4-17 禁術
高度百キロメートル上空。
天には広大な宇宙が広がり、オーロラも見える。
カーマン・ラインと呼ばれる熱圏で、二人の神が浮かんでいた。
一人は巨大化した青炎の化身の中心に包まれている――エノア。
対するは全身を雷霆の鎧を纏っている天空の支配者――月歌
その二神が――激突する。
青炎の化身は目にも止まらぬ速さで月歌に殴りかかった。月歌はそれを雷霆の蹴りで弾き飛ばす。
次々とやってくる化身の連続攻撃。
月歌は雷霆を最小限に抑えて対応していた。
「おらおら! どうしたどうしたぁ⁉」
「ッ……」
その攻撃に耐えられず、月歌は雷霆を強化させ、放出させた。空間に激しい雷が横に薙ぎ払うように広がる。
「ハッ! 無駄無駄ァアア‼」
狂笑を浮かべたエノア。化身はその雷霆を食し、パワーアップしていく。
アグニ――かつて空中では電光となってみせた火神。
ゼウスの雷霆は、運悪く火神の大好物となってしまう。
それは神の気まぐれか。天上の運命か。それとも単に術師の血管解放数か。
「死ねッツ!」
化身が蓄えた力を解放するかのように、口から豪炎を吐き出した。
「っ⁉」
月歌は耐え切れず、地面に叩きつけられるように落ちていく。
――このままじゃ、何か。でもこれ以上雷霆は……。
何とか上空十キロメートル手前で雷霆をコントロールさせ、直撃落下を防ぐ月歌。
しかしエノアはそれを見逃さない。
高度からもうスピードで降下してきた青炎の化身が月歌を地面に殴り飛ばした。
「グッアッ!」
背中を強打した月歌の口から大量の吐血が飛び散る。
「月歌ちゃんッ⁉」
雷霆の鎧が無ければ、身体が粉々に粉砕していただろう。
「フハハハハハハハ! どうしたぁ? 所詮全知全能もそんな程度か。それとも単に使いこなせていないのかぁ?」
青炎の化身を纏うエノアが余裕の表情で降りてくる。
――まずい……何か、これ以外の……何か、何か……。
「月歌ちゃん! 月歌ちゃん! 大丈夫!」
走ってきた雪愛が月歌によりかかる。ボロボロになっても自分と雪愛の雷霆の鎧は、消えていない。だが月歌の瞳は、焦点があっていなかった。
それ見た雪愛は、また涙がこぼれそうになるのを抑えるように目元を拭った。
「予想外の出来事に言葉も出ないってか。チッ、そろそろ潮時だな」
エノアがケリをつけようとする前に、月歌を庇うように雪愛が立ちふさがった。
震える足を何とか地面にこすりつけて。
「今更お前に要は無い。どけ。後で殺してやる」
「何が……天階位よ……」
――そんなのあっても仲間一人守れないで……何が、先輩よ。
「あぁ?」
俯き、我慢していた涙がポツポツと頬を伝う。
「何が……氷雪の魔女よ……」
――そんなのあっても大切な妹一人守れないで……何が、姉よ。
「私は……こんな自分が……情けないッ!」
「己の実力の無さを嘆くのは勝手だが、一人でやれ」
「黙れ」
「あ?」
雪愛は奥歯をギシリと嚙み締め前を向く。
「……ん?」
エノアはその姿に異変を覚える。
自分を見開くように睨む雪愛の瞳は、燃えるように赤く濡れていた……。
「忘れないで。ここは私の
***
花枝は正希に渡されたメモに従い、皇家の術斎の前に辿り着こうとしていた。
そこは洋館の裏手にある森の地下に存在するらしい。
「よくもこんな森中に、分かる訳ないじゃない……」
文句のように独りごちりながらも、その声音は少し高揚していた。
ザクザクと落ち葉を踏む音もお宝が目の前に迫っているせいか、徐々にそのペースは早まっていく。
「メモだとちょうどこの辺に石造の板があるらしいけど……土か何かで隠しているのかしら」
花枝は焦りと興奮が入り混じった、歯痒い気持ちで視力を『強化』する。夜間の真っ暗な森であろうと、強化された瞳には、赤外線を通したように視界が晴れるので、探すのに苦労はしないはずだ。
それに陰陽術の護符がなくても、術師であれば微かな
そんな高揚感が昂っていたせいか、『蛇』がくねくねと花枝の周囲まで近づいてきている事に、気付くのが数十秒遅れた。
白い何かが反射した。
刹那――
「え」
ブチッゴキッ! と生々しい音と共に花枝の右腕が噛み千切られていた。
「イ、イッ……イッヤァアアアアア!」
花枝は自身の右腕が無くなり、接続部からぼたぼたと血を流すの見て、気が狂うように泣き叫んだ。
「ヒッヒッヒッ……」
森の中で不気味な掠れ笑いが反響する。
「だ、誰っ……⁉」
花枝は咄嗟に辺りを見渡すも、何も見当たらない。
「ヒッヒッヒッ……」
「誰⁉ 出てきなさいッ!」
張り詰めた声で叫ぶ花枝。
シュルシュルと何かが這う気味の悪い音が聞こえ。
「待ちくたびれわい……のお……」
月明かりに照らされた一人の老婆が、巨大な黒蛇の上に立っていた。
「
***
月歌は意識を失った訳ではなかった。
ただ視界が朦朧としていた。何とか意識を集中させて視界を安定させる。
そして視界がハッキリとしてきた時、月歌は見えてきた世界に驚いた。
「えっ……」
しんしんと降り積もるは、『赤』色の雪だった。
白一面の雪が降り積もるのを『
その紅世界で立つ者が二人いる。
一人は青炎の化身――エノア。
そしてもう一人は、全身のあらゆる穴から血を吹き出し、血だらけ姿になった――雪愛。
普段のフワフワにカールさせたライトブラウン色の髪は、血塗られ赤黒くべっとりしている。
――雪愛さん……もしかして。
魔術師にとって自身の
しかしその術には、術後に何らかの後遺症として現れる。それは身体の一部麻痺から脳死まで、あらゆる後遺障害というリスクを背負い、身体に負荷をかける魔術。
其れ故に禁術。魔術師にとっては未熟者の証、究極の自己犠牲、自殺行為とも言われる。
それを――
「
と言う――。
直後――ダンッ! と力強く足を踏む音が鳴る。
赤雪は密集し、雪崩を引き起こしながら、青炎の化身に襲い掛かかった。
「無駄だ」
エノアは化身の青炎を揺らめかせ、いつものように雪崩を浄化していく。
「なっ……⁉」
しかし雪崩は浄化することなく、青炎の化身を簡単に飲み込んでいった。
暫くの沈黙。
ぶわっと陽炎が波状する。熱の波が赤雪を溶かし、青炎の化身が消えたエノアが現れる。
今は青炎を身に纏っているだけだ。
「神代に触れるだと……」
明らかに動揺した表情を浮かべるエノアは、雪愛を鋭い目付きで睨んだ。
エノアが動揺するのも無理は無い。いくら魔術師の禁術と言えど、所詮魔術の領域。これが魔術戦ならば背水の陣として十分だ。
だがエノアが行使するは神代の力――神話術であり魔術が介入する余地はない……はずだった。
――じゃあ今の氷雪は何なのだ。
エノアは必死になって思考を張り巡らせるも、心当たりは思いつかなかった……。
「まさか――」
そこで一つ、信じたくない思考がエノアの脳内に介入してくる。
渇いた喉を潤そうとゴクリと唾を呑んだ。
そして赤煙を全身から焚き散らし、眼や鼻、口から流血する雪愛を見て。
「魔術の『質』を神代に引き上げているのか……お前」
「あなたと話すことはないわ」
雪愛は左腕を払った。雪面の赤雪が空に浮き上がり、槍を形成していく。それは一本、二本、十、五十、百と数を増やしていく。
「千ノ赤雹槍――ッ‼」
空間を支配する千の槍がエノア一人に向けられ、発射。
「クッ……アグニ――ッツ‼」
エノアは咄嗟に神の名を叫ぶ。それに呼応するかのように再度、青炎の化身がエノアに纏わりつく。
青炎の化身は、千の槍に対抗すべく、口から溢れんばかりの青炎を百八十度に放射していく。
浄化はされないが、威力を失い霧散する赤雹槍。だが数の規模で押し切っていく。
「ケッホッ……」
吐血する雪愛。雪面に落ちた血は雪を溶かす。
エノアを見やる。その視界は赤く滲んで、もう既に右目は視えない。
雪愛はもう限界だった。意識が途切れ途切れになっている。気を抜けば即座に終わってしまう。それ程までにオーバーヒートは、危険な自己犠牲なのである。
追い詰めるエノアに最後の気力を振り絞り、追い打ちをかける。
千ノ赤雹槍を操作する左腕とは逆に、右腕を空に突き上げた。
エノアが立っている雪面が振動し始める。
「っ……⁉」
対応に追われるエノアは、振動を感じていたがそれどころではなかった。
刹那――
赤い雪面は、突起するよう盛り上がり、エノアを高度に持ち上げ……青炎の化身丸ごと飲み込んだ。
最後にぎゅと右拳を握る。
飲み込んだ雪の塊は、エノアを握り潰すように搾り上げた。
静寂が空間を支配する。
ガタンと雪愛は雪面に倒れる。意識はそこで落ちた。尋常じゃない出血量だった。
これがオーバーヒートの代償。その代償は、その後にも影響を及ぼす可能性が高い。でも雪愛は闘った。
それは五年前の自分とケリをつける為か、否。仲間を、家族を守る為に闘った。氷雪の魔女らしい理由だったと月歌は思った。
瞬間――
空間が歪む。地形が変動する。
ぐにゃりと外側の圧力に捻じ曲げられた『環境変化』は、消えていく。
そして月歌達の景色は『紅世界』から一変、元の舞咲おひさま学園に戻っていた。
小さなグラウンドで倒れる三人の女。
雪愛は眠り、遠くでボロボロになった姿のエノアも倒れている。
月歌も意識が遠のいていく。
制御するのが難しく、普段は使わない
そう思った時だった。
何かがピクリと動いた気配がしたのだ。
――嘘……⁉
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