十一曲目『希望の糸』

「……病状は落ち着いたみたいだな」


 裏庭で倒れたシランを急いで部屋まで運び、俺はすぐにライラック博士に報告した。そして、顔を青ざめたライラック博士はすぐに診察を行い、無事なことを確認すると胸をなで下ろす。

 経緯を話すと、ライラック博士は暗い表情を浮かべて深いため息を吐いた。


「そうか。病気のこと、聞いたのか」


 ライラック博士は俺たちをリビングに連れ出し、深く椅子に座ると病気について語り始める。


「転移症候群。シランの患っている病気は、自身の魔力を強制的に使い、転移させるという病気……奇病だ」

「……シランから、聞いた。長くないってことも」


 俯いたやよいがそう言うと、ライラック博士は後頭部をガシガシと掻く。


「悔しいことにな……転移症候群は魔力が足りなければ命を削ってまで強制的に引き起こさせる。シランの魔力量は多かったから、今まで生き延びていたが……それももう、限界が近い」

「どうにか、出来ないの?」

「……私は諦めてはいない。だが、いつ死んでもおかしくないのが現状だ」


 ライラック博士は歯を食いしばり、拳を強く握りしめて悔しさを堪える。


「魔力が回復しきる前に転移を繰り返しているせいで、体への負担がかなり大きい。シランの体は、もうボロボロなんだ。生きていることすら奇跡に近い」

「そんな……ッ!」


 やよいは顔を手で覆って俯いた。

 生きていることすら奇跡。そんなの、信じられなかった。

 やよいと一緒にいる時のシランは、本当に楽しそうだった。いつも笑顔で、元気そうなのに……。

 誰もが何も言えずに静寂に包まれる中、ライラック博士は一冊の本をテーブルの上に置いて語り始めた。


「私は転移症候群について色々な文献を読み漁った。現在に至るまで転移症候群にかかったのは、シランを含めて五人。その誰もが一回の転移で亡くなっている。魔力量が足りなくてな」

「……シランは何回転移してるんですか?」

「……十三回だ」


 あまりの数に愕然とした。

 普通なら一回の転移で魔力と命を削りきってしまうのに、シランは十三回も耐え抜いている。それぐらいシランの魔力量が多いってことなのか。


「今までは原因も分からず、治療法も不明。だが、私は転移症候群を何かしらの魔法によるものだと突き止めた。だから私は例え異端だと蔑まれようと、研究を始めた」


 転移症候群は、魔法によるもの。それが分かったライラック博士は魔法兵器研究の第一人者という肩書きを捨て、他の研究者や住人に蔑まれたとしても、異端の研究者と呼ばれようとも、研究を始めた。

 娘の、シランの病気を治すために。


「あらゆる魔法を調べた。医学や薬学も学んだ。あまり口には出せないような非人道的な研究も調べ上げた。だけど、進行を遅らせることしか成果が出ない……治療法の確立までには至っていない」


 ライラック博士はテーブルをガンッと叩き、頭を抱えた。


「どんな魔法によるものなのか、正体も分かっていない。現存する魔法のどれにも当てはまらない、未知の魔法だ。どうして転移するのか……分からないんだ」

「ライラック博士……」


 シランを苦しめている魔法の正体。どれだけ必死に研究しても分からない謎の魔法。

 ライラック博士はずっと苦悩していたんだろう。悔しさに、無力さに苛まれていたんだろう。俺が想像も出来ないぐらいに。

 俯いていたライラック博士は、顔を上げる。その表情は険しく、悲しげだったけど……少しの諦めも感じられなかった。


「だが、私は絶対に諦めない。最後の最後まで、研究を続ける。シランは、私の希望……唯一残された、家族なのだ」


 ライラック博士の妻、シランの母親は病気で亡くなっている。ライラック博士の家族は、一人娘のシランだけだ。

 父親として、諦めるわけにはいかないだろう。当然だ。

 俺も、何か助けになりたい。だけど、何が出来るんだろう?

 そんなことを思っていると、ずっと黙っていたサクヤが口を開いた。


「……タケル。黒いモヤ」

「あ、そうだ」


 サクヤが言った黒いモヤを思い出すと、ライラック博士が首を傾げる。


「なんのことだ?」

「その……信じて貰えないかもしれないんですけど」


 前置きをしてから、黒いモヤについて話す。

 俺とサクヤにしか見えない、シランの体にまとわりついている黒いモヤ。転移症候群が起きる前兆で、その黒いモヤが蠢いていたこと。その黒いモヤは、前に見たことがあるということ。

 全てを話すと、ライラック博士は目を丸くして驚いていた。


「なんだ、それは……キミたちにはその黒いモヤが見えているのか」

「はい。俺とサクヤ……もしかすると、キュウちゃんも見えてたのかもしれません。キュウちゃんが黒いモヤに体当たりしたら、黒いモヤが大人しくなっていたので」


 俺の話を聞いたライラック博士は、勢いよく立ち上がった。


「それだ! 転移症候群の原因はその黒いモヤだ! ようやく尻尾を掴んだぞ……ッ!」

「でも、俺たちにしか見えないし……」

「いや、ある文献にそういう記述があった! 転移症候群の罹患者の一人が、死ぬ間際に黒いモヤが見えると言っていたと!」


 ライラック博士は俺とサクヤの手を強く握りしめる。


「キミたちがここに来てくれたのは、きっと神が与え

てくれた最後の希望だ! もしかしたら、治療法が見つかるかもしれない! すまないが協力して欲しい! 頼む!」


 俺たちに縋るようにお願いするライラック博士。なんの助けにもなれないと思っていたけど、そういうことなら協力しない訳にはいかない。


「俺たちで助けになれるなら、是非!」

「……協力、したい」

「ありがとう……ありがとう……ッ!」


 はっきりと助けになることを約束すると、ライラック博士は目に涙を浮かべながら頭を下げてくる。

 そこでバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、リビングに息を切らしたジーロさんが飛び込んできた。


「ーーシランは、シランは見つかりましたか!」

「ジーロか。シランなら今は部屋で寝ている」

「シラン!」


 それだけ聞いてジーロさんは急いでシランの部屋に駆け込んだ。

 その後、疲れ切っている真紅郎とウォレスもリビングに入ってくる。


「み、見つかったんだね、よかったぁ……」

「ハッハッハ! 無事で何よりだぜ!」


 安心している真紅郎とウォレスが落ち着いた頃に、今までのことを説明する。

 話を聞いていた真紅郎とウォレスは深刻そうな表情になっていたけど、もしかしたら治療法が見つかるかもしれないと聞いて力強く頷いた。


「ボクも出来る限り協力するよ!」

「オレはバカだからよ、考えるのは無理だ! だが、力仕事なら任せろ! 薬草探しだろうがなんだろうが、やってやるぜ!」


 俺たち全員が協力することを伝えると、ライラック博士は涙を流しながら頭を下げる。


「本当に、ありがとう……」


 感謝しているライラック博士に俺たちは笑みを浮かべた。

 ライラック博士は腕で涙を拭うと、ニッと口角を上げて立ち上がる。


「早速だが、タケルとサクヤにまだ黒いモヤがシランの体にまとわりついているのか確認して欲しい。あと、あの見たことがないモンスター……キュウちゃん、だったか? 黒いモヤに体当たりをしたと聞いたが、少し調べさせてくれないか?」

「分かりました。キュウちゃんなら、多分シランのそばにいるはずです」


 俺たちはシランの部屋に向かった。

 部屋では、ベッドに横になって眠っているシランとそばで丸くなっているキュウちゃん。

 そして、シランの手を祈るように握っているジーロさんがいた。

 その光景を見たやよいが肩を震わせて俯き、拳を握りしめているのに気づく。


「……やよい」


 俺の呼びかけに、やよいは何も答えなかった。

 すると眠っていたシランの瞼が少し動き、ゆっくりと瞼を開いた。


「シラン!」

「……じー、ろ?」


 目が覚めたシランにジーロさんが声を上げると、シランはまだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりと周りを見渡している。

 だけど、やよいに気づくとシランは優しい笑みを浮かべた。


「やよ、い……」


 呼ばれたやよいは、弾かれたようにシランのそばに駆け寄った。


「シラン……よかった、もう起きないかと思った……ッ!」

「……フフッ。やよいは意外と泣き虫さんですね」


 やよいが涙を流しながらシランを抱きしめると、シランは小さく微笑んで頭を優しく撫でた。

 

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