十二曲目『喧嘩』

「シラン、調子はどうだ?」


 シランを抱きしめていたやよいが離れてから、ライラック博士は改めて診察する。

 シランは言い辛そうにしながら、ゆっくりと話し始めた。


「実は……右足の感覚が鈍いです」

「右足? 少し、触るぞ」


 ライラック博士はシランの右足を触診する。触られている感覚があまりないらしく、持ち上げようとしてもプルプルと震えて少ししか足が上がっていなかった。

 それを見たライラック博士は、顔をしかめる。


「……とうとう、身体機能にまで影響が出てきたか」

「そんな……ッ!」


 話を聞いたやよいの顔が青ざめていく。だけど、シランは気にした様子もなく微笑んでいた。


「そうですか」

「そうですかって、それだけ? どうしてそんな普通なの……?」


 信じられないとやよいが聞くと、シランは動きが鈍くなった右足を撫でながら口を開く。


「こうなることは、分かってましたから。どうすることも出来ませんし、あるがままを受け入れるしかないんですよ」


 自分のことのはずなのに他人事のような口振りで話すシランに、やよいは愕然としていた。


「やよいと街に出た時から、右足に少し違和感があったんです。だから、いずれこうなるだろうって思ってました」

「そんな……だったら、どうして街に出たの!? そんな状態だったら、あたしは……ッ!」

「ーー止めたのに、でしょう?」


 シランはやよいが言おうとしたことを先んじて言って話を遮る。

 図星だったのか黙り込んでしまったやよいに、シランはゆっくりと目を伏せた。


「私は、病気だからと言って特別視して欲しくなかったんです。話したら優しいやよいのことだから、外出するのを止めるって分かってました。気を使って欲しくなかったんです。病気の私じゃなくて、一人の友達として見て欲しかったから」


 やよいに心配をかけたくなかったから、気を使って欲しくなかったから。だからシランは右足に違和感があったことを話さなかった。話せなかったんだ。

 それを聞いたやよいは唇を強く噛みしめる。


「どんなことがあっても、友達なのは変わらない。でも、病気じゃなくても心配はするよ。もし無理して死んじゃったら、どうするの?」


 やよいの言葉に、シランは儚げに笑いかけた。


「私が死ぬことは、決まっている・・・・・・ことですから」


 シランの一言に、やよいはピタッと動きを止めた。


「……は?」


 その瞬間、空気が一気に張りつめる。

 やよいは目を見開きながら、肩をプルプルと震わせ、拳をギリッと強く握りしめた。


「何を、言ってるの……?」

「やよい?」

「ーーどうしてそういうこと言えるの!?」


 青ざめた顔から一転して、怒りに顔を赤く染めるやよいが怒鳴り、いきなりのことに戸惑っていたシランの襟首を掴んだ。


「ふざけんな! 死ぬことが決まってる? 誰がそんなこと決めたの!?」

「や、やよい……」

「ライラック博士がどんな想いで研究してると思ってるの!? ジーロさんがどんな気持ちで一緒にいると思ってるの!? タケルやサクヤ……真紅郎やウォレスが病気を治すために協力しようとしてるのに……どうして、どうしてそんなこと言うの!?」


 怒りが爆発したやよいは、シランを押し倒して怒鳴り続けた。

 涙が頬を伝い、シランの顔にポツポツと落ちる。


「みんなが、シランの病気を治そうと頑張ってる! 心配してる! なのの、どうしてシランは生きることを諦めてるの!?」

「私は……諦めてる訳じゃ……」

「諦めてるでしょ!? ふざけないでよ!」

「お、おい、やよい! やめろ!」


 俺はシランに乗っかっているやよいの肩を掴み、強引に離させる。

 やよいは怒りが収まらないのか、シランを涙を流しながら睨みつけていた。


「何が死ぬことは決まっていることなのさ! 勝手に諦めて、知ったような口を利くな!」

「……知った、ような?」


 やよいの言葉にシランはボソッと何か呟く。

 そして、シランは目に涙を浮かべてやよいをキッと睨んだ。


「ーーやよいに何が分かるの!? 病気でもない、やよいに!」


 やよいに続いて、シランまで怒鳴りだした。

 シランが怒鳴り声を上げるという珍しい光景に、ライラック博士やジーロさん、そして俺たちも驚く。

 シランはベッドから降りてやよいに向かおうとして、バランスを崩して転びそうになった。

 ギリギリでジーロさんが受け止めたけど、それでもシランはやよいに向かって掴みかかろうとする。


「私は生きることを諦めた訳じゃない! やよいこそ、知ったような口を利かないでよ!」

「諦めてるでしょ!?」

「違う! 諦めてない!」

「諦めてる!」

「諦めてないって言ってるでしょ!?」


 シランをジーロさんが抑え、やよいを俺が抑える。

 だけど二人はヒートアップしているのか、手を伸ばして掴み合いをしそうになっていた。


「弱音ばかりの弱虫!」

「うるさい! 泣き虫!」

「泣いてない!」

「泣いてる!」

「泣いてないもん! バカ! 弱虫!」

「弱虫じゃない! バカやよい!」


 やよいはシランを弱虫と叫び、シランはやよいを泣き虫と叫ぶ。まるで子供のような口喧嘩だ。

 幼稚な悪口の応酬をしていると、やよいが俺の手を振り払う。


「ーーシランのバカ!」

「お、おい、やよい!?」


 最後に怒鳴るとやよいは勢いよく部屋から出ていった。玄関の扉の音が聞こえたから、外に出たみたいだ。

 だけど、今この国には王国の追っ手がいる可能性がある。一人にするのは危ない。

 そう思ってすぐにやよいを追いかけようとすると、シランが「タケルさん!」と俺を呼び止めてきた。

 シランは涙を浮かべながら胸元で祈るように手を握りしめ、俯いている。


「……ごめんなさい。恥ずかしいところをお見せして」


 やよいがいなくなったことで冷静さを取り戻したのか、シランは落ち着いた口調で話す。

 シランは深呼吸をしてから、ゆっくりと俺と目を合わせた。


「……お願いです。やよいのこと、怒らないで下さい」

「え?」


 シランのお願いに思わず呆気に取られる。

 やよいのことを怒っていたはずのシランが、俺にやよいを怒らないで欲しいって言うなんて、どういうことだ?

 疑問に思っていると、シランは気まずそうに目を逸らす。


「……本当は分かってるんです、やよいの気持ちが。やよいが私のために怒ってくれてるって」

「だったら、どうしてあんな喧嘩を?」

「分かってるからこそ、はっきりと言われてしまって……つい、頭に血が上ってしまいました」


 なるほどな。図星をつかれたからか。

 やよいは結構、ズバズバとストレートに言う性格だ。歯に衣着せずに核心をつかれて、感情的になってしまったみたいだな。


「だから、やよいを怒らないで下さい」

「……分かった」


 シランのお願いに頷いて返し、俺は急いで家から出た。

 遠くに見えるやよいの背中は、街の方に向かっている。俺は素早さ強化の魔法を使い、地面を思い切り蹴って走り出した。

 やよいも魔法を使っているのか、中々追いつけない。それでも追い続けて街に向かうと、やよいの姿が人混みに消えていく。


「くそ……どこ行った?」


 焦る気持ちを堪えながらやよいを探す。今ここに王国の追っ手がいたら、一人になるのは危険だ。

 急いで探していると、ふとある場所に目が留まった。

 そこは、街が一望出来る展望台。

 何かに導かれるようにそこに向かうと、そこには鉄柵に寄りかかりながら街をぼんやりと眺めているやよいの姿があった。


「おい、そこの泣き虫。そんなところで何をしてるんだ?」

「……うっさい。泣いてないし」


 どこか寂しげな背中に声をかけると、やよいは涙声で返事をする。

 泣いてるじゃん、と思いながらやよいの隣に立つ。


「ほら、帰ろうぜ?」

「……やだ」


 プイッとそっぽを向いて嫌がるやよい。子供かよ……。

 いや、子供だったな。まだやよいは高校生だ。普段から年上相手でも物怖じしないで堂々としているけど、やよいはまだ大人じゃない。

 仕方ない、少し落ち着くまでここにいてやるか。

 俺はふてくされているやよいの隣で鉄柵に背中を預けながら、やよいが動く気になるまで待つことにした。

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