一ノ三 異変
「う、うわあああああっ!」
残った一人の男子が、大声で叫ぶ。立ち尽くしていた首なし死体は、力を失ってばたりと廊下に倒れる。
「いやだ、いやだ……死にたくないっ!」
立ち上がろうとした鳳さんを突き飛ばして、その男子は元来た道を駆け出す。
「……………………」
蜘蛛頭の女性は、またしても刀を振った。
思わず頭を下げる。でも、今度の殺気は天井や壁を伝い、わたしたちを避けるようにして進んで行った。そして廊下の奥で、壁のように張られた。
張られた?
「待って!」
大声で、男子を制止する。でも声が届かなくて、混乱しているらしいその男子は元来た道をしゃにむにに走り抜けていく。
そして、
突然、バラバラになった。
「あ……………………」
どたどたと、バラバラになった死体は廊下に散乱する。暗い中に、ぽたり、ぽたりと雫の落ちる音が聞こえた。
犬井くんが、灯りをそちらに向けた。赤黒い線状のものがたくさん、廊下に張られているのが見えた。
「これは、糸、か…………?」
もしかして、それが妖刀の能力…………?
ぺたり、と。
足音が聞こえる。
慌ててわたしたちが振り返ると、蜘蛛頭の女性がゆっくりとこちらに迫って来ていた。
「やばい……。逃げるぞ!」
体を立ち上がらせる。膝が震えて、まともに立ち上がれない。
人が死んだ。三人も……。それもあったけれど、気配の異常な消え方にあてられてしまっていた。
ふたりが首を斬られたとき、ひとりがバラバラになったとき。
ぶつりと。
今まで感じていた気配が、まるで最初から何もなかったみたいに途絶えて、そこからは何もない。
何の気配もない。死んでもしばらくなら、気配くらいはするものだと思っていたのに。
死体には、気配がないんだ。
その事実が、ずっしりと背中にのしかかるようで、重たくてまともに立てない。
「立て、立つんだ、夜光珠さん!」
「………………っ」
せっつかれて、ようやく少しだけ歩けるようになった。
「来た道を戻ろう! 鳳さんも!」
「分かってる!」
三人して、来た道を駆けて戻る。足がもつれそうになるのをなんとか堪えて、必死で前に進む。
一本道の廊下は、どこまでも続いているように思われた。またさっきみたいに攻撃をされたら躱しようがない。走りながら、一方でじっと集中して気配を探る。異様に鋭い気配は元の場所で留まったままで、こちらを追ってくるような………………。
ふと。
気配が消える。
後ろにあったはずの気配が消えて、真横に…………。
そちらを見る。障子の一枚が開かれていて、部屋の中に、さっきの蜘蛛女が立っていた。
「な…………」
いつの間に、移動したんだろう。気配の動き方は普通じゃなかった。まるでぱっと、瞬間移動したみたいにこっちに移ってきていた。
「あ、きゃっ!」
鳳さんが叫ぶ。見ると、彼女の腕に糸が巻きついている。
「待って、ちょっと…………」
ぐいっ、と。部屋の中に彼女は引っ張り込まれていく。懐中電灯が彼女の手元を離れて、わたしの足下に転がった。
「お、鳳さんっ!」
「近づくのは危険だ。とにかく今は離れるぞ!」
犬井くんがわたしの腕を引っ張る。
「でも…………」
「いいから!」
「……………………っ」
足元の懐中電灯を拾い上げて、わたしはまた走り出した。
そうだ。
助けようと思ったら駄目なんだ。
そもそも、どうやって助ける? あっちは得体の知れない姿をしていて、糸らしいものを自在に操って人を斬ったりできるのに、こっちはまったくの徒手空拳、しかもわたしはまったく戦えないのに。
無理だ。無理………………!
できるだけ鳳さんのことは考えないで、走ることにした。
気配はもう追ってこない。さっきみたいに、妙な瞬間移動もしてこない。やがて、さっきまでわたしたちがいた大広間の障子戸が見えてくる。そういえば、さっき大広間を出る時は開けっ放しにしていた。
でも、あれ?
なんでだろう。障子の向こう側に見えるはずの大広間が、ぼんやりと明るい。さっきわたしたちが調べたときは、灯りなんてなかったはずなのに……。
考えている暇がなくて、わたしたちはそのまま障子をくぐる。すると…………。
そこは大広間じゃなかった。
「な………………」
そこは板張りの、天井の高い大きな部屋だった。
壁の高い位置にいくつも電灯が設置されていて、そのために明るいのだった。壁は漆喰で、さっきまでの障子だらけの大広間とは明らかに違う。
部屋中に、本棚が整然と並べられている。書庫のような場所なのだろうか。明かり取りのためか、一か所だけ鉄格子付きの小窓が高いところにあって、そこからはちらちら雪が舞うのが見えた。
「なんで……大広間じゃ……」
足が止まる。
部屋からは、血の匂いが漂っている。上を見ると、蜘蛛の巣のように大量の糸が天井を張っている。その糸は血に濡れていた。そして…………。
学生服姿の何人もの人間が、滅茶苦茶な格好で吊るされていた。
「あ、ああっ………………」
バスの中で見た、受験生たちだ。四肢がちぎれてバラバラに吊るされている者もいれば、首を吊るされている者もいた。いずれも、生きてはいない。気配が、まるでしない。
「手遅れだったか……」
ぽつりと、犬井くんが呟く。彼の顔を見ると、この場面に驚愕はしていても混乱はしていないように見えた。
まただ。さっき、蜘蛛女の攻撃を避けたときもそうだったけれど、まるで犬井くんはこの事態を知っていたみたいな態度を取る。
「おや、お客人かね」
声がした。そちらを見ると、書庫の奥、わたしたちが入ってきたのと反対方向に人影があった。わたしたちとその人影の間には遮蔽物はなく、見通しのいい一直線だったけれど、姿がはっきり見えない。左右に並べられた重厚そうな本棚の間を、糸が縦横無尽に通されてスクリーンのように視界を遮っているからだった。
じっと、目を凝らしてその人影を見る。まったく見えないということはない。
ただ、気がかりなのは……。
気配が、さっきの蜘蛛女と似たような気配があの人影からもするということだ。
「家内がろくなもてなしをしなくて済まないね」
声色からして、人影は男のように思われた。のったりとして、こちらが焦れるような口調で話しかけてくる。
ぐっと目を凝らして、ようやく、その人の姿が見える。
やっぱり、その人は男性だ。袴を履いて、帯刀している。帯びている刀からは、さっき、蜘蛛女が持っていた刀と近い気配がする。鋭くて重々しい、妖刀の気配だ。
蜘蛛の巣のすき間を通して、顔が見える。
男の顔は、蜥蜴か何かの爬虫類のようになっていた。
「……………………っ!」
人じゃあ、ない。やっぱり、蜘蛛女と同類の、化生の類だ。
爬虫類男は、わたしの驚きなど知ったことじゃないかのように、ゆったりとまた話す。
「でもすぐに追いつくからね。それまでゆっくりしていきたまえ」
追いつく?
はっとして、後ろを振り返る。廊下の奥に、ぼんやりと蜘蛛女の姿が見える。あのまがまがしい気配は、一直線にこちらへ向けられていた。
追いつかれる。でも、ここはデットエンドだ。先に進みようがない。おそらく土蔵か何かを改造したらしい書庫に、わたしたちが入ってきた以外の出入り口があるとも思われない。左右を見ても、やっぱり扉はない。床下収納らしい戸を床に見つけたけれど、あんなところには隠れられない。
思い切って人影のいる方へ走り寄るという手も考えたけれど、糸が行く手を阻んでいる。これが普通の蜘蛛の巣なら払っていけるのだけど、たぶん、駄目だろう。蜘蛛女が刀から出したのと同じ糸なら、走り寄った瞬間わたしたちがバラバラになる。
駄目だ、もう…………。
「お兄さん、お姉さん!」
どこからともなく、声がした。はっとしてわたしたちは声のした方を見る。声がしたのは、さっきちらりと確認した床下収納の方向だった。そこが開いて、ひょこりと、見知らぬ少年が顔を覗かせた。
誰だろう、彼は。受験者の中にはいなかった顔だ。というより、明らかにわたしたちより幼い。
「早く!」
迷っている暇はなかった。得体の知れない男と、蜘蛛女に挟まれている中で現れた第三の道。得体が知れないという意味ではいきなり現れた少年も同じだけれど、気配が違う。まがまがしい気配は放っていない。普通の人間らしく思われた。
「犬井くんっ」
「あ、ああ」
ふたりして、床下収納へ走り寄る。そしてそのまま、あまり先を確認せずに飛び込んだ。
「う、うわああっ!」
床下収納なんだから、中は狭いものだと思っていたから、飛び込んで、すぐに足が地面に着かないのを感じた瞬間、ヒヤッとした。
ふわりと体が浮く。
「こ、これは…………」
目の前の景色に、驚きの声が隠せない。
床下収納の下は、何故か小さな部屋になっていた。部屋といっても地下室のようなところではない。茶の間のような、四畳半程度の広さの部屋だ。障子と襖で四方を遮られている。
問題は、その部屋の天地がさかさまになっているということだった。わたしたちは天井に向かって落下していく。
「うぐっ」
幸い、座布団が天井に散乱していたおかげで着地の衝撃は緩やかだった。犬井くんの上に折り重なるように倒れ込んだが、少し痛いくらいですんだ。
「いつつ…………。ここは?」
体を起こして部屋を見る。やっぱり、何度見ても逆さの部屋だ。わたしたちは今、天井を床にして立っている。床の間を見ると、飾られている掛け軸がめくれあがってひっくり返っているし、一緒に置かれていたらしい木製の長細い箱も転がっている。
「ご無事で何よりでした」
すっと、さっきの少年が顔を覗かせた。少年は着物を着た、体の細くて髪が長い、女の子のような外観をしていた。年は小学生くらいだろうか。
「驚きましたよ。床下収納を開いたらいきなりみなさんがいて」
「驚いたのはこっちだ」
ため息交じりに犬井くんが呟く。
「いったいどうなっている?」
「というか、早く逃げないと!」
慌てて、障子を開く。でも、障子の先はおなじみの暗い壁が広がっているだけで、先には進めない。
「ご安心ください」
宥めるように少年が言った。
「床下収納から入ったのは、父にも母にも見られていませんでした。二人も、まさか床下とこの部屋を繋げてしまったとは思っていないはずですから、すぐに追ってはこないと思います」
「そう、なの…………?」
いや、ちょっと待って。
今、もっと重要なことを言ったような……。
「父と母?」
「はい。もうお会いしましたよね。あのふたりは、ぼくの父と母です」
「…………………………」
絶句して、声が出ない。
でも、考えてみればそうなるしかない、のか?
頭が混乱してきた?
「ちょっと待って。この屋敷って無人じゃなかったの? そういう説明でわたしたちは入ってきたんだけど」
「いえ、この屋敷はぼくたちの家です。無人になったことはないと思うんですが……」
「どうやら、情報に齟齬があるらしい」
犬井くんが腕を組む。
「君はこの家の人間か? よければ事情を教えてもらいたいんだが」
「分かりました。立ち話もなんですから、お座りください」
少年が座布団を敷いて、そこに座るよう促した。わたしたちは顔を見合わせて、それから腰掛ける。
頭の片隅では、まだあの蜘蛛女が追っかけてくるのではないかという不安があった。こんな悠長なことをしていていいのかと。でも、少年からいろいろ聞き出さなければならないのも事実だ。
「あらためまして」
少年は居住まいを正す。
「ぼくは
お互いに自己紹介をしてから、わたしは気になることを尋ねた。
「本当に、あのふたりが両親なの?」
「はい」
「それにしては………………」
「はい?」
「いや、お母さんはエキセントリックな外見していた割に、為定くんは普通の姿だなあって」
「ぼくの両親は最初からあの姿だったんじゃないんですよ」
そうなのか。
「半年ほど前のことです。政府の、えっと、刀剣整理局だったと思います。そう名乗る人たちが押しかけて来たんです。ぼくは部屋の奥にいるよう言われていたのであまり詳しい話は聞いていませんでしたけど、なんでもすごい剣幕で、この屋敷にある妖刀を寄越せということだったらしいんです」
「妖刀刀狩り令ってやつ?」
「いや…………」
犬井くんが口を挟む。
「妖刀刀狩り令は確か、まだ貴族院を通過したところだ。法令として正式に施行されていない」
「あ、そっか」
じゃあなんで、そんなことを言ってきたんだろう。
「ぼくにも事情はよく分からなくて。うちには確かに三振りの妖刀がありましたし、たびたび妖刀の状態を確認するために、政府の人が来ていました。でも妖刀を渡せと言ってきたことはこれまで一度もなかったんです。それが急に…………」
「…………………………」
まただ。また、犬井くんは何か虚空を見つめるようにして考え事をしている。
「それがものすごい剣幕で。人数は、確か十人くらいだったと思います。父は何度も拒否しましたが、そのうち、政府の人達は実力行使もいとわないようなことを言い始めました」
「それで………………」
「はい。父と母は、妖刀を抜きました。そしたら、あの姿に変わって……」
瞬く間に十人を殺しました、と、為定くんは言った。
「でも、なんでそんなことに…………」
「たぶん、妖刀のせいだと思います」
「妖刀、の?」
「はい」
ちらりと、彼は床の間の方を見た。そこにはさっきも見た、長細い木製の箱があるだけで、他には何もない。
「おふたりは、妖刀について何かご存知でしょうか?」
「何かって言われても……」
そういえば、知らない。
わたしは花菱高校から来た小野さんに言われて、学費免除の可能性があるからとこの試験を受けたのだった。その話をしたのは一週間前なのに、もう今では、遠い昔のことのように思われる。
どうして、こんなことになっているんだろう。
わたしはただ、高校に通いたかっただけなのに。
今は自分の命が次の瞬間にあるかどうかを心配している。
「聞いたことがある」
わたしの憂いをよそに、犬井くんが為定くんの言葉に応える。
「妖刀は人を選ぶ刀だと。選ばれない人間には鞘から抜くこともかなわず、また抜けたとしても、場合によっては妖刀の魔力に飲まれてしまうと」
言って、彼は目を閉じた。
「もうここまで来たら隠す必要もないか。白状しよう。俺は、この屋敷で起きた事態についておおよその予想がついていて、この試験を受けた」
「そ、それって……。どういうこと?」
「為定くんが言っていただろう。政府の役人が十人来たと。その中のひとりは、俺の兄だ」
「……………………」
それは、いったい……。
「俺の兄は刀剣整理局で働いていた。突然殉職を知らされたときは驚いたが、兄が死ぬ直前、仕事でこの辺りに向かうことを話していたのを思い出したんだ。それで調べてみると、すぐにこの屋敷のことは分かった。政府でも存在を確認できている妖刀を三振り保有している屋敷だ、調べればすぐに分かる」
もっとも、確認できているのは存在だけらしいと彼は言った。
「兄の同僚に頼んで調べてもらったが、この家鳴屋敷にある妖刀は数こそ把握されていたが、その能力は不明瞭だ。持ち主をあのような怪物に変える刀だとは……」
「いえ、ぼくの両親が怪物になったのは、妖刀は関係していますが妖刀の能力とは無関係だと思います」
やけにはっきりと、為定くんが言う。
「昔から父によく、言い聞かされていました。妖刀は選ばれた人しか抜く事のできない刀だと。そして妖刀は意志を持ち、御しやすい人間がその手に自身を持つのを待っているとも」
「それは…………」
「時と場合によって、妖刀に選ばれない人間も妖刀を抜くことができるみたいなんです。ただし、そのときは妖刀に魂まで支配されてしまうと。妖刀が御しやすい人間を選び、支配権を奪ってしまう状態だと思います。父はそうなった人間を剣鬼と呼んでいました」
「剣鬼…………」
剣の鬼。
剣に呑まれて、鬼になった者。
「きっと父も母も、妖刀を守ろうとして抜いたんだと思います。その意志を妖刀に利用されて、今の姿になってしまったのかもしれません」
「元に……。元に戻す方法はないの?」
為定くんはただ、首を横に振った。
「そんな…………」
「剣鬼になってすぐなら分かりません。でも、半年も経っているんです。幸い、ぼくを息子だとは認識しているようで攻撃はしてきませんが、もう、話は通じなくて。守ろうとしているつもりなのかもしれませんが、ぼくが屋敷の外に出ようとすると閉じ込めてしまって」
「じゃあ、半年間ずっとここに?」
彼は俯いた。
呆然とする。あんな、元は両親とはいえ人から遠く隔たってしまったものと、半年間も……。
「それで」
犬井くんの口調はあくまで事務的だった。
「妖刀について、他に何か聞いていないか?」
「そうですね…………」
顔を上げて、為定くんは答える。
「ぼくの一族は代々妖刀を守ってきましたから、その能力を実は把握していたんです。それについてでしたら、お話しできます」
そして彼の話してくれたことによると………………。
蜘蛛女…………繭子さんという為定くんの母親が持っていた刀は銘を『
そしてもうひと振り。爬虫類男…………為定くんのお父さんで家定さんという名前の人が持っていたのが、『
「空間を、自在につなげる?」
「はい。家守定は家を守る刀で、あの妖刀が守るべきと決めた家についてだけ、空間を自在につなげることができるんです。もっと簡単に言えば、屋敷の間取りを自在に変えられると言いますか……」
じゃあ、やっぱり玄関をあけてすぐに大広間があったのはおかしかったんだ。為定くんに言われて思い出したけど、大広間にはわたしと犬井くん、それから鳳さん三人分の靴跡しか残っていなかった。もし最初からあの構造なら前を行った受験者たちの足跡も残っていないとおかしい。
きっと、最初はちゃんとした土間があったんだろう。侵入者に気づいて為定くんのお父さんが間取りを弄った結果、わたしたちが入るときには玄関と大広間がくっついていたと。
「でも、あの黒い壁は……」
「おそらく、空間が断絶したんだろう」
立ち上がり、犬井くんは障子を開ける。暗い壁がそこにはあった。
「自在に屋敷の間取りを組み替えられるんだろう? 元は廊下に繋がっていた出入り口をどこにもつながらないようにしてしまったとき、つじつまを合わせるためにこうして壁になるんじゃないか?」
「たぶん、そうだと思います」
為定くんが首肯して裏書きする。
「話によると、家守定の操作はかなり難しいんです。屋敷の間取りを組み替えるときにそうした場所ができるのは必然でしょう。それにここも――――」
と、わたしたちのいる部屋を指した。
「そういう、父のコントロールの隙をついて生まれた空間なんです」
「と、いうと?」
「さすがに父も、すべての部屋の間取りを完全にコントロールしているわけじゃないんです。妖刀に選ばれているならともかく、今は剣鬼化していますし……。父が意識して間取りを操作しているところ以外も、辻褄合わせでくっついたり離れたりしているんです。たぶん父も母も、今この部屋がどの扉と繋がっているのか把握できていないかもしれません。この部屋はぼくの部屋なので、父はしいて間取りを弄ろうとはしませんでしたから」
じゃあ、しばらく安全なのか。そりゃあ、床下収納同士がくっついて、さかさまに息子の部屋が書庫の床下収納と通じているとは考えにくいよなあ。
「ぼくもうっかり出られなくなって……。それで座布団を積んで天井になってしまった床下収納の扉を開いたら、みなさんがいたもので」
それで天井に座布団が散乱していたのか。
「あれ、ちょっと待って」
そこで重要なことを思い出す。
「妖刀って、三振りあるんだよね?」
「はい」
「じゃあ、最後の一振りは」
「ここにあります」
為定くんが指さしたのは、あの細長い木の箱だった。彼は立ち上がり、その箱を抱えて戻ってくる。
箱を開けると、そこには確かに一振りの刀があった。
そういえば糸紡も家守定も、きちんとその造りを見てはいなかった。だからわたしが妖刀の姿をよく確認したのは、これが初めてだった。
木箱に入っているのに気づかなったことからも分かる通り、わたしはこの妖刀からまるで気配を感じていない。いや、普段は物に気配なんて感じないからそれが普通なんだけど、先の二振りとは明らかに異なっている。
「この刀は、銘を『無骨丸』と言います」
刀は、黒塗りの鞘に納められていた。柄も黒く、ところどころ金の縁取りがしてあるくらいで、変わったところはなさそうに思われた。
鍔以外は。
「これは…………」
悪趣味だ。最初にそう思った。
鍔は、金の小さなしゃれこうべを模して造られていた。口元は鞘に隠れて見えないけど、たぶん、刃を噛んでいるようになっているのだろうと思われた。
こんなまがまがしい造りなのに、さっきまでの妖刀と違って気配がしないなんて…………。本当にこれは妖刀なんだろうか。
「この刀にはある武人の魂が宿っていると言われています。ただ、それ以外の情報は、ぼくは父から聞いていません。たぶん父も、詳しくは知らないかもしれません。だからこの無骨丸ではなく、家守定を抜いたんだと思います」
「なるほど」
おもむろに無骨丸を手に取って、犬井くんは抜こうと試みる。
え、いや…………!
「何してるの!?」
「抜けないな」
力を籠めても、無骨丸は鞘から抜ける様子はない。
「為定くんの話聞いてた!? もし抜けたら剣鬼ってやつになるかもしれないのにっ!」
「それはそうだが、物は試しだと思ってな」
とんでもないお試しもあったものだ。
「君も試してみるか?」
「試さないよっ!」
「だが、考えてみろ」
興奮するわたしを宥めて、犬井くんが言う。
「もともと、俺たちはこの屋敷にある妖刀を探せと言われて来たんだ。一振りでも手に入れればいいとも言われている」
「あ…………じゃあ」
「この一振りがあれば、あとの家守定と糸紡はひとまず放置でいい。あんな化け物と戦ってはいられない。ここから脱出しよう」
「でも…………」
確かに、わたしたちはそう言われた。でも、それは三振りの刀が無人の屋敷に置いてあるからだと思っていたからで、今は状況があまりに違い過ぎる。
そもそも、妖刀はこの屋敷の人達の物だったのだ。為定くんの話が正しければ、どういうわけか政府の人達がやってきて、寄越すように強要した。それに対抗するために、彼の父親と母親は妖刀を抜いて、あんな風になってしまった。
「この刀は、わたしたちが持っていっていいものじゃないよ。それに…………」
鳳さんの無事もまだ、確認できていない。
「鳳さんを置いてはいけない」
「それは、そうだが…………」
犬井くんは逡巡するが、すぐに言葉を返す。
「俺たちでどうにかできる状況じゃない。今は俺たちが脱出することを考えるんだ」
「で、でも……」
「助けを呼ぶんだよ。ここで俺たちまで死んだら、半年前の兄貴たちと同じだ。この屋敷で何が起きているか分からなくなる。それは避けないといけない。幸い、為定くんという生存者もいる。彼を連れて外に出るんだ」
その考えは、一理ある。言われてみれば、鳳さんを助けたいのは山々でも、わたしたちでどうにかできる状況じゃない。
「この状況を打開できるのは妖刀剣士だけだ。俺たちの仕事じゃない。だから――――」
言いかけて、ぐらりと、部屋が傾いた。
「え?」
くるりと、視界が反転する。
「う、うわああっ!」
三人して、もんどりうって床に倒れ伏した。急いで起き上がると、さっきまで天井になっていた床が、きちんと床として機能している。
「何が…………」
「家守定の能力を解いたんですよ!」
慌てて為定くんがわたしたちに言う。
「お姉さんたちを探せなくて、家守定で滅茶苦茶にした間取りを戻したんです! 早く逃げないと、父たちがここにやってきます!」
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