星屑峠を抜けて

『ゆりさん、ゆりさん』

 うーん……。

『ゆりさん』

「黒耀、くん?」

 目を開いた私を見下ろしていたのは黒耀くん……じゃなくて彗星が絶え間なく降り注ぐ満天の星空だった。

「どこ、ここ?」

『さっきも言ったでしょ。星屑峠だよ。現世と精神世界の境目、記憶の倉庫。君の失恋の記憶はきっとここに眠ってる。まずは歩いて記憶を集めるんだ』

「え、え、意味分かんないよ。黒耀くんはどこ? 一緒に探してくれるんじゃなかったの?」

『そこまでサービス出来ないよ。星屑峠にゆりさんを転送してそこから上手く誘導する位しか出来ないよ』

「けち!」

『そういうんじゃないよ。決まりなんだよ。仮に君が(ピー)を差し出せたとしても星屑峠には僕は行けない決まりになってる』

 なんてルールなの……。

『邪魔しちゃいけないんだよ。星屑峠の旅は君自身の問題だから。――大丈夫。危ない時は僕が君を守るから。取り敢えず進んで』

「……分かった。信じるよ?」

 彗星がちらちら輝くスパッタリングの中を気持ちよさそうに通過していく。

 しかしその直後、それは夏の大空に変わった。

 これはどこかで見覚えがあるけど……。


「ふぇ!? 何これ!? ……門田小?」


 私がいつの間にか立っていた場所は私の母校、「門田小学校」の校庭だった。それも私が現役生の時の――だから今は取り壊され、旧校舎と呼ばれている校舎の持っていた校庭。

 何で?

『上手くいった。これからその世界で君の分身を見つけて。君自身だから多分すぐに見つかると思うけど』

「そんな事言われたってすぐに見つかる訳……」

 そう言いかけた瞬間目の前を麦わら帽子を被った小さな女の子が通り過ぎていった。

「私だ……!」

『追いかけて!』

 私はたまらず走り出した。

 あの時感じた夏のけだるさ、涼しくない木陰、蝉の大合唱……皆そのまんまだった。

『君の脳は物凄い量の過去を全て覚えている。奥にしまっているだけで宝石がある限りは全部思い出せるんだよ』

 ……本当だね。

 口角がふっと上がった。

 そうやって走っているうちに「私」が速度を落とし、立ち止まる。

 思わず隠れる。

『隠れなくたって良いのに』

「うるさいなー、何か隠れたいの」

『変なの』

 「私」は麦わら帽子で顔が隠れた少年と話をしていた。

 分かる。彼があの時の彼氏だ。


〔――くん、見て見て!〕

〔え、ゆり、もうそれゲットしたのかよ! 良いなー!〕

〔ゲットしてあげようか〕

〔い、良い!〕


『顔、見なくても良いの?』

「……、……どうせ見ても真っ黒で分かんないんでしょ?」

『分からないよ?』

「いや……それでも真っ黒になってる気がする」

『ふーん……じゃあそうなのかもね』

「次の所に行こう。連れてって」

『君自身が導いてくれるから待っていて良いよ』

 ――私が大好きだった彼のえくぼが見えたよ。

 その言葉は心臓の奥にしまったままにしておいた。


 しばらくして少年と「私」は別れ、再び走り出した。私も再びそれを追いかけ始める。

 次の世界は学校の敷地の角を左に曲がった時、突然現れた。肌に突き刺さる針のような寒気、アニメや映画とは段違いの冷たさを持っている雪。しかし女の子達の頬の紅潮はその寒さのせいだけでは無い事は瞬時に分かった。

「そっか。今日はバレンタインデーなんだ」

『ここでゆりさんの恋が実った訳ですな』

「……!」

 耳に頬に血液が集中した。一気に他の女の子達と一緒になってしまった。

『どういう経緯で告られたの?』

「あ、えっとね、まずは私がチョコをあいつの下駄箱にぶち込んで……」

『じゃあ行かないと! きっと名前書いてあるよ!』

「あ、でも……きっと真っ黒く塗り潰されてるよ」

『えー? 分からないよ?』

「でも良いの! それでね、放課後、無人の教室で告られたの」

『ほおほお、愛いですのお』

「うるっさいなー。恥ずかしいから止めてよ」

『それで、教室には行かないの? ここの時間は現実より遥かに早く流れていくからそろそろ行かないと見失うよ? それを逃したら流石にまずいと思う』

「え、そうなの?」

『そうだよ。世界は見た所から徐々に消滅していってるから見失えばそこで記憶の追跡はおしまい。消化不良のまま店に強制転送されてしまうよ』

「そうなんだ。――なら早く行かなきゃ。あいつとのその日の恋愛イベント、それで最後だもんね」

 教室に急いで移動すると丁度〔付き合わね?〕ってあいつが言った所だった。

 自分に言っている事ではないのに(いや自分なんだけどね)何だか恥ずかしくなってまた物陰に隠れてしまう。

 わ、わわ、わ! あいつの告白、今思えばめっちゃストレートだな!

『ひゅーひゅー! ゆりさんおめでたー!』

「うるっさい!」

『ほらほら、この世界のゆりさんが出てきましたよ。追いかけなくて良いんですか?』

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 周りをちらちら気にしながら顔を真っ赤にしてあいつの隣を歩く「私」。

 ……愛いのぉ。

 下駄箱で靴を履き替えて楽しそうに喋る二人に懐かしさを重ね合わせる。

 ふと横を見た。

〔永――〕

 そこで見るのを止めてしまった。


 そこからは記憶が流動的に流れた。

 「私」はずっとあいつの隣を歩いたり走ったりしていた。

 長い長い道をくるくると世界を変えながらずっとずっと。

 ずっとずっと。

 お気に入りの世界は花火大会の記憶の世界。空をいっぱいに巨大な花が埋め尽くす中、「私」があいつにそっと呟いた「ずっと一緒だよね」が何だか印象に残った。

 何だかノスタルジイが溢れた。

 でもそれ位の頃からだろうか。あいつの歩みが徐々に遅くなっていくのが見て取れた。「私」の言葉への反応も徐々に遅くなった。悲しそうな顔が日に日に増えていった。見るに耐えないあいつの姿に胸が締め付けられていった。

 でもそれよりも心に来たのは「私」の反応だ。今では第三者となってしまった私でさえ彼の変化に気付けているのに「私」は全く変わらない。いつも通り過ごし、いつも通り笑い、いつも通りに振舞う。

 彼が明らかに彼女に付いて来られなくなっても彼女は何もない虚空に向かって笑いかけていた。


 ――そんな彼女がようやく彼の異変に気付き始めたのは彼が立っていられなくなってからだった。


〔どうしたの!?〕

〔……何でもないよ〕

〔何でもないって、これまで『普通』だったじゃん!〕

 下唇を噛み締めた。


『恋は盲目って知ってる?』


(つづく)

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