1-1 魔術機関 東京支部 特殊犯罪部門


 ピピピッ、ピピピッと電子音が八畳の一室に鳴り響く。

 繰り返し二度目の電子音が鳴ろうとする寸前、コンマ0.3秒前に音は停止した。

 電子時計に表示される

 AM6:55 2038/6/8/日/

 を見た少女は、軽く息を整えるように一息吹いた。

 少女と言っても今日でめでたく十九歳になる。一年後には成人だ。

 かと言って少女の顔は浮かれる訳でもなく、ただ無表情のまま。少女にとって、一ミリたりとも関係のない生誕日。

 今日も変わらず、起きて三十秒で既に眠気は覚めた。

 のそのそと見た目質素なベットから出て、洗面所へと向かい、冷えた水で顔を濡らす。歯を磨き、肩くらいまで伸びたサラサラの髪を、適当に櫛で梳かして、はい終わり。

 少女はリビングでトーストを一枚焼いた。

 習慣的にテレビのリモコンを握り、電源ボタンを押す。

 22インチの小型テレビがニュース番組を映し出す。

 テレビ台は買うのが面倒だったので、三ブロック式の本棚を横置きにして使っている。せいぜいこの時間くらいしかテレビを見ない少女にはこれで丁度良かった。

 いつもの様に全国のどうでもいいニュースが一室に垂れ流される。しばらくしていつものお天気コーナーに入った。


「あー今日、夕方、雨……」


 そこで突如、お天気情報の画面から、急に男性キャスターに切り替わった。


『えーここで緊急の速報です。今日午前四時五分頃、東京都舞咲市の河川敷で五歳から十八歳の男性と思われる遺体の白骨が漂流していると、早朝に犬の散歩をしていた男性が、110番通報したことにより判明しました。

 遺体は、白骨状況からして、凡そ一ヶ月間以上は漂流していたと思われます。現在警視庁は、四月に起きた同様の事件と何らかの関連性があると見ており、連続殺人事件の可能性を視野に入れ、残りの白骨回収及び身辺調査に入っているとの……』


 チーン、と何とも奇妙な機械音が鳴った。

 少女は焼き立てのトーストにバターとシロップを軽くかけて、ハムハムハムと耳から外周に沿って器用に齧っていく。

 これまた奇妙な食べ方だが、これも少女の日課だ。

 凡そトーストの耳を全て齧りきった所で、少年白骨化事件のニュースが終わった。


「二件目。しかも舞咲」


 お楽しみのシロップがかかった表面をモグモグと口に入れていく。

 朝の食事を終え、変な顔したウサギのワッペンが刺繡されたパジャマを、ベットの上に脱ぎ捨てる。

 透き通るような瑞々しく白い肌。見る者を虜にしそうな女の裸体。

 ベッド下にあるクローゼットから、白無地の下着を手に取る。

 これまた当たり前に家では下着をしない派らしい。

 決して少女は干物女ではないが、一人暮らしをして三年も経てばこんなものだ。

 勿論、必然、超自然的に彼氏や男友達すら一度として出来た事はないので、特に気にする事もないのだろう。

 スカートを履き、白シャツに赤のリボンを装着。

 いつもの黒コートの制服に腕を通して、はい終わり。

 短い廊下を超えて玄関で黒革ブーツを履き、斜め掛けのショルダーバッグを背負い。


「いってきます」


 誰もいない部屋に向かって声を掛ける。大した意味もない。これも少女の日課だった。

 玄関を出る。八階建てマンションの五階から朝の街並みが伺える。

 犬の散歩をする叔母さん。朝練に向かう学生。仲良し老人二人組の散歩。死にかけた顔をしているスーツの人。派手な服装の朝帰りお姉さん。空を羽ばたく雀。道を走る車。

 動き出す街並み。朝の陽射しが眩しい。

 少女は、うーんと背伸びをした。ぽきぽきっと関節の鳴る音がする。

 周りを見渡し、誰も居ない事を確認してから、身体を丸め、そして呟くように。


「よし、ファイトォ……」


 これまた当然のように天気予報の雨を忘れ、傘を忘れ、いつものように出社した。


 そう、少女は一応、社会人だ。

 自宅を出て徒歩で十分少しで辿りつくその一角に構える立派なビルのその真下、つまり地下に存在する広大な迷宮の一室に少女のデスクがある。

 現在、少女は整理整頓されたデスクに座り、書類と睨めっこしながらコーヒーを啜っている。


「あら、今日も早いわね~。おはようつきちゃん」

「おはようございます。雪愛ななさん」


 少女を――月歌つきか――と呼び、向かいのデスクに腰掛けるのは、――はしなが――という女。

 今年で二十二歳になる雪愛は、月歌の三年先輩である。

 ライトブラウンの髪をフワフワにカールさせ、本人自体もいつもフワフワしている美人お姉さんだ。


「ねぇねぇ~月歌ちゃん今朝のニュース見たかしら?」

「もしかして白骨死体の奴ですか?」

「そうそう、しかも十歳そこらの少年みたい」

「そう、らしいですね」

「ねぇねぇ~月歌ちゃんならもう気付いてるでしょ~」

「何のことですか?」

「今回の事件は、普通の事件じゃないってことよ~」

「そう、でしょうか?」

「だって四月にも同じ事件があったんだよ~。可笑しいと思わない? 犯人も捕まってないのよ~。怖いわよね~。でね、そこで私は思ったの。えぇ。どうせもうすぐ隊長が所長に呼ばれるのが目に見えるわ。うん。うん。これはきっとだわ」


 雪愛は何処か自信に満ちた表情で月歌を見ている。


「根拠は、あるのですか?」

「うーん、女の勘? かな?」

「何で疑問形なのですか……。まぁ可能性がゼロとは言いませんが、河川敷で白骨死体が見つかるのは特別珍しい訳ではないですよね」

「うん……そう、なんだけど……」


 雪愛はむぅっと頬を膨らませる。


「けど……何か、こう、ね、あるわよね。事件の匂いって!」


 少し呆れ気味に先輩を見やる月歌は、コーヒーを一啜りして。


「あの……雪愛さん。一応言っておきますけど、私達は警察ではないんですよ?」

「……うぅ~そんなの分かってるよ~月歌ちゃんの意地悪ぅ」


 鬼だ、鬼だと雪愛はぼやいている。別に意地悪した訳ではないのだけれど……と月歌は思ったが、黙っておくことにした。


「おはよう諸君!」


 そこに女性のキリッとしたよく通る威勢のいい声が聞こえてきた。


「あ、響子隊長だ~おはようございま~す」

「おはようございます。隊長」


 隊長と呼ばれる女の名前はすめらぎ響子きょうこ。今年で三十二歳になり、を持つ母親でもある。

 響子はビシッと決めたスーツにネクタイを締め、高いヒールを履きこなしており、ショートカットで横髪をヘアピンで留めている。

 キリッとした目元にシャープ型モデルの赤渕メガネがよく似合ったまさに美人刑事だ。

 しかしここは警察とは全く関係の無い組織である。


 そこから数時間経った午前九時を過ぎた頃。

 チッっと響子の座る隊長デスクから舌打ちが聞こえた。


「うぅ…………遅いッツ‼」


 バンと両手を机に叩き付け、立ち上がる響子。

 雪愛と月歌はそれを当たり前のように無視しながら、仕事をこなしている。

 数秒後、凄い勢いで扉が開いた。

 その大きな音ですら、雪愛と月歌は気にせず仕事をこなしている。


「すいませんッ‼ 昨日飲み過ぎて寝坊しましたッ‼」


 これまた清々しい程に、堂々とした理由をさらけ出すのは、黒コートに身を包んだ若い青年。

 ネイビーのベストをピシッと着こなし、そのⅤゾーンから見える三色のブラウン、ブルー、スカイブルーのレジメンタルタイ。パンツもネイビー。靴はキャメル色の革靴といった今時の出来る風に見える若者スタイル。

 髪をオールバックに搔き上げて、左眉の端には切傷でも残っているのか、そこの部分だけ途切れるように眉毛が無い。


「貴様、今月で五度目だぞ‼」

「はい! 大変反省しております!」

「嘘付けぇえ! というか今月毎日遅刻だろうが! 分かっているのか、えぇ神司かみつか⁉」

「はい! 本当にすいません響子さん!」


 青年の名は神司かみつか出夢いずむ。今年で二十四歳になる。因みに独身、彼女無し。

 出夢はそそくさと雪愛の隣りにある自分のデスクへと向かう。


「何がすいませんだ。全く……ってお前、まだ話は終わってないだろうが! 戻って来い!」 


 これも日常風景。

 この一室に集められた。


   の。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る