九曲目『がらんどうの人形』
__うわぁッ!?
振り下ろしてきた剣に俺は転がってどうにか避ける。
情けない動きでもどうにか剣を躱すことが出来た俺は、地面を這ってフェイルから距離を取った。
攻撃を外したフェイルは無表情のまま、ゆっくりと俺に近づいてくる。
__く、来るな……ッ!
恐怖でガタガタと体を震わせ、尻餅を着きながら後ずさった俺は魔装を展開しようとして……魔女に取り上げられていたことに気付いた。
__し、しまった……返して貰うの忘れてた……ッ!
今の俺は戦うための武器がない。いや、もし武器を持っていたとしても__フェイルと戦うことなんて出来ない。
俺の心は完全にフェイルに対して恐怖し、折れているのだから。
だけど、フェイルは俺の事情なんて気にする訳もなく、尻餅を着いている俺を真っ二つにしようと、剣を思い切り振り上げた。
__う、うわぁぁぁぁぁッ!?
声にならない、情けない叫び声を上げながらみっともなくその場から横っ飛びして、フェイルの剣を避ける。
そのまま立ち上がろうとしても生まれたての小鹿のように足が震え、上手く立つことが出来なかった。
二度、三度と連続でフェイルが振ってきた剣を、足をもつれさせながら避ける。途中で受け身も取れずに地面に倒れながら、必死にフェイルから逃げ続けた。
__来るな! 来ないでくれ!
反撃することもせずただ逃げ惑う俺に、フェイルはピタリと動きを止める。
「……情けない。戦う気概も失ったか」
フェイルは俺をバカにするように、見下すようにため息を漏らしながら、首を横に振った。
「それが、本当のお前だ。戦う気概を失い、ただ逃げるだけの臆病者。自分の命を無価値だと思っているくせに、生に執着している虫けらだ」
フェイルの一言一言が、俺の心を抉っていく。
俺は、何も言い返せなかった。事実、その通りだから。
「お前は自分で考えることを放棄している。誰かが言った言葉、誰かが話した理想、誰かが語った夢__それを、まるで自分の物のようになぞっているだけだ」
フェイルが振り下ろした剣が、俺の右肩を浅く斬り裂く。
「中身がない
次は左肩を掠めるように斬られ、痛みが走る。
だけどそれ以上に……心に突き立てられる言葉のナイフの方が、痛かった。
「そんなお前に誰かを救うことも、守ることも出来るはずがない。お前のような偽善の人形には、分不相応な想いだ」
フェイルは真っ直ぐに剣を突き放ち、右肩を貫かれて血が吹き出す。
そのままフェイルは俺を壁に打ち付け、貫いた剣で肩を抉ってきた。
視界がスパークしたように点滅し、痛みが全身を駆け巡る。声にならない悲痛な叫びを上げながら、右肩を貫いている剣身を掴んで抜こうとした。
だけど、フェイルはそうはさせないとばかりに深く剣を押し込み、俺の額に頭突きしてくる。
「……俺は知っているぞ? どうしてお前が、自分の命を無価値だと思うようになったのかを」
射抜くような冷たい、機械のように無感情な瞳と目が合った。
フェイルはあざ笑うように口角を歪ませると、ゆっくりと口を開く。
「__母親から愛されず、虐げられてきた過去。それが、今のお前を形作った要因だ」
ヒュッ、とか細く息を吐いた。
どうしてお前がそれを知っている? 誰にも話していない、俺の過去を……なんで、お前が?
目を見開いて愕然としていると、フェイルはいたぶるように突き立てた剣をグリグリと動かしてきた。
__ガ、アァ……ッ!
悶え苦しむ俺の表情を見たフェイルは、三日月のように口角を引き上げて笑う。
「実の母親から受けるはずの愛を受けられず、ただ父親に似ているからという理由で虐げられ、罵声と暴言を愛の代わりに受け続ける毎日。その中で、お前はこう思うようになった」
__俺は、生きてちゃいけないんだ。
フェイルは右肩を抉るように、俺の心の傷を言葉で穿ってきた。
やめろ、とフェイルを止めたくても痛みで言葉が出ない。
「自分自身を全否定されたお前は、心を壊すことで自分を守るようになった。そうすれば、何を言われても感じなくなるから。だが、そのせいでお前は人から人形へと変わった」
そうだ。どんな罵声や暴言をぶつけられても、心さえ何も感じなくなれば辛くならない。
だから、俺は
剣身を掴んでいた手の力が抜け、だらりと腕を垂れ下げる。もう、痛みすら感じなくなっていた。
「学校でも馴染めず、虐められる毎日。家に帰っても母親から虐げられる毎日。機械的に、ただ日々を過ごすだけの毎日。その過去が、今のお前を作り出した」
フェイルは勢いよく剣を引き抜く。貫かれた右肩の傷から血が吹き出し、ボタボタと地面に滴り落ちた。
支えを失った俺はズルズルと壁を滑りながら地面に座り込み、糸が切れた操り人形のようにガクッと頭を下げる。
フェイルは血がついた剣をブンッと振り払うと、切っ先を喉元に突きつけてきた。
「哀れだな。心が壊れた、がらんどうの人形。人として破綻しているお前が、誰かの真似事をすることでどうにか人として最低限の形を取り続けてきた。それが、お前の過去を知らない仲間が見ていた__お前だ」
喉元に突きつけていた剣が、俺の顎をグイッと持ち上げる。
無理やりに顔を上げさせたフェイルは、俺を見下しながらニヤリと笑った。
「お前に生きる資格、価値などない。慈悲として、俺が直々に殺してやろう」
フェイルはそう言うと俺の顎から剣を離し、断罪するように剣を振り上げる。
このまま俺は、殺されるんだろう。他人事のように、ぼんやりと振り上げられた剣を見つめる。
__もう、いい。一思いに、やれよ。
完全に俺の心はへし折れ、粉々に砕け散った。
自分がどうなろうと、どうでもよくなった。
生きることを諦めた俺は、ゆっくりと目を閉じる。
死への恐怖も感じない。何も感じられない。
__俺は……生きてちゃいけないんだ。
真っ暗な視界で、剣が振り下ろされる気配を感じた。
同時に、背中を預けていた壁が消え去り、背中から地面に倒れ込む。
予想外の出来事に目を見開くと、フェイルの姿が消えているのに気付いた。
__何が……?
起き上がる気力もなく、地面に大の字になっていると……声が、聞こえてくる。
そして、体が浮き上がるように世界が暗転した。
「……うや! 坊や! しっかりしなさい、坊や!」
必死に俺を呼びかけてくる声に、俺は張り付いたように重い瞼を開く。
すると、洞窟の天井と俺を見下ろしている魔女の顔が見えてきた。
__魔女? どうして、ここに?
「もう! 何をしているの坊やは! どうしてここに入ったの!?」
目を覚ました俺を見て安心した魔女は、すぐに目を釣り上げて怒鳴ってくる。
思考が上手く回らず、理解が追いついていない俺は体を起こそうとして……鋭い痛みが右肩に走った。
__ガッ!?
咄嗟に右肩を手で抑え、のたうち回る。だけど右肩に傷がなく、抑えた手を見ても血が付いていない。
俺はさっきフェイルに出会って右肩を貫かれたはずだ。なのに傷一つないことに疑問に思っていると、魔女は呆れたようにため息を吐いた。
「あなたが見たのは
魔女が顎で指し示した先にあったのは、台座に置かれた七色に発光している石。
たしかに、あの石に触れた時からおかしかった。俺が見たフェイルは……幻だったようだ。
「あれは<
聞いたこともない石だ。そんな危険な石が、どうしてこんな洞窟の奥で鎮座しているんだ?
そう思っていると、思考を読み取った魔女は肩を竦める。
「この<修練の洞窟>は昔、アスカの心を鍛えるために私が作った場所よ。無鉄砲で猪突猛進なアスカを懲らしめ、その心根を叩き直すのにね」
心を鍛える、修練の洞窟。どうしてガーネットは俺をここに連れてきたんだ?
「……ガーネット? 坊や、あのクリムフォーレルに名前を付けたの? まぁ、それはいいわ。あの子、どうして坊やをここに……」
魔女にもどうしてガーネットが俺を修練の洞窟に入らせたのか分からず、顎に手を当てて思考を巡らせ始めた。
すると、一気に疲労が襲ってきた俺は意識が途切れ途切れになっていく。
「……とにかく、坊やは少し休みなさい。幻影から受けた傷は現実には残らないけど、幻痛として当分残るわ。今は__眠りなさい」
魔女の言葉を最後に、俺の意識はプツンと切れるのだった。
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