八曲目『ガーネット』

 魔女の講義を終え、炊事洗濯掃除と家事を終わらせた俺は、次に老齢のクリムフォーレルの世話をしていた。

 森が開けたこの場所から空を見上げると、透き通るように青い空が広がっている。

 だけど、俺の心は真反対にどんよりとした曇り空だ。


 __俺は、どうしたら……。


 思い返すのは、過去の記憶。

 母親からの罵倒の日々、理不尽な言葉のナイフ。

 魔女の話で忘れようとしていた記憶が顔を出し、俺の心を蝕んでいた。


「……グルル」


 ぼんやりと空を見つめていると、俺の体にクリムフォーレルが顔を軽くぶつけてきて、我に返る。


 __わ、悪い。ちゃんとやるって。


 声にならない声で謝ると、通じたのかクリムフォーレルは鼻を鳴らして顎を地面に着けた。

 右手に持ったブラシでガシガシと硬い鱗を洗っていく。すると、クリムフォーレルは気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らしていた。


 __この辺か?


 痒そうに身動ぎしていたクリムフォーレルの背中をブラシで擦ると、クリムフォーレルは「そこそこ」と言いたげに息を吐く。

 ただでさえ巨体なクリムフォーレルの体を洗うのは中々の重労働で、額に滲んだ汗を腕で拭いながら、全身を洗い終えた。

 最後に桶に入れた水をかけてやると、クリムフォーレルはブルブルと体を震わせて水を飛ばす。


 __ちょ、待てって!?


 水しぶきをモロに被った俺は、濡れた服を絞りながらジトっとクリムフォーレルを睨む。だけどクリムフォーレルは気にした様子もなく、欠伸をしていた。

 やれやれとため息を吐いてから、乾いた布で濡れた鱗を拭いていく。


 __なぁ、お前にも家族はいたのか?


 ふと、気になってクリムフォーレルに問いかけた。

 ただでさえ声が出ていない上に、人の言葉が通じるのか分からないけど……聞いてみたくなった。

 クリムフォーレルは俺をチラッと見やると、興味なさげに目を閉じて体を丸め始める。


 __通じない、か。まぁ、当たり前だよな。それに俺もお前の言葉が分からないし。


 何を馬鹿なことを聞いてるんだ、と自虐しながら苦笑いを浮かべた。

 なんでこんなことを聞いたのか……それは、誰でもいいから、聞きたかっただけだ。


 本当の__普通の家族が、どんななのかを。


 だけど、クリムフォーレルはモンスター。人間とは違う。家族のあり方も、接し方も。

 重々しいため息を漏らしながら、次は餌やりをすることにした。

 魔女があらかじめ用意していた、モンスターの肉。それを食べやすいように柔らかくして、一口大に切ったものだ。

 でも、このクリムフォーレルは年老いて消化器官が弱っている。一口大に切ってても、こいつにはまだ大きいかもしれないな。

 そう思ってナイフでもう少し小さく切り分け、ほぐしてからクリムフォーレルの口元に持っていった。


「グルル……」


 大きく開けた口に静かに肉を入れると、クリムフォーレルはゆっくりと咀嚼し始める。

 これならよさそうだな。そのまま二つ、三つと肉を口に入れながら……また、問いかけた。


 __お前、名前はあるのか?


 すると、クリムフォーレルは俺をチラッと見てから、フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向く。


 __ない、よな。そうだな……。


 少し考えてから、頬を緩ませて口を開いた。


 __ガーネット。お前の名前、ガーネットなんてどうだ?


 クリムフォーレルの真っ赤で綺麗な瞳を見て、前に見たことがあるガーネットという宝石を思い出す。

 だから、ガーネット。勝手にそう名付けると、クリムフォーレルは驚いたように目を見開き……口角を歪ませた。

 そして、俺に顔を近づけてくると顎を頭の上に乗せてくる。


 __お、重い! 重いって!?


 ズシリとした重みに膝を着くと、まるで褒めるように顎で頭を撫でてきた。


 __もしかして、気に入ったのか? 俺が言ってることが分かるのか?


 クリムフォーレルは俺の声にならない言葉が通じたのか、コクリと頷く。

 どうやら本当にガーネットという名前が気に入ったようだ。嬉しくなり、思わず頬を緩ませる。


 __じゃあ、今日からお前はガーネットだ。よろしくな。


「グルゥア……」


 返事をするように小さく鳴いたガーネットは、催促するように顎で肉をしゃくる。

 分かった分かった、と苦笑しながら餌やりを続け、全ての肉を食べ終えたガーネットは満足げにゲップした。


 __少し休むか。


 ガーネットは頷くとまた丸まり、目を閉じて寝息を立て始める。

 俺も座ってガーネットの体に寄りかかりながら、また空を見上げた。

 背中に感じる暖かさと、命の鼓動が伝わってくる。


 自分の命の価値が見出せず、いつ死んでもいいと思っている俺とは違う、生きようとする意思。


 それを背中で感じながら、俺は優しくガーネットの体を撫でる。


 __なぁ、ガーネット。俺は、これからどうしたらいいと思う?


 不思議と、ガーネットには悩みを打ち明けられた。

 俺がこれからどうすればいいのか、どんな答えを出せばいいのか。

 

 人の真似しかしてこなかった__人間まがいの人形。

 自分の命を誰かを守ることに使うことでしか価値を見出せない、偽善者。

 弱く情けない本当の自分を隠し、作り上げた偽物の仮面を被って生きていた自分。


 そんな俺が__この先、どうやって生きていけばいいのか。何を目標にして生きればいいのか。


 今の俺に、答えが出せる訳がない。


「……グルル」


 すると、ガーネットは呆れたようにため息を吐いてからムクッと体を起こした。

 いきなり支えがなくなり、背中から地面に倒れる。


 __うわ!? ど、どうしたんだ?


 倒れたままガーネットを見上げると、ガーネットは太い両足でしっかりと立ち上がり、一度翼を広げてから俺に背中を向けた。

 ズンッ、ズンッと重い足音を立てながら歩き出したガーネットは、長い首を曲げて俺の方を振り向くと、丸太のような尻尾を軽く振る。


 __ついて来い……って、言ってるのか?


 呆気に取られながら聞くと、ガーネットはフンッと鼻息を立ててからまた歩き出す。

 慌てて起き上がった俺は、ガーネットを追いかけた。


 __どこに行くんだ?


 俺の質問をガーネットは無視して、どんどん森の奥へと歩いていく。

 森を闊歩するガーネットの背中を追っていくと、ガーネットはある場所の前で足を止めた。


 __ここは?


 そこは鬱蒼とした森の中にそびえ立つ、見上げるほど高い切り立った崖。その崖にポッカリと大きな穴が空いた__洞窟だった。

 周りには苔むした岩が転がり、どことなく人の手が加えられているけどほとんど自然のまま残されている。

 真っ暗で奥がどうなっているのか見えない洞窟はどこか神秘的で__まるで俺を誘うかのように、漠然とした恐怖を感じた。


 __この洞窟が、どうかしたのか?


 思わずたじろぎながらガーネットに聞くと、ガーネットは俺の背中を頭でコツっと押してくる。


 __は、入れっていうのか? ここに?


 早く行け、と言わんばかりにガーネットは俺の背中をどんどん洞窟へと押しやってきた。

 急かされた俺はゴクリと息を呑みながら、洞窟の入り口に近づいていく。

 まるで手招きしているように、闇が広がっていた。


 __ま、マジで?


 チラッと振り返ると、ガーネットは俺をジッと見つめている。どうやっても俺をこの洞窟の中に入れたいらしい。


 __わ、分かったよ。行けばいいんだろ?


 諦めた俺は、意を決して洞窟の中に足を踏み入れた。

 その瞬間、ヒヤリとした空気が頬を撫でる。まるで俺の頬を舐めるように。

 それでも、どうにか恐怖を押し殺して、そのままま洞窟の中へと入っていった。


 __意外と、明るい?


 奥に進んでいくと、真っ暗だった視界が徐々にほんのりと明るくなっていく。緩やかに下へと伸びている道を進んでいくと、その明かりの正体が分かった。


 __すげぇ……。


 洞窟の奥は、鍾乳洞になっていた。

 天井から氷柱のように垂れ下がった鍾乳石が光を放ち、真っ暗な洞窟内を照らしている。

 

 __モンスターの気配は、なさそうだな。


 耳を澄ましてもピチョン、と水滴の音と水が流れる音しか聞こえない。生き物の息遣いや気配は感じなかった。

 そのまま道なりに歩き、ヒヤリとした肌寒さを感じながら洞窟内を進んでいくと、視界の先が一際光り輝いているのに気付いた。

 その光を目指して歩いていくと、広い空間が広がっている場所にたどり着く。


 __光ってるのは、あれか?


 広い空間を照らしていたのは、明らかに人工物の石の台座に置かれた石だった。

 台座に置かれた石は人の頭ぐらいの大きさで、七色に薄く発光している。


 __綺麗だ。初めて見る石だな。


 フラフラと導かれるように石に近づいた俺は、ゆっくりと手を伸ばした。

 七色に光る石に指先が触れた瞬間__。


 __なッ!?


 急激に魔力が吸い取られた。

 一気に魔力が吸い取られ、ぐらりと視界が揺らいでいく。

 離れようとしても、くっついたように指は石から離れられない。

 酔っぱらったように視界がグルグルと回り、火花が散るように目の前が眩んでいった。


 __だ、めだ……。


 そして、視界が暗転する。

 力が抜け、膝がガクッと折れ曲がり、背中から倒れ込んだ。


 だけど、地面の感触がない。フワフワと浮くように体が軽かった。

 無重力のように足から地面の感覚がしない。倒れているのか立っているのか、平衡感覚が分からなくなっていた。


 __俺は、どうしたんだ?


 真っ暗な視界の中、意識が途切れ途切れになる。

 数秒か、数分か、数時間か。時間の感覚すらも分からなくなりながら、フワフワと浮いている感覚に身を任せていると、ふと足が地面に着いた。

 たたらを踏みながらどうにか倒れないように堪え、周りを見渡す。


 __ここはどこだ?


 真っ暗な闇が広がる場所に、俺は立っていた。さっきまで目の前にあった石はなく、何も見えない。

 首を傾げていると後ろから足音が聞こえ、反射的に振り返った。


 __お、お前は……ッ!?


 銀色に近い白髪の髪をオールバックにした、褐色肌の男。

 無感情で冷たい、背筋が凍るような鋭い目つきをした灰色の瞳。

 藍色のロングコートに口元を隠すように巻かれた黒いマフラーをした、そいつは__。


 __どうしてお前がここにいるんだ、フェイル・・・・……ッ!?


 フェイルが、そこに立っていた。

 ドクン、ドクンと鼓動が激しくなる。恐怖が、心を蝕んでいく。


 カタカタと体を震わせて叫ぶも、フェイルは何も言わずに剣を構え__俺に向かって振り被ってきた。

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