十曲目『心が求めるもの』

 ノイズが、走る。


 まだ幼い……小学校低学年の頃の俺がトボトボと歩いている姿。

 目元が隠れるほど、長いボサボサの黒髪。猫背で、顔を俯かせている根暗な子供。

 背負っているランドセルは傷だらけで、薄汚れている。それは別に、遊んでてそうなった訳じゃない。


 __同じクラスの奴らに奪われ、蹴られたことで出来た傷だった。


 成績はそこまでよくなく、運動もそこそこ。何をやっても不器用で、上手くいかない。無口で暗い性格も相まって、その頃の俺はクラスに馴染むことが出来ずにいた。

 そして、そういう奴は決まっているかのように、虐められる。まるで世界が定めたルールのように。

 家では母親に罵倒され、虐げられる。学校ではクラスメイトに虐められる。それが、俺の日常。

 だけど、それでも俺は傷つくことはなかった……いや、正確には傷つくような心じゃなくなっていた。

 

 その頃には、俺の心は壊れていたから。


 ノイズが、走る。

 ふと、歩いている俺の後ろから、誰かが声をかけてきた。優しく、暖かな声だ。

 俺はバッと振り返り、無表情だった顔に笑顔が戻ってくる。


「__タケル!」


 雑音混じりの声が、俺の名前を呼んだ。

 俺はその人に向かって、走り出す。勢いよく飛び込むと、その人はがっしりと受け止めてくれた。

 頼りがいのある腕に抱きしめられた俺は、年相応に笑いながらその人の名前を叫んだ。


「______ッ!」


 だけど俺の声は、声になっていなかった。


◇◆◇◆


 目を覚ました俺は勢いよく起き上がろうとして、右肩に走った鋭い痛みに顔をしかめながらまた倒れ込んだ。

 ベッドに寝ていた俺は、首だけ動かして窓の外を眺める。深い森の木々が太陽の光を遮っているけど、今が朝なのだというのが分かった。


 俺の生き死にが決まるまで、残り四日。魔女の家で過ごす三日目の朝を迎えていた。


 __魔女が運んでくれたのか?


 最後に残っている記憶では、俺は洞窟……修練の洞窟の中だった。

 今は魔女が用意してくれた部屋のベッドに横になっている。華奢な魔女が俺をここまで運んだのか、と疑問に思ったけど魔法を使えば簡単だろうと納得した。

 少し身動ぎしただけで、右肩が痛む。傷跡は残ってないけど、幻影から貫いた箇所が幻痛となって襲ってきていた。


 __幻影……最も恐怖しているものを見せる、か。


 修練の洞窟の奥に鎮座していた石、心影石。人の心を読み取り、触れた者が最も恐れている幻影を見せる危険な代物。

 それに触れてしまった俺が見たのは__フェイルの姿だった。

 つまり、俺はフェイルに恐怖している。二度と会いたくないと、戦いたくないと思っている。

 フェイルの姿が頭に過り、恐怖に体がカタカタと震えてきた。

 どうにか恐怖心を押し殺そうと歯を食いしばっていると、部屋の扉がノックもなく開かれる。


「……ようやく起きたわね、お寝坊さん。もう朝よ?」


 入ってきたのは、魔女だった。

 魔女は俺を見るなり呆れたように肩を竦めると、俺に近づいてくる。


 __おはよう、ございます?


「はい、おはよう。さて、目を覚ましてすぐだけど……お説教の時間よ」


 魔女は鋭く俺を睨むと、腕組みしながら深いため息を吐いた。


「坊や、あなたが生きるか死ぬかなんて、私にはどうでもいいことよ。でもね、あなたの生殺与奪の権利は、この私が握ってるの。私の興味がなくなるまでは、勝手に死ぬことは許可しないわ」


 なんとも自分勝手な言い方だ。思わず苦笑していると、魔女はチラッと窓の外を見やる。


「今回はクリムフォーレル……ガーネットが勝手に修練の洞窟に案内した。でも、武器も持たずに見知らぬ場所に行くなんて、バカがすることよ」


 __じゃあ、魔装を返してくれないか?


「枕元に置いてるわ」


 そう言われて枕元を見ると、たしかに指輪形態になっている魔装が置かれていた。

 指輪を指にはめると、魔女は俺にビシッと人差し指を向けてくる。


「私の許可なく修練の洞窟に入ることを禁じるわ。自分勝手な行動は慎みなさい。いいわね?」


 言われなくても、二度とあの洞窟に入るつもりはない。入りたくもなかった。

 魔女と話していて静まっていた恐怖心が、また顔を出す。

 幻影のフェイルにやられた右肩をギュッと抑えていると、魔女は椅子に腰掛けてから口を開いた。


「坊やが見た幻影はフェイルだったようね……フフッ、なるほどねぇ」


 何が面白いのか分からないけど、魔女はクスクスと笑っている。

 訝しげに見つめていると思考を読み取ったのか、魔女は「ごめんなさいね」と一言謝ってから説明してくれた。


「坊やが触れた心影石。触れた者の最も恐怖している幻影を見せる危険な石、というのは昨日話したわよね?」


 __それが?


「あの石を稼働するには、二つ条件があるの。まず一つ、膨大な魔力。坊やの魔力量なら、三回は稼働出来るわね」


 俺の魔力量は一般の人よりもかなり多めだ。その量でも三回しか使えないということは……普通の人なら魔力欠乏で倒れるな。

 魔女は指を二本立てると、二つ目の条件を話した。


「次に、二つ目。それはね……恐怖に打ち勝ちたい・・・・・・・・・という意思よ」


 __恐怖に、打ち勝ちたい? 俺が?


「そう、そこが面白いところね。もう戦いたくないと、生きるのもどうでもいいと思っている坊やは……その心の奥、無意識なところで、恐怖を克服したいと思っている。その恐怖が__フェイル」


 心影石が稼働し、見せた恐怖……俺が打ち勝ちたいと思っている幻影が、フェイルのようだ。

 だけど、俺はそう思ってない。あのフェイルに勝ちたいとも、戦いたいとも思ってなかった。

 でも、俺の心は……無意識の内に、打ち勝ちたいと思っている。そう願っている。

 否定したくても現実に心影石は二つの条件を満たしたことで、幻影を見せてきた。それは、変えられようのない事実だった。


 __俺は……まだ、戦いたいっていうのか?


「そうなるわね。だから、思わず笑ってしまったの。坊やは勝てるはずない、戦いたくないって言ってるのに、その心はまだ折れていないし負けを認めていない。思考と心が相反した、矛盾を孕んでいる坊や。本当はどうしたい・・・・・・・・のかしらね?」


 魔女はニヤリと口角を上げ、妖艶な笑みを浮かべて問いかけてきた。

 俺は黙り込んで、考える。

 折れていたはずの俺の心は、今もなお戦うつもりでいる。だけど、頭では勝てないと、戦いたくないと思っていた。

 俺が本当はどうしたいのか? それは、俺自身も分からなくなっていた。


 __俺、は……。


「フフッ、それこそが坊やが出すべき答えなのかもしれないわね。恐怖に打ち勝ってまた戦いの渦中に足を踏み入れるのか、それとも逃げて私に殺されるのか。残り四日、楽しみね」


 クスクスと楽しげに笑う魔女。俺が出す答えに、魔女は知的好奇心をくすぐられているんだろう。

 また、戦うのか? あのフェイルと。俺よりも強い実力者、レイドでも勝てなかった、あいつに?

 魔法を打ち消す消音魔法。純粋な戦闘力。俺の内面を一瞬で見抜いた、観察眼。

 例え魔臓器が回復して万全の状態だったとしても……今の俺に、勝てるビジョンは見えなかった。


「きゅきゅー!」


 すると、キュウちゃんが部屋に入ってくると、ベッドに寝ている俺の腹に飛び乗ってくる。

 尻尾をフリフリ揺らしながら俺の顔をペロペロと舐めてくるキュウちゃんの頭を優しく撫でていると、魔女は思い出したように口を開いた。


「そうそう、その子に感謝しておきなさい。その子が坊やがいる場所を教えてくれたのよ?」


 __キュウちゃんが?


「えぇ。いきなり血相を変えて私に助けを求め、修練の洞窟まで案内してくれたの。それにしても、不思議なモンスターね。長いこと生きてるけど、その子の種族は見たことがないわ」


 悠久の時を生きてきた魔女でも、キュウちゃんと同じ種族のモンスターを見たことがないらしい。

 キュウちゃんは自分の話題なのによく分からないのか、首を傾げていた。


 __この森まで案内してくれたのも、キュウちゃんなんだ。


「あら、そうなのね。どうりでおかしいと思ったわ。この森は私が張った結界で、どれだけ歩いても森の外に出るようになっているのに、坊やたちが私のところまで来れたのに疑問に思っていたのよ。本当、不思議な子ね」


 魔女は意外そうに驚くと、キュウちゃんに手招きする。呼ばれたキュウちゃんは俺から降りると、魔女の膝に飛び乗って丸くなった。

 魔女は微笑みながらキュウちゃんの背中を撫でる。


「この子は一般的なモンスターとも、どこか違うのよね。何が違うのか、と言われれば説明しにくいけど、どこか違っているわ。それに、この額に付いている楕円形の宝石……」


 そう言って魔女はキュウちゃんの額に付いている楕円形の蒼い宝石に指を置いた。


「坊やの記憶を見た時、この子はフェイルの消音魔法を打ち消した。私にも分からない、あの現象……魔力波での相殺とも違う、別の何か。気になるわね……じっくり研究したいぐらい」

「きゅッ!?」


 キュウちゃんの正体にも興味が惹かれたのか、不敵に笑う魔女。すると、嫌な予感がしたのかキュウちゃんはビクリと体を震わせると、おずおずと魔女の膝から飛び降りた。

 

「あら、残念。まぁ、いいわ。焦る必要なんてないし、いずれ分かることでしょうから。今の私に興味があるのは__坊やだからね」


 そう言って魔女はチラッと俺に目を向けてくる。


「それで、坊やはどうするのかしら?」


 __どうするって……。


「戦うのか、逃げるのか。打ち勝つのか、負けを認めるのか。生きるのか__死ぬのか」


 それは……と、考え込む。

 すると、魔女はため息混じりに言い放った。


「答えを出す猶予は残り四日。それを長いと思うか、短いと思うか。そこは坊やの考え方次第。でもね……昨日も話したけど、過去は乗り越えるものよ」


 魔法講義の時、魔女は俺に過去は乗り越えるものだと話してくれていた。

 そこに俺が求めている答えがある、とも。

 

 フェイルに負けたという過去。母親から虐げられてきた過去。心を壊し、人の真似事をすることで最低限人間としての形を保って生きてきた、過去。


 俺はそれを、乗り越えられるのか?


「坊やの心はまだ負けてないと、打ち勝ちたいと願っている。でも、頭では勝てないと、逃げ出したいと考えている。ねぇ、坊や……負けっぱなしでいいの? フェイルに言われっぱなしでいいの?」


 __それは……。


 ギュッと唇を噛みしめながら、拳を握る。

 俺はフェイルに自分の全てを全否定された。仮面を剥がされ、本当の自分をさらけ出された。

 もしも、だ。もし、俺が戦うことを決めたとして、そのあとはどうする? 何を目標に生きればいい?

 今の俺には、行動指針がない。例え生きることを選んだとしても、その先に何を求める?

 分からない。思いつかない。


「__情けない」


 そこで、魔女は冷たい一言を俺にぶつけてきた。

 魔女の方を見ると、魔女は冷ややかな視線を俺に向けながら、面白くなさそうに今にも舌打ちしそうな顔をしている。


「目標? 行動指針? そんなの、誰もが決まってる訳じゃないわ。だからこそ、生きてそれを探し求めているのよ。それが生きるってことよ、坊や」


 __だけど……。


「はぁぁ……だけど、でも、それしか言えないの? 本当、情けない。ここまで来ると苛ついてくるわ。他人に全否定されたからって、なんだって言うのよ」


 魔女の言い方に、少しカチンときた。

 自分の全てを否定される苦しみを、辛さを知らないからそんなことを言えるんだ。

 そう思っていると、思考を読み取った魔女は嘲笑うかのように鼻を鳴らした。


「だから何? 自分をしっかりと持っていれば、誰かに否定されても関係ないわよ」


 __誰もがあんたみたいに強い訳じゃない!


「そうね、それは同意見よ。私はこの世の全てを解き明かし、調べ尽くしたいという確固たる意志を持って生きているから、例え誰かに否定されても気にしないわ。それが、誰もが出来ることなんて思うのは傲慢でしかない」


 __なら……ッ!


「でも、はっきり言うわ。自分の弱さ・・・・・を、他人のせい・・・・・にするな」


 ストレートな魔女の言葉が、俺の心に突き刺さる。

 何も言い返せずにいる俺を見て、魔女はスッと立ち上がった。


「誰もが目標を持って生きている訳じゃない。別に、それを否定するつもりはないわ。それでも人は頑張って生きている。でも、坊や……あなたは違うでしょう?」


 __何が、違う……。


「坊やは人の真似ばかり。人に憧れた人形。そうなってしまったのは、過去に受けた傷によるもの。同情はするわ。もしも坊やが幸せな環境で過ごしていれば、そうはならなかったでしょう」


 魔女は俺を見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。


「でも、そう上手くいかないのが人生よ。多くの困難、過ごしてきた環境、自分の意思とは無関係に襲ってくる理不尽。順風満帆な人生なんて、この世には存在しないわ。それでも、人は多くの試練を乗り越え、生きようとしている」


 魔女はカツカツと靴音を鳴らして俺に近づくと、俺の胸元に人差し指を置く。


「でも今の坊やは、まるで自分一人が不幸・・・・・・・みたいに思っている。あなただけが辛い経験をしてきた訳じゃないし、あなた以上に辛い経験をしてきた人もいるのよ」


 はっきりと言われ、俺は何も言えずに黙り込んでいた。

 そんな俺を見て、魔女は肩を竦める。


「坊やは諦め、逃げたのよ。立ち向かわず、目を逸らすことで自分の身を守っているだけ」


 __あんたに何が分かる!


「分かるわよ。記憶を見たんだから」


 __それはこの世界に来てからの記憶だけだろ!? 俺の過去は見ていないはずだ!


「甘いわね。これでも私は長年生きたエルフ族__ハイエルフよ。あなたの過去なんて、読み取った記憶だけで容易に分かるわ」


 経験から来る観察眼。魔女はこの世界に来てからの記憶だけで、俺の過去を見抜いたらしい。

 ぐっ、と言葉に詰まっていると魔女は追い打ちするように言葉を紡ぐ。


「今の坊やは、自分の弱さから目を逸らした、意志の脆弱さが招いた結果よ。人の真似事をしてたのも、目標や行動指針を失ったのも、全て自分のせい。決して、他人のせいじゃないわ」


 魔女はため息を吐くと、俺に背中を向ける。


「もう一度言うわ__過去は乗り越えるものよ。縛られるものじゃない。誰もが出来ることじゃないでしょうけど、坊やは・・・そうしないといけないわ。でないと、あなた自身が求めている答えは一生見つけ出せない」


 それが出来なければ、死ぬだけだ。

 そう言いたげに魔女は告げると、部屋から出て行った。

 残された俺は目元を隠すように腕を置いて、深く息を吐く。


 __どうしたらいいんだよ……。


 魔女の言っていることは、痛いほど正論だった。否定することも、言い返すことも出来ない。

 だからと言って、どうしたらいいのかなんて分からなかった。自分の弱さが招いたことだとしても、誰かのせいにしたくなる。


 俺はどうしたいんだろう?


 生きたいのか、死にたいのか。生きる価値もないと思っていたくせに、心の奥底では生きたいと願っている。

 本当の俺は、どうしたいのか。考え込んでいると、窓からゴンゴンと鈍い音が聞こえてきた。

 窓を見てみると、そこにはガーネットが開けろと言わんばかりに窓に頭突きしている。


 __ガーネット?


 どうしてここに、と思いつつ右肩の痛みを堪えながら起き上がり、窓に向かう。

 そして、窓を開け放つとガーネットは狭苦しそうに窓を抜け、大きな顔だけ部屋に入ってきた。


 __どうしたんだ?


 ガーネットの頭を優しく撫でると、ガーネットはジッと俺を見つめてくる。

 真っ赤な瞳が、何かを伝えようとしていた。


「グルル……」


 喉を鳴らし、俺に何かを言ってくる。俺にはガーネットの言葉は理解出来ない。

 出来ないはずだった。

 ガーネットが伝えようとしている言葉を、頭ではなく心で理解した。


 __お前はまだ、やりたいことがあるのか、と。


「グルルルル……?」


 また、ガーネットは俺に問いかけてきた。 

 俺が、やりたいこと。やりたかったこと。それは__今は失ってしまった、音楽への情熱。


 Realize全員で、メジャーデビューを果たすこと。それが俺がやりたいと思っていたことだ。


 不意に、目頭が熱くなった。堪えきれず、頬に涙が伝っていく。

 フェイルに負けたことで俺は声を失った。全てが真似事だと言われ、心の支えだった音楽すらも否定された俺は……音楽への情熱も失った。

 

 お前はまだ、やりたいことがあるのか。


 その言葉が頭の頭の中に反響していく。何度も、何度も。

 反響した言葉が、俺の心を叩いていった。痛いぐらいに、まるで剣で突き刺してくるように、激しく。


 だけどその痛みはただ痛いだけじゃなく__僅かばかりの暖かさを感じていた。


 涙を流しながら、俺は膝を着く。うなだれながら泣き続ける俺の頭に、ガーネットは顎を乗せてきた。

 その重みが、今は心地よく感じるのだった。




 

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