1-4 魔術師とわんぱく小僧
「ったく、
雨はすっかり止み、ジメリ、と湿気が強くなった午後七時前。
響子は、皇邸の森を抜けて十五分程歩いた先にある、とある施設の前にいた。
横に長い建物は、全体に白塗り塗装が施され、所々にオレンジ色と黄色で彩ったお日様模様が塗装されている。
小学生の高学年が遊ぶには、少し小さい遊具や砂場が前庭に置かれ、今やそこで遊んでいる者は二人の少年しかいない。
施設の門扉は両開きで、柵状の鉄が雨風によって所々錆び剝げてている。
そのすぐ近くには、黒の
舞咲おひさま学園。
全体的な見た目は幼稚園や保育園にも見えるがここは児童養護施設である。
響子は、溜息混じりに門をくぐろうとした。
「―――っ?」
少し厭な違和感を感じたものの、すぐ近くの庭で泥だらけになる少年二人を見て、怒りで門をくぐり抜けた。
「こらっ響希っ‼ 今日は月歌の誕生日パーティーだって、あれだけ言っただろうが!」
「げっ、なんで母さんがここに? 逃げないと殺されるよ翔太君!」
「こ、こ、殺されるの?」
響希は戸惑う翔太君というもう一人の美少年の腕を引きながら走り出す。
「こらーっ! 待て、逃げるなぁ響希ィイイイ‼」
響子がピンヒールを脱いで裸足で追いかけようとした時、施設の扉から一人の女性が慌てて出て来る。
「す、すいませーん。もしかして、響希君のお母様でしょうか?」
ギリギリの所で、ピンヒールを脱ぐのを止めた響子は、女性の方へと向き直る。
「はいそうです。響希がご迷惑をお掛けして本当にすいません……」
ショボンとした様子で頭を下げる響子。
「そんな、ご迷惑だなんて。こちらとしても職員が人手不足でして、中々全員に目が行き届いておらず申し訳ございません」
職員の見た目二十代半ばくらいだろうか。疲労からか元からなのか、化粧も薄く最低限で地味よりな顔たちをした女だ。
茶髪の髪を肩幅まで伸ばしている。
「いえいえ、悪いのはうちの響希の方ですから、こらーっ響希、早く出てきなさい!」
「そんな。響希君はいつも翔太君と遊んでくれて、とっても感謝していますし、翔太君も最近凄く明るくなったんです」
「響希は最近よく、ここに来るんですか?」
「えぇ、小学校のクラス替えが四月にあって、その時に響希君と翔太君が同じクラスになったみたいで。いつもは使用人と思われる方がよく響希君を迎えに来られますから……」
「そうなんですか……」
普段の響子ならこの時間はまだ残業中で、家に居ない事が多い。
確かに最近響希が翔太君という名前をよく口に出していたのは知っていたが、まさか児童養護施設の子というのは、知らなかった。
「お母様、あの大変失礼ではございますが、どうか響希君を叱らないでやってくれませんか?」
「はぁ……まぁ、先生がそう言うなら」
赤縁メガネを外し、目尻をつまみながら響子は溜息を漏らした。
「ご理解ありがとうございます。いきなりこんな話をするのもなんなんですが、翔太君はご両親を二年前に亡くされて、その時にこの施設に来たんですけど、響希君と出会うまではずっと大人しく、私達職員や他の皆にも中々心を開いてくれなくて……」
女性職員の沈んだ顔を見た響子も、同情せざるを得なかった。
「そう、なんですか……。まぁ響希のお陰がどうか分かりませんが、翔太君が仲良くしてくれのは、こちらとしてもありがたい事です」
ほっとした女性職員は、胸を撫で下ろした。
「だが、それとこれは違うんです先生……」
「はい?」
「響希―――ッ! いい加減出てこないと二度と家に入れないから‼」
「え、ぇええええ⁉ あ、あのお母様……」
驚きのあまり目を見開く女性職員。
そんな時、門の方からもう一人、綺麗な女性が入ってきた。
栗色の髪を編み込むように一つに束ね、隠しきれない豊満な胸元が目立つ辺りにまで垂らしている。
見るからに優しそうで包容力に包まれた聖母のような、女性は見た所、二十代後半、もしくは三十代前半という所だろうか。
「あらあら、お客様ですか?」
しっとりとした柔和な声だ。
「え、園長先生!」
女性職員が慌てて、事情を説明し、若々しい園長先生は状況を理解した。
「そうだったのですか。こちらこそご迷惑をお掛けしました。あら、私とした事が、失礼しました。自己紹介がまだでしたね。この舞咲おひさま学園で職員として勤務しています
花枝紗百合と名乗った女は、礼儀正しく頭を下げた。
響子もすかさず自己紹介し、軽く頭を下げた。
「あ!」
突如、花枝はポンと手を打つ仕草を取った。
「これも何かの縁です。もし宜しければ響希君とお母様も今晩、夕食をご一緒しませんか? 今日はシチューなんです」
花枝はにっこりと微笑んだ。
「そうだそうだ! 園長先生もこう言ってるんだし食べて行こーよ母さん‼」
いつの間に戻って来たのか、響希は目を輝かせている。
対して翔太君は少し怯えたように響希の後ろに隠れていた。
響子は鬼のように響希を睨め付けた後、丁寧に断りをいれる。
「園長先生。お気持ちは十分ありがいたいのですが、すいません。今日は娘の誕生日パーティーなんです」
「あら、それは大変ですね。早く帰ってあげなくてはお姉さんも心配してしまいますね。響希君、またいつでもいらっしゃい。その時は一緒に夕食を食べましょうね」
にっこりと微笑んだ花枝は、中腰になり響希の頭を軽く撫でた。
「うん! 本当は今日が良かったし、悔しいけどまた来るよ! 翔太君もまた明日!」
「うん! バイバイ響希君。また明日……」
翔太君は寂しそうに響希に手を振っていた。
響子と響希は三人に見送られ、舞咲おひさま学園を後にした。
道路が敷かれた森の中の帰り道。
響希は鼻歌交じりに楽しそうにスキップしている。
「ねぇ母さん! 姉さんもう来てるの?」
「あぁ。それより響希、今まで何回くらいあの施設に遊びに行ってるんだ?」
「え、うーん、最近はほとんど毎日行ってるから忘れた」
「はぁ……呆れた。で、あの園長先生とはよく喋るのか?」
「うーんそんなに。だっていつも翔太君と外で遊んでるからね。でも園長先生ってすっごい優しいよ、いつも皆にお菓子くれるんだよ!」
「あっそ。じゃあ今度からおやつ抜きにしとくよう田中さんに言っておかなくてはな」
「え、ダメだよ! そんな事したら僕ずっとあそこに住むからね!」
「はいはい、出来るものならしてみろ~ってそれより何? その腕に付いている変な草」
「変な草って言うな、これは翔太君と作った友情のリングだよ!」
その友情のリングという腕輪をよく見たら、どうやらタンポポの茎で作ったらしい。
腕の結び目辺りに黄色い花がビニールテープで飾られていた。
「ふーん。友情のリングねぇ……」
「ふふーん、いいでしょう? 羨ましい?」
「え、いや、別に」
「もう! 後で母さんも欲しいって言っても絶対にあげないから!」
「誰がいるもんか。さ、早く帰ならいと月歌が帰ってしまうぞ」
「え、もう姉さん帰るの? 急げぇえええ!」
「こら、一人で森を走るな、馬鹿!」
わんぱくさが日に日に増していく九歳の息子の成長に、響子は少し心配しながら外灯が灯る洋館へと帰って行った。
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