三十五曲目『最悪の追っ手』
薄暗い石造りの道を進んでいく。
王族専用の抜け道は長い間使われていないのか埃っぽく、ピチョンと断続的に水滴の音が聞こえてくる。
カレンさんから貰ったランタンを持った俺が先頭、次にやよい、真紅郎、最後にウォレスという順番で俺たちは周囲を警戒しながら歩いていた。
「カレンさん、大丈夫かな?」
やよいは後ろをチラチラと振り返りながら心配そうに呟く。俺たちを送り出す時に、カレンさんは苦しそうに胸を押さえていた。
王様に何かされたのか、それとも別の何かが原因なのかは分からない。だけど、カレンさんは辛いはずなのに最後までメイドらしく俺たちを送り出してくれた。その思いを、無駄にしてはいけない。
「大丈夫だ、きっと」
「……そう、かな?」
「カレンさんのことも心配だけど、今は自分たちの心配をしようよ。早くしないと、追っ手が来るだろうしね」
俺と真紅郎の言葉に少しは元気づけられたのか、やよいは小さく頷くと振り返るのをやめて前を向いた。カレンさんも言っていたけど、俺たちは歩みを止めちゃいけないんだ。
話している内に俺たちは鉄製の扉の前にたどり着いた。どうやらここで抜け道は終わりのようだ。
だけど扉には大きな頑丈そうな錠前が取り付けてあって、開けることが出来ない。早くしないといけないのに、とどうにか錠前を外そうとしているとウォレスが口を開く。
「ヘイ、ちょっとどいてな」
ウォレスの指示通りに俺たちが扉から離れる。ウォレスは距離を取ると両手を地面に着き、クラウチングスタートの体勢に入った。
「
ウォレスが一気に走り出した。グングンと速度を上げ、真っ直ぐに扉に向かっていく。そして、扉の手前でウォレスは跳躍した。
「ーーウォレスキィィィック!!」
弾丸のような速度で飛び蹴りを扉に放つ。重い音と共に衝撃で錠前は壊れ、勢いよく扉が開け放たれた。
スタッと着地を決めたウォレスは白い歯を見せながら笑みを浮かべて、呟く。
「ーー改!」
いや、何が改だよ。
どこかドヤ顔をしているウォレスに俺たちはため息を吐いて呆れる。ウォレスは静かに行動しないといけないことを分かっていないのか?
でも、とにかくこれで扉は開いた。それにもう逃げていることがバレてるんだから多少騒がしくしても関係ないか。ウォレスがそこまで考えていたのかは、正直微妙だけど。
どうよ、と言わんばかりに俺たちを見ているウォレスを無視して扉を抜ける。抜けた先は城下町の外れにある共同墓地の近くだった。
夜中の墓地に来る人など皆無だろうけど、一応周囲を見渡す。予想通り、誰もいない。今がチャンスだ。
「たしか、あっちに行けば城下町の外に出られるはずだよ」
真紅郎が指さした方向に顔を向ける。墓地を抜けたその先か。
小声で「急ごう」とみんなに声をかけ、俺たちは走り出した。月明かりだけが照らす暗い墓地を走り抜けていく。
その間も周りを警戒してるけど、人の気配は全然ない。これなら無事に城下町から出られそうだ。
「ーー<フレイム・サークル>」
それが、油断だったんだろう。
共同墓地にある広場に足を踏み入れた瞬間、魔法を唱えるのが聞こえた。気づけば広場を取り囲むように炎の円が走り、俺たちの逃げ道を塞ぐ。
熱気から守るように腕で顔を隠し、陽炎の先にいる人物を見つめる。そこには、俺たちがよく知っている人物が靴音を鳴らして歩いていた。
「ロイド、さん……」
炎の灯りに照らされたその人物は、ロイドさんだった。
手に魔闘大会の時に王様から渡された細長い木箱を持ったロイドさんは、猛禽類のような鋭い視線で俺たちを睨んでいた。
「ーーよう、いい夜だな」
「……どうして、ロイドさんがここに?」
「どうして……どうして、か。それは、言わなくても分かるんじゃねぇか?」
ロイドさんは左手を振り払うと、俺たちを取り囲んでいた炎が掻き消える。まるで花びらのように火の粉が舞う中、ロイドさんはニヤリと笑みを深めた。
その姿は、その表情は……その視線は、俺たちが知っているロイドさんじゃない。明らかに俺たちを敵として見ている姿だった。
「……俺たちを殺しに来たんですか?」
「いいや、違うな。お前たちを捕まえに来たんだ。殺さないように言われてるからな」
「何でロイドさんがあたしたちを捕まえるんですか!」
「王様からの直々のご命令だからな。聞かない訳にはいかねぇだろ」
「……嘘ですね。ロイドさんはユニオンマスター、王様の命令を聞かないといけない義務はない」
すぐに嘘を見破った真紅郎に、ロイドさんは何も言わずに小さく笑う。言わなくてもそれは、肯定している証拠だ。
つまり、ロイドさんは王様の命令で動いている訳じゃない。だったら、どうして俺たちを捕まえに来たのか。
「もしかして金か? だとしたらアンタには
「俺が金で動く奴だと思うか?」
「じゃあどうして!」
裏切られ、ショックを受けたやよいの悲痛の叫びに、ロイドさんは笑みを消して手に持った木箱をギュッと握りしめた。
「お前たちには関係ない……と、言いたいところだが教えてやるよ」
ロイドさんは空を見上げ、そこに浮かぶ月を見つめる。その目は、懐かしさや悲しみを内包しているように見えた。
「俺にはある目的があった。それが無謀で、無理なことだってことは分かっている。それでも、諦めきれずにいた。柄にもなく色々考えたり、調べもしたが……気づいたらこんなオッサンになっちまってたよ」
自嘲するように鼻で笑うとロイドさんは月に向かって手を伸ばす。絶対に届かない物を捕まえようとするように。何かを求めて伸ばされた手は、悲しげにさまよっていた。
「我ながら女々しい奴だと思うぜ。でもよ、そんな時にあいつ……ガーディが一つの可能性を示してきた。夢物語みたいな内容だったけどよ、俺にはもうそれに縋るしかねぇんだーー俺には、時間がねぇからな」
伸ばした手をギリッと音がするほど強く握りしめ、俺たちをギロリと睨む。その目には敵意や殺意、そして強い意志を感じた。
「そのためにはお前たちが必要なんだ。悪いが、俺の目的のためにお前たちにはここで捕まって貰う。安心しろ、殺すつもりはない」
「ロイドさんに殺す気がなくても、王様にはあるんですよ! それでも俺たちを捕まえますか!?」
必死に叫ぶ俺にロイドさんは一瞬だけ顔をしかめるが、すぐに表情を戻した。
「それでも、だ。お前たちを犠牲にしても……俺には、やることがあるんだ」
どうやら何を言っても無駄らしい。
何がロイドさんをそうさせるのか、俺には全然分からない。俺たちに優しくしてくれたことも、俺たちのために鍛えてくれたことも……半年の思い出は今のロイドさんには関係ないようだ。
だからと言って、はいそうですかと捕まる訳にはいかない。ロイドさんに譲れない目的があるように、俺たちだって絶対に譲れない目的があるんだ。
「……四対一ですけど、まさか卑怯だなんて言わないですよね?」
魔装を取り出して戦う意志を示す俺たちに、ロイドさんは余裕そうに鼻で笑う。
「言うと思うか? それに四対一じゃねぇ……四対三だ」
そう言うと茂みの方から二人の人影が現れた。
その人物は、アシッドと……ナンバー398だった。
「アシッド、お前は真紅郎とウォレスを相手しろ」
「ふわぁ……俺だけ二人を相手にするんですかぁ? 面倒だなぁ……」
「やれ。命令だ」
「……命令って言われたら従うしかないかぁ。悪いけど、俺も一応ユニオンメンバーなもんでねぇ。上から命令されちゃったら、例え面倒なことでも言うことを聞くしかないんだぁ」
アシッドは面倒くさそうに後頭部を掻きながら剣を真紅郎とウォレスに向ける。続いてロイドさんはナンバー398に指示を出した。
「お前はやよいとだ。殺さず、生かしたまま捕らえろよ?」
「……言われなくても、分かってる」
ナンバー398は無表情のまま拳を構え、やよいを見据えている。そして最後にロイドさんは俺に顔を向けた。
「タケル、お前の相手は俺がしてやるよ。人数ではお前たちの方が有利なんだ。まさか、卑怯だなんて言わねぇよな?」
ロイドさんに意趣返しをされた。正直、卑怯だろって言いたいところだけど、言ったところでロイドさんが人数を減らしたり手加減してくれるはずがない。
精一杯の強がりで無理矢理笑みを浮かべながら剣を構え、魔闘大会の決勝戦以上に覚悟を決める。これは本当に命を賭けた戦いなんだ。負けたら、死ぬ。その現実に、足が震えそうになる。
だけどロイドさんは剣を構えなかった。
「まぁ、待てよ。まずはあいつらの戦いを見てからだ」
「……余裕のつもりですか?」
「つもりじゃねぇ、余裕なんだよ。やろうと思えばいつでもお前たちを捕まえることが出来る。そうだろ?」
その通りだ。それほどまでに俺たちとロイドさんたちとの間には実力に差がありすぎる。
ロイドさんは「あぁ、そうだ」と話を続けた。
「他の奴らの助けに入ろうだなんて考えるなよ? そんなことしたら……分かってるな?」
先に釘を刺されてしまった。
こうなると俺はロイドさんと向かい合ったまま、他のみんなの戦いを見守らなければならない。
俺とロイドさんを余所に、アシッドは真紅郎とウォレスに向かっていく。それに続くように、ナンバー398もやよいに向かって走り出していた。
命を賭けた月下の戦いは、合図もなく始まった。
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