二十三曲目『守るための嘘』

「エイブラ、さん……?」


 エイブラさんは真紅郎を守るように仁王立ちし、魔族を睨みつけている。

 魔族はガシガシと頭を掻くと、銃を下げた。


「ご老人。どいてくれないか? 俺はそいつを殺さないといけないんだ」


 魔族の言葉に、エイブラさんは無視して立ったままだ。

 その姿を見た真紅郎は、ゆっくりと体を起こして信じられないと目を丸くしてエイブラさんの背中を見つめている。


「どう、して……?」


 真紅郎は掠れた弱々しい声でエイブラさんに向かって呟く。

 すると、エイブラさんはチラッと真紅郎を見ると頬を緩ませた。


「意味が分からない、そんな顔をしているな」

「どいて、下さい……早く」

「それは出来ない相談だ」


 エイブラさんは魔族の方に向き直ると、水しぶきを上げて力強く一歩前に出た。


「ーー貴様にこの者を殺させる訳にはいかんッ!」

「……はぁ。そんな老いた体で何が出来る?」

「ふんっ。この老いぼれでも盾ぐらいにはなるだろう?」

「ーー死ぬつもりか?」

「ーー死んでも守り抜くつもりだ」


 死を覚悟しているのか、銃口を向けてきた魔族に対してエイブラさんは一歩も引かない。

 どうしてそこまでして守ろうとしているんだ? エイブラさんは、俺たちを騙していたんじゃないのか?

 エイブラさんは真紅郎を庇うように立ちはだかりながら、暴風雨にも負けない声量で叫んだ。


「ーーこの者たちは我が国に素晴らしい文化をもたらした、国の宝だ! その者たちに危害を加えるというのならば、王国であろうと魔族であろうと、私は退くつもりはないッ!」


 堂々と言い放ち、エイブラさんは両手を広げた。


「この者たちを殺そうというのなら、まずはこの老いぼれを殺せ! 私はライト・エイブラ一世! 水の国、レンヴィランス神聖国の貴族! 我が誇りに賭けて、これ以上の狼藉は許さぬ!」

「ーーまた、貴族の誇りか」


 真紅郎を守ろうとしているエイブラさんに、魔族は面倒くさそうに深いため息を吐いた。


「俺は戦えない者には攻撃しない主義だ。だが……あなたは例え戦えなくとも、その精神はまさに戦士。戦う者だ。なら、俺はご老人だろうと容赦なく殺す」


 魔族は銃を構え直し、真っ直ぐに銃口をエイブラさんに向ける。


「ーー死ぬ覚悟は出来ているんだろう? その高貴なる精神と共に、死ぬといい」


 そして、魔族は引き金に指を置きーーゆっくりと引いた。


「ーーむっ!?」


 だけど、引く直前で水の鞭が魔族を襲った。

 その場から離れ、魔族が水の鞭を操っている人物ーーライトさんに銃を向ける。


「またお前か……本当に、しつこい」

「父上を、殺させる訳にはいかないのでね……ッ!」


 ボロボロの体でライトさんは手を動かし、水の鞭を操る。

 縦横無尽に動き回る鞭を、魔族は軽やかなステップで避けながら発砲した。

 放たれた風の刃をどうにか避けたライトさんは、そのまま水の鞭を動かして倒れていたやよいやウォレス、サクヤ、アスワドとその部下たち全員に巻き付かせ、自分の後ろに移動させる。

 魔族は舌打ちすると、ホルスターから銃を抜いた。


「最初から俺じゃなくて、倒れている奴らを助けるためだったのか」

「巻き込む訳にはいかないのでね……グッ!」


 ニヤリと笑みを浮かべたライトさんは、顔をしかめて腹を抑えて膝を着く。魔族との戦いによって受けたダメージは回復していないんだろう。


「ライト、さん……ッ!」

「大丈夫だ、心配するなタケル」


 ようやく少しだけ動けるようになった俺は、体を起こしてライトさんのところに行こうとすると、ライトさんは引きつった笑みを浮かべながら押し止める。

 魔族は戦えそうにないライトさんから真紅郎の方に銃を向ける。

 真紅郎はエイブラさんに肩を貸して貰いながら立ち上がっていた。


「大丈夫か? 早く立つんだ」


 エイブラさんが真紅郎を心配そうに声をかけていると、真紅郎は俯きながら震えている。


「……どうして、助けたんですか?」

「今はそんなことどうでもいい! いいから早く……」

「ーー教えて下さい! どうしてボクを助けようとするんですか!? あなたはボクたちを騙して、利用しようとしてたんじゃないんですか!?」


 真紅郎の叫びが港に響き渡る。

 疑問、戸惑い、怒り、悲しみ……色んな感情が混ざり合ったような叫びが、雨の音に消えていく。

 体を震わせた真紅郎は、まるで迷子のような眼差しでエイブラさんの顔を見つめる。


「利用するためですか? ボクたちを生かして、自分の利益のために利用するためですか?」

「……違う」

「あなたはボクたちに嘘を吐いていた。騙そうとしていた。違うんですか?」

「ーー真紅郎、それは違う。父上は騙そうとしていたんじゃない」


 弱々しい真紅郎の問いかけに答えたのは、ライトさんだった。

 ライトさんは膝を着いたまま、ポツリポツリと真実を語り始める。


「初めてライブをした時から、既に私と……父上は国賓として迎えようとしていたのだ。この国の王もそれに賛同していた。だが、マーゼナル王国がこの国に入り込んでいるという情報があった。この国で勝手に暴れられる訳にはいかない。しかし、だからと言ってまだ何もしていない者を捕らえることは出来ない。だからーー餌が必要だった」


 国賓? 俺たちが? しかも、この国に来てすぐの時から?

 そんな話、一度も聞いたことがなかった。

 ライトさんはそのまま話を続けた。


「国賓待遇であるキミたちを襲撃なんて出来るはずがないし、仮にそんなとをしたら、このレンヴィランス神聖国を敵に回すことになる。王国としてもそれは避けたいはず。無闇に追っ手を差し向ける真似もしなくなるだろう」


 たしかに、そうなればレンヴィランス神聖国と戦争になる。それは、王国として一番最悪なパターンだ。

 ライトさんは「だが」と顔をしかめる。


「この国に王国の者がいる限り、闇に潜んでタケルたちを襲うかもしれない。だから、申し訳ないがキミたちを囮にして隠れ潜んでいる王国の者をあぶり出し、襲ってきたところを捕らえようとしていたんだ」


 囮、つまりーー餌か。

 そういうことだったのか。ライトさんは俺たちを囮にして王国の追っ手を一網打尽にしようとしていたのか。

 だけど、それなら言ってくれればよかったのに、と思っていると察したのかライトさんは苦笑する。


「王国の者に気取られる訳にはいかなかったのだ。事実を話せば、キミたちは少なからず警戒してしまうだろう? それでバレることを避けたかった。だから、私はーー父上はキミたちに嘘を吐いて、表に出さないように屋敷に閉じこめたのだ。機会をうかがい、準備が整ったららいぶをして貰って、現れた王国の者を捕らえるために」


 それが、エイブラさんが俺たちに吐いていた嘘。騙そうとしていた本当の理由。

 自分の利益じゃなくて俺たちを守るために、エイブラさんは……。

 話を聞いた真紅郎は唖然としながらエイブラさんの顔を見つめていた。


「本当、なんですか……?」

「……あぁ。本当だ」


 戸惑いながら問いかける真紅郎に、エイブラさんははっきりと答えた。

 そこに嘘があるとは俺には思えない。近くでそれを聞いた真紅郎なら、分かるはずだ。

 エイブラさんが、嘘を吐いてないってことを。


「父上がキミたちに嘘を吐いていた理由は、これが全てだ。たしかに、嘘を吐いていたが、全てキミたちを守るための嘘だったのだ。父上は本当にキミたちのおんがくに感動していてね。それと、どうやら真紅郎の……べーす、と言ったか? その音を気に入っていたんだ。腹に響く、いい音だとね」


 エイブラさんが、真紅郎のベースを?

 ライトさんが言っていることは本当なんだろう、エイブラさんは気恥ずかしそうに目を逸らしていた。

 

「元々、キミたちを王国に引き渡すつもりはない。先ほど、王国の者ーー仮面の男がいたのは、あの者の前でキミたちが国賓であることを宣言するためだったのだ。だが、その前にキミたちが現れてしまい……あんなことになってしまった……うっ、ゴホッゴホッ!」

「ら、ライトさん!」


 ライトさんは話の途中で咳込み、吐血していた。

 元々ボロボロの体なのに、無理して話していたんだろう。

 だけど、ライトさんは真っ直ぐに真紅郎の顔を見据えていた。


「真紅郎……私たちはキミに嘘を吐いていた。そのことは謝ろう。だが、信じて欲しい。私は、そして父上はーーキミを、守ろうとしていたのだと」


 ライトさんの言葉に、真紅郎はゆっくりと目を閉じた。

 真紅郎は嘘が嫌いだ。自分の父親が嘘だらけで、人を騙していた姿をずっと見てきたから。

 嘘だらけの人間に囲まれ、最愛の母親を亡くし、父親から厳しい教育を受けていた。それが嫌で家を飛び出し、音楽に出会い、やよいとウォレスと一緒にRealizeを結成した。

 エイブラさんも真紅郎に嘘を吐いていた。自分の父親に似ているエイブラさんが同じように嘘を吐き、騙そうとしていることに怒りを覚えていた。

 だけどーー本当は、俺たちを守ろうとしてくれていた。嘘を吐いたことを指摘され、怒鳴られてもエイブラさんは咎めることなく受け止めていた。

 その姿を見て、真紅郎は何を思っているのか。それは俺には分からない。


「……話は終わりか?」


 そこでずっと黙っていた魔族が口を開いた。

 律儀に話が終わるまで待っていたんだろう。面倒くさそうに銃を指でクルクルと回しながら魔族はため息を吐く。


「お前たちにどんな事情があるかは分からないが……俺がすることは変わらない。竜魔像を確保し、俺たちに危害を加えようとしている輩をーー今の内に始末する」


 回していた銃を上に向けてから、ゆっくりとエイブラさんに肩を貸して貰っている真紅郎に向けた。


「真紅郎、逃げろ……グッ!」


 真紅郎を守ろうと動こうとして、俺はその場に倒れた。

 まだ俺の体は言うことを聞いてくれない。動けそうにない。

 ちくしょう、と不甲斐ない自分に悪態を吐いていると、真紅郎は静かにエイブラさんから離れていた。


「……エイブラさん、離れていて下さい」

「そんな体で戦うつもりか! いいから逃げるのだ! ここは私が……ッ!」

「大丈夫です。だから、離れて。お願いします」


 ボロボロの体で戦おうとしている真紅郎を止めようとするエイブラさん。だけど、真紅郎は真っ直ぐにエイブラさんの顔を見てから、頭を下げた。

 その姿を見たエイブラさんは、心配そうにしながらその場から離れる。残されたのは、魔族と真紅郎だけ。

 魔族は鼻で笑いながら銃を向けた。


「死ぬ覚悟は出来た、ということか?」

「ーー違うよ」


 真紅郎は首を横に振ると魔装ーーベース型の銃を構えて、青黒く腫れた頬を緩ませて笑みを浮かべた。


「ーー大切な人たち・・・・・・を守る覚悟が出来たんだ」


 大切な人たち。真紅郎の口調から、その大切な人たちの中に俺たちだけじゃなくてーーエイブラさんも入ってるのが分かった。

 魔族は驚いたように目を丸くすると、小さく笑う。


「ーーなるほど。さっきまでとは大違いだ」


 そう言って魔族は嬉しそうに、楽しそうに口角を歪ませる。

 今の真紅郎はいつも通りの真紅郎だ。

 吹っ切れてすっきりとした表情の真紅郎は、ギュッとベースのネックを掴み、魔族を見据えている。


「もうボクはーー迷わない」


 そう呟き、真紅郎は弦に指をかけーー動き出す。

 真紅郎と魔族の戦いが、始まった。


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