第4話 天下統一始まりの日
「優殿、おはようございます」
「うわ! あ、はい、おはようございます」
寝ぼけなまこで起きてきて、階段を降りたところで卍丸にあいさつされた優は、びっくりして危うくひっくり返りそうになった。
もう三日目になるが、まだその姿には慣れない。
最初にあいさつされたとき、時子に止められ正体がわからなかった卍丸。聞くことができたのは、結局しぶしぶと時子がふたりの滞在を許した後だった。
しのぶからあいさつがあり、時子と押し問答になって、さらに時子が実家に抗議の電話をしに行っていた時。
優、しのぶ、卍丸は、応接間で待たされていた。
いや、本当は優は待つ必要がなかったのだが、かといって、自分の部屋に引っ込むような気分でもなかった。いきなりやってきた二人のことが気になって仕方がないのだ。
特に卍丸だ。ソファーに座っている鎧武者なんて、シュールすぎる。家に上がっても、いつまでも鎧甲冑を脱がないので、邪魔じゃないのかなと思っていたところ。
ちらちら見る優の視線に気がつき、卍丸自身がタネを明かしてくれた。
「ああ、すいませぬ、拙者の格好が気になるのですな。これは失礼つかまつった。ただ、拙者、これを脱ぎ捨てるにはいかないでござるよ。何を隠そう、拙者は人間ではないのでござる」
「え?」
何か今、おかしなことを聞いた。
見た目も十分おかしいのだが、まだコスプレしている変な人だと思えば、ありえなくもない。でも今、卍丸が言ったことは、ありえないことだった。
人間じゃないって?
そしたら何?
昔の武将の幽霊?
えっ、お化けなの?
優が混乱していると。
卍丸は自分の仮面に手をかけ。
ぱかんと外した。
その仮面の下を見て優はぎょっとした。
そこにあるはずの顔はなく。
真っ暗な空洞だったからだ。
「うわあああああ!」
びっくりした優は大きくのけぞって、ソファーごとひっくり返った。
「だいじょうぶですかな、優殿」
あの時と同様、ひっくり返りそうになった優を、卍丸が支えていた。
「あ、ありがと。……もう、僕、トラウマになってるんじゃないかな、あれ」
ぶつぶつとぼやくように、優は言った。
くすっと笑い声がした。振り返ると、シャワーを浴びたあとらしく、肩にバスタオルをかけたTシャツ姿のしのぶがいた。しのぶは昨日から、時子といっしょに朝のジョギングをしているらしい。
「おはようございます、優様」
体の前できれいに指先をそろえて、お辞儀をする。
「おはよう。……だってさ、お面を取ったら顔がなかったんだよ? ちっちゃい子だったら絶対泣き出してるよ」
笑われたのが恥ずかしかったので、優は言い訳をした。
「鎧武者がパワードスーツだなんて、ふつう思わないよ」
「正確には、パワーアシストスーツですな。高齢の方や力仕事をする人を補助するために、その動きを感知して、モーターの力でアシストするものは、すでに市販され始めているのでござる。拙者はNASUテクノロジーズが総力を挙げて開発し……」
「高度なAIが搭載されていて、人に装着されていないときは、自律して行動することができる……だっけ」
優は説明されたことを思い出して、言葉を引き継いだ。
「そのとおりでござる」
卍丸は「満足そうに」うなずいた。高度なAIと一言で言うけど、高度過ぎるよな、と優は思った。本当に人と話しているのと変わらない。感情を持っているようにさえ見える。
「忍びの任務を補佐するために、装着時には超人的な運動能力、戦闘能力を提供し、非装着時には、索敵、情報収集、物資運搬などの補佐的役割を提供するのが拙者なのでござる」
自分の仕事を語る口調も、どこか誇らしげだ。
「忍者の使う道具が、こんなにハイテクだなんて、思わなかった」
優はぽつりとつぶやいた。そのつぶやきに卍丸が答える。
「忍者だからこそでござるよ。そもそも忍びの心得は、使える物は何でも使う、進取の気性にあふれていましてな。今伝えられている忍者の道具の数々も、当時の先端の知識をもとに作られているのでござる。例えば、昨日、優殿としのぶ殿がいっしょに食べていた飢渇丸や兵粮丸は、当時の漢方の知識を総動員して作られておりまする。であるからして、忍者というものは、最先端の技術を取り入れてこそ、本来の姿なのでござるよ」
「ふーん。なるほど。だから今まで続いているのかあ」
しのぶが忍者だということは、最初のあいさつのあと知らされていた。護衛に来たというのはそういうことかと納得すると同時に、現代にまだ忍者がいて、目の前の女の子がそうだなんて信じられなかった。でも確かに出会った時の派手な大跳躍は、ただものではない証拠だった。
ちなみに、しのぶが忍者だということと、おばさまと呼ばれているなら母の実家はしのぶと同じ那須服部家だ、ということが優の中で結びついて、母も忍者なのだと気づいたのは、二日目の昨日のことだった。
これもまた大きな衝撃だった。自分はふつうの家に生まれ育ったと思っていたのに、まったくちがったのだから。
それがうれしいかというと、正直、優には微妙なところだった。しのぶに優様と呼ばれて持ち上げられるのも何かちがうなあと思うし、ある意味自分にも忍者の血が半分流れていることになるけれど、それで自分が特別な存在になる気もしない。
ふつうでいいんじゃないかと思う。
ただ、親戚だとか家系がどうとかは置いておいて、単純に、忍者はすごいと思う。わくわくする。しかも先端技術を取り入れたハイテク忍者となればなおさら。その辺は優も男の子なのだった。
「でも、よくこんな注文を引き受けてくれたね。だって卍丸って、特注品なんでしょう? 忍者用パワーアシストスーツなんて、量産しそうにないし」
「NASUテクノロジーズは、しのぶ殿のお父上が社長の会社でござるよ」
「えっ?」
優はしのぶの顔を見た。しのぶはちょっと照れくさそうにうなずいた。
「忍者も昔から表の家業を営んできました。ふつうに農家だった家もありますし、薬問屋として有名になった家もあります。NASUテクノロジーズは、祖父が忍術に電子工学の技術を取り入れようと作った会社で、今は父が継いでいます。卍丸のような先端技術を応用した忍具を開発しながら、その成果を転用して、今では産業ロボットや福祉関連のパワーアシストスーツ、あるいはドローン、VRなどの先端の製品を開発、販売しています」
「ふえー」
優は素直におどろいた。忍者なんて一見古臭い職業が、世の中に合わせて進歩していて、むしろ最先端を走っているなんて、本当にすごい。
そしてはたと気づいた。
「そしたら、しのぶちゃんは社長令嬢じゃないの? 僕よりよっぽどすごいじゃん!」
そう考えると、目の前のラフなTシャツにホットパンツ姿のしのぶが、ちょっと輝いて見える。もともと顔立ちはきれいだし、仕草はすごく上品だし、言葉遣いもていねいだし。これできれいに着かざったら、本物のお嬢様だ。
しかししのぶは、あくまで低姿勢だった。
「いえいえいえいえ、そんな滅相もない! 従者の分際でご主人様よりもすごいだなんて、そんなことは恐れ多くてとても。この那須服部家の力は全て栃ノ木家にお仕えするために育んできたもの。いわば栃ノ木家の力と言って過言でないのです。ですから優様、私たちの力でどうにかなることでしたら、お気になさらず何なりとお申し付けください」
うーんと優は考えこんだ。
仕える、と言われたけれども、やっぱりピンとこない。
うちはどう考えても、ふつうのサラリーマン家庭。お父さんは、会社の研究所に勤める会社員研究者。
お父さんの仕事の内容を聞いてみたことがあるけれど、聞いてもよくわからない、何かこれすごいのかなと、首をひねるような地味なものだった。とりあえずわかったのは、何かをちょびっと混ぜると物の性質が変わるので、毎日ちょっとずつ分量を変えていろいろ実験しているということだけ。
それに比べたら、NASUテクノロジーズ社のパワーアシストスーツや、AI、ドローン、VRなどは、時代の最先端を行く研究ばかり。どう考えてもしのぶちゃんの家の方がすごいように思える。
それにしのぶちゃん自身も、忍者ならではのすごい運動能力だけではなく、この歳で難しい言葉でハキハキしゃべるし、僕よりもずっと頭は良さそうだ。どう考えても、主従という感じではない。むしろ逆ではないかという気がするぐらいだ。
「やっぱり納得いかないなあ」
優がぽろりと口にすると、しのぶの顔色がすっと青ざめた。
「……何がですか?」
「しのぶちゃんが僕の従者だってこと。そんなことする必要、ないんじゃないかな」
「優様も私は必要ないとおっしゃるのですか?」
その声色の変化にびっくりして、優はしのぶの顔を見た。かたい表情で口をきゅっと引き結び、目元をうるませている。
「おばさまにも言われたのです。優様には天下を取ることなど必要ないと。優様もそうお思いですか? 私は必要ありませんか?」
表情を変えないように必死に努力している様子だったが、しのぶは今にも泣きそうな雰囲気だった。
「し、しのぶちゃん?」
「私は幼い頃から、那須服部家の末裔として恥じないような立派な忍者になろうと、日々努力してきたのです。それもこれも栃ノ木家の天下統一のお手伝いをするため。確かにおばさまはそれに反対して家を出ていってしまわれたようですが、簡単に変わらない思いこそ価値があるのだと、一生懸命修行に費やしてきました」
しのぶはずっと里で育った。里を下りて都会に来て、親戚とはいえ知らない家のお世話になるだけでも、小学生のしのぶにとっては精神的に負担の大きいおおごとだった。
そしてしのぶは、使命を果たせるりっぱな忍びになろうと、一途に努力してきた。そんなしのぶを時子は一刀両断に否定した。意地を張って張り合ってみたが、力の差も歴然だった。
たった三日だけれど、もうしのぶはいっぱいいっぱいだったのだ。
「確かに私の言葉がばかげて聞こえるだろうということは想像できます。信じられないのも無理はありません。ですが優様、私に自分の力を証明するチャンスをいただけませんか。必ずや優様のお役に立ってみせます。ぜひお願いします」
最後は床に正座をして、しのぶは深々と頭を下げた。
すがるような思い。いや、ような、ではなく、まさにすがっていたのだ。自分が役に立てる。ただ、その一点だけが、しのぶを支えるよすがだったのである。
優はそのしのぶの深刻な様子にたじろいだ。今の願いを断るなんてできないと思った。
想像するしかないのだけれど、しのぶがずっとこのために一生懸命修練を続けてきたのだろうということは、その様子からわかった。必死さから、これがしのぶにとってとても重要なことなのだということもわかった。
それを無下に断るだなんて、かわいそうだと思った。
天下統一が何のことだかわからないけれど、何か悪いことが起きるというわけでもないみたいだし、優のために働いてくれるというのだから、ここは受け入れるべきなのではないだろうか。
「うん、よくわからないけど、わかったよ。お願いします、僕を助けてください」
優の言葉に、しのぶがパッと顔を上げ、見る間にその表情をほころばせた。
「ありがとうございます!」
感極まったようで、いきなりガバッと優に抱きついた。
「ちょ、ちょ、ちょっとしのぶちゃん!」
優はどぎまぎとうろたえた。
はっと気がついたしのぶは顔を真っ赤にしてその身を離すと、頭を床にこすりつけるように平謝り。今度は別の意味で土下座である。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
しのぶの平謝りは三十分ほど続き、それを見かけたお母さんに優が何かしたのかと勘ぐられる始末だった。
しかしこうして主による承諾を得て、しのぶは優の従者として働くことになった。
天下統一の日々がここに始まったのである。
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