二ノ五 無骨丸なき戦い

 昭くんが、剣鬼になった。

 どうしよう。

 どうする?

 今、手元に無骨丸はない。わたしは、戦えない。

 しばらく睨み合った後、ふいと昭くんはそっぽを向いて、教室の中に戻る。

 教室から、叫び声がした。

 まだ、人が中にいる!?

「逃げ遅れた、子どもたちが…………」

 わたしの足下で、先生が呻く。

「先生。駄目です、喋ったら……」

「まだ、教室に…………うちのクラスも、危ない」

「え…………」

 わたしのクラスが?

 いったい、何が…………。

「大丈夫ですか?」

 わたしが慌てていると、保健室の先生がやって来る。すぐに傷口を圧迫して、担任を止血した。ああそうか、そうやって止血すればよかったのか。

「い、いったい何があったんですか?」

「私も登校してきたばかりで事情はほとんど知りません」

 保健室の先生はてきぱきとした口調で話す。

「ただ、聞いた話では昭くんが突然、刀を持って教室に押し入って暴れ出したと。最初に被害が出たのは三年三組の教室だそうです」

 わたしのクラスだ! そうか、まず昭くんは自分のクラスを……。

「おそらく教室にはまだ怪我人が残っていると思いますが、危なくて私も近づけません。警察には連絡しましたが、はたしてあれを何とかしてもらえるか……。早くしないと、手当てが間に合わなくなる生徒も校舎には残っているでしょう」

「……………………っ!」

 だとしたら、一番怪我人の多いのはわたしのクラスだ。なんとか、なんとかしないと…………。

「三年三組の騒ぎがすぐ近くの二組に伝わって、そこから学校全体がパニックになっています。一番の不幸は、始業直前で多くの生徒が教室内に集まっていたことでしょう。そこへ昭くんが入れば、逃げ遅れて多くの生徒が傷を負わされる……」

 気配だ。気配を探れ。大丈夫、さっきから、いくつか気配が消えているけれど、まだ数は多くない。

 助けられる命もある。

 頭をよぎるのは、やっぱり家鳴屋敷のことで……。

 あそこでは、わたし以外みんな死んだ。

 今度は、そうはならないようにできるかもしれない。

 いや、できるんだ。そしてわたししかできない。わたしならあの重たくて苦しい剣鬼の気配を探れる。校舎は家鳴屋敷と違って構造を把握しているから、気配から昭くんの位置ははっきりする、はず。隠れながら、避けながら怪我人を校舎の外に運べる。

 やれる。やれるんだ……。

 だから頼むから足、動いてよ!

「う、うううううっ!」

 さっきから、頭ではできると自分に言い聞かせている。なのに、足が動かない。固まったみたいになって、全然。頭がガンガンと痛んで、そのせいか足の痛みはまったく感じないのに。震えすら起こらないほど、がっちりと固まって動けない。

「何してるの? 大丈夫? あなたも早く運動場へ避難して……」

「くそっ! 動け……動け…………動けっ! うごぎゃ!!」

 痛ったあああ!

 舌噛んだ。

 何してるんだろう、わたしは…………。

 舌を噛んだおかげで、少し冷静になる。

 熱くなるな。

 わたしにはできる? 何言ってるんだ。できない。無理無理。だって、無骨丸ないんだよ? わたしを戦えるようにしてくれるあの便利な刀はない。

 そもそも刀の有無は関係ない。いや刀便利だったけど、振ったら怪我するような代物をありがたがってどうするんだわたし。

 わたしが家鳴屋敷で生き残ったのは、まったくの偶然で幸運だ。刀は抜いたけど、あれに振り回された衝撃で死ぬ可能性だってあったわけだ。だからほんとうにただの幸運。わたしはあの屋敷で何も成し遂げていない。何もやっちゃいない。まるで屋敷での出来事を成功体験みたいにして、わたしならできるとか思うべきじゃない。

 あーあ。無駄な時間使った。

 無理なものを無理じゃないと思い込むのは、無駄の時間――――。

「んなわけ、あるかああ!」

 足は、動いた。

 突っ走った。昇降口まで。

 無理無理? 無理!? 

 馬鹿じゃないのか。

 馬鹿じゃないのか!?

 今そこで助けられるかどうかの瀬戸際の命があるときに、無理とかなんとか言ってる場合か!

 人が生きているんだぞ?

 人が死にかけているんだぞ!?

 無理だって言って、諦めて、結局鳳さんはどうなった?

 犬井くんはどうなった?

 助けられなかった。だったら、せめてここでは助けてみせろ。

「ちょっと、待ちなさい!」

 保健室の先生の言葉を背に、昇降口から入る。今度は、土足で踏み込むことに何の躊躇も覚えない。

 気配を探れ。どこだ、昭くんは。

 いた。二階東、二年生の教室付近。大丈夫、あそこはもう避難が終っているのか、他に人の気配はない。

 今のうちに、自分のクラスに行こう。あそこが一番ひどい被害だったはずだ。

「うっ………………!」

 昇降口から校舎に入ってすぐの廊下は、もう地獄になっていた。

 あちこちに血痕が飛び交っている。さすがにこの辺りで倒れた人は運ばれたみたいだけれど、血の量が多い。あちこちに血だまりができていて、弾かれた血が天井にまで付着している。

 足が止まりそうになるのを堪える。大丈夫。昭くんの気配はずっと追えている。

 血だまりを避けて歩く。校舎の西側へ歩いていく。

 階段を上ると、そこに、一人倒れているのが目に入った。近づいて、そっと触れるともう冷たくなり始めている。背中からざっくりと切られた上に、背後から胸部にかけてを貫かれているのが分かる。

 昭くんは、なんだってこんなことを…………。

 そういえば、剣鬼は理性をどれほど残しているのだろうか。家定さんと繭子さんの場合は、わたしたちを侵入者と捉えて攻撃してきた。そこに会話の余地はなく、二言目には「死んでください」だった。

 でも一方で、為定くんを息子であると認識するくらいの知性は残っていた。もっとも、自分の息子であろうと殺すときは容赦なかったけれど。

 昭くんの状態はどうなっている? 家定さんたちの場合、妖刀を守るという明確な動機があって、それが侵入者の排除につながっていた。では彼は? いったい、どんな理由があって学校を襲ったのか。

 もうひとつ気になるのは、妖刀だ。どんな妖刀を手にしたのかで、彼と対峙するときの態度が決まる。もちろん刀の時点で凶器としてはトップクラスでやばいんだけど、家守定のように能力が直接殺傷に繋がらないなら、生き残るチャンスは大きくなる。

 逆に糸紡みたいに殺意マシマシだったら絶対に出会ってはいけない。

 でも妙なのは、気配だ。同じ剣鬼なのに、放つ殺気は家定さんたちの方が強くて威圧感があった。気配を察知しただけで殺されそうなほど、重々しかった。その強さが、昭くんにはない。どこか鈍いのだ。

 この気配の差は…………。

 考えながら歩いていると、すぐに目的の三年生の教室があるところまでたどり着く。

「大丈夫、ですかー………………?」

 ひとまず手前の、一組の教室から見てみる。机が乱雑に置かれていて、椅子も蹴っ飛ばされているが、人はいないし、血痕もない。ここは昭くんが襲撃してパニックになった段階で逃げ切れたのか。

 隣の二組は翻って、酷い有様だ。三組を襲撃して、それからすぐに二組へ移動したのだろう。一組と違って、逃げるまでに時間がなかった。三組の教室に近い後方の扉に、何人かが折り重なるように倒れている。気配はもうない。死んでいるのだ。

 この分では、三組の教室を目指したのは失敗だったかもしれない。そう思いながらようやく三組の教室に足を踏み入れた。

 教室の中には、死体が山と転がっていた。

 ここがたぶん、一番酷い。逃げ遅れたどころの話じゃない。きっと、何が起きているか理解する間もなかったんだろう。さっきまでのただ斬られた、突かれただけの死体と違って、ここにある死体はバラバラに切り裂かれている。

「こんな…………こんなことを昭くんが?」

 できる、のだろうか……。昭くんは確かに剣道部だったし、花菱に行くために稽古を積んではいただろうけど……。真剣を持つのは昨日が初めてだったはずだ。妖刀というのはそんなに切れ味がいいのか、あるいは剣鬼化して筋力が上がっているのか…………。

「う、うう………………」

 声がした。

 わたしが教室に入ったのに反応して、何人かが蠢いた。ガタリと、机にぶつかって音を立てる。

「だ、大丈夫?」

「や、こう…………」

 気配を探ると、意外に、生きている人間の多いことに気づいた。

「みんな、大丈夫?」

 もう少し声を張り上げて呼び掛けてみる。また何人かが蠢く。死体の山の中、五人くらいは動いただろうか。

「けほっ……。鉄華…………」

「しゅ、周子ちゃんっ!」

 その中には、周子ちゃんもいた。教室後方で、体を横たえてぐったりとしている。

「大丈夫? どうしたの? 何が…………」

 周子ちゃんは、右肩から左脇腹までを袈裟懸けに切り裂かれている。生きているってことは、傷はそう深くはないのだろうけど…………。

「昭が……刀を持って…………早く逃げて……」

「今は昭くんの気配は遠いから。それより動ける? できるだけ早くここから逃げないと」

 どうする? まだ生きている人はいるけれど、動かしても大丈夫なものだろうか。いや、大丈夫じゃない気がする。この中ではまだ傷の浅い方の周子ちゃんですら動かすのは難しそうだ。体を持ち上げようとしたけれど、痛そうに周子ちゃんは呻いて、その声があまりに辛そうでこれ以上動かすのは、こっちの精神的にも厳しそうだ。

 というか、仮に周子ちゃんに肩を貸して歩けたとして、残った人はどうする? まだ気配が遠いとはいえ、昭くんがどう動くか分からない。一人ずつ運んでいる暇が果たしてあるか……。

「違うっ!」

 そこではたと気づく。

 ひょっとしたら昭くんは、ここに戻って来るんじゃないだろうかということに。

 今、昭くんは二階の東側にいる。でもそこにはもう人がいない。たぶん、先生とやり合ったのが最後で、そこからは斬るべき人を見つけられていない。

 じゃあどうなる。校舎を徘徊するか、運動場に出るかだろう。体育館も考えたけれど、運動場に出ていた人の数からして、体育館に避難している人はいないような気がする。

 運動場へ出るのが一番最悪だけど、昭くんの知性の残り具合にもよるけれど、そこまではまだしないんじゃないだろうか。そもそも、わたしが駆け付けたときには既に大半が運動場にいた。被害者を求めるならとっくに運動場に出ているはずだ。たぶん、多勢に無勢になるリスクを考えて運動場には出られないのだろう。普通に考えたら剣鬼化している上に刀を持っている昭くんが負けるはずはないけれど、あの人数が死に物狂いで止めにかかったらさすがに厳しいかもしれない。

 いや……実際どうなんだろう。まだ昭くんの剣鬼としての能力、妖刀の能力を見たわけじゃないけど……。死体を見る限り、糸紡のような問答無用の能力でもない気がする。

 で、問題は校舎を徘徊して、ここに戻ってくる場合。

 犯人は現場に戻る、じゃあないけれど……。校舎西側の二階。ここが昭くんの暴走のスタート地点なら、東側はゴールのようなものだ。一巡して、ぐるりと戻るのは人間の自然な動作のように思われる。それにさっきのように倒れている人間が何人もいる。きっと、昭くんは斬った相手が死んだかどうかをいちいち把握していない。とどめを刺しに、特に最初にひと暴れして死亡の確認がおざなりになっているだろうここへ戻ってくるリスクは高い。

「鉄華…………鉄華!」

「あ、ご、ごめん」

 考え事をしていたら、必死に声を出してわたしを呼び掛けている周子ちゃんを無視してしまった。

「鉄華、逃げて……」

「わたしなら大丈夫だよ。だから、早く周子ちゃんたちを……」

「違う……。昭は、あんたを狙って……!」

「わ、わたし、を?」

 どういうことだ?

 わたしを狙っている? 昭くんが?

 どうして?

「言ってた。鉄華を出せって。だから…………」

「……………………!」

 気配が、近づいてきた。

 まずいまずいまずい。

 昭くんがわたしを狙っているなら、どうして二階の窓から顔を覗かせたあのとき、わたしを追って校舎を出なかった? ひょっとして、わたしがここへ入ってくると思っていた?

 …………たぶん、思っていたんだ。わたしが入ってくるって。

 わたしは、花菱高校に選抜された人間で、つまり選ばれた人間だから。

 正義感と義侠心で、のこのこ入ってくると思ったんだ。

 わたしにそんな正義感はないけれど、結果的には昭くんの思うつぼになっている。校舎の中なら、邪魔は入らない。運動場でわたしを殺そうとすれば、わたしが避難している人の人ごみへ逃げ込む危険性もあるし……。

 だとするとここで周子ちゃんたちが生きているのは、偶然じゃなくて昭くんに活かされている可能性もある。わたしをここから釘づけにして動かさないために。わたしがここで逃げれば、確実に周子ちゃんたちは殺されるから。

 わたしは……………………。

「周子ちゃん。たぶん動けないと思うから、そこで待ってて。他の人も、助けが来るまではこの教室から出ないように留めておいて」

「………………鉄華?」

 掃除道具入れに向かう。開けて、そこから柄の長いホウキと金属製のバケツを取り出す。

 心もとないけど、やるしかない。

 わたしが、昭くんを止めないといけないから。

「待って…………鉄華!」

 周子ちゃんの声を背に、わたしは教室を出た。一組の教室まで戻って、そこの扉を開けて扉の影に隠れる。

 待ち伏せだ。運動能力もないわたしが昭くんに一泡吹かせるには、これしかない。

 あまり悪いことは、考えるな。

 昭くんの肉体は、特に変質した様子はなかった。窓から覗いただけだから、上半身までしか見えなくて下半身は不明だけど。でも仮に剣鬼化の兆候があるなら、家定さんみたいに全身……特に頭部は変質が激しいはず。それがないということはまだ昭くんは剣鬼化して間もないということ。

 いや繭子さんみたいに頭部だけ変質する場合があるなら、下半身だけ変質する場合もありそうなものだけど……。そもそも剣鬼なんてあのふたりしか見たことないんだから、確定的なことは言えない。

 だから悪い方向へは考えない。

 きっと剣鬼化して間もないから、肉体が変質していないんだ。そう思え。もし変質があったら、周子ちゃんたちはそこへ注目してそこを伝えようとするはず。でも周子ちゃんがわたしに危険を知らせるために言った一言は刀だった。まだ刀以外、危険性のある部分がないんだ。

 まだ助けられるかもしれない。

 剣鬼化が始まってすぐだ。妖刀を昭くんに手放させることができれば…………きっと。

「…………………………」

 足音が、聞こえるほど近づいてきた。

 気配も濃くなる。はっきりと、居場所がつかめるくらいに。

 来た………………。

 あと一歩。

 来い。近づいてこい。あと一歩で、飛び出せる。

「どこだ…………夜光珠」

 足に力を入れたところで、昭くんがぼそりと呟く。

「殺してやる…………俺が、俺が……」

「できるものならやってみろっ!」

 飛び出した。持っていたバケツを逆さにして、昭くんの頭部を狙う。

 彼はいきなり扉の影から飛び出してきたわたしに、驚いたのか目を見開いて動きが固まっていた。刀は右手に持ったまま、だらりとぶら下げられていて、動く様子がない。昭くんの体は学ランを着た人間のままの姿で、どこにも変異の形跡は見られない。

 不意打ちは、ひとまず成功した。

 バケツを、昭くんの頭部に被せる。これで、視界は奪った。

「このっ…………!」

 すかさず、持っていたホウキの柄を振り上げてバケツを思いっきり叩く。音が響いて、手が痺れる。

 正直、まさか一発入れただけで腕が痛くなるとは思っていなかった。人を殴るって、こんなに疲れるのか。

 めまいがして、息が苦しい。心臓が張り裂けそうになる。

「うわあああっ!」

 それでも、攻撃の手は休めない。相手にバケツを外す暇を与えたら駄目だ。視界を奪っている内に、叩き込めるだけ叩き込む!

 頭部を集中攻撃していると、さすがに刀を上げてガードされる。柄がぶつかったのか刀の峰の部分だったお陰で、刃が食い込んだりはせずに弾かれただけだった。

「この、くそがああああ!」

 昭くんは絶叫して、刀を振り回し始める。バケツを外すのを諦めて、ひとまず一太刀こっちに浴びせるつもりだろう。一歩下がって距離を取って、ホウキを長く持った。

 こっちの方が、リーチは長い。基本的にリーチが長い方が有利、だと思う。

 刀があらぬ方向へ振られた隙に、胸部を一突きする。あまり強くはなかったはずだけど、昭くんはよろめいた。さらにもう一発、今度は深く踏み込んで突き出した。

 二、三歩、ぐらりと後ろに下がる。少し距離はあるけれど、後ろには階段がある。あそこまで押していって、突き落とせば相当なダメージになるはず。

 取りあえず、もう一発…………!

 勢いをつけて、ホウキの柄でもう一回突く。今度はみぞおちに入った。今までより、手ごたえがいい。さらに昭くんは後ろに足をもつらせて下がっていく。

 あと一歩か二歩で、落ち……………………。

 そこで。

 ぐいっと、体が引き寄せられる。

「えっ?」

 昭くんが、刀を持っていない手でホウキの柄を掴んでいた。

 殺気が…………。

 重々しい気配が、今までより強くなる。

 まるで振り回すように、昭くんはホウキの柄を引き寄せる。わたしと彼の体の位置が、入れ替わっていく。このままだとまずいと思っていても、体が硬直してうまく動かない。

 判断が、間に合わない。

 階段へ投げ出されたのは、わたしだった。

「あ………………」

 体が、ふわりと浮く。それは一瞬のことで、次には背中に強い痛みが走る。ついで痛みは全身に広がって、視界がぐるぐる回る。

 自分が階段を転がり落ちたのだと気づいたのは、階下の廊下に転がって階上の昭くんを見上げたときだった。

 バケツが、音を立ててわたしの足下に転がる。

「こんなやつが…………」

「………………っ」

 駄目だった。

 当然だ。

 何を、わたしは、していたんだ……。

 痛みで、我に返った。全身が痛くて、仰向けのままぼうっと階段の上にいる昭くんを見上げるしかない。体が動かない。

 どうして、勝てると思ったのか。ただの人間で、しかも戦う術も知らないわたしが、剣鬼なんかに…………。

 たとえ肉体に変質がなくても、刀を持った正気を失った人間に、わたしでは勝てない。

「う、うううっ…………」

「こんなやつが…………」

 昭くんは、こちらを見てぼそぼそと呟いている。

「こんなやつが、花菱に? なんでだ? なんでお前みたいなやつが選抜入試に選ばれて、しかも合格しているんだ…………」

 ああ。

 そうか。

 彼は、ずっと、そのことを…………。

「なあ、夜光珠、なあ!」

 昭くんは、階段から飛び降りた。

そしてその勢いで、わたしの胸部を踏みつける。

「がっ…………ああ!」

「お前じゃないよな! なあ、夜光珠!」

 意識が薄れる中、彼の声だけが聞こえる。

「妖刀剣士に憧れてたのは、お前じゃないよな! 花菱に行きたがっていたのはお前じゃないよな! 俺だ! 俺なんだよ! お前じゃない。お前じゃないんだ。それなのになんでお前が選ばれるんだ? 花菱に行きたくないって言うようなやつが選ばれて、なんで俺じゃないんだよ!」

「あ、きら、くん…………」

「黙れ! 黙れ黙れ! 俺はお前よりできる。俺はお前よりすごい! 俺は、俺は、お前より…………花菱にふさわしい人間のはずだ!」

「ちがっ…………違う」

 違う。

「妖刀に魅入られるような人間は…………。剣鬼になる人間は…………妖刀剣士には、なれない」

 違う。

 そうじゃない。

「うるさい! この刀の力があれば、俺は花菱に行ける。俺は選ばれたんだ! この刀に! 俺ならできる。俺なら……」

 わたしは、何を言いたいんだっけ?

「選ばれたら、なに?」

「あ……………………?」

「選ばれたら、どうだって? 違う……。選ばれたから、人は何かになるんじゃない」

 無骨丸を握ったとき、聞こえた声を思い出す。

「黙れええっ!」

 もう一度、昭くんはわたしの胸部を踏みつけにした。肺から息が漏れて、呼吸ができなくなる。

「死ね。死ね死ね死ね!」

 ギラリと、刃が光る。

「死んで、お前の代わりに俺が花菱に行く。俺が、俺の方が、選ばれた人間なんだから!」

 切っ先が、こっちを向いて落ちてくる。

 死の先端が、わたしに向かって。

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