四十曲目 『協奏曲』

「誰、だ……?」


 掠れた声で問いかけると、その人は少しだけ振り向いた。だけど、その顔は光に覆われていて見ることが出来ない。

 それでも、その人は何もかも包み込むような慈愛に満ちた笑みを浮かべているのだけは分かった。

 これは俺の幻覚なんだろう。いきなり現れた女性に誰も反応していない。幻覚が見えるぐらい俺の体はもう限界なのか。


「は、はは……そっか、俺もう死ぬのか……」


 自嘲気味に呟く。結局、俺は何も出来ず……仲間すら守れずに死ぬのか。

 本当に、無力だ。


「ーーえ?」


 ふと、その女性は口を動かしていた。何かを話しているように見えるけど、何を言っているのかが分からない。

 でも、何となくこう言っている気がしたーーまだ、諦めるには早いわ、って。


「そんなこと言われても、もう今の俺には何も出来ない……動くことも、戦うことも出来ないっていうのに、何が諦めるのは早いだよ……ふざけんな」


 思わず吐き捨てるように毒づく。幻覚相手に何を言ってるんだ俺は。頭までおかしくなってしまっているようだ。

 もういい。もう、どうでもよかった。俺たちはここでロイドさんに捕まり、王様の手に渡りーー殺される。元の世界に戻ることも、Realizeでメジャーデビューする夢も、ここでおしまいだ。

 そう思うと眠気が襲ってきたように瞼が重くなってきた。このまま、寝てしまおう。


 ーーカランド。


 その声は、はっきりと耳に届いた。

 芯のある綺麗なその声が聞こえると俺の体が淡く光り始め、貫かれた腹部や全身の痛みが取れていく。

 今のは、音属性魔法の<カランド>。和らいで、という意味を持つ音楽用語で、その効果は痛みを取るものだった。

 どうして女性が音属性魔法が使えるのかは分からないけど、痛みが取れた事実には変わらない。正真正銘、本物の音属性魔法だった。

 だけど、痛みがなくなっても体が動こうとしない。全身の倦怠感が重りのようにのしかかり、普段の十倍以上の重力を感じる。


 ーー動ける?


 女性が俺に問いかけてくる。

 首を横に振ると、女性は続けて魔法を唱えた。


 ーーヴィーヴォ。


 次に使ったのは音属性魔法の<ヴィーヴォ>。活力に満ちて、という意味の音楽用語を冠するその魔法は、活力の上昇。光に覆われた体から倦怠感が払われ、体が動くようになっていた。


 ーー戦える?


 また女性が問いかけてくる。

 これなら動けるけど……でも、戦えるかと言われれば正直厳しい。俺の心はもう折れてしまっている。

 首を横に振ると、女性は否定するように首を横に振り返した。


 ーーううん、戦えるはず。まだ、心は負けてないわ。


 あんたに何が分かる、と言い返そうとすると女性はある方向に指を向けた。その先に顔を向けると、そこにはやよいとナンバー398を守るように立つ真紅郎とウォレスに近づいていくロイドさんの姿。

 ロイドさんは剣を構え、今にも襲いかかろうとしていた。


「ーーッ!」


 咄嗟に手を動かし、近くに転がっていた剣の柄を掴む。その姿を見た女性は小さく笑っていた。


 ーーほらね。まだ心までは負けてないし、折れてもないわ。キミは自分のためじゃなくて、誰かのために戦える人。誰かを守るためなら例え怖くても勇気を奮い立たせて立ち上がれる。それが、キミの強さ。


 女性はそう言うと俺に背中を向け、少し歩き出す。そして、手に持っていた剣をおもむろに構え始めた。


 ーーキミだけじゃない。キミの仲間、Realizeのメンバーはそれぞれ違う強さを、輝きを持ってる。だから、私はキミたちを選んだ。キミたちならきっと……。


 左足を前に出して少し半身になると剣を持っている右手を顔の横まで上げ、剣を水平にして切っ先を前に向ける。左手を差し出すように軽く伸ばしながら剣を構えたその姿は、まるで指揮者のような姿だった。


 ーー少しだけ、力を貸すわ。私と同じように構えて、同じように動いて。


 そんなこといきなり言われても、と思っていると思考を読んだように女性はクスクスと笑って見せた。


 ーー大丈夫。キミなら出来るよ。さぁ、立って。そして構えて。


 何故かは分からないけど、女性にそう言われると本当に出来る気がした。体を動かしても痛みはない。疲労感も倦怠感も、今の俺にはなかった。

 ゆっくりと立ち上がり、見様見真似で構えてみる。その構え方は妙になじむというか、初めてやった気がしないほど自然に構えることが出来た。


 ーーうん、完璧。あとは剣に魔力を込めて。それ以上は、言わなくても分かるわね?


 こくり、と頷いて剣に魔力を込める。魔力は流れるように込められ、剣身と一つになった。


「ーータケル!」


 立ち上がった俺に気づいたやよいが、俺の名前を叫ぶ。

 その叫び声にロイドさんは勢いよく振り返って俺の方を見ると、信じられないと言わんばかりに目を見開いて驚愕していた。


「バカな! あの怪我で立てるはず、が……?」


 俺が立ち上がったことに驚いていたロイドさんは、俺の姿を見るなり呆然と立ち尽くしている。

 そして、動揺したように目を泳がせながら震えた声で呟いた。


「ど、どうしてお前が、その構えを……どうして……?」


 やっぱり俺以外に女性の姿は見えていないらしい。

 ロイドさんはもの凄く驚いているようだけど、この構え方に何か見覚えがあるのか?

 てことは、もしかして目の前にいる俺にしか見えないこの女性は、ロイドさんの知り合いなのか?


「なぁ。あんた、本当に誰なんだ?」


 みんなに聞こえないように小声で女性に問いかけると、女性は少し困ったように唸り、答える。


 ーー今はまだ教えられないわね。でも絶対にまた会えるから、その時に私のことを教えるわ。


 残念ながら教えてはくれなかった。まぁ、いいか。今はそれよりもロイドさんに勝つことを考えよう。

 魔力で剣身を覆い終えると、女性は小さくため息を吐いた。


 ーーまったく。あのバカ、いつまでも過去に囚われてるんだか。一発ぶちかまして反省して貰わないとね。


 口振りからしてやっぱりこの女性とロイドさんは知り合いみたいだな。少し気になるけど多分教えてくれないだろうし、諦めよう。

 女性は最後に鼻を鳴らすと、すぐに走り出せるように軽く前傾姿勢になる。


 ーー行くわよ、タケル。私の後ろをついてきて。難しいことは考えずに、本能で動きなさい。自然と体が動くはずよ。


 頷き、ゆっくりと深呼吸する。女性の動く通りに動き、ただ真っ直ぐにロイドさんに剣を振ることだけを考える。

 動揺していたロイドさんは、俺がやろうとしていることを察したのか同じように剣に魔力を纏わせていた。

 ここにいたら巻き込まれると判断したやよいたちが避難するのを確認してから、女性は口を開く。


 ーー覚悟はいい?


 返事の代わりに地面を蹴り出した。俺と女性は同時に動き出し、ロイドさんに向かって突撃していく。

 女性は右手の剣を剣を振りかぶり、同じように俺も振りかぶった。


「『ーーソロの演奏者ソリストの演奏にオーケストラが合奏するように』」


 俺と女性の声が重なる。自然と、歌うように言葉が紡がれていく。

 前を走っている女性の背中に、俺は追いついていた。


「『ーー数多の音を重ねて、剣を振る』」


 俺と女性の姿が重なり、一つになる。音の波長が合わさるように動きがシンクロし、呼応するように剣身に込められている魔力が増大していくと同時にその色を音属性の魔力、紫色に変化させていく。

 同時に左足で踏み込み、後ろに振りかぶっていた剣を体の捻れを利用して弧を描きながら右斜め上から振り下ろす。


「ーーレイ・スラッシュ!」


 ロイドさんは剣を横に薙ぎ払い、レイ・スラッシュを放った。その剣の軌道に合わせるように、俺たちもレイ・スラッシュを放つ。

 だけど、それはただのレイ・スラッシュじゃない。音属性の魔力を纏わせた、俺たちだけの必殺技。その名をーー。


「ーーレイ・スラッシュ・協奏曲コンチェルト!」


 俺たちは声を重ね合わせて言い放った。

 紫色の魔力を帯びた俺たちのレイ・スラッシュと、ロイドさんのレイ・スラッシュがぶつかり合う。

 金属同士が激しく衝突した鈍い音と共に反発し合う魔力の衝撃波が音の波紋のように広がった。拮抗ーーいや、俺たちの方が押し勝っている。


「ーーはあぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 渾身の力を込めると二本目の剣が振るわれたように衝撃が重なっていく。

 音属性の魔力を込めたこの技、レイ・スラッシュ・協奏曲コンチェルトはその名の通り、最初の一撃ソリスト重ねた音オーケストラが合奏するように連続で衝撃が炸裂するもの。

 二発、三発と衝撃が重なるにつれてロイドさんが仰け反っていった。


「な、ん、でお前、が、あいつの、技を……ッ!」


 必死に耐えていたロイドさんが険しい顔をしながら俺を顔を睨む。

 四発目の衝撃にきつく瞼を閉じたロイドさんは、再び瞼を開くと大きく目を見開かせて俺をーーいや、俺じゃない誰かを見ていた。


「ーーあ、すか?」


 そう呟いたロイドさんの目から一筋の涙が静かに流れる。

 一瞬だけ、ロイドさんから力が抜けた。


「ーーてやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その隙を見逃さず、気合いと共に剣を振り抜く。

 紫色の魔力の奔流がロイドさんを飲み込んでいき、振り抜いたのと同時に俺の剣が音を立てて砕け散った。

 吹き飛んだロイドさんは木々の中に突っ込んでいき太い幹の木に背中をぶつけると、そのまま力なく尻餅を着く。

 俺は剣を振り抜いた姿勢のまま、息を荒くさせてロイドさんを見据える。ピクリとも動こうとしないロイドさんを見て、ゆっくりと構えを解いた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 荒くなった息を整え、夜空を見上げる。

 段々と心の奥底からわき上がってくる高揚感や達成感が入り交じった感情に、ブルリと体が震えた。


「か、勝った……」


 その一言で緊張の糸が切れてしまい、背中から地面に倒れる。手に持っていた柄とマイクだけになってしまった魔装を手放し、感情のままに叫んだ。


「ーー勝ったぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 地面に仰向けになりながら、俺は夜空に向かって拳を突き上げた。 


 

   

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