3-3 雨の歌

 

 時刻は午後二十一時。

 皇邸の完全防音が設備された一室にて。

 ヴァイオリンの軽やかで滑らかな音が、流れるように響き渡る。

 その音を一音も落とさずに拾い上げるのは、ピアノの優し気な音。

 ややヴァイオリン奏者の気持ちが先行しがちだが、それすらも二人の間では色彩となり溶けていく。

 ブラームス・ヴァイオリンソナタ第一番ト長調『雨の歌』。

 ブラームスの残したヴァイオリンソナタの中でも、天才ピアニスト『クララ・シューマン』への想いが強く込められた曲。

 第一楽章は軽やかに時々跳ねてみたり、第二楽章は少し物悲しさな哀愁を漂わせ、第三楽章では徐々に全体を包み込むようにクライマックスへと流動していく。

 ヴァイオリンの高音。ピアノはその音が外れないように線路レールを示してあげる。

 まるでそれが二人の関係性を表すように、二つの音は重なり合う。

 やがて音は心地よく耳に余韻を残して幕は閉じていく……。

 二人は溜息をつく。

 ヴァイオリンの弦をそっと下ろすのは、皇響子。

 ピアノの鍵盤から手を落とすのは、皇正希。

 互いが余韻に浸ってすぐに、部屋の扉からタイミングを見計らったようにノックの音がした。

「どうぞ」

 響子の呼び声に、入って来たのは皇恵子。

薔薇の貴女レディーローザって奴は、随分と感情的な音を奏でるの……いやはやお二人さん邪魔してすまんね~」

「お母様……。どうかされましたか?」

 普段はこうしたタイミングには、とことん割り込んで来ない恵子が現れた事に正希は少し驚いたように尋ねる。

「少し響子に伝えておかねばいけない情報を小耳に挟んだもんでね」

「では、私は席を外します」

 気を使った正希に、恵子は手持ちの杖を軽く横に振る。

「……お前さんも少し聞いておきんさ」

 益々理解が追いつかない二人は、互いに目を配らせる。恵子は、近くにあったアンティーク調の白椅子にゆっくりと腰かけた。

「さっきな、NY支部ニューヨーク所長クソジジイから連絡があった」

 それを聞いた二人は、同時に目を見開く。

「ニューヨーク支部がどうかしたの?」

 響子の問いかけに恵子は、ジッとその瞳を見やる。響子は嫌な予感がした。

「どうやら数週間前から『』との連絡が途絶えているらしい」

「「―――――?」」

「何故そのような連絡がお母様に……」

 恐る恐る正希は尋ねる。

「もしかしたら日本こっちにいるかもしれん、と。当たったらワシって結構天才じゃね、とも言っておったわい」

 恵子は何やら思い出してしまったのか、ばつが悪そうに額の皺を強く寄せる。

「まさか……」

 響子は上唇を軽く噛んだ。

「でもおかしいですね。火焔の魔女は例の事件以来、素行も驚くほど更生したと。その暴力性や残虐性が噓のように無くなったと、お聞きしておりましたが……?」

 事務管理部門に務める正希はこう言った情報は、逸早く常に耳に入れている。

『火焔の魔女』その名はエノア・アトレアという。

 昔から凶暴性のある性格は、魔術師の世界において、いや他の術師にも広まっているほどだ。

 しかし五年前のとある事件をきっかけに、片腕を失い半死状態を経験し、並々ならぬ回復力で復帰したものの、まるで別人に生まれ変わったみたいにその凶暴性は失われていたという。

「そうだったらしいんじゃがの……。ある日唐突に姿を晦ませたみたいじゃ」

 響子は手を顎に置いて思考に耽る。

「あと響子や。もう一度、今回の事件に関わった人物のここ数ヶ月間のスケジュールをチェックしておくんじゃな」

「は?」

「ま、伝えたからの……ほいじゃ、老い耄れが邪魔したの……」

 恵子はゆっくりと杖を突きながら部屋を出る寸前、一瞬だけ二人を鋭い眼光で見渡し去っていった。

「響子」

「分かってる……」

 ――青い火の玉……灰……消えた死体……白骨遺体……性魔術……童男殺し……おまけに火焔の魔女……※※術……。

「……思っていたよりも、いいや、もう既に泥沼に浸かっているか……」

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