1曲目『魔女』

「あなたはどうしていつもいつも!」

「んだと!? こっちは仕事をして金を稼いでるんだぞ!?」


 男女の怒鳴り声。皿が割れる音。何かが倒れる音。

 雑音から、耳を塞ぐ。カタカタと体を震わせ、薄暗い部屋の片隅にうずくまる。


「……もう、いやだ……だれか……」


 聞きたくない。聞きたくない。

 早く終わって欲しい。こんな生活から早く抜け出したい。

 また、パリンと割れる音がした。罵声の応酬がヒートアップしていく。 


「こんなの、きらいだ……」


 声が、音が、耳に届く全てが__嫌いだ。


 俺にとって音は、恐怖と嫌悪の対象だった。


「たすけて……」


 うずくまる俺を暖かで優しく、頼りがいのある感触が包み込む。


「__大丈夫だ、タケル」


 唯一、俺にとってその声だけは__大好きだった。


◇◆◇◆


「_____ッ!」


 一気に目を覚ました俺は、勢いよく起き上がった。

 そして、ビキビキと背中から鈍い痛みが走り、顔を歪ませる。


「__?」


 ここは、どこだ?

 見渡してみると、知らない部屋だった。

 六畳ぐらいの部屋に俺が寝ていたベッド、木のテーブルに椅子。それぐらいしか置いていない、簡素な木製の部屋だ。

 どうしてこんなところにいるのか、と記憶を辿ってみて思い出す。俺は森の中でクリムフォーレルと戦い、死ぬ寸前だった。

 それを、誰かが助けてくれた。

 ぼんやりとした記憶の中にいたその人は、森の中にいるには場違いとも言える真紅のドレスを身に纏った妖艶な美女。

 もしかしてその人がここまで運んでくれたのか?

 そんなことを思っていると、部屋の扉がノックもなく開け放たれた。


「__あら? 起きたのね、坊や」


 部屋に入ってきたのは、俺を助けてくれた美女だ。

 真紅のドレスを揺らしながら、薄いピンク色のリップが塗られた唇で艶やかに微笑み、俺に近づいてくる。

 美女はベッドの横で止まると、観察するように俺の顔を覗き込んできた。


「意識もはっきりしてるようね。背中の痛みはどうかしら?」


 白みがかった金色の前髪を尖った耳もとにかけながら屈み、俺と目を合わせてくる美女。ドレスの胸元から露わになる豊かな谷間からスッと目を逸らしつつ、口を開く。


「_____」


 助けてくれてありがとうございました。

 そう言おうとして、声が出ないことを思い出して唇を噛む。

 すると、美女はクスッと笑いながら胸元を強調させるように腕組みした。


「坊やを助けたのは別に善意からじゃないわ。だから、お礼なんて結構よ」


 善意じゃないなら、どうして……と、思ってすぐに気付く。

 今、この人は声が出ない俺の言葉をしっかりと理解していた。

 目を見開いて驚いていると、白い小さな影が部屋に入ってきて俺の体に飛び込んでくる。


「きゅー!」


 咄嗟に受け止めると、キュウちゃんは心配していたのか俺の胸に顔を押し付けてきた。

 よかった、キュウちゃんも無事だったのか。

 顔を擦り寄せてくるキュウちゃんの背中を優しく撫でていると、美女はクスクスと笑みをこぼす。


「そう、あなたはキュウちゃんって名前なのね」

「きゅ! きゅきゅ!」


 キュウちゃんは尻尾を揺らすと俺から美女に飛び込み、腕に抱かれる。

 今までこの人はキュウちゃんの名前を知らなかったようだ。まるで今聞いたようにキュウちゃんの名前を呼んだことから、もしかしてだけど……。


「えぇ、そうよ。あなたの考えていることは手に取るように分かるわ、坊や」


 俺の考えを読んでいるかのように……いや、実際に読み取ってるんだろう。美女は微笑を携えながらはっきりと答えた。

 やっぱりか。声が出なくても伝わってるから不思議に思ってたけど、それなら納得だ。

 肩に乗ったキュウちゃんが美女の頬に顔を擦り寄せる。すると、白金の髪から尖った耳が見え隠れしていた。

 尖った耳に金色の髪。その特徴からこの人は__エルフ族だろう。

 すると、美女は小さく頷いた。


「坊やのお察しの通り、私はエルフ族。と言っても、ただのエルフ族じゃないわよ?」


 ただのエルフ族じゃないってどういうことだろう?

 疑問に思っていると、その疑問すら読み取った美女はキュウちゃんの頭を撫でながら答えてくれた。


「そうね……便宜上、<ハイエルフ族>とでも言っておくわ。普通のエルフ族よりも長生きで、魔力量も桁外れの存在。それが、私よ」


 ハイエルフ族……聞いたことがない種族だ。言葉から察するに、エルフ族の中でも上位の存在だと思う。

 長寿のエルフ族で、思考が読み取れる。どこかで感じたことがある既視感に、俺は前に旅の道中で出会ったエルフ族のことを思い出した。

 <セルト大森林>で暮らすエルフ族の集落の族長、ユグドさんのことを。

 すると、美女は「あら」と目をパチクリさせてから微笑んだ。


「坊や、ユグド坊・・・・に会ってるのね。あの子、元気にしているかしら?」


 どうやら美女もユグドさんを知っているらしい。

 それにしても、あのユグドさんはたしか六百歳だったはず。そのユグドさんをユグド坊呼ばわりなんて、この人一体……?


「__女性に年齢を聞くのは失礼よ、坊や?」


 ビリビリ、と美女から魔力は吹き出した。

 圧倒的な魔力と威圧感に部屋がギシッと軋み始めている。

 失言だった。言葉にしてなくても思考で失言してしまった。すぐに謝ると魔力が霧散し、美女は鼻を鳴らす。


「それでいいのよ。正確な年齢は覚えてないけど……ユグド坊よりも長生きしているとだけ言っておくわ。それ以上は……分かってるわよね?」


 コクコクと何度も頷く。これ以上は踏み込んじゃいけないラインだ。

 俺の反応を見て許してくれたのか、美女は小さくため息を吐いた。


「まったく、そういうところまであの子に似なくてもいいのに。異世界人・・・・はみんなこうなのかしら?」


 あの子、というのが誰かは分からないけど、話していないはずなのにどうして俺が異世界の住人__この世界に召喚された人間だって知っているんだ?


「坊やが持っている剣よ」


 俺が持っている剣? 魔装のことか?

 壁に立てかけてられていた、アクセサリー形態に戻していない柄にマイクが取り付けてある細身の両刃剣をチラッと見ると、美女は剣を懐かしそうに見つめる。


「あの剣は坊やの剣じゃない。本来の持ち主は__アスカ。そうでしょう?」


 美女からこの異世界で英雄となっているアスカ・イチジョウ__元々は俺たちの世界の住人だった人の名前が出たことに、唖然とした。

 どうしてアスカ・イチジョウを知ってるんですか?

 頭の中で問いかけると、美女はサラッと言い放つ。


「知ってるも何も、アスカは私の……弟子? 教え子? だったもの」


 アスカ・イチジョウが教え子!?

 衝撃の事実に声にならない声で「えぇ!?」と叫ぶと、美女はクスクスと口元に手を当てながら笑う。


「そんなに驚くことかしら? あの子が使う<音属性魔法>の名付けも私だし、魔法の使い方を教えたのも私よ」


 英雄アスカ・イチジョウが操り、俺やRealizeのみんなも使う珍しい属性、音属性魔法もこの人が命名したのか……。

 あなたはいったい、誰なんですか?


「私? そうね……<魔女>とでも呼ぶといいわ。名前はもう、呼ぶ人もいなくなっているし、遥か遠い過去に捨てているから」


 魔女、そう呼べと言われた。

 なら魔女さん。あなたはどうして俺を助けてくれたんだ? 善意じゃないなら、どういう理由で?


「坊やを助けた理由。それはたった一つ__あなたに興味が湧いたからよ」


 興味?

 意味が分からずに首を傾げていると、魔女さんは俺の頭に手を乗せてきた。


「そう、興味。私は人間も、エルフ族も、世界もどうでもいいの。私が求めているのは__知識。この世界とは別の世界、異世界のあらゆる知識。それが、私が坊やを助けた理由よ」


 そして、魔女さんは乗せていた手でガシッと俺の頭を鷲掴みにしてくる。

 華奢な体とは思えない力強さに顔をしかめていると、魔女さんはズイッと顔を近づけてきた。

 裂けそうなぐらいに口角を上げ、まるで物を見るかのように真っ赤に染まった瞳を向けながら、魔女さんは囁く。


「__あなたの記憶、見せて貰うわ」


 その瞬間、俺の体に魔力が流れ込んできた。

 まるで電流が走ったように、俺の体に魔力が駆け巡っていく。

 魔力は頭から体、そして脳にまで届くと、意識が遠のいていった。


「安心しなさい、まずは坊やがこの異世界に来てからここに至るまでの記憶しか読み取らないわ。最初から全部読み取ったら__坊やの脳が弾け飛んじゃう」


 そんな危険なことを、勝手にやるなよ……。

 頭の中で悪態を吐いていると、水の中に沈み込むように意識が失われていく。


「坊やの了解なんて、いらないわ。だって私はあなたを助けた。その代価として、記憶を覗いているだけよ。あなたがどうなろうと私の知ったことではないけど……掃除が面倒だし」


 自分の知的好奇心が満たせれば、誰であろうと関係ない。最初から無理をしたら脳が弾け飛んで、部屋が汚れる。だから、今は生かしているだけ。


 なんて自己中心的だ。見た目に騙されていたけど、この人……かなり性格悪いわ。


 そして、俺の意識が途切れた。 

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