4-4 陰陽術師の護符術

 

 夜道を一人、走る。

 と言っても一般者の走行と比べてはイケない。

 足元に薄緑色の光を照らす月歌は、本部から皇邸まで、徒歩で約四十分かかる道のりを滑走していた。月歌は交通手段として電車やバスしか選択肢がない。

 だがそんな一般者の乗り物なぞに乗って移動するほど、ちんたらしてはいられなかった。

 それでも月歌の焦る気持ちは、次第に大きくなっていく。

 例えそれが四十分かかる道のりが、十五分に短縮されても変わらかった。

 まだ舞咲市にすら入っていない。

 ちらっと国道沿いの電子掲示板に表示される時間を見やり、決意する。

 ――もう仕方ない、よね。

 月歌は進路を急遽変更し、近くにあったビルの壁と壁の間を蹴り、屋上に駆け上っていく。

 視界に広がる夜の景色。

 暗闇の中にポツポツと人間の営みが垣間見える。

 遠くには舞咲市。

 東に見えるのは、ライトアップされた舞咲大橋。

 西には巨大な建物ショッピングモール、舞咲スカイハイが壮大に聳え立つ。

 ビルの屋上には、強い夜風が吹き抜ける。

 ふぅーと呼吸を整え、目を瞑る。

 深く深く、精神を研ぎ澄ましていく。

 すぐに足元に照らされていた薄緑色の光は――色を失った。

 月歌の耳には、風の音すらも消え失せる……。

 前髪は夜風に掻き上げられ、靡く。

 そっと、地面に手を付け、に吸い寄せ。

「…………神覚情報……起動―――」

 そうして数秒後。

 暗闇の上空には、不可思議な紫電が駆け抜けるように迸っていた。


 ***


 現在時刻は、午後二〇時。

 出夢は舞咲おひさま学園近くに単車を止め、すぐさま施設全体の結界状況を探る。以前と変わらず、外側に一つと内側の一部分に何重も仕掛けられていた。

 だが出夢はそれとは別に嫌な予感が、胸の裡で疼いていた。

 いくら児童養護施設とはいえ、この時間に明かりが一つも点いておらず、人の営みすら感じられない。

 ――まずいな。とにかく急ごう。

 そのまま正門前から侵入することはぜずに、一度迂回して施設裏に回る。

「よし……やるか」

 出夢は胸ポケットから取り出した白い和紙を、柵に貼り付けた。縦の長さは約十五センチほど。

 それを【解呪の護符】という。

 二〇三八年である現代の護符は、神社などで扱われる交通安全や安産祈願などの御守り、というのが一般者では通例である。

 しかし陰陽術師の護符術は、臓力オーガンフォースで編み上げ、作られたこの長方形の和紙を使用する。

 本来は、守護や悪霊、結界に特化するように事前に詞を筆で書き込み使用するのだが、【解呪の護符】は、術師の詞を吸い取る為、敢えて白紙のまま使用する。

 出夢はそっと眼を閉じ、精神を落ち着け、魔気エーテルを臓に吸い寄せていく。

 魔気エーテル血管から解放させた臓力オーガンフォースを和紙へと流し込んでいき、意識を同化させる。

 それと同時に出夢の脳内には、複雑に編まれた糸が見えてきた。

 一本一本、糸のもつれを解いていく。

 やがて貼り付けた解呪の護符に、黒文字が自動書記されていく。

「解」

 出夢は瞼をあげ、額の汗を拭った。

 一息つく暇も無く、そのまま柵をよじ登り、裏手の小さな庭に侵入する。

 辺りには、職員と子供達が協力して作ったと思われるトマトが菜園されていた。

 目の前には扉が一つだけあったが、やはりそこにも結界が仕掛けられていた。

 ――どこまで徹底的に守ってやがるんだ。城かここは。

 軽く舌打ちした出夢は、先程同様に解呪の護符を使用して、ようやく中に侵入した頃には、約十五分が経過していた。

 廊下を歩いていく。不気味な静けさ。

 各部屋には明かりどころか人影や声一つも無い。子供達や他の職員すらも見当たらない。

 だが感じる。どこかからか漂ってくる、濃密な魔気エーテルと死臭。

 出夢は自身の足音を出来るだけ立てないようにしているものの、あまりにも静寂すぎて意味をなさない気がしていた。

 そうして食堂や広間などを見回ったが、人っ子一人見つけることは出来なかった。

 二階の子供達の各部屋を除いても同じだった。

 だがラスト一つ。

 二階の最奥にある部屋から濃密な魔気エーテルと死臭の残滓を強く感じた。

 ――ここか。

 すぐに扉横で壁に身体を寄せ、意識を部屋に集中させる。結界が五重に張られていた。

 それを同じ要領で解除していった。この時点でもう既に一時間は経過しようとしていた。

 やっとのことで結界を解除し終えた出夢は、周囲の気配は感じないことを確認し、スライド式の扉をさっと開けた。

「なっ―――⁉」

 それは――『赤』だった。

 簡素なベッドに血の飛沫が飛び散っている。

 続いて鼻を突くような血生臭さが乾燥し、強い異臭を放っている。

 近くにあった机には、術師と思われる実験道具や書籍、資料が散見している。

 出夢はそこでベッド床に記された魔法陣に気が付く。

 ――同調の術式だ。童男殺しチルドレンマーダーってのは、本当みたいだな。でも……変だ。

 そう、まだ出夢は施設の人達がいる場所を見つけられていない。

 だがこの部屋で間違いない、と出夢の経験からくる勘が訴えている。

 胸ポケットからもう一枚の護符を取り出す。

 先ほどの白紙の護符とは違い、今取り出した護符には墨で【真探】と書かれている。出夢は即座に臓力オーガンフォースを流し込んだ。

 すると護符は、出夢の手を離れ、ふわふわと宙を舞い始める。

 移動する護符は、やがて近くの書棚にぶつかってを繰り返す。

 書棚は天井まで伸びる高さで、本がびっしりと敷き詰められていた。

 どれもこれも術師に関する資料ばかりだ。

「ビンゴ」

 出夢は護符を解除し、フォースを切り替える。

 両腕には、【体物強化魔術】の『身体強化』である薄緑色の光が灯り始めた。

 そして素の力じゃ押すのにも一苦労するはずの本棚は、簡単に横にずれた。

 そこには石扉が設置されていた。

「あった……」

 出夢はほんの一瞬だけ、安堵した。のも束の間。

「チッ」

 その石扉に魔法陣が描かれているのを見て、つい舌打ちが零れてしまう。

 どうやら【真探】の護符は、この魔法陣に込められたフォースに導かれたようだ。

魔力マギアロックか……めんどくさいな」

 勿論、手で押しただけで石扉が開く訳もない。

 出夢は仕方なく、胸ポケットから予備の【解呪の護符】を取り出した。

 先程出夢がやってのけたのは、『結界』の解除であって、お互い術者が陰陽術師なので解除もそれなりに経験を積めば可能なのだ。

 だが魔力マギアロックは、術師によって個性が違うのが殆どであり、内部構造を読み取るのが非常に複雑で面倒であった。

 その為、魔力マギアロックは結界よりも範囲が限定的になり、多くのフォースを吸い取られながら、維持しなければならないのがデメリット。

 だが出夢は、魔力マギアロックが掛かってあるこの場所こそが真の当たりだと踏んでいた。

 解呪の護符を石扉に抑えるように貼り付け、臓力オーガンフォースを流し込んでいく。

 その時だった――。

 部屋の外側から、高速の火弾が出夢目掛けて撃ち込まれていた。

「なっ―――⁉」

 出夢は火弾を反射的に両腕で受け止めるも、その勢いを殺せずにそのまま窓を突き破って外に放り出された。

 二階から落ちる出夢は、両脚にも【体物強化魔術】の『身体強化』を循環させ、着地する。

 自分が落ちたであろう二階の窓を見やる。

 硝子の窓は粉々に砕け散っていた。そして人影。

 出夢はそこで自分を襲った者の正体を見た。

 そこには、赤い髪を伸ばし、漆黒のドレスに身を包んだ女が狂気えみを浮かべていた。

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