4-19 約束
「な、な、なんで貴方がここに……⁉」
花枝は脅えたように声を震わせ、信じられないと瞬きを何度も繰り返す。
そこには漆黒の鱗が目立つ巨大蛇の上に、老婆が立っていたのだ。
老婆の姿は、清潔感のある白髪を後ろで纏め、外套には、黒のトレンチコートの前を締めたスタイリッシュなスタイル。美形の中に、歳と共に垂れた目元と口元、額に刻まれた皺から長寿の貫禄が伺える。
足元には金の装飾が所々に施された黒革のブーツを履いており、耳元には最高級のダイヤモンドピアス。
その姿はロンドン貴族の紳士に負けず劣らずの品格を漂わせた――皇恵子の姿だった。
「自分の所有地にいちゃ悪いかい?」
恵子はイタズラに笑みを浮かべる。
「な、なんで『毒蛇』がいるのッツ⁉」
今の現状を認めたくないのか、花枝は強く叫んだ。
「ヒッヒッヒッ」
花枝は何故恵子が笑っているのか分からない。いや、分かりたくなかったのだ。
少し前まで天階位の『天八位:元老』の位階に登り詰めた熟練魔術師であり、その魔術名は『毒蛇』。
名の通り決して綺麗なものでもない。故に花枝が今から迎えてしまう結末もとても美しいものではなく。
「あ、貴方は魔術機関に行っていたはずでしょ⁉ それにリアーナの迎えにだって、」
花枝はハッとなってつい動揺のせいか、普段なら絶対にしない余計な事まで口滑らせてしまう。
「ヒッヒッヒッ……そうかいそうかい。名や顔、姿、形を変えても自分の娘の名くらいは覚えてくれていたか」
「娘のことなんて今はどうでもいいわ!」
「そうかっかしなさんな。お前さんは気付いているかどうか分らんが、リアーナはもう覚悟しておったぞ」
「へっ……何、言ってるの?」
花枝は口ではそう言いながらも、徐々に頭の中でその意味を理解し始めていた。
「リアーナは賢い奴よな。お前さんがどれ程に召霊術で取り繕おうが、とっくに気付き初めておったわい」
「……そう……フ、フフフッ……だからって今更なに⁉ もうあと一歩の所まで来たの! 邪魔しないで頂戴!」
花枝は残った左腕を前に伸ばし、大気中の
グチャチャ! と再び生々しい音と共に、自身の右足が巨大な黒蛇に噛み千切らていた。
「ぁ……ぁッヅ……イヤァァアアアアアア‼」
絶叫が夜の森中で木霊する。
シャーと唸る蛇は、満足そうに自身の口元が血で汚れているのを、細い二枚舌で舐め拭き取っていた。
「もういいぞ毒蛇。ご苦労さん」
恵子が蛇の頭を撫でる。次の瞬間には、巨大な蛇は漆黒の鱗が目立つ『杖』に変貌していった。
そう恵子がいつ時も離さず持っている黒い杖の正体は、独自に
通称【蛇杖】。その杖の元は、猛毒蛇を魔術で強化し、召霊術との組み合わせから作られている。よって
恵子は人間術の後継者でありながらその能力を開花出来なかった故に、魔術と召霊術の
コン、コンと杖を鳴らしながら花枝に近づいてくる恵子。
「そろそろ
白髪が揺れる。地面に野垂れる花枝をギロリと老婆の垂れた目が見開くように見ている。意識が朧げな花枝は、恐怖で意識が覚醒する。
「ヒイッ⁉」
ゴツンと蛇杖で花枝の頭部を小突く。
「イッ……」
「術師たる故、お前さんの行動に否定はせん。じゃがの、力量を履き違えると溺れるのは手前の方さ。だから後悔するなら、自身の勘が鈍っていた事を」
「だみゃれ! うりゅさいッ‼」
叫び、口からも吐血を漏らす花枝。
花枝を中心に、血の水溜りが出来はじめている。今となっては出血量が上回り後の祭りだが、花枝の全身には解毒出来ない程の毒が蔓延していた。そのせいで徐々に呂律も上手く機能しなくなっている。
「まだ回りきっておらんかったか。まぁ時期に大人しくなる。黙って老い耄れの説教でも地獄に持って
「*@☆■ッ‼」
花枝は必死に叫ぶも、徐々に抵抗する力も無くなり地面に倒れ伏せた。
「この老い耄れを皇邸から引き離したまでは良かったの。あと火焔の魔女と共闘したのもな。じゃがな正希を取り入れようとしたのは間違いじゃったの。あ奴は何事にも執着せんからの。余計に怪しかったわい。ま、裏切りは何を言っても裏切りじゃからの。お前さんの欲求が私の大切な者を沢山奪った。ええ、どうじゃ、その欲求が解放されない気持ちってのは」
恵子は森の木々から見える夜空を見上げ、語る。
「魔術師なんてことを初めて五十何年か経ったか……。別にの、大切な者を失うのは、今に始まった訳じゃありんさ。今までも数え切れない程あったからの、懐かしの夫もな。ヒッヒッヒッ。それでもな、どれだけ心を無にしようが感情は消えんからの……。それが人間じゃ……。神様も人間様もそれは同じでの、いつだって何かをする時、決意する時ってのは、情が動くから身体が動くんじゃよ。無からは何も動かんさ。だからお前さんも……」
「………………」
恵子は動かなくなった花枝を見やる。
花枝の意識――否。その心臓は止まっていた。
「ちと長話過ぎたかの……。ヒッヒッヒッ……毒蛇」
夜の森。暗闇の中に差し込む月明かり。
その月明かりに反射する漆黒の鱗。
細く二枚に割れた舌。人を咀嚼するには十分な大きさの顎。
闇の中、生々しく咀嚼音と不気味な掠れ笑いだけが木霊していた。
「こんな時だってのにお月様は、相変わらず眩しいのお……ヒッヒッヒッ……」
***
「クッ……フッ……フフフ……フハハハハハハハハハ……」
エノアは嗤った。今度こそ、今度こそ、神はあたしに微笑んだのだと。
初めて死を覚悟したばかりだった。本当にもう命は無くなるのだと、あれは恐怖だったのかと、今になって気付く。
「だがあたしの勝ちだァァア! アハハハハハハハハハハ‼」
「ウッ……ァアアアア」
地面にのたうち回る月歌。
今の月歌は、大気中の
それは何故か、術師には二つの特徴がある。
一つ目は体内の
これも術によって使用する
二つ目は外部からの摂取、触媒など、何かしら外から
そして月歌の
これを通称 《
「ゥアアア……アッ……アッァアアアアアア!」
狂ったように叫ぶ月歌。
その時だった――
パリンッ! と月歌の掛ける赤渕メガネの右レンズが粉々に割れた。
「アッ………………」
月歌は急速に落ち着きを取り戻し、即座に意識が落ちた。
やがて焼けた野原は舞咲おひさま学園に戻り、月歌を纏っていた着物も消えていた。
そして緑雷を纏っていた剣――
「あたしも馬鹿だったな……すぐに考えれば理解出来たはずだだろ。二つの神の力を行使するなんてどう考えても
エノアの言葉はどこか余裕を感じる。もう自分は勝者になる以外の選択肢がない故か。
「自滅してくれてありがとう。でも神話術の新たな可能性を見せてもらったよ。その名は覚えておこう。ツキカ・スメラギ」
両腕を無くしたエノアは右足に
ぶわっと火を纏った。人を焼き殺すことくらいは造作も無かった。
そのまま持ち上げた右足を月歌にぶつける。
その時、エノアは左足を誰かに引っ張られる感触がした。
「やめ、てぇ……」
エノアの左足を必死に引っ張るのは、雪愛だった。
「お前……」
エノアの額に青筋が浮かぶ。今にも血管がはち切れそうなほど怒りに満ちていた。
「またあたしの邪魔するのかァァア⁉」
対象をすぐさま雪愛に切り替え、炎を纏った右足で、腹部を蹴り飛ばした。
「キャア⁉」
地面をゴロゴロと転がっていく雪愛。黒コートの腹部は焦げ、肌がさらけ出している。
「先にお前を殺してやる」
休むことなくエノアは走り出した。両脚に炎を纏い地面を蹴る。宙で姿勢を整え、雪愛を焼き殺す。
「死ねぇぇぇええええええええええええ!」
刹那――
エノアの真横を高速で遮る黒い影が走った。
雪愛はそこで自身の身体が誰かに抱き上げられていることに気付く。
「循環する陰と陽
乖離する魂と魄
五の臓が魔の気と吸着し―――解放
混沌に太極あり、これ両儀を生ず
両義は四象を生じ、八卦を束ね、万物は流転する
――――――
それは約束を果たしにきた男の姿だった。
「出夢……先……輩ィ……」
ボロボロと雪愛の目尻から涙がこぼれていく。
「――六神凶封――ッツ‼」
空振りに終わったエノアは再び、攻撃に移ろうとして気付く。
「
「大人しく観念しろ火焔の魔女」
六つの門が具現化する。
舞咲おひさま学園に貼られた六枚の護符。
出夢が一度は貼ろうとして五枚しか貼れなかった、結界内の全ての力を封印する護符術。
十二天将の内、『凶将』と呼ばれる《騰蛇》《朱雀》《勾陳》《玄武》《白虎》《天空》の六神の力を使う最強の封印術式。
「いくら火焔の魔女と云え、力を失った俺には叶わない。大人しく投降しろ」
「ダレガァア!」
動揺したエノアは狂ったように出夢に走り出す。
雪愛を抱きかかえた出夢は囁く。
「やれるか雪愛」
コクリと雪愛は頷いた。
雪愛は右手を伸ばし、エノアに向ける。出夢はタイミングを見計らい。
「解」
瞬間――
六つの門を解除した。
「――――凍結せよ――」
刹那――
カチィイイン! と甲高い音が響く。
氷欠片が宙を舞い、光を反射させる。その中心には、怒りと焦りが入り混じった表情のエノアが完全凍結していた――。
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