第8話 東大と官僚と中学受験
今日も優、しのぶ、卍丸の三人は、優の部屋で膝を突き合わせ、額を寄せ合い話し合い。優天下統一への会議である。
昨日は気づけば時子主催のしのぶファッションショーになってしまったわけだが、当然、しのぶは任務をあきらめたわけではない。むしろますます真剣だ。
「優様が人前でパフォーマンスをするのは苦手とおっしゃるのであれば、いたしかたございません。そちらの道はあきらめるとして、他に国会議員になる方法はどんなものがあるのでしょう?」
しのぶの問いに、卍丸がいつも通りの検索の姿勢。すぐにデータを洗い出して答えた。
「そうですな。市民活動家から転身というパターンは多く見られますが、小学生からいきなり市民活動というのも、なかなか難しいですな。そもそも活動している団体の中に、けっこう怪しいところも多いですしな。事実誤認の根拠で活動し、社会に悪影響を与えているところや、詐欺まがいのところもあるのでござる。覇道を進まんとする優殿が関わるべきではございませぬ」
とりあえず人気を取っちゃえば国会議員ぐらいなれると、昨日は黒いことを言っていたのになと優は思ったが、そこであえて突っ込みを入れることはなかった。
優がユーチューバーになって人前で何かするという、ハードルの高い作戦が回避されたことで、とりあえずの危機は去っている。そうなれば優はいつもの調子。あいかわらずおっとりのんびりと二人のやり取りをながめているだけである。
それよりも、昨日、時子から、しのぶをほめろほめろとせかされたせいか、ちょっとその気分が残っているようだ。口元に指をそえ、うーんと首をひねるしのぶの仕草を見て、ああいう顔もかわいいよなあとぼんやり考えていた。
当事者の優を放っておいたままで、会議は進む。
「小学生から準備できそうなことというと、何があるんでしょうね」
「あと国会議員の経歴で目立つパターンでいうと、官僚上がりの人がけっこう多くいますな」
「官僚ですか。財務省とか、ああいう官庁の人ですね」
「最近はあまりいませんが、官僚出身で議員になって総理大臣という人もいるようでござる」
その言葉に、しのぶがパッと顔を輝かせて食いついた。
「それですね! 華やかなルートを苦手とおっしゃる優様は、その逆の一番堅実な方法を取るしかありません!」
「しかもこのルートのいい点は、官僚になるためにはいい大学を出る、つまりしっかり勉強をして東大、官僚、議員、総理大臣という道を進むということ。これならば学生の本分を外れることもなく、時子殿もきっと喜んでくださるにちがいないのでござる」
「ちょっと待って。今、東大って言った?」
ぼんやりとしていた優だったが、聞き捨てならないキーワードにはっとした。いろいろ巻き込まれてきて、この辺りの危機察知能力は成長している。
東大。灯台ではない。東京大学。東京都文京区本郷に居を構える、言わずと知れた、日本の最高学府である。
「そうでござる。キャリア官僚と言われる、中央省庁に勤める人の出身大学で一番多いのは東大でござる。やはりここは東大を目指すのが一番の近道」
「東大って、大学の中で一番難しいんだよね」
「そうですな」
「僕、勉強そんなに自信ないよ」
「えっ」
しのぶがおどろいたような声を上げる。自分ができないだなんて人に伝えるのは恥ずかしいけれど、仕方がない。優は勉強机の上のランドセルの中から、テスト用紙を取り出した。
「これ、この間のテスト」
しのぶと卍丸は点数を見る。悪くはない。それほどよくもない。
「……まあまあ?」
「まあまあですな」
しのぶと卍丸はうなずいた。
しのぶが顔をくもらせる。しのぶは優と同じクラス、となりの席。当然、同じ授業で、同じテストを受けている。このテストはあまり難しくなかった。いや、はっきり言って簡単だった。
しのぶは里の学校で学んできた。全校で二十人ほどしかいない、小さな分校だ。転校の日、優に言った通り、三十人も生徒がいるクラスで授業を受けるなんて初めてだ。
ただ逆に、ごく少人数のクラスだったからこその、いい面もあった。ほぼ個人授業になるために、生徒それぞれに合わせた進度で勉強は進んでいた。わからないところがあっても、マンツーマンでしっかりわかるまで教えてもらえる。そういう余裕のある対応ができていたのである。
そのため勉強は各個人に最適の難度、最適の進度で進む。できる子はどんどんと難しい問題に取り組んでいた。しのぶもその一人。こちらの学校に入ってから、授業が妙に簡単だなと思っていたところなのである。
そんな授業のテストで、まあまあの得点。
ついつい表情か渋くなる。
そういえば、テストが帰ってきた時に、しのぶの得点を聞いた後、優は自分の得点は教えてくれなかった。しのぶが全てのテストで満点だったので、自分の点を言うのが恥ずかしかったのだろう。
「しのぶちゃん?」
むっつりとだまり込んでしまったしのぶに、不安になった優が呼びかける。はっと振り向くしのぶ。あわてて返事をする。
「だ、だいじょうぶですよ、優様。東大受験は何年も先です。そこまでにしっかり勉強すればいいんですよ」
そのセリフはしのぶ自身に言い聞かせるものでもあった。だがそんな言葉では、人をはげますことなんてできない。優は自信なさげに首を振る。
「うーん……。でも、中学受験する子のように、塾に行って勉強したりはしてないからなあ……。勉強量でも自信ないや」
「中学受験?」
優の言葉に、しのぶはきょとんと見つめ返した。田舎の、さらに奥の里の分校に通っていたしのぶには無縁の言葉だったからだ。
「公立の中学じゃなくて私立の中学校に行く子もいるんだよ。そういう子はたいてい塾に通っているの。友達にも何人かいるよ」
「そうなんですか?」
しのぶは優に説明してもらっても、今一つ要領を得ていない感じで返事をした。卍丸の目にくるくると検索中のマークが出る。一分ほどその状態でじっと身動きひとつしなかったが、やがておもむろに口を開いた。
「分かり申した。一通り調べてみたでござる。東大の合格者を調べてみると、中学から受験して入るであろう私立や国立大学付属の進学校の出身者が多いようですな。都立や県立のようなふつうの公立高校は、ランキングになかなか出てきておりませぬ」
「天下統一への争いは、すでに始まっていたということですね。私たちは出遅れてしまっている」
しのぶは唇をぎゅっとかみしめて、眉をひそめた。
またもや失態。天下統一と言いながら、その具体的なプランを持っていなかったことが招いた事態である。ただ言われるがままに修練を積み、意気込んできただけで、自分がまったくあまかったのだと思い知らされる。
そんなしのぶに、卍丸はなぐさめるように楽観的なトーンで返す。
「いや、そこまで悲観したものでもござらぬよ。中学受験の内容をざっと確認したのでござるが、これを勉強することが一番効率のいいものであるかどうかは、疑問に残りまする。中学以降との内容の重複が多く見られますし、後々使わなくなるような発展性のない解法を多く教えているようでござる。最終的に大学を受験する時に必要な知識が付いていればよいのですから、そこから逆算して勉強していけば、まだ十分逆転は可能でござるよ」
「そういうものでしょうか……。ただ、それでも、競争からまったく疎外されてしまっていることには不安が残ります。戦国の世に諸侯が天下を目指して争っている間に、己の藩にこもって外へ打って出ていないような感じです。それでは天下を取ることは難しい。何か、優様も、ライバルたちと競うような道を探らないといけないのでは……」
そう思い悩むしのぶ。
その時、しのぶの持っていた優のテストの束から、はらりと一枚、チラシが落ちた。
「何でしょう、これ」
「あー、それは塾に通っている友達にもらった、テストの案内だよ。塾に通ってない子も受けられるんだって。去年も誘われて受けてみたんで、今度も受けてみようかなと思って」
そのチラシには、赤い字で大きく、『小学生全国統一テスト』とあった。
「なんか全国でたくさんの小学生が受ける、一番規模の大きいテストなんだって」
「全国統一……」
しのぶの目が、その赤い字に引き込まれていく。
全国統一。言いかえれば、天下統一。
それを目指して、小学生たちが競うテスト。
しのぶはチラシをにぎりしめ立ち上がった。
「これです! ここが天下への第一歩です!」
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