4-5 使用人の涙
ドガンッ! と闇色の魔力弾が、大廊下の壁や床を幾度も抉っていく。
まるでそれは呪いの弾丸――呪術とでもいうのか。
だがこれはれっきとした【属性魔術】の一つ。闇の属性を利用した魔術だった。
宮田は薄緑色の光を全身に照らしながら器用に回避し、手元のナイフに
同時に『物体強化』が行使されたナイフの刀身が、赤光に包まれる。
「フッ!」
スパッツと鋭い斬撃が空を切り裂くのみで、避けた女の栗色の毛先が微かに切れた。
「あらあら、もう年齢もそこそこなのに、随分とお転婆さんなんですね」
女は整った口元を隠すように嘲笑する。
「いえ、お転婆なのは不法侵入者のあなたの方でしょう」
宮田はナイフを器用に握り直し、再度、地面を蹴った。
強化されたナイフの切っ先は、女の眉間を穿つ勢いで接近する。
切っ先が女の眉間に触れる。
女の眉間から薄っすら一筋の血が流れた。しかし、ナイフが眉間を穿つことは無かった。
どういう訳か、ナイフはカチカチと軽く振動し、後に停止した。
「なっ―――⁉」
宮田は気付く。
女は、ナイフのエッジを人差し指と中指で挟むようにして止めている事に。
「あら、私、少しあなたのこと見誤ってたみたい。少し刺さってしまったわ……」
女は、器用に舌を動かし、ぺろりと流血を舐めた。
「やっぱり自分でもダメじゃない……」
女は悲哀に満ちた声で囁いた。
瞬間、パキンとナイフが硝子のように砕けた。
そして女は、宮田の髪を握りしめ、無造作に床へ叩き付ける。
ドゴンッと床にクレーターが出来る。
女はすかさず宮田の髪を引っ張るよう持ち上げた。足は宙を浮いている。
「ゴホッ……ゴホッ……」
宮田のオデコが抉れ、黒汚れした顔面に流がれる血は、枝分かれしている。
「不味そうな血ね……やはり年寄りはダメだわ――っ⁉」
途端、宮田は身体を捻り、宙で回し蹴りを女の脇腹に叩き込む。
女は反射的に宮田の髪から手を放し、姿勢をブリッジのようにして避ける。
宮田の渾身の回し蹴りは、空振りに終わった。それを女は見逃さない。
すぐさま起き上がり着地する宮田の軸足を掴み、そのまま地面に叩き付けた。
再び廊下の床が抉れる。
「ウッ……ッ」
女は宮田の首を細指で握りしめる。
宮田の意識は既に朦朧としていたが、ただそれだけなら幾らでも対処のしようがあった。だが女の薄緑色の光に包まれた握力は、今やコンクリート壁すらも握り潰せる。
女の手を必死に剥がそうとするも、びくりともしない。
宮田の意識が――遠のいていく。
そして同時に命の終わりが――近づいていく。
「さぁ、そろそろ答えて。皇響子の術斎は何処にあるの?」
「……シッ…ラ……ヴァ……」
「あらそう、残念……知らないのなら仕方ないわよね……あなたは、悪くないわ……えぇ……」
女は朗笑するように、握力を強める。
気道には一ミリも酸素が入ってこない。
「………ヴッ……ツ……キ……サ」
痛々しく喉を振り絞ったのが最後。
死に際の宮田には、無念だけが残った。
――申し訳ございません当主……。
闘志が消え落ちた目尻には、薄っすらと涙が滲む。
女の細指に張り巡らされた
「………ウッ……ア……ア……ッ」
宮田は眼を見開き、消え入るような呻き声が漏れ出る。
――
女は棒読みで「さようならー」と告げる。
その瞳は、興味を失くしたように曇っていた。
女の爪が宮田の首に強く、深く食い込んでいく。
宮田の口元から唾液が垂れていく。
カチ、カチカチ……カチカチ
「……ん?」
女が微かな違和感を抱いた。
その時だった―――大廊下にある窓が、ガタガタガタと大きく震えた。
女の意識は、一瞬だけ宮田から逸れた。
次に、館内全体が大きく振動するように震えた。
何かが、くる――女はそう予感した。
刹那―――窓が。
パリンッ――‼ と喧しい音が大廊下に響き渡る。
音の次には、女の手元まで紫電が迸っていた。
ふいに女の姿が消えた。
正確には消えたというよりも、宮田の目には見えない速さで、女が大廊下の壁に蹴り飛ばされ、そのまま外に放り出されていた。
宮田はこの時――幻を見ていたのかもしれない。
それは蜃気楼か、走馬灯か。
それとも神が直接与えてくれた、褒美か。
「―――宮田さんッ!」
ほら聞こえてくる、宮田の耳に染み付いて離れない大好きな可愛らしい声が。
そして自分の瞳には、敬愛する “月歌 ”の顔が見えたから。
息を呑むとは、このことか……宮田はもう既に息を殆どしていなかったが、そう実感した。いやしていなかったからこそ、より強く実感した。
「間に合った! しっかりして宮田さんッ‼」
月歌の叫ぶ声。宮田の鼓膜に浸透するように染み渡っていく。
そこで酸素が宮田の気道を噎せ返らせた。
「良かった……もう大丈夫だからね……」
月歌は安堵の笑みを浮かべた。
電撃を纏った今の月歌は、宮田にはどこか神々しさすらも感じて見えた。
それは宮田の贔屓目か、真実なのかは置いといて。
月歌にお姫様抱っこされた宮田は、ただ黙りながらうんうん、と嚙み締めるように頷く。
その瞳から静かに一筋の涙が流れていた。
***
「お前――」
出夢は、赤髪の女を見やる。
いつでも戦闘態勢に移れるように『身体強化』を解かずに警戒を続ける。
赤髪の女はそのままひょいと二階から飛び降りてくる。普通の者なら怪我をしてもおかしくない高さだ。だが赤髪の女は決して一般者の類ではないのだろう。
ワインレッド色のヒールを潰すこともなく、安易に着地した。
「お前――一人だけか」
その声は、低く、冷たく、その場を一瞬で支配した。
「聞いていた話と違うな……」
「……あ、あんたがあの『火焔の魔女』――エノア・アトレア、なのか」
出夢の口元はいつの間にか乾ききっており、そして小刻みに震えていた。
「ほう……やはりあのイカレ女の言った通りらしいな」
赤髪の女は――エノアは、眼を細めるように出夢を隅々まで見やり、肉付きのよい潤った綺麗な形の唇を少し尖らせて見せた。
身体のラインが良く映える黒を主体とし、所々に赤の精緻な刺繡が施されたドレスは、エノアの女としての色香がよく伺える。
流れるように腰まで伸びた、燃えるように赤い髪。
間違いなく、エノアを知らない男なら、雄としての理性が反応するだろう。
だが、間違いなくエノアを知る男なら、恐怖としての理性が反応する。
出夢はその視線を受けただけで、全てを見透かされたような、全身に寒気が襲った。
――何だこの女……か……格が違う……。
それが出夢の感じた率直な本音だった。
気づけば膝が笑っていた。
冷汗が全身を駆け巡る。
悪寒が、吐き気が止まらない。
今すぐにでも逃げだしたかった。
「無理するな魔術師……さっさと帰れ。ここはお前が来ていいような場所では……ないだろう?」
頬を釣り上げエノアは言う。
それは児童養護施設だから場違いだと。親切に、分かりやすい程にして否、断じて。
それは術師としての場違い、力量不足でしかないことを指し示していた。
思考でも停止していたのか、急速に現実へ引き戻ってきたかのようにハッと出夢は我に返る。
――どうする……こいつと真正面からやりあっても死ぬだけだ。何か、こいつを足止め出来るような良案が欲しい。
「怯えている小鹿に慈悲をくれてやる。もう一度だけ告げる……直ちにこの場を去れ」
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