は失われている。フェイルに折られた心が、戦うことを拒否している。
すると、ルガルは鼻を鳴らすと俺を無視してガーネットの方を睨んだ。
「__ガァァァァァァァァッ!」
そして、ルガルはガーネットへと走り出した。
五頭のルガルと戦っていたガーネットは目を見開いて驚き、動きが鈍っている。
そんなガーネットに体当たりしたルガルは、爪を突き立てながら自分よりも大きなガーネットを力任せに地面へと叩きつけた。
「グルァッ!?」
叩きつけられた衝撃にガーネットが悲鳴を上げる。そして、ボスのルガルは部下の五頭のルガルの方を向くと、顎をしゃくった。
五頭のルガルは頷くと、倒れているガーネットへと襲いかかる。爪で切り裂き、牙で噛み砕き、ガーネットの堅い甲殻に痛々しい傷跡を刻み込んでいった。
ガーネットはもがき苦しみながらどうにか尻尾を振り回してルガルたちを引き離させる。
そして、全身傷だらけになり、血を流しながらゆっくりと起き上がると、苦しそうに息を荒くさせながら、喉を鳴らしていた。
__が、ガーネット……。
このままだとガーネットが殺される。それが分かっているのに、足が言うことを聞かなかった。
恐怖に苛まれた俺の体は震え、動くことが出来ない。
__ちく、しょう……動けよ、俺……ッ!
まるで自分の体じゃないように、動けない。
今動かないと、戦わないと……ガーネットが死ぬ。
だけど、心のどこかで思ってしまった。
俺が戦ったところで、ガーネットを助けられるのか__と。
今の俺はフェイルによって心を折られてしまい、戦うことに恐怖している。
そもそも、今の俺があのルガルたちを倒せるほどの実力があるのか?
弱い俺に、誰かを守れるほどの強さがあるのか?
「__グルアァァァァァァァァッ!」
ガーネットの咆哮が響き渡る。
不利な状況でも、ガーネットは諦めてなかった。明らかに負けると分かっていても、ガーネットは最後の最後まで戦うことを決めていた。
それに比べて、俺はどうだ?
__情けない……ッ!
自分の情けなさに嫌気が差す。心の弱さに腹が立つ。だけど、体が動かない。足が震えて一歩も前に進めない。
人に憧れた、空っぽの人形。誰かの真似事しかしてこなかった、偽善者。そんな俺が、誰かを助けられるはずがない。
そう、俺は__誰かを助けようとしてきた今までの俺は、
頭の中にノイズが走る。
ノイズだらけの光景に、誰かが立っていた。
幼い俺を、守ってくれた人。母親に虐げられ、クラスメイトに虐められてきた日々を過ごしていた俺の、唯一の味方。
正義感に溢れ、困っている人を見過ごせない優しい心の持ち主。誰もが憧れる、頼れる人。
__
助けを求める子供のように、その人の名を呟いた。
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