4-3 欺瞞と本音
二人の通話が途絶えて、八分が経った。
とにかく互いの情報を交換しあった頃、雪愛はずっと肩を震わせていた。
「隊長……私は皇邸に行きます!」
「待て待て、焦るな――? おい、というか神司はまだか?」
「……確か飲み物買ってくるって……」
そこで雪愛の震える声が、室内で木霊する。
「…………出夢先輩は、きっと……戻ってきません……」
***
250CC並列2気筒の単車は、ヴルルルルルルルルッと、舌を巻き、喉を鳴らしたようなエンジン音で国道沿いを駆け抜ける。
メタルブラックとレッドのラインが斜めに塗装されたタンクには、【KANASAKI】のロゴマークが目立つ。
フルフェイスを被った出夢は、車の間を縫うようにして抜かして行く。
だが帰宅時間のせいか、前方で車の列が見えた。
―――チッ。こんな時に限って渋滞か。
急遽、裏道に切り替え、舞咲おひさま学園を目指す。
出夢の脳裏には、雪愛の怯える表情が焼き付いていた。いつだったか、雪愛が特殊犯罪部門にやってきた頃は、常に無表情で偶にああやって何かに怯える時があった。
だが一緒に任務をこなし、時を過ごすことによって彼女の表情には、色が戻っていったはずなのに……。
――火焔の魔女……なんだって今更……ったく大人しくしてろってんだ。
抜け道を使い渋滞を超えた出夢は、再びマフラーを震わせる。
舞咲大橋を加速しながら駆け抜ける光の
昨日は、舞咲海岸から二人で見た虹の橋。
出夢の心はもう既に決まっていた。
「死ぬのか……俺」
しかしこれ以上、子供達の犠牲者は出て欲しくない、そう思った。
今更ながら欺瞞なのかもしれない。
自分の関わっていない所なら決して助け出したりしないのかもしれない。
いや、しないだろう。
幸福の代償は、地獄なくして成り立たない。
自分の幸福の隣には、常に地獄があって、それを見て見ぬふりをして生きる。
そんなのは、術師の世界でなくても当然の理。
当たり前だ。当たり前だろ。そうやってずっと自分に言い聞かせてきたはずなのに……。
――惚れた女の為か……結構ダセェな俺。
きっと自分は、彼女にずっと笑顔でいて欲しかっただけなのかもしれない。
きっと自分は、彼女にずっと怒っていて欲しかっただけなのかもしれない。
きっと自分は、彼女の――あんなに怯えた顔が見たくないだけなのだろう。
きっと自分は、彼女を守りたくて、子供達が守りたい訳では無いのかもしれない。
でも、子供達を守って彼女が喜ぶなら……それで良かった。
それだけで、命を賭ける理由なんて、はぐれ術師だった自分には、十分なのかもしれない。
――皆……すまない……勝手なことして……でもこれは、これが――俺の生き方なんだ――。
***
「ったく、あの馬鹿野郎が! 終わって生きてたら必ずブッ殺してやる……」
響子はイラつくように、頭をボリボリ掻きむしった。
「隊長……皇邸が、宮田さん達が危険です。私は皇邸に向かいます」
「お前も落ち着け月歌……少しは冷静になれ!」
「私は至って冷静です!」
「冷静じゃないだろ、じゃあなんで皇邸が占拠されたか答えてみろ!」
「えっ……それは……すいません」
「いいか月歌……連中は、恐らく同時に仕掛けに来てる……」
「私達を分断させる……ということでしょうか」
「ああ。火焔の魔女と
「それでも……時は一刻を争います。例え組織だろうと……」
「壊滅させるだけの戦いならそれでいい……でも今回は守らなければいけない戦いなんだ」
「あっ――」
ふぅ……と大きく溜息を吐いて響子は、震える雪愛の肩にそっと触れた。
「済まない雪愛……私達は、これから業務命令に背くことになる。だから……雪愛がここを守っていてくれ」
「っ――」
雪愛はびくりと身体を震わせ、驚きの眼差しを響子に向けた。
「大丈夫……神司の馬鹿は私が必ず連れて帰る……それに、響希と田中さんや施設の子供達……どれだけ救えるかは、保証出来ないがな」
「響子……隊長……私……私のせい、ですよね……響希君と子供達や使用人さんが……」
響子は座り込む雪愛をそっと抱きしめ、耳元で優し気な声で囁く。
「あっ――」
「何も――気にしなくていいから。それに連中は、どうやら皇家にもご執心な様子だ。そいつらは、
雪愛の瞳から一筋の涙が流れる。
「任せて下さい雪愛さん。行って来ます隊長!」
月歌は最後に微笑を残し、すぐさま部屋を出ていった。
「さて、私も行きますかー」
首をバキバキと鳴らし、響子も部屋を出ようと扉に手を掛けた。
「響子隊長――‼」
「どうした?」
雪愛は立ち上がり、これまでにない真剣な面持ちで響子を見る。
「私のお願い、聞いてもらっていいですか」
雪愛の張りつめた声は、夜の部屋に良く響いた。
***
皇邸。二階の大廊下にて。時刻は午後十九時半。
宮田
館内は妙な静けさに包まれ、停電時のような暗闇に支配されている。
不味いことになってしまった――と宮田は、額から流れる血を真っ白なハンカチで拭う。
白に滲む赤は、じわじわと陣地を広げていく……正に現在の状況と似ていた。
――田中が響希お坊ちゃまを探しに出掛け、数時間が経って連絡が途絶えた辺りから様子がおかしい。いや、敵は最初から恵子様が珍しく居ないのを狙っての襲撃か。
すぐ洋館にも異変が生じた。
外側に張られている結界が、いつの間にか別の結界に塗り替えられているのだ。この時点で、敵に凄腕の陰陽術師がいるのだろうと分かる。
幸い皇邸の使用人は、数人を除いて殆どが魔術、陰陽、錬金術師の家系生まれであって嗜む程度の心得はある。
宮田が皇邸の使用人として勤めること二十一年。過去にもこの様な状況は、少なからず幾度もあった。魔術の一流家系であればそういう事も日常茶飯事だ。
恵子が当主の時代から皇家を傍で見てきた者として、今回もすぐさま対応して終わらせるだけだった。
しかし、
他の使用人達は、館内にそれぞれ配置しているが先程、大広間の方から数人の悲鳴、叫喚が聞こえてきた。
唇をギュっと嚙み締めることしか出来ない自分が情けない。
たが、今は自身が出来る事を全うするだけだった。
とにかく当主に逸早くこの状況を伝えなければと、ポケットに閉まってあるスマートフォンを取り出す。
画面越しの明かりが眩しく感じる程に暗いのか、落ちた目尻を更に細めた。
待ち受け画面には、現在よりも随分と若々しい宮田本人とその隣には、十二歳の月歌がタンポポの綿毛を吹いている。
宮田の大切な想い出の一つだ。
スマートフォンの写真アルバムには、月歌の成長記録が分かる程に月歌の写真で殆ど埋め尽くされているのは、誰にも言っていない。
また宮田は誰にも気付かれていないと自負しているが、月歌以外全員その事は知っている。
月歌の事になるとつい感傷に浸ってしまうクセのある宮田だが、今はそれどころでは無い。
慌てて響子に電話をするも、こんな時に限って話し中だった。
もう一度かけてみたが同じだった。
ではどうするか、すぐさま月歌の顔が浮かんだ。
すぐさま連絡帳の最上位にあるお気に入り登録済みの月歌にワンコールする。月歌だけは、専用の壁紙が設定されており、十歳の頃だと思われる。
月歌が中学生時代の頃は、月歌隠れファンクラブがあったとか。
それも幼少期の笑顔を零す月歌は、プレミアが付くほど貴重である(宮田調べ)。
『――もしもし、月歌です』
電話越しの月歌の可愛らしい声は、宮田の耳に、心に、身体中に染み渡るようだ……すぐさま感傷に浸ってしまいそうだったが、まずは手短に要件だけを伝えていく。
そんな時だった。
――刹那、先までいた場所の石像が粉砕し、外壁が抉れるように貫通していた。
瓦礫がポロポロと重力に従い落下していく。
――闇属性使い……黒に精通している類か。
『えっ――⁉ 宮田さん⁉』
「結界が、破られ、何者かに侵入されました。月歌様の方で何かご存知でしょうか」
『……――た――――だ―――』
たった今の現象で、大気中の
「あらあら、こんな所にいたのね……使用人さん」
しっとりとした柔和な女の声。女は焦らず大廊下をゆっくりと歩みよってくる。
栗色の髪を編み込むように一つに束ね、豊満な胸元辺りにまで垂らしている。
女は包容力に包まれた聖母のような表情で微笑む。ただその瞳の奥底にあるのは、聖母などの光ではなく、魔術師の
「これまた随分と物騒な輩ですこと」
宮田はスマートフォンを切り、
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