1-2 零れ出るためいき
「だぁ~疲れた~やっと昼だ~。腹減った腹減った~ちょっくらそこの牛丼でも食べてくるわ~」
出夢はネクタイを緩め、頭をボリボリと掻きむしりながら扉へと向かう。
「ちょっと待って下さい、出夢先輩!」
雪愛が席を立ち、出夢を軽く睨み付けている。
「フォ? どうした雪愛?」
「忘れたんですか?」
「ヘェ?」
「今・日・の予定は?」
「予定? 何のことだ?」
「うぅうううう……前から知ってましたけど出夢先輩って本当に最低ですね」
雪愛はドンドンと床を強く踏みながら、先に扉へと出ていった。
「え、えぇ? ちょっ、待ってくれ、雪愛! 俺なんか怒らせるような、」
「付いて来ないで下さい!」
「え、えぇえええ? 俺そんなに嫌われてるのぉおお? 待って、待ってぇええええ」
二人がいなくなり、一室には静けさが戻る。
月歌もキリの良い所まで仕事を終えたので、大食堂でお昼ご飯を取ろうと席を立つ。
「月歌ちょっといいか?」
奥にある隊長席から月歌を呼ぶのは皇響子隊長。
「はい。何ですか隊長?」
「……ったく、二人の時はお母さんって呼びなっていつも言ってるでしょ」
「……はい。お母さん。何でしょうか?」
「もう。あと敬語も禁止って……まぁ、いいや。月歌、今日の晩御飯、家で食べない?」
月歌は少し黙り込んでしまう。
「……うぅ……露骨に嫌がるなぁ……ほら、
「……それは……」
「頼む。久しぶりに母や皆にも会ってやってくれないか?」
「恵子さんはこの前、出勤された時に一緒にお昼ご飯を」
「あぁぁああああ聞こえない聞こえない、聞こえないなー! へっ? 月歌、来てくれるの? ヤッターお母さん超嬉しいー。ハハー。今日の午後六時半に家に集合ね~。という訳でお母さん外でご飯を食べてきまーす。じゃね~アハハ、ハハ、ハハ!」
響子は壊れたように、一室から消えていった。
「フゥ……」
零れ出る溜息は、誰もいない一室にて何度か続いた……。
***
午後五時が過ぎた頃。
「よし、お疲れ。今日はここまでだな。各自キリのいい所で切り上げろ」
響子はパソコンをカタカタしながらよく通る声で解散の合図を掛けた。
「は~い。私お先で~す。お疲れ様でした~」
「じゃあ俺も帰ろっと……」
「出夢先輩は遅刻したんだし、もう少し働いてから帰った方がいいんじゃないですか?」
「な、
「まぁだ……ですって? 響子隊長! 出夢先輩がまだ仕事したいみたいなんで、事件の報告書手伝って貰ったらどうですか?」
「お、おい雪愛、お願いだ。それだけは勘弁してくれ」
「もうさっさと帰れお前達!」
「響子さん、女神だ。じゃあお先です。お疲れ様でしたー‼」
「あ、もう。響子隊長! 出夢先輩を甘やかしすぎです。うぅ……お疲れ様でした~」
また二人は嵐の様に去って行った。
一室に残るのは、再び響子と月歌。
月歌も仕事を終えたので、席を立ち、斜め掛けのショルダーバッグを背負い。
「お先に失礼します。お疲れ様です」
「あ、あぁ。お疲れ。……その、月歌、今日来てくれる、よな?」
「……はい。少しだけ……顔を出したらすぐに帰りますから」
「……おぉ来てくれるのか‼ 良かった良かった。じゃあ待ってるから。あ、それかもう少し待ってくれたら一緒に帰るってことも」
「一度、家でシャワー浴びて着替えてきます」
「そ、そうだな。ハハ。じゃあまた後で」
「はい。お疲れ様です」
ダンと扉が閉まる。
「フゥ……」
零れ出る溜息は、誰もいない一室にて何度か続いた……。
***
白い肌は水の玉を良く弾く。
シャワーを頭からひたすらに被り続ける月歌は、どうも気が乗らないでいた。
それは帰り道に突然降り出した大雨のせいか、完全に天気予報を忘れて傘を忘れた自分に対してか、それとも単純にもう一度外に出るのが面倒なのか、はたまたそれ以外の何かか。
「フゥ……」
本日何度目かの溜息を零し、シャワーハンドルを捻った。
ぽつぽつと、髪から雫が滴る。
雫はサラサラっと垂直に、白く柔い肌を滑っていく。
洗面所に畳んであるバスタオルを手に取って、頭をぐしゃぐしゃに掻きまわした。
「……まぁ、少しだけだし……」
言い聞かせるように独り言ちり、適当に用意した上下白無地の下着を。
変な顔したウサギがプリントされたTシャツとベージュのプリーツスカートと灰色のパーカーで身を装う。
髪が濡れたままだが、歩いていれば丁度向こうに着くころには乾くだろうという考えで、黒のショートブーツを履いて、時たまコンコンと床を鳴らすように履き心地を整えながら、今度はちゃんと傘を持って家を出た。
***
午後六時二十五分。
月歌が住む街の隣町にあたる、舞咲市。
【舞咲スカイハイ】という二十階建てのショッピングモールや飲食街などが賑わう都会っぽさを持ち合わせながらも、少し離れれば閑静な住宅街になる。
交通手段もある程度整っていて、施設に困らない利便性を兼ね備えているので家族連れにも人気の街だ。
その中でも住宅街から少し離れた場所にある、森に囲まれた洋館の前に月歌は辿り着いていた。
月歌の自宅から徒歩で約四十分程である。
傘を持ってくれば雨は小雨になる。
帰りに忘れないようにしないと――月歌は自己暗示を掛けながら三年ぶりの我が家の前で、立ち竦むように全体を見渡した。
“
延べ床面積だけで2800㎡ほどあり、約850坪あるという大豪邸である。
整備がしっかりと行き届いた芝生は、晴天日になると緑の絨毯のようになる。
中央付近にある天使の象が建てられた噴水。
それぞれの色彩を奏でるように、花達が客人を迎える。
その前庭を奥に、今時珍しいお城のような洋館が聳え建っている。
外壁は煉瓦積みされており、まるで童話に出てきそうな尖がり屋根もある。
玄関ホールへと誘う扁平アーチに重厚感のある両開きの扉。
近くに灯る奇妙な形をした外灯があちこちで垣間見える。
まさに十五世紀イギリスで流行したチューダー様式の洋館だ。
月歌は過去の生活を偲ぶよう感傷に浸りながら、もうすぐ約束の時間だった事を思い出した。
自分の為か開門されていたので、勝手に門をくぐり、扁平アーチを超えて玄関ホールへと向かった。
両扉をノックするか、呼び鈴を鳴らそうかと迷っていた時、向こうから扉が開き月歌は慌てて後ろへ退く。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
頭を下げる四十代前半女使用人は月歌にとって、とても懐かしい者だった。
「……久しぶりだね宮田さん。ただいま。それと、私はお嬢様じゃないって、何度も、」
使用人の宮田は、少し綻んだ笑顔になって目尻に涙を浮かべていた。
「随分と会わない間に……逞しくもまた一段とお綺麗なお顔になりましたね、月歌様」
「三年も経てば少しは変わるよ。宮田さんも元気そうで良かった」
宮田は堪え切れずにハンカチで目を拭い始める。
「み、宮田さん? 何も泣かなくても⁉」
「い、いえ。失礼……申し、ヴォツ、ヴェ……つ、つき、かさまが……ヴォ」
「だ、大丈夫⁉ ねぇ宮田さん、ねぇってば」
宮田は嗚咽と鼻水が止まらない。
「こらこら、宮田さんをあまり泣かせるんじゃないよ」
赤のカーペットが敷かれた大階段を降りて玄関ホールへとやって来たのは響子。
真っ赤で派手なドレスを身に装い、まるでパーティーでも始まるのかと月歌は思った。
「えぇ、だって、私、何もしてないよ⁉」
「げっ、何、月歌。その気持ち悪いウサギの服」
「き、気持ち悪くないよ。可愛いよウサゴン」
響子の顔が引き攣り気味になる。
「当主様、申し訳ございません。この様なご無礼を」
「いいのいいの。それよりさ、宮田さんも今日くらいは、他の使用人に任せて一緒にパーティーを楽しみなよ」
「いえ、そのような」
「良いから良いから」
響子がそう言うと、大階段の後ろから数人の使用人がひょっこりと顔を出し、拳でグッドポーズを作ってそれを宮田に向けていた。
「当主様……そ、その様な事ではこの二十一年勤めた使用人の名が廃るとい、」
「宮田さん行こ。お母さん、食堂だよね」
「あぁ。月歌もこう言ってるんだ。さぁ、行った行った!」
「……ヴォッ……ヴェ……と、当主様……つき、ヴォ、かさま……ありがたき幸せ」
宮田は月歌に背中を摩られながら共に大階段を上がっていく。
月歌はふと、響子が一緒に付いて来ない事を感じ、後ろを振り返る。
「一緒に来ないの?」
「えっ、あぁ。どうやら
田中さんとは使用人の一人だ。
「……そう、なの? うん、気を付けて」
「じゃ、すぐ戻る」
響子はひらひらと手を振りながら玄関ホール抜け、暗闇へと消えて行った。
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