1-5 やっぱり最初から俺のこと……


「久しぶり~姉ーさーん‼」

 響希は食堂に来るや、月歌に目掛けて飛び込んできた。

「こらっ響希! 食堂では走るなっていつも言ってるだろうが!」

 怒り声と共に響子も食堂に入ってくる。

 その場にいた全ての使用人が一斉に、響子へと向く。

 一瞬にして静まり返る食堂。

『お帰りなさいませ、当主様。響希様』

「あぁ。ただいま。いいよ、続けて続けて~」

 直ぐに談笑が再会され、響子は月歌と響希の元へ向かう。

「久しぶりね、響希。少し大きくなった?」

「うーん分かんない! ねぇ聞いてよ姉さん、僕もう九歳になったんだよ。最近は翔太君っていう新しい友達も出来たんだよ!」

「こーらっ響希! そんな泥だらけの服で月歌に引っ付くんじゃない!」

 強制的に月歌から引き離される響希。

「田中さん、すいません。響希を浴場に連れていってもらってもいいですか?」

 田中さんと呼ばれた使用人は、それを快く引き受ける。

「では響希様。お体を綺麗にしてきましょうね~」

「いやだいやだ。このままだと姉さんが帰っちゃうよ~」

 今にも泣きだしそうな響希の元に近寄り、頭に手を置いた月歌は微笑みを見せた。

「大丈夫だよ響希。今日は二十一時半までは居るから。早くお風呂に入っておいで」

「……うん。姉さん今日、泊まっていくよね」

「え、えぇ?」

「母さんいいよね?」

「うん、あぁ。別に構わんが。というか月歌の部屋もそのままだし、宮田さんがコマメに清掃してくれているからな」

「はい。月歌様のお部屋はこの宮田が毎日清掃しておりま故、ご安心ください」

「ま、毎日⁉ 私が出てからもう三年だよ?」

「はい。皇邸に使用人として勤めて二十一年。このわたくし、宮田。微力ながらも月歌様を幼少期からお世話してきた者として当然の義務でございます」

「何でお母さん宮田さんを止めないの?」

「いや私もいつ帰って来るかなんて分からないし、そもそも使ってないんだから半年に一回くらいでいいって言ったんだけど宮田さんがどうしてもって……」

「当然でございます。いつ月歌様がお戻りになられてもいいように努めるのが宮田の宿命でございます。勿論、月歌様がいつ殿方とご結婚されてもいいように、式の準備もバッチリでございます」

 アワワと顔を真っ赤にする月歌を見て、響子はゲラゲラと腹を抱えて笑っている。

「と……殿方と結婚って……私まだ……ってちょっとお母さん笑ってないで宮田さんの暴走を止めてよ‼」

「すまん月歌。それは私にも無理だ」

「そんなぁ……」

「では、私は月歌様のご宿泊のご用意がありますので、失礼致します」

 宮田はとても上機嫌なご様子で食堂を後にした。

「え、いやまだ泊まるなんて言ってないのに……」

「やったー‼ じゃあ僕はお風呂に入ってくるよ姉さん! 今日は一緒に寝ようね! 絶対だよ!」

 響希も大層ご機嫌な様子で、田中と食堂を後にする。

 月歌は困ったように溜息をつき、肩をだらんと下げた。その肩に柔らかい手が置かれる。

「いいなぁ月歌ちゃん。なんかとても楽しそう~。私も泊まりた~い~」

 雪愛は少し酔っているのか、頬がほんのりと赤みを帯びている。

「雪愛さんまで何を言ってるんですか? もしかして酔ってるんですか?」

「酔ってなんかないよ~。ねぇねぇ響子隊長、私も泊まっていいですか~?」

「あぁ。別に構わんが明日も仕事だからな。寝坊はするなよ?」

「やったぁー‼ 月歌ちゃんと一緒に寝れる~グフフ……」

 不気味な笑いを零す雪愛に、月歌は全身に寒気を感じた。

「あの……」

 少し出遅れて気まずそうな様子の出夢が恐る恐る響子に聞いた。

「響子さん……俺も」

「ダメよ!」

 響子が答えるより先に、何故か雪愛がすかさず答える。

「な、何で雪愛が断るんだよ、俺は響子さんに聞いてるんだよ!」

「だって出夢先輩、私達が寝ている間に変な事しそうなんだもん!」

「だ、誰が変な事なんかするかー‼ ねぇ、いいっすよね、響子さん?」

 響子は手に握ったグラスに入った赤い液体を飲み干し、不思議そうに出夢を見る。

「まぁ女同士の雪愛はともかく、神司。男のお前がいても特につまらないと思うぞ」

「そうだそうだー」

 雪愛は野次馬さながら外野から騒がしい。

「だって……だって……」

 出夢は今にも泣きだしそうな顔を見せる。

「俺だけ仲間外れとか、超寂しいからに決まってるじゃないですか~。知ってますよ。明日朝出勤したら俺以外の三人が仲良く昨日は楽しかったよね~うふふとか言って、俺は部屋の影でひっそりと除け者扱いされるんだ……そうだ。そうに決まってる……う、う、ゔぁぁあああ」

 酔っているのか、それとも素なのか、堪らず出夢は泣いた。

 憐れむ様子で響子と雪愛はアイコンタクトを取り。

「ほら、その、なんだ、客部屋は幸い余っている。私も上司としてお前の遅刻癖は正さなくてはいけないみたいだ。その……好きにしろ」

「響子……さん」

 出夢は天使でも見つけたかのように、響子の手を取る。

「ありがとうございますありがとうございます。このご恩、神司出夢一生を持って代えさせて頂きます!」

「あ、暑苦しい、手を放さんか!」

 騒がしい出夢や雪愛を横目に、月歌は頭がクラクラしそうだった。

「なんてことに……」


 ***


 夜も深まった午後十一時。

 火照った熱を冷まそうと、響子は二階にあるテラスのソファーに深く居座り、夜空を眺め夜酒を嗜んでいた。

「ふぅ……これで湿気が無ければ最高なんだか……」

 独り言ちる響子の後ろに、ゆっくりと足音が近づいてくる。

 響子は振り返りもせず、その者が誰か知っていた。

「ったく、人がせっかくババ抜き最強決定戦やってるっていうのに。何です響子さん。こんな時間に呼び出して」

 頭をボリボリと掻きむしりながら、嫌味をぼやくのは、響子に呼び出された出夢だった。

「フッ。ったくいい年こいた奴が何がババ抜き最強決定戦だ。あ、もしかして響希もまだ起きてるのか?」

「いや、ウトウトして気付いたら月歌ちゃんのベッドで寝てましたけど。ってそんなことよりも! どうせ俺を一人で呼び出すってことは何かあったんでしょ。それともあれですか、正希さんより俺に乗り換え、」

「それは無いからシネ」

 いつもの赤渕メガネを外している響子は出夢を見ることもなく、ただ、夜空の星を眺め続けている。

 使っている言葉には棘があるものの、その憂いに満ちた横顔にほんのりと朱が頬に染まる様子は、男である出夢もついつい、唾を吞んでしまう。

「はいはい、知ってますよ。で、要件は?」

「―――【】って聞いた事あるか?」

 唐突に出た施設名に首を傾げる出夢。

「さぁ。聞いたことないですけど」

「まぁ……そうだよな、普通」

 数秒間の沈黙。出夢は知っている。こういう話を持ち出す時の響子は、だいたい術師絡みの厄介事だってことを。

「その舞咲おひさま学園ってのがどうかしたんですか?」

「いや、いい。やはり私の早とちりかもしれん」

「はあ? えっ、それで、俺は何で呼ばれたんですか?」

「あ、あぁ。すまんすまん。少し気の迷いって奴だ。気にしないでくれ」

「すまんすまんって、俺のババ抜き最強決定戦を放棄してまでの苦労は、どうしてくれるんですかー?」

「そんなモノは知らん。そうだ神司。お詫びと言ってはなんだが少しどうだ? 今日の白は結構上物だぞ」

 響子の近くにある硝子のテーブルには、氷の入ったボトルクーラーにワインボトルが浸かっている。その隣に二つグラスが置かれていた。一つは響子のもの。もう一つは。

「響子さん……やっぱり最初から俺のこと……。そんな、流石に正希さんや響希君にも悪いですよ」

「それだけは無いからシネ!」

 出夢はとりあえずグラスに白ワインを注ぎ、のそのそとテラスの柵に向かい腕を置き、市街の光を恍惚と眺める。

「何か、こうして響子さんと二人きりになるの、随分懐かしい気がする……」

「あぁ、そう言われるとそうかもな…………もうあれから六年か……」

「ですね。お互い歳とりましたね」

「あの十八のクソガキだったお前が、まさか私と共に酒を飲んでるとは……未来は分からんものだ」

「……本当に。当時ぴちぴち二十代のお姉さんが、もう気付けば三十路越えとは……未来は残酷だ」

「お前、私に何か恨みでもあるのか」

「んな訳……あったかもしれない……」

「フッ。言うようになったな神司」

「それもこれも全部、響子さんのお陰様で……」

『フフ、フハハ、フハハハハ、フハハハハハハハ』と気味の悪い二つの笑いは、もう暫く夜のテラスにて続く。


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