一ノ二 家鳴屋敷

 家に入る前から、なんだか嫌な気配はしていた。

 いつも家から漂ってくる、とげとげして肌を刺すような気配じゃない。そんな気配を感じたのは初めてだったから、玄関の前で少し戸惑った。

 ざわりと。

 ただ胸の奥がざらつく感覚だけがあった。

「ただいま」

 扉を開けて、家に入る。すると、むあっとむせかえるような生臭さと鉄臭さが鼻についた。

「………………な、に、これ?」

 沓脱はところどころに、べったりと赤黒い血糊が付着していた。靴箱の上に置かれていたいくつかの置物と芳香剤は、床に転がって散らばっている。

「お母さん?」

 靴を脱いで上がる。じっとりと、靴下が血だまりを踏んで濡れた。廊下を歩くたびに、足元からねちゃりと音が聞こえる。

「う………………」

 リビングに入ると、そこには地獄が広がっていた。

 バラバラになった人の手足と胴体が、転がっている。腕は四本、足も四本ある。胴体は千々に刻まれていて、全容がつかめなくなっている。

 そしてバラされた体から流れ出る血が、一面に池の水のように張っている。血は天井にもべったりと付着していて、そこから滴る血のしずくが、ぴちゃり、ぴちゃり、と音を立てている。

 ぐっしょりと血を吸って黒くなったソファの上に二人分の首が、乗っている。

 お父さんと、お母さんと。

 後ろに、気配がする。

 部屋の中よりも濃い、むあっとする血の気配。

 振り返りたかった。でも、わたしの体は言うことを聞いてくれない。こわばって、指の一本も動かない。

 早く振り向かないと。

 そうしないと。

 わたしも、殺され――――。


「う、んん…………」

 そこで目が覚めた。

 目がちかちかして、僅かに頭痛もする。体中が痛かった。

「夢…………か」

 そう、夢だ。最後の、後ろに立つ気配は現実にはなかった。

 夢だ。

 がたん、と。座席が揺れた。

 乗っていたバスが、足回りの悪い地面を走り始めたのだ。わたしが夢から覚めたのも、たぶんバスの揺れが原因だろう。

「起きたか」

 隣の人に声を掛けられる。学ランにコートを羽織った、見知らぬ人。

「もうすぐ着くらしいぞ」

「はあ、どうも」

 生返事して、窓の外を見る。外は真っ暗で、景色がよく見えなかった。右腕に巻いていた腕時計を見ると、時刻は夜の八時をとっくに過ぎていた。

 試験は九時からだったっけ。とか思いながら、ぼんやりと今までのことを思い出していた。

 事態は、わたしが思っていたよりも性急に進んだ。

 とにかく試験を受けてみようと、小野さんの提案を飲むとすぐに入試の届けを出すことになった。といっても難しいことはない。小野さんが持ってきたいくつかの書類に、適当に名前を書くだけでことは済んだ。

 試験は一週間後と言われた。場所は関東北西部。帝都からは少し離れた場所だった。そこに花菱高校があるのかと思ったけれど、小野さんいわく違うらしい。ともかく、愛知県から東京までの旅は少し難儀だった。今まで、遠出なんて修学旅行が最初で最後だったから。

 幸いだったのは、新幹線を使えたことだった。小野さんがチケットを取ってくれたのだった。いくら何でも気が利きすぎる気もしたけれど、そんなものだろうと思うことにした。

 東京駅についてからは、貸し切りのマイクロバス――つまり今乗っているバスに乗った。このバスに、受験者は全員乗るらしい。人数は全員で二十人くらいに見えたけれど、それが多いのか少ないのか分からなかった。

 高倍率という割には少ないのだろうか。合格者の定員が一人か二人なら十分高倍率ということになるけれど。

 バスに乗って一時間揺られる中で、試験の説明などはほとんどなかった。九時から始まることくらいしか教えてもらっていない。向かっている先も、これからすることも、何も説明がない。

 ぐいっと、バスがカーブを曲がるのが分かった。それが大きく減速させた曲がり方だったので、着いたんだなと直感的に思った。

 バスが止まり、みんなして降りる。降りた場所は、竹林の中のようだった。

「あ…………」

 竹林の奥に、ぼんやりと建物が見える。何か、古めかしい日本屋敷のような建物だ。いかんせん、暗くてよく見えないけれど。

 ふわっと、目の前に白いものが舞った。雪だ。そういえば今日は、ところにより雪になると言っていたっけ。雪を見ると寒さが強くなったように感じられて、コートに首を埋めた。

「これから試験の説明をします。受験者は集まってください」

 最後にバスから降りたスーツの女性が呼び掛ける。わたしたちはその声に従って集まった。

「では、よろしいでしょうか。これから花菱高校選抜入試の説明をはじめさせていただきます」

 女性の声は外でもよく通った。

「みなさんにはこれから、この林の奥に控える屋敷、家鳴やなり屋敷に向かってもらいます。そこには三振り、妖刀を用意しています」

 周囲がざわついた。驚きの理由はよく分からなかったけれど、たぶん妖刀が無人の屋敷に置かれているということに驚いたのだろうと思った。

 一応、妖刀は大事で貴重なもののはずだし、それを三振りも持ち出したのはたぶんすごいんだろう。

「妖刀の姿かたちや能力についてはお伝えいたしません。試験内容はごく単純です。その刀を一振りでも手に入れ、再びここに帰ってきた方を、合格といたします」

 そこまで言われて、ようやく事情を呑み込んだ。

 そうか、妖刀の数はそのまま合格者の数だったのか。そもそもこの選抜入試は、妖刀剣士として大成する可能性が高いことを示すための試験だと小野さんも言っていた。きっと、あの無人の屋敷から妖刀を探し出すことができる人間を、花菱高校は妖刀剣士になり得る人材と考えているんだろう。

「試験の制限時間は夜明けまでとします。そして混乱を避けるために、三人一組になって順番に屋敷に入ってもらいます。受験者は全部で二十四名ですので、八グループに分かれてもらいます」

 それじゃあ、最後のグループになった人は不利なんじゃ。あ、いや、先んじた人が探して空振りした場所は探さなくていいから、場合によっては有利になるのかな?

「一度入ったら、後はグループごとにばらばらになっても構いません。では、グループは受験番号でこちらから自動的に決定します。まず一番から三番の人、屋敷へご案内します」

 あ、普通に番号順なのか。そういえばわたしの受験番号って、二十四番だったような。

 最後か………………。

 それから十分くらいは、ひたすら他の受験生が屋敷に入っていくのを見送った。荷物はみんな、バスの中に置いていた。わたしも自分の荷物を置くために、一度バスの中に戻った。

「えっと…………」

 屋敷を探索するのに必要なものって、いったい何だろうか。とりあえず、軍手がないから代わりに手袋はコートのポケットに入れておいて、埃を防ぐマスクもないからマフラーを巻いて口元を覆っておこうと決めた。あとは? 長期戦らしいから、飴でも持っていこうかな。食べていいのか分からないけど。

 荷物を整理して再びバスの外に出ると、もう残っているグループはわたしたちのグループだけだった。わたしと、男子生徒がひとりと女子生徒がひとり。男子生徒は、さっきわたしの隣に座っていた人だった。

「君か」

 その男子生徒はポケットへ無造作に手を突っ込んだまま、こちらに近づいてくる。

「自己紹介しておこうか? 俺は犬井正志いぬいまさしだ。よろしく」

「え、えっと……」

 なんというコミュニケーション能力だ。まぶしいくらいだ。

「夜光珠鉄華です。よ、よろしくお願いします」

「ああ。それで…………」

 犬井くんはちらりと、もう一人の生徒の方を見た。ポニーテールの、白いコートを着た女子生徒だ。憮然と腕を組んで、こっちに対してそっぽを向いている。

 分かりやすい「慣れ合う気はありません」アピールだ。

「君も自己紹介してくれるとうれしいんだけど」

「する必要ないでしょ」

 棘のある声だった。

「どうせあんたたちともすぐ分かれるんだから」

「それはそうだけど……」

 と、一度同意しながら、犬井くんは何とか宥めすかした。

「呼び合うのに名前がないと不便だろう」

「……………………」

 女子生徒はようやくこちらを向く。そして不精不精という様子で、重い口を開いた。

鳳景子おおとりけいこ

「鳳さんか。俺は…………」

「犬井に、そっちが夜光珠でしょ。聞いてた」

「そっか。なら大丈夫だ」

 何が大丈夫なんだろうか。

「最終グループの三名、案内します」

 呼ばれる。ついに、か。

「いい、あんたたち」

 鳳さんは念を押すように言った。

「あたしは屋敷に入ったら勝手に行動させてもらうからね。ついてこないでよ?」

「いや、でも…………」

「いい? 文句は聞かない」

 犬井くんは何かを言いたげだったけれど、鳳さんはそれを制してぐんぐん先に進んでしまう。仕方なくわたしたちも追いかけた。

「案内はここまでとなります」

 屋敷を囲う土塀に造られた大きな門の前で、案内の女性は足を止めた。

「後は皆さんで」

「……………………」

 その説明を聞くか聞かないかの勢いで、鳳さんは足早に門をくぐってしまう。追いかけて犬井くんがくぐる。

 最後にわたしがくぐった。そのときだった…………。

「え………………?」

 ぞくりと、体中が粟立った。

「な、なに…………?」

 屋敷の中から、気配がする。

 胸の奥でざらつく、この気配は…………。

 半年前と同じだ。

 半年前、家で両親が死んでいたのを見つけた時と同じ気配が、屋敷からする。

「…………どうした、夜光珠さん?」

 わたしの異変に気付いたらしくて、犬井くんが振り返った。

「顔色が悪いぞ?」

「気配が……」

「気配?」

「ううん、なんでも、ない」

 わたしが気配を感じ取れるなんて話、初対面の人にしても仕方がない。理解してくれるのは、周子ちゃんや昭くんのように、小学校から付き合いのある人たちくらいだ。言っても混乱させるだけなら、言わない方がいい。

 気のせいかも、しれないし。

 鳳さんは気にせずぐいぐい進んで行って、玄関の引き戸をがらりと開けた。

「ん?」

 わずかに、彼女から疑問の声が上がる。

「どうした?」

 犬井くんが尋ねる。

「いや、ちょっと、変な間取りだなと思って」

 言って、土足のまま上がった。

「ちょっと君、靴は……」

「脱がなくていいでしょ。玄関前に靴なんて誰も放り出してないし、無人の廃墟なんでしょ?」

「廃墟とまでは言われてないよ」

 言いつつ、犬井くんも土足で上がる。確かに、玄関前では誰も靴を脱いでいない。

いや……。

「え、土間も上がり框もないの?」

 玄関扉を開いた先は、すぐに大広間だった。畳敷きの、広々とした空間だ。部屋を区切る襖は開かれて、奥までずっと続いている。

 確かに変な間取りというか……。後ずさりして全体を見渡しても、わたしたちが屋敷に上がろうとしているところは玄関に違いない。それなのに土間もないなんて……。

 何か妙だ、この屋敷。さっきからずっと肌に感じる嫌な気配といい、あまりいい予感がしない。

 なんだろう、これ。

 土足で上がりながら、気配の正体を探ろうとしているわたしを置いてけぼりにして、鳳さんはさっさと次の間に移ろうと障子を開いた。

「この部屋を探さないのかい?」

 当然の質問が犬井くんから出る。

「時間の無駄」

 端的に鳳さんが返す。

「こんな玄関入ってすぐの部屋、他の人がもう調べたでしょ。まさかこんなところに妖刀を隠しておくなんて思えないし。探すならできるだけ奥から、手前に戻る感じで調べる方がいい」

「そうかな?」

「そうにきま――ぶっ!」

「え?」

 突然、ひっくり返ったように鳳さんが倒れる。何かにぶつかったようで、鼻柱が赤くなっていた。

「な、なに……?」

「いったい……」

 驚いて犬井くんと一緒に駆け寄る。鳳さんは自分で体を起こして正面を見た。

「な、いったい何が……」

「これは……」

 鳳さんが開いて進もうとした障子の先を見る。

 そこには………………。

「暗い……いや、黒い?」

 そう。黒かったのだ。

 障子の奥は、一面に黒かった。先の先まで続くような、飲まれそうな闇が広がっていた。それなのに……、触れてみると壁のように固く、障子から先には進めないようになっている。

 鳳さんはこれにぶつかったのか。でもなんだろう、この壁は。

「なんで障子の先が壁なのっ!」

 怒ったように立ち上がり、苛立たしく鳳さんは暗闇の壁を蹴った。

「まあまあ、そういうこともあるよ」

「ないって! 夜光珠、あんた適当なこと言ってるでしょ!」

「あ」

 また癖で。

「しかし本当に妙な間取りだな。玄関を開けてすぐ先が大広間だと思ったら、今度は障子の先が壁か」

 腕組みをして、じっと犬井くんは考え込んだ。

「他の障子はどうなってる?」

 三人で手分けをして調べてみた。間取りは、大広間の四方を障子に囲まれている格好になっている。うち一面は位置関係からして、縁側に出る方向のはずなのだけど……。

「あれ?」

 縁側に出られるはずの方の障子を開いても、やっぱりそこには黒く、暗い壁があるだけだった。

「なにかな、これ…………」

 一枚一枚、障子を開いて確認していく。

「そっちはどう?」

 鳳さんが聞いてくる。

「こっちは駄目だな。夜光珠さんは?」

 犬井くんが答えて、わたしに尋ねる。

「こっちも……あ、待って!」

 最後の一枚を開くと、一本道の奥まで続く廊下が見えた。

 変だなあ。方向からして、絶対縁側に出るはずなのに。でも、ようやく大広間から出られそうだ。

 二人の方を向いて呼び掛ける。

「ここ、ほら……」

「…………別に、ただの壁じゃないか」

「え?」

 近づいてきた犬井くんがそう指摘した。振り返ってもう一度開け放した障子を見ると、そこはさっきまでと違って、黒い壁になっていた。

「あ、え、なんで……?」

「ちょっと!」

 鳳さんがわたしたちに呼びかける。彼女はさっき自分が倒れたのと同じ位置で、こっちに手招きをしていた。

「これ…………」

 呼ばれるままに近づいてみると、さっきまで黒い壁だったはずの障子の向こう側に、廊下が続いていた。さっき、わたしが見たのと同じ、一本道の奥まで続く廊下だ。

「どうなってるの?」

「さっきまで、黒い壁だったよね? あんたら二人とも、見てたでしょ?」

「ああ、見ていたよ。これは……」

 三人して、障子を前にして固まる。

「待って、ねえ」

 何かに思い至ったのか、鳳さんが慌てて取って返す。さっき、わたしたちが入ってきた玄関の方向だ。泥の靴跡が三足分残っているから、はっきりとどの障子から入ってきたのか分かる。

 鳳さんはそこへ急いで駆け寄ると、障子を開ける。

 障子?

 あれ、なんで…………。玄関扉は、障子じゃなかったはずじゃ……。

 開かれた障子の先は、暗い闇が続いていた。

「これは…………」

「帰れなくなった、のか?」

 三人で今度は玄関(だったはずの場所)に近づいて、確認する。そうすることに何の意味もないと分かっていても、一度は暗い壁を触らないと現実ではないような気がして。

「いったいどうなってるの、もうっ!」

「分からない。分からないが…………」

 ちらり、と廊下に続く障子を見て、犬井くんが呟く。

「とにかく先に進んだ方がいいかもしれないな。夜光珠さん。さっき俺たちを呼んだとき、奥へ続く廊下を見つけたんだよね?」

「う、うん……」

「でも俺が見たときは、ただの壁になっていた。ひょっとしたら、あの廊下に続く障子も、また壁に戻るかもしれない。そうなると面倒だし、先に進もう」

 わたしも鳳さんも、特に異存はなかった。

 廊下に出ると、大広間よりもさらに暗く、重苦しい空気が漂っていた。あの嫌な気配も、一層濃くなった。

「暗いね」

「そうだな」

 鳳さんと犬井くんは二人して、いつの間に持っていたのか懐中電灯で先を照らした。試験内容を知っていたんじゃいかと思わせるくらいの手際の良さだった。

「何で持ってるの?」

「別に」

 鳳さんは当然答えてくれない。そのまま先頭を切って歩き始めた。やっぱりわたしたちが後から追いかける形になる。

 廊下は細長い一本道で、左右にはおそらく他の部屋があるのだろう、障子がずらりと並んでいた。調べてもいいような気がしたけれど、さっきの大広間の一件があったし、鳳さんは奥の間から探すつもりらしくて、部屋には入っていかなかった。

 やがて廊下は突き当たる。ちょうどT字路のように、左右に分かれているらしかった。鳳さんはどっちに行くのかなと思っていると右の方から三人分の気配が漂ってくる。そこでそういえば、わたしたちの他にも屋敷を探索している人たちがいたことを思い出した。

 気配が近づいてくるにつれ、どたどたと足音も聞こえてくる。走っているらしい。

 あ、このままだと鳳さんに…………。

「ちょっと、ま――――」

 わたしが気がついて声をかけるより先に、鳳さんは分かれ道に差し掛かっていた。そして案の定、右から走ってきた人たちとぶつかる。

「うぶっ!」

 彼女はぶつかって派手に転げた。今日はあの人、よく何かにぶつかるなあ。

「だ、大丈夫かい? 鳳さん」

「もうっ、今日は何なのいったい!」

 近づいて彼女の無事を確認した。鳳さんにぶつかって来たのは、三人のうち先頭を走っていたひとりで、残るふたりはギリギリで足を止めていた。

「な、なんだよ、びっくりさせるなよ!」

 ふたりのうちの一人が大声で叫んだ。暗がりでぼんやりとしか見えないけど三人とも男子らしい。

「なんだよって何!? ぶつかっといてごめんなさいもないの!?」

 さすがに鳳さんも怒る。転がって尻もちをついたまま、懐中電灯を立っている二人に向けた。

 そのとき、わたしは思わずぞっとした。

 灯りに照らされたふたりの顔が、幽鬼のように青ざめて、真冬なのにぐっしょりと汗をかいていたから。

「う、うわああああっ!」

 突然の大声に肩がびくりと震える。倒れたひとりが大声を上げたのだ。

「なに? 何なのいったい!」

「殺される、殺される!」

「はあ?」

 倒れた男子の言葉は要領を得なかった。何をいったい言っているのだろうと思ってふと犬井くんの方を見ると、彼は何か思いつめたような表情でじっと虚空を睨んでいた。

「…………犬井くん?」

 彼は彼で、何を考えているのだろう。尋ねようと思って口を開こうとした、その瞬間。

「き、来た…………っ!」

 ぶつかってきた三人のうちのひとりが、声を上げる。

 同時に、分かれ道の左の方から、今まで感じたこともないどす黒い気配がゾクゾクと迫って来た。

「え?」

 そちらを見る。

 そこにはぼんやりと人影が見える。

 犬井くんがそちらに、灯りを向ける。下から上へ、足元から徐々に照らしていく。

 最初に目に入ったのは、足袋履きの足と、着物の裾。着物の合わせと柄からして、女性らしいと思われた。その推測は灯りが上に向かうにしたがって、確証に変わる。

 白い着物を着た女の人だ。

 でも、おかしい。この屋敷は、無人だったんじゃ……。着物を着た受験者なんて、見ていないし……。

 着物を着た女の人は、右手に長細いものを持っている。鈍く懐中電灯の光を反射させるそれは、日本刀だと一目で分かった。

 じゃあ、あれが妖刀なのだろうか。

 刀は見た目には平凡だったけれど、たぶんそれが妖刀だとわたしはすぐに理解する。放っている気配が、違う。というより、そもそも気配を放っているのがおかしいと言うべきか。わたしが、人以外の物体に気配を感じるなんて、今までなかったのに。あの刀はまるで人みたいに、気配を放っている。

 しかも、その気配は尋常でなく鋭い。ちょっとでもこちらに向けられれば、気配だけで斬られそうなくらいだった。

 あれが、妖刀……。

 だったら、屋敷に入ってから感じる気配は全部、妖刀のせい? いや、そうじゃない気もする。

 妖刀と同じような気配は、女性の方からもしているから。

 懐中電灯の灯りは、ついに女性の顔を捉えた。

「なっ…………!」

 驚きの声が上がる。わたしも声こそ出さなかったけれど、ぐっと喉の奥まで息を吸って、驚愕する。

 女性の頭は、蜘蛛だった。

 蜘蛛。

 八本脚の、昆虫。蜘蛛の顔が女性の顔になっているのではなくて、大きな蜘蛛一匹が、そのまま顔になっているような状態だった。

「なに、あれ…………」

 鳳さんが呟いた。

「で、でた………………!」

「ひぃ!」

 三人の男子は、硬直したように動かなくなる。

 蜘蛛頭の女性が、すっと、刀をこちらに向けた。

 瞬間。

 刀の先から、今までの比じゃないくらいにおぞましい気配が飛び出した。

 喉元にちらちらと、刃先を当てられたような感覚。

 たぶん、これが、殺気だ。

「しゃがめ!」

 犬井くんが鋭く声を発する。気配に当てられてたわたしはそれで我に返ると、ほとんど反射的に体を屈めた。

 殺気は頭上を素早く通過していく。途中、どしゅっと何かを裂く音が聞こえて、生暖かいものがわたしたちの頭上に降り注いだ。

「な、なに…………?」

 ごとりと、重い物が廊下に転がる音がする。数は、ふたつ。

 恐る恐る顔を上げると、さっきまで立っていた男子は立ちっぱなしのまま、首から上がなくなっていた。

 首から先は黒い噴水になって、ばしゃばしゃと血潮を吹いている。

 半年前に嗅いだのと同じ、生臭い臭いがした。

 わたしと鳳さんの足元に、二人の首が転がっている。

「あ、ああ………………」

 死んだのだ、二人。

 そして次は、自分たちがこうなるのだと、本能的に察した。

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