三十四曲目『最後の希望』
この国から逃げることに決めた俺たちは、急いで逃げる準備を始めた……と言っても旅支度をするほどの荷物は持っていない。そもそも国を出る予定がなかったんだから、食料、野営道具、地図などの必要な物が何もないのは仕方ないだろう。
ユニオンでの仕事をこなして少しばかりの路銀はあるけど、四人分の旅の資金としては心許ない。
それでも、命の危険がかかってるんだから文句を言ってられないか。とにかくこの国から脱出して、その先のことは後で考えることにしよう。
「タケル、準備出来たよ」
魔装のもう一つの使い方、収納機能を使って荷物を仕舞い終わったやよいが声をかけてくる。これで全員の準備が終わった。
真紅郎は扉に耳を当てて部屋の外に誰かいないか確認し、無言で俺に頷いた。どうやら誰もいないようだ。
「よし、みんな……行くぞ」
俺の言葉に全員が頷くと、静かに扉を開ける。燭台の火だけが照らす薄暗い廊下を出来るだけ足音を立てないように早歩きで進む。
誰とも会いませんように、という願いは角を曲がろうとした瞬間に打ち砕かれた。
「おや。皆様、どうなされましたか? 会場は逆方向ですが……」
そこに現れたのは、カレンさんだった。
パーティー会場とは違う方向に来ていた俺たちを見て首を傾げているカレンさんに、マズいと思いながらすぐに誤魔化す。
「あ、あれ? 道、間違えちゃいました……あはは」
やべぇ。完全に怪しい。自分の演技力のなさに絶望した。
俺の拙い誤魔化し方にやよいと真紅郎は呆れ顔になり、ウォレスは笑わないように肩を震わせながら我慢している。ちくしょう、こういうのは苦手なんだよ。
カレンさんはジッと俺を見つめてくる。その視線はまるで俺たちの考えを見透かしているかのように思えた。
そして、カレンさんは目を閉じて数秒の間を空けた後、口を開いた。
「そうでしたか。でしたら私がご案内致します」
「え!? あ、いやぁ、それはちょっと」
「何か困ることがございますか?」
「困ることって言うか……えっと、か、カレンさんの手を煩わせるのはなぁ、というか」
「構いません。私は皆様の身の回りのお世話をするのが仕事ですので」
「そ、そうですよねぇ……」
「では、こちらに」
カレンさんはクルリと踵を返して歩き始めた。カレンさんが背中を向けた直後にやよいにわき腹を小突かれる。仕方ないだろ! ここで断ったら確実に怪しまれるし!
上手いことバレないように逃げるぞ、と小声でみんなに伝えてカレンさんを追った。
静かな廊下に靴音が響く。スタスタと前を歩くカレンさんは一度も振り返らなかった。こっちを見ていない今なら逃げることが出来そうだけど、どうにもタイミングが掴めない。このままだとパーティー会場に到着してしまう。そう、思っていた。
「あれ? こっちは……?」
ここで真紅郎が疑問の声を上げる。俺たちも遅れて違和感に気づいた。
カレンさんが向かっている方向は、パーティー会場からどんどん離れている。この城のメイド長であるカレンさんが道を間違えるはずがない。
どういうことだ、と思っているとカレンさんはある部屋の前で立ち止まり、扉を開いた。
「こちらです」
「あ、あのカレンさん? ここって、違うんじゃ?」
「いえ、違いありません」
「
ウォレスの言葉にカレンさんははっきりと言い放った。
「誰も会場にご案内するとは言っていませんが?」
いや、たしかに言ってないけど……どういうこと?
言っていることの意味が分からずにいると、カレンさんが部屋の明かりを灯す。暗かった部屋が明るくなると、そこに置いてある物を見て驚きが隠せなかった。
そこには野営道具や食料など、旅に必要な物が全て揃っていたからだ。
「え? え? 何これ? どうして?」
理解が追いついていないやよいがカレンさんに問うと、カレンさんはいつも通りクールな表情のまま、淡々と説明をし始めた。
「皆様がいつでもこの国から出られるよう、あらかじめ準備をしておきました」
「……ボクたちがこの国から逃げることを想定していたんですか?」
「はい、想定していました」
事も無げに肯定され、呆気に取られる。俺たちはさっきこの国から逃げると決めたはずなのに、どうしてそれを想定していたんだ?
口にはせずにそう思っていると、心を読んだかのようにカレンさんは疑問に答えてくれた。
「皆様ならいずれ
「……それは、王様と姫様の本性ですか?」
真紅郎の問いにカレンさんは何も答えず、そのまま話を続けた。
「この部屋には王家の者の緊急用の抜け道がございます。この荷物を持ってそこからお逃げ下さい」
「カレンさん……どうしてそこまで?」
旅支度どころか抜け道まで教えてくれたけど、どうしてこんなことまでしてくれるのかが分からない。カレンさんは顔を俯かせると、静かにポツリと答えた。
「……私にも、責任がございますから」
「
ウォレスの問いにカレンさんは何も答えようとしなかった。
口止めされているのか、カレンさんは核心に迫るようなことは話してくれない。それでも、俺たちを逃がそうとしてくれているのは間違いないな。ここはお言葉に甘えることにしよう。
「カレンさん、ありがとうございます」
「礼を言われるようなことでは……」
「そんなことないです! 今もですけど、いつも色々お世話になりっぱなしだし……その、あたしたちのために本当にありがとうございます」
俺に続くようにやよいがお礼を言うと、いつもあまり表情を変えないカレンさんが優しげな笑みを浮かべてやよいの頭を撫でた。
「本当にいい子ですね……さぁ、早く。時間がありませんよ」
まるで全てを包み込む聖母のような表情のカレンさんは名残惜しそうにやよいの頭から手を離し、促した。
たしかに早くしないと王様にバレる。それだけは絶対に避けたい俺たちはすぐに荷物を魔装に収納した。
俺たちが荷物を収納したのを確認したカレンさんは部屋に置いてあった本棚に近づくと、その中の一冊の本を押し込む。すると本棚が重い音を立てながらスライドしていき、そこには真っ暗な一本の道が真っ直ぐに伸びていた。
「この抜け道は城下町の外れに繋がっています。今の時間でしたらその辺りには誰もいないはず。そしてこの国を出たら隣国、<ヤークト商業国>を目指すといいかと。その国なら王国もそう簡単には手出し出来ないでしょうから」
「ヤークト商業国……分かりました」
「国に着いたらすぐにユニオンに向かうのが得策かと思います。そこでなら……うっ!」
「か、カレンさん!?」
話の途中でカレンさんは突然苦しそうに胸を押さえて膝を着いた。いきなりのことに驚きながらもすぐに近寄ろうとしたが、カレンさんは苦しみながら俺たちに手のひらを向けて押し止める。
「う、ぐっ……わ、私のことは気にせずに、急ぎなさい……ど、どうやら、勘づかれたよう、です」
「で、でも……」
「ーーいいから早くお行きなさい! ここで立ち止まっている暇はありませんよ!」
心配で近づこうとしたやよいを一喝したカレンさんは胸元を強く握りしめながら、ゆっくりと立ち上がる。
苦しいはずなのにカレンさんは、優しく微笑んでいた。
「あなた方は私の、私たちのーーこの世界の最後の希望。迷ってもいい、泣き喚いてもいい。それでも、歩みだけは止めてはいけません。辛く、厳しい困難が待ち受けているでしょうが……あなた方ならきっと、大丈夫」
そして、カレンさんは深々と頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ、勇者様方。旅のご無事を祈っています」
最後までメイドらしく、俺たちのことを見送ろうとするカレンさんの姿を見て、覚悟を決める。
「ありがとう、カレンさんーーよし、行くぞ!」
カレンさんに背中を向け、一寸先まで真っ暗な抜け道に足を踏み入れた。何も見えない暗闇の道は、まるで俺たちの旅を暗示しているように思える。それでも、俺たちは進む。そうしなきゃいけない。
急ごう。王様に勘づかれたのが本当なら、時間がない。俺たちは転ばないように気をつけながら小走りで抜け道を進んでいった。
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