4-18 神話術師


「……フ……クッ……」

 エノアが血を吐きながら起き上がったのだ。

 右腕の義手はもげており、電子ケーブルが滅茶苦茶に垂れ下がっていた。ドレスはあちこちが破け、白い肌が剝き出しになっている。

 その姿は、満身創痍とでもいうのか。だがエノアの表情にはそういった情は無かった。それは怨念か。執念か。

 月歌はこの時、エノア・アトレアという人物を本当の意味で脅威に感じた。

「氷……雪……」

 のろのろと雪愛に向かって歩き出すエノア。

 残った左掌に火焔の花を咲かせる。

「……殺す……殺す……コロス……コロス……コロス」

 エノアの瞳は散瞳していた。その視界には眠っている雪愛しか入っていない。

 エノアは左腕を軽く引いた――。

「あたしの……勝ちだ」

 月歌は無意識に赤渕メガネに触れて、何かに気付く。

「あっ……」

 月歌はコートの胸ポケットに手を突っ込む。

 手に触れるは小さな『鉄屑』。

 ――けど、これは……今の私には耐えられない……でも……。

 月歌はぎゅと『鉄屑』を強く握り締めた。

 ――雪愛さんが……身を犠牲にして……目の前でまた……私は……。


『月歌……生きろ』

 ――おとうさん

『月歌……あなただけは……どうか生きて』

 ――おかあさん


『そろそろ皇邸ウチに戻ってきたらどうじゃ』

 ――お婆ちゃん


『姉―さーん。早く早く‼』

 ――響希


『月歌様、お帰りなさいませ』

 ――宮田さん


『お誕生日おめでとう月歌』

 ――お父さん


『君の名を教えて欲しい…………月歌……綺麗な名前だ』

 ――お母さん


 鉛のように重くなった身体。締め付けられる心臓。

 奥歯を嚙み締め、握りしめた『鉄屑』。


「――神覚情報、起動

 ……アマテラス大御神オオミカミ……須佐之男命スサノオノミコト……

 ……櫛名田比売クシナダヒメ……八岐大蛇ヤマタノオロチ……あめのむらくものつるぎ……

 ―――分析牽引、開始

 ……小碓おうすのみこと……焼ケル野原……

 ……燃エル火種……昇華スル火花……

 ……土ト埃……血ト涙……大声ト悲鳴……

 ……驚愕……不安……恐怖……

 ……ソコニ希望ノ光ハ――無イ

 ……ソコニ在ルノハタダ――絶望ダケ

 ――――運動随意性、統御

 ……火ヲ打チ……草ヲ薙ギ払ウ……

 ……九死ニ一生ヲ得……ヤガテ海底ニ沈ム……

 ――――――――同調……完了」

 紡いでいたのは、神の導き。

「―――脳力ブレインフォース―――解放」

 脳の血管が悲鳴をあげる。

「――神話――顕現――」

 頭部から生温い血が垂れてくる。

「――日本武尊ヤマトタケルノミコト――」


 ***


 口元を腕で拭いながら正希は何気なく、夫婦の日常会話のように話し始める。

「……六年前と言えば確か君がメガネを付け始めた年だったね。メガネは?」

「月歌にあげた……そうそう、丁度聞きたかったんだ。月歌の誕生日プレゼントに聖遺物をやったのは、花枝の作戦か、それとも純粋な祝いの気持ちか?」

「…………花枝の作戦だ」

「フッ……少しは父親らしく言い訳でもしてみせろ」

「本来、神話術に聖遺物は要らない、と聞いている。だが神話術そのものが未知の領域であって知られていない事が殆どなのが現状。そこに花枝は氷雪と火焔をぶつけるにあたって月歌の存在を最も嫌悪していた。火焔に対して今の月歌ならもしかしたら……とだから」

「万が一の時には、で自滅させようとした」

「ああ。生死の窮地に追い詰められれば、誰だって神に頼ろうと、すがりつこうとする。未だ神話術は二つ以上の力を扱う者は、世界中の事務管理部門ですら確認が取れていない」

「そんなの知られていないだけで隠している輩くらいいるだろ」

「そうかも知れないな。でもそれは如何に脳力ブレインフォースの血管解放数に恵まれ存在の神、その子ですら不可能な領域である可能性が高いと私は踏んでいる。神とは互いを相容れぬ存在であるが故に神なのだと。

 それに大抵の術師は、生まれて最初に使う術は、決まって両親や育ての親が良く使う魔術、陰陽術、錬金術というのも原因なのかもしれない」

「珍しく饒舌だな。死ぬのが怖くでもなったか? フッ、今日だけで夫の知らない顔をたくさん知れたよ。こういう状況だからってのが一番の皮肉だがな」

「そう、かもしれないな……」

「ま、こういう状況に乗じて今から私が今までずっとお前に隠していた秘密を暴露してやるよ」

「え?」

「何だと思う?」

「……見当がつかないな……」

「フフッ……もしかして不倫かと思った?」

「…………」

「何か一言くらい言えよ。さっきの饒舌は何処にいった」

「……ふむ、もしそうであっても私はそれを妻に問い詰める責任はない」

「どうせ本当でも責めないクセに。残念。正解は――ってことだ」

「……? どういう意味だ」

「あの子はね、私が魔術を教える前から……いいや、ずっとそれ以前の災害時から、神話術を無意識的に行使して自らの命を守っていた神の童そのものなんだよ」

「なっ……」

 正希はあまりの衝撃に絶句する。

「なら月歌は一般者の子じゃないのか……」

「さあね」


 ***


 スパッツ‼

 鋭音の後、緑の閃光が走った。

 夜空を背景に左手首が宙を舞う。掌には火炎の花が咲いていた。

「アァァァアアアアアアアアアアア‼」

 エノアは金切り声で叫ぶ。その悲鳴には悲痛と怒りが混じっていた。ギロリと散瞳した瞳で、邪魔者を視た。

「ハッ⁉」

 生き呑む。

 そこには白い着物姿の少女が一人。皇 月歌だった。

 右手には緑雷を纏った剣を握っている。月歌の周囲は、蛍の光が揺れるように散乱していた。

「な――っ⁉」

 エノアは驚愕した。

 パチパチと破裂音が鳴る。焼けた匂い。誰かの大声。悲鳴。

 かつて牛耳っていたイーストセントルイスのスラム街の絶望に近くて、もっとも遠い地獄。

 舞咲おひさま学園だった背景は、焼けた野原になっていた。

「二つの神を……貴様……化け物か」

「フッ」

 月歌は別人のように微小する。蛍と共に肩は小さく揺れていた。

 それは地獄にある――幻想か。エノアは迂闊にも、着物姿の月歌がとても美しく綺麗だと感じてしまった。

「もう……終わりにしましょう」

 落ち着いた声音。その優し気な声は何処か儚げで、着物姿とよく調和している。

「……あ……ぁ……」

 エノアの戦意は消失していた。だってこれが、これが……。

「……神の童……神話術師」

 月歌は緑雷を纏った剣を刀のように逆手から一閃する。

 スパッツ‼

 エノアの左腕を斬る。

 ボタッと地面に落ちる片腕。その無駄のない斬撃は、全ての組織細胞すらも殺してしまう。

 よって血など出ない。痛みすらもない。

 今後、フォースを通させない為。魔道具であれ接続不能の断絶。

 今後、悪さをさせない為。それは神の裁き。

「あ……」

 エノアが次に視たのは、自身の眉間に鋭利な刃先があることだった。

 死ぬのか――エノアが人生で初めて覚悟したその瞬間だった。

「コホッ‼」

 吐血した月歌の血がエノアの顔面に掛かった。

 月歌はその場で頭を抱えるように倒れた。

「イッ! イッヅアァアァアアアアアアアアアアアア‼」

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