4-20 魔術師失格―彼方の果てへ―


「これで、終わったんだ……」

 気を失ったエノアに、出夢が【封印】の護符を貼り付けているのを見ながから、雪愛は呟いた。

「大丈夫ですか⁉」

「姉さん、しっかりしてっ!」

 雪愛達の元に、響希と施設の職員達が駆けつけてくる。

 ——響子隊長の方は、大丈夫なのかな。

 雪愛が心の中で心配していたその時だった。

 爆音が鳴り響いた――。

『キャア‼』

 女職員と子供達の悲鳴。施設を見ていた子供達の瞳に映るのは、赤色。

「な、なんで⁉ し、施設が、燃えてる……」

「なっ⁉︎」

 雪愛も片目で、施設を見る。息を呑んだ。

 なんと舞咲おひさま学園が爆発し、轟々と燃えていたのだ。

「なんで……」

 考える。きっと何者かが仕掛けたに違いない。それだけは間違いなかった。

「きっとこの施設に結界を貼ったやつの仕業だ。ある程度解除したつもりだったけど、まだ残ってたんだ」

 慌ててこっちに戻ってきた出雲が、悔しげな表情を浮かべ、燃える施設を睨んでいた。

「どうしましょう先生。私達が今すぐにでも、」

「待って、ダメです! 危険すぎます。今この火の中に突っ込んで行くなんて、誰も助かりません!」

 突然、施設の地味な女職員ともう一人の女性職員が、危機迫るように会話していた。

 出雲は何事かと会話に混じる。

「どうしたんですか?」

「それが……まだ施設に一人だけ赤ちゃんが取り残されてるんです」

「えっ!? でも数時間前に全部部屋を見て回ったんですが」

「多分、気付かなかっただけだと思います。なにせまだ産まれて十カ月の赤子ですから。私達もあの赤髪の女性が運良く、見つけ出さなかったので、このまま夜の間だけでも眠ってくれていればと安心していたのが仇になりましまた」

「分かりました。僕が助けに行きます。場所は分かりますか?」

「はい。ですが貴方は大丈夫なのですか……」

「任せて下さい。これでも火に強いんで」

 職員は出夢が言っていることが冗談か本当か分らないまま、とにかく赤子の場所っを伝える。

 そうして出夢は、火の海に飛び込んでいこうとした時。

「ね、姉さん⁉ なに?」

 突然、響希が眠っていたはずの月歌の口元に耳を寄せた。

「えっ宮田さんも中にいるの? しかも二階?」

 月歌の意識はもう無くなっていた。

「待って出夢先輩!」

「うん、雪愛?」

「私も連れてって下さい」

「それは出来ない」

「なんで? 私はまだ立てます」

 ふらつきながらも雪愛は何とか立ち上がる。その姿はボロボロ血だらけで、とてもじゃないが、役に立つようには見えなかった。

「宮田さんも中に居るらしんです! 響希君がさっき月歌ちゃんから聞いたって」

「えっ……いやなら俺が二人共連れてくる!」

「赤ちゃんの場所はどこですか?」

「一階の東側廊下奥の部屋だ」

「なら二人で行く方が効率が良いです。出夢先輩は二階の宮田さんをお願いします。私じゃ宮田さんを運べるだけの魔力マギアフォースが持つか分かりませんから。ただ瞬間的に凍結させることはギリギリ出来ると思います」

 出夢は頭の中で思考した後。

「……分かった! じゃあ……」

 そう言って出夢は、雪愛の方まで走って近づき、突然背中と太股下を持ち上げ。

「キャ、ち、ちょっと出夢先輩?」

「我慢してくれ。今はこっちの方が早いんだ!」

 雪愛をお姫様抱っこし、火の海に突っ込んで行った。


 ***


 パチ、パチパチッと激しく燃える音。時々、燃えカスになった何かが崩れた音が聞こえてくる。

 黒煙が酸素を奪い、まともに息を吸うのも危険だった。

 施設内は、尋常じゃない熱さだった。

 雪愛はエノアの『環境変化』に慣れているので、耐性があったが、出夢は汗だくになっていた。

「よし、俺はここから二階に行く。雪愛、絶対に無理はするな。魔力マギアフォースが切れそうならすぐに引き返せ。いいな」

「……出夢先輩。私が今更そんな言う事聞くと思います……?」

「……雪愛……分かったよ。もう時間が惜しい。絶対に助けてみせろ!」

「はい!」

 こうして二人は別れた。


 ***


 出夢は胸ポケットから一枚の人型の式符を取り出し、臓力オーガンフォースを流しこむ。

「――式神術――! 出てこい、水神=天后!」

 式符の中心である胴体部分に水流の渦を巻きはじめ、やがて水流は、式神を包み込むように姿形を広げていく。

 等身大にまで水を纏い、人に近い姿に形成された天后。

「俺を火から守ってくれ!」

 それに反応した天后は、挨拶代わりと言わんばかりに、塞がっていた火の道に水を吹き出し消火した。

「サンキュー! よし行くぞ!」


 ***


「ハァハァ……ハァ」

 雪愛は肩で息をし、片足を引きつらせつつ一階の東側廊下奥の部屋を目指していた。

 ガシャン! と木の柱が燃え尽きて雪愛に襲いかかる。

「――ハッ!」

 カチィイン! と雪愛が手を向けた先の炎は、一瞬で凍結する。

「ハァ……ハァ。もう……すぐ……待っててね赤ちゃん」

 一歩、一歩、確実に歩を進めると同時に、火の進行は加速していく。


 ***


「大丈夫ですか宮田さん⁉」

「ウッ……あなたは確か……」

「はい。特殊犯罪部門の神司出夢です。今すぐここから脱出します」

 そう言って出夢は宮田を背中に担いで、部屋を抜け出した。

「ありがとう……ございます……」

「いえ、月歌が……月歌お嬢様が宮田さんの場所を教えてくれたんですよ!」

「……フフ……そう、ですか……」

「はい……じゃあ行きましょう」

「お願い致します」

 出夢は火の廊下を走り抜けながら、先頭で道を作っている水を纏った式神を呼び止めた。

「天后、少しいいか?」


 ***


「ゲッホゲッホ!」

 脳が酸素不足のせいか、はなから血液が足りないのか、雪愛の左眼だけの視界は非常に悪かった。

「ここ」

 何とか東側廊下奥の部屋に辿り着いた。だがここに来るまで、予想以上に魔力マギアフォースを使わされたので、あとラスト一回が魔術の限度だった。それも大技を繰り出せる程はない。

 今はそんなこと気にしている時間もないので急いで部屋に入る。

「えっ……そん、な……」

 中は轟々と燃えていた。

 最早赤子など生きているのが不可能な程に。

 脳内で部屋を間違えたんじゃないのか、などと色々な思考が駆け巡る。

 ガタンッ! と部屋のベッドと思われる黒い物体が崩れてた。

 雪愛も同時に両膝から崩れ落ちる。

「……っ……うっ……」

 雪愛の目尻から涙が流れる。そんな時だった――

「…………ゃぁ~ゃぁ~」

「えっ――⁉」

 一瞬幻聴か何かと思い、耳を澄ます。

「……………………」

 何も聞こえてこない。やはり幻聴だったのか。

「そんな……でもっ」

 雪愛はそこで、ラスト一回分の魔力マギアフォースを耳に『身体強化』の魔術を掛けることを決めた。

 聴覚を強化し、耳を澄ます。

「…………おぎゃあおぎゃあ」

「いるっ‼」

 急いで雪愛は立ち上がり、泣き声の方へ向かう。

 だが崩れたベットより奥は、火のカーテン状態になっており、通るのは危険以外の何物でもない。

「もう使える魔力マギアフォースは……」

 無かった。

「でも!」


『だからさ―――意味なんて考えなくていい。自分がそうしたいと思ったからそうする。それが結果として誰かを守ることも傷つける事になってもいい。

 いちいち自分の中にある善悪を秤に掛けて良い事なんてないし、そもそもそんなに地球は狭くない。でもな、雪愛はきっと自分の善を信じることでしか生きれない。ならそれでいいんだよ―――ただ前を向いてれば、それでいいんだ……』


 強く前に足を踏み出し。

「自分を信じろって響子隊長は言ってくれた! だから助けない理由はない! だって……」

 手をクロスさせ、勢いよく火のカーテンに突っ込む。

「私は魔術師失格だからっ!」

 燃える髪。燃える服。燃える皮膚。

 その全てを乗り越え、境界線を――超える。

「ハァアアアアアア!」

 境界線を超えた先。

「おぎゃあおぎゃあ」

 奇跡的に燃えずにいた小さなベッドに、生後十カ月の赤子が泣きじゃくっていた。

「ハァ……ハァ……良かった。見つけた」

「おぎゃあおぎゃあ」

 雪愛は赤子に触れる。

「……っ……っ……ごめんね。こんな汚い手で。でも……っ……うっ……よく頑張ったね……」

「おぎゃあおぎゃあ」

 雪愛は泣きじゃくる赤子を抱き上げる。雪愛も同じようにボロボロと涙を流していた。柔らかい感触。少し力を入れすぎるだけで壊れてしまいそうな程に。

 小さな顔。全てのパーツが奇跡的に揃っているように感じる。

 小さな手。触ってみる。

「えっ……」

「キャッキャ」

 何故か赤子は泣き止み、嬉しそうにその小さな手で雪愛の人差し指をニギニギしていた。

「キャッキャ」

「っ……うっ……可愛い……」

 赤子は雪愛の腕の心地がいいのか、上機嫌で足を何度かバタつかせる。

「可愛いね……」

 そっと赤子の頭を撫でた。薄くサラサラな髪。

 その時――赤子が雪愛をジッと不思議そうに見つめていた。

「あっ……」

 もう一度頭を優しく撫であげ。

「ウフフッ……響子隊長……滅多にありましたよ……」

 ガシャン! と窓ガラスが何処かで崩れた音がした。

 雪愛は火のカーテンを見やる。

「でも、どうしよっか……ねぇ君……そういえば君の名前なんて言うのかな?」

 服には何もついてない。そこで小さなベッドに書いてないか、見てみる。

「あっ……これかな?」

 小さなネームプレートと思われるその場所に、平仮名で『つづる』と書かれていた。

「つづる……珍しい名前だね……」

 そこで雪愛は今まで我慢していたのか、たまらずにつづるの頬にすりすりし始めた。

「むぎゅぅ……可愛いぃ……怖かったわよね……もう大丈夫……だから……だから……ね……ウフフ……フフフ……っ……」

 微笑んでいるはずなのに、その瞳から涙が止まらない。

 ――ずっと怖かったの私だ。

「ねぇつーちゃん……」

 ――あなたが私を助けてくれたの?

「ねぇつーちゃん……」

 ――どうかな……

「キャッキャ」


 ……私が――ママじゃダメかな


「………………まーまーまーまー」

 目を大きく見開く。口元を震わせ。

「うっ……ん」

 瞳には大粒の涙が。

「うっ……うっあああああ。あぁああああんぅううんん」

 雪愛が泣きじゃくり、つづるは嬉しそうに笑っていた。

「……私があなたを大切に育てます……だから私、あなたのママになって、頑張るから……魔術師も辞めて、働く……それでもいい?」

「まーまーまーまー。キャッキャ」

 何度も何度も頬を摺り寄せる雪愛。流れる涙は、つづるの頬にぼたぼたと流れていく。

 それは死に際にあった奇跡の出逢いか。

 だが二人の運命を変える出逢いであったことに違いはないのかもしれない……。


 ***


 数分後、火のカーテンは突如、消火された。

「えっ?」

 雪愛達を助けてくれた者。

「あなたもしかして……出夢先輩の式神?」

 水を纏った等身大の水神=天后がそこにいた。

『天后、今から一階の東側廊下奥の部屋に向かってくれ。俺は宮田さんをとにかく外に逃がす。俺も後からすぐに戻るから。と主は私に指示を出しました』

「あなた喋れるの?」

『はい。主には内緒ですよ』

「ウフフ……面白いわね、つーちゃん」

『では外に出ますよ』

「うん、よろしくね、式神さん」

『水神=天后です』

「キャッキャ」


 ***


「私、この子を育てます!」

「おいおい、正気か雪愛?」

「良いですよね先生?」

「は、はぁ……まぁ、手続きや審査がありますが……それが通れば大丈夫です」


 無事に雪愛と出夢が救出に成功してすぐ、魔術機関の連中が、舞咲おひさま学園に駆けつけ、消火活動、一般人に対して記憶の処理、改竄に勤しんでいた頃。

 雪愛が助けた赤子をいきなり引き取るという事態に、しどろもどしている出夢と女職員。

 拘束されたエノア・アトレアが、魔術機関の者によって連行されようとしていた。

「おい、雪愛。あれって……」

 出夢が正門辺りを指差している。

「なんですか……はい?」

「いやさっきまであそこに女の子が……」

「そんなのいないじゃないですか」

「そうなんだけど……おかしいなぁ……」

「もう、馬鹿だね~この人、ね~つーちゃん」

「キャッキャ」


 ***


 夜も深くなった頃。

 人気のない夜道を制服姿の女子高生は歩く。

 この時間帯に一人で女子高生が歩くのは、些か危険だろう。まだ警察に見つかれば、補導で済まされるので幸運な方だが、変な輩に捕まれば最悪の事態も考えられる。

 当然、両親が心配するはずなのだが、少女に両親は――いない。

 それに女子高生の人差し指と中指に挟む棒状は、じりじりと葉が燃え、紫煙をくゆらせている。

 危険なのは、どちらか。

「エノア・アトレア……火焔の魔女……フッ」

 不気味に頬を釣り上げる少女。僅かだが大気中の魔気エーテルが歪んだ。

「手前のツラは覚えたぞ……」

 少女は星の海を眺める。

 深く吸い込んだ煙を形の良い唇からふぅーと吹き出す。

 届きそうで決して届かない星に煙は……そっと霧散していく……。

 やがて夜は更けていく……。

 遠く、深く、静かに……彼方の果てへ。

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