4-12 JKと蛇と魔眼(下)
リアーナは一瞬で場の空気が、緊張感で塗り替えられたように感じた。
白道院は数秒間、表情一つ変えず恵子を見つめ。
「……それはまた、どういう意味でしょうか?」
冷静に疑問を伺うように答えた。
「今回の宮下夫妻の件について、勿論お前さんも我が娘達から推測死因まで報告を受けているじゃろう」
「ええ。もちろん。ミスリアーナにとって耳が痛い話ですが失礼。肉体どころか骨一つ残らない焼死、異常死の可能性があると報告を受けておりますが」
「NY支部の報告での、火焔の魔女が
「えっ?」
白道院は本当に驚いたように眉をピクつかせた。
「それは本当に?」
「ああ。リアーナの件について手続きの連絡をしている時に
少し黙って白道院は、顎に手をついて思考する素振りを見せた。
「……そうですか。火焔の魔女が……。で、恵子さんは火焔の魔女が今回の事件に関わっていると?」
「さて、そこまでは分からん。じゃがな火焔の魔女は例の件より五年、別人に見違えるほどに素行が更生された。以前の彼女なら音信不通になる事も可能性としてあるじゃろう。だが現在の彼女が突然そうなるってのは、随分と嫌な予感がするのは私だけか?」
「……なるほど」
そう言って白道院はカップの把手を軽く撫でた。
「それでこの私が氷雪を再起させようと仕向けた。と言いたいのですね」
「ほう……心当たりでもあるのかい?」
「いえ、とんでもない。確かに氷雪は東京支部の中でも数少ない天階位持ちという貴重な人材です。ですが、だからといってそんな手荒なマネをするようなことは決して」
「もう五年じゃ……お前さんもそろそろ痺れを切らせてくる頃合いかと思うての」
「確かに、そんな事は一つも思わない、というのは嘘になります。それはお孫さんの神童にも同じことが言えます。勿論、神童は六月一杯で精鋭部門に復帰させる予定ですが、氷雪に至っては精神状態に、最大限の考慮をしているつもりですが」
そこで恵子は口を閉ざした。所長室に一時の静寂が訪れる。
傍で佇んでいたブロンドの女は、白道院の空いたカップに紅茶を注ぐ。
湯気の立った紅茶に唇を触れさせた白道院は、カップを持ちながら尋ねる。
「もし仮にですが、火焔の魔女が宮下夫妻の件に関わっている可能性があるとして、何故ミスリアーナを同じNY支部に?」
「そこは安心せい。火焔の魔女は除名処分じゃからな」
「えっ⁉ 本当ですかそれは⁉」
白道院は今までにないくらい驚いた様子で机に手を置いた。同時にブロンドの女が、一瞬だけ肩をビクつかせたのを恵子は見逃さなかった。
「火焔の魔女については、元々素行の悪さが目立つ魔術師だったのはおまえさんも知っておろう」
「はい。ですがその頭一つ抜けた彼女の才能を買ったNY支部は、諸々の不祥事にも目を瞑っていたと聞きます。勿論、彼女は凶悪犯罪事件には最も適した人材ですし、何よりも」
「天階位持ちの実力は、他国の牽制に最も有効な手段になるからの。だからNY支部は彼女を見放すことだけは、決してしなかった」
「あの……」
そこでリアーナは細々と口を開く。白道院と恵子は、突然喋り出したリアーナを見た。
「その火焔の魔女って人、強いんですか?」
間の抜けた質問に白道院は、気が抜けたのか毅然とした態度を取り戻し答える。
「そうですね。彼女――火焔の魔女は、世界でもトップクラスに入る実力を持っていると言われています。才能は勿論、折り紙つきなのですが、火焔の魔女になり得る理由は何よりも彼女自身の常軌を逸脱した飢え――狂気そのものがその実力に大きく影響しているのです」
「そうですか……なら両親を殺したのは、多分その人です」
「「?」」
リアーナのあまりにも唐突な発言に、二人は目を丸くした。
「リアーナよ……何故そう思うんじゃ」
「別に、大した理由なんて。ただそんなに強くて凶暴性があるならそういう事もあるんじゃないかと思ったから……」
二人は自分の両親の死をこうも淡々と喋り終えて俯くリアーナを見て、大方同じ思いを抱いていただろう。
――この子は既に魔術師として生きていくだけの器がある、と。
「ヒッヒッヒ。そうかい。ま、どの道そればっかりは本人のみぞ知る答えじゃからの。一般社会のように犯罪を暴くのとは訳が違うからの……」
そうしてリアーナの処遇についての話し合いは幾重にも逸れながら、互いの合意の元、落ち着きの方向を見せた。
***
辺りはもうすっかり暗闇に包まれている。
リアーナは恵子と共にタクシーに乗って宮下家へと送ってもらい、玄関前で軽く挨拶をしていた頃。
「あの……今日はありがとう……ございました」
「ヒッヒッヒ。いいんじゃよ、別に」
カラカラと恵子は笑う。
「それよりもお前さん……術師の世界なぞごめんじゃなかったのかい?」
「ああ……それもそうなんですけど。今日初めて両親の職場に行って、何人かの職員達にも声を掛けられました。そこで自分が今まで両親の気持ちとか全然理解しようとしてなかったんだなあって。勝手に否定するのは楽だからいいんですけど、どうせなら自分の目で確かめるくらい別にいいかなって」
「…………若いのは成長が早くてついていけんのう」
「それに……NYに住んでみたいのは本当だし、もっと世界を見て回って自分のやりたい事とか、両親がやりたかった事とか、色々考えてみようと思う」
我ながら少し真面目振り過ぎたか、と思ったリアーナは、ポケットからラッキーストライクを取り出し銜え、火を付けた。
「ヒッヒッヒ。生意気言いよって……ところでのお、リアーナよ」
「うん?」
「魔術は嫌いか?」
唐突な恵子の質問にリアーナは、一度煙を吸って自分のタイミングで冷静に答える。
「嫌い」
「そうかい。じゃあ母親は好きか?」
「えっ?」
これまた突然な話だ。
「……別に……ただ……魔術とかのせいで見たくないモノを見た気がする。だから自分の目で確かめたいんだ」
「ヒッヒッヒッ……なら、最初から腹は決まっておろう、ということかい。立ち話してすまんの……何分老い耄れの醍醐味みたいなもんじゃ、それじゃあこの辺で」
「あ、あのっ!」
「なんじゃ」
「最後に一つだけ。その、どうして他人の私にここまでしてくれたの? 恵子さんってきっと魔術師の中で凄い偉い人なんでしょ?」
恵子はいたずらな笑みを浮かべた。
「ヒッ、これも単に老い耄れの気まぐれさ。後は……将来のお前さんにちと賭けてみようとな」
「将来の私……って」
「ヒッヒッヒ。それはお前さんにしか分からねえ答えだ」
そう述べた後、恵子の姿は無くなっていた。そして何故か道端の歩道には、珍しく黒い蛇が這っている。
フッと笑いが漏れる。最初から何もかも見透かされていたのか、と。
「……食えねぇ婆さんだ」
そう独り言ちたリアーナは、紫煙を深く肺に吸い込み、夜空を見上げていた。
***
「で、真偽の方はどうでしたか、エナ」
白道院は恵子とリアーナが去ってすぐ、ブロンドの女――エナの額に手を置いていた。
「は、はい……」
エナは白い頬を朱に染めあげ、口元をぎゅと結ぶ。
白道院はそっと額から手をスライドさせ左眼の眼帯に触れた。
眼帯を覆い隠すように伸びた前髪をかきあげ、そっと眼帯の紐を解いた。
「やはり、黒か……」
眼帯で覆っていたエナの左眼に写るのは、ただ『黒』一色だった。
そこに『白』は無い。在るのは深淵に吸い込まれそうな、闇。
「恐らく、最初の質問の段階でこの眼が反応しました」
この世にはあらゆる術師が存在する。
それは世界的に認識されている者もあれば、そうでない者も含めて。そしてエナもまたその一人に過ぎない。万物のあらゆる真贋を見抜く眼を持つ者。
【真贋の魔眼】通称=魔眼術師、魔眼持ち、魔眼使いとも呼ぶ。
「最初から、か。食えないご老体だ」
世界各地には、こう云った魔眼を持って産まれてくる者達、一族がいる。
「そうですか……やはり、あの娘の何かを隠しているということですか」
白道院はそっと自身の右眼辺りを摩った。
「ところでエナ。あなたが持つその
「えっ……それは……」
もじもじと言いにくそうに口ごもるエナ。ピンク色の整った唇を食む。
「停滞と彷徨……です」
「それはそれは……流石、良い眼をお持ちですね。確かに、術師間和平条約が結ばれて七十年以上の時が経った現在、平和という名に最も相応しい言葉は停滞と」
「……」
白道院は手を後ろに組みながらゆっくりとエナの周囲を歩く。
「それはあなたを利用しようとした世界が証明していると」
「……」
「お見事。私があなたを
では今の彼らに必要なのは、目的、使命感というところでしょうか」
白道院はそっとエナの細く白い首筋をそっと撫でた。
ブロンドの髪が揺れる。
「……あっ」
エナは羞恥で頬を紅潮させる。
「ええ……言わずとも分かっていますよエナ。あなた達一族には、真の平和なぞ無かったのだと」
追い打ちをかけるようにエナの耳元で艶めくように囁く。
「故に必要なのは、理解――即ち神秘の塗り替えだ、と」
「……はい」
「結構……あなたの願いはきっと叶うでしょう。では来たる時に備え今すぐNY支部の潜入者に連絡を。宮下・リアーナも観察対象下に置いて下さい」
白道院はエナの耳元に優しく息を吹きかけた。
「……うっ……ぅ……かしこまりました」
エナは急いで眼帯を付け直し、一礼して所長室を去る。
「ククッ……」
一人きりの所長室で、不気味な嗤いが静かに木霊する。
「まあ今の所は……只の傍観者として見守るとさせて頂きましょう。ねえ、火焔の魔女」
蠟燭の明かりに照らされた黄緑色の右眼が、燦然と輝いていた。
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