〈幕間〉執着しない男と薔薇の貴女

 

 男はそこまで執着しなかった。

 決して興味が無かったのではなく、しかし興味がそこまでそそられるものでもなかったのかもしれない。

 男は魔術師として、人間としても、ただ凡才に過ぎなかった。

 家元の魔術家系も衰退の帰路を彷徨っていたのも原因なのかもしれない。

 男の名は若森わかもりまさ

 ただ両親が魔術師で、その間に産まれた長男でしかなかった。

 正希は幼少期より両親から魔術の基礎を習い、それなりに良質な魔術師として育つ。

 だが良くてそれまで止まりだった。特別な才を有している訳でもなく、若森の家系には、代々受け継がれていくような魔術がある訳でもない。

 正希本人もそのことを成長過程で身に染みて分かっていたし、特段それが嫌なことに感じたり、何かしてやろうと一念発起しようとも思わなかった。

 高校まで一般者に混じって過ごし、高校卒業を機に魔術機関東京支部に入社した。

 数か月の雑務期間を終え、正希はすぐさま『事務管理部門』に配属が決まった。

 それに対しても特に不満もなかった。

 事務管理部門は基本的にデスクワークが中心で、一般社会のサラリーマンと対して変わらない唯一の部門かもしれない。

 ただ内容が非現実な魔術の事に関わるというだけだった。

 機関に所属する人員の事務管理や、事件管理。SNSで一般者が投稿する異常な動画や画像を高性能AIと共にチェックしたり、すぐにでも不審な情報があれば報告し、秘匿に繋げる。

 世界に存在する魔術機関に事務管理部門は存在するので、困ったことがあっても互いに協力しあう。他の部門では、国が違うだけでいざこざ問題に発展するが、ここ事務管理部門だけは世界的にも平和な部門だった。

 それが自身の性格にも合っていると感じていた。

 そうやって気づけば二十六歳になり、すっかり事務管理部門に馴染みきった時、両親から見合いの話が舞い込んできた。

 正希には、恋人がいた訳ではないし、正直あまり気乗りもしなかったが、年齢的に一度くらいは、両親の心配を和らげる数年の緩和剤になれば都合がいいと思い、その話を引き受けた。

「正希、あのね。その、今度のお見合いでのお相手さんなんだけど……」

 生真面目な母が何やら不安気な表情でこう言った。

「あの皇邸のお嬢様なの……」

 普段からあまり表に感情を露にしない正希だったが、その時だけは、度肝を抜かれたように目を大きく見開いてしまっていた。


 正希と両親は、出来る限りの正装に身を包み、大豪邸、皇邸へと足を運んでいた。

 あれから両親に事の成り行きを聞いた。

 今回の見合いは、何度も失敗した上での案件らしい。皇家曰く、出来るだけ名家同士での婚約は代々控えているらしく、若森家のような平凡な魔術家系の息子を探しているようだった。

 だが問題は、その見合い相手である娘の方に難があるようで、事態が難航しているということだった。


 皇邸と言えば魔術家系の中でも名家であり、古代からの秘術を扱うという。

 その秘術を見たことはないが、そもそも魔術師としても優れており、現当主の皇恵子は、あの世界九天階位に『天八位:元老』の座に就いた程の者だ。

 その娘を、事務管理部門である正希が知らない訳が無かった。

 名はすめらぎ 響子きょうこ

 現在二十二歳の彼女は、『精鋭部門』の最前線で活躍する魔術師である。

 それだけなら親の七光りでよくあることなのだが、何せ彼女は若くして強く、誰よりも男勝りで気高く、そしてその美貌が彼女を有名にさせていた。

 そして任務では派手に、血を撒き散らせながら戦う彼女を誰かがこう呼んだ。

薔薇の貴女レディーローザ』と。


 正希が初めて彼女を見たのは、魔術機関の大食堂だった。

 そこで喋りかけたりする勇気のある者は、正希を含め一人もいなかった。例えいても同僚の女子か要件のある部下ぐらいで、正希の中で響子は常に一人でいることが多く、“孤高”のイメージが強かった。

 勿論、有名人の向こうが、一管理部門の正希を認知している筈もなく。


 そして響子とのご対面が始まった。

 洋館内には、至る所に使用人が控え、流石魔術の名家と言われるものだった。

 出迎えに来た宮田という使用人が、両親と正希を対面の席へと案内してくれた。

 場所は食堂でランチを一緒に行う、というありきたりシチュエーションだった。

 両親はガチガチに緊張していたが、これが成功すれば我が家系は、皇邸とのパイプで支援されると大いに盛り上がっていたのをよそに、正希は内心で謝っていたが。

 そうして食堂にて、皇恵子が出迎えた。

「ヒッヒッヒ……初めまして。当主の皇恵子と言います。本日はこのような席を設けて頂き感謝いたします。我がバカ娘は不器用な故、この手の見合いは散々でしてね……ヒッヒッヒ……」

 何が可笑しいのか、恵子は嬉しそうに笑っている。

 両親は天階位持ちの恵子を前に全身が硬直しつつも、何とか挨拶を済ませ食事がスタートした。

 無理やり着る事になったのか、真っ赤なドレスに身を装う響子の顔は終始ムスッとしたものだった。

 食事は一口も口に付けず、ずっとそっぽを向いていた。

 正希はそんな響子を何となく観察していた。

 黒髪は長くサラサラで、顔たちも美人だった。着ている派手なドレスも彼女の身体のラインを美しく強調させており、女性としての魅力に満ち溢れているのを正希は感じた。

 さて、ここまでの素材を兼ね備えていながらも何故、こうも婚約に発展しないのか。

 問題はやはり彼女の中身なのだろう。

 食事は両親と恵子がひたすら喋り続け難無く終了し、食後のデザートを終え、紅茶を啜っていた頃。

 響子は我慢の限界とばかりに無言で席を立った。

『あ』

 両親は手持ちのカップを落としかけ不安気な表情で、扉を閉め去る響子を見つめていた。

「すいませんねえ……バカ娘には早く当主の座を譲るべく、跡継ぎを産んで欲しい故、私も少々焦っておりまして……何せこの世界ですから。私もいつコロッと逝ってしまうか分かないものでね。ヒッヒッヒ」

「いえ、お気持ちはご理解出来ます」

 父が冷静に飲みかけのカップをソーサーに戻した。

「正希、お嬢様のご様子を伺って来なさい」

「えっ……」

 正希はつい声を漏らしてしまった。正直な所、今日の食事会はこれにて終了、もう次回は無いとつい安心しきってしまっていたのだ。

「でも、失礼ではありませんか?」

「いや、助かるよ。ヒッヒッヒ」

 本当に、何が可笑しいのかと正希が思うほど恵子は意地悪そうに嗤っていた。


 正希は中庭に足を運んでいた。

 よく手入れされた庭だった。

 緑の絨毯が気持ちよさそうにそよ風に吹かれ、色彩の鮮やかな花たちが太陽の日光浴を楽しんで見える。

 正希は中庭の景観を暫く眺めていた。

「ふぅ……」

 さてどうしたものかと一息ついた所でズン、ズンと地鳴りがした。

 耳をすませ、地鳴りは裏の森から聞こえてくる事に気付き、一階の大階段を下りて森へ向かった。

 ドンッ! ドンッッツ‼ と地鳴りの音は近づくにつれて大きくなっていく。

 正希は森を入ってすぐ、深緑色の中に場違いな赤色が見えた。

 一本の木影に近づきそれが、響子だと知る。

 そこで地鳴りの正体に納得がいった。それは真っ赤ドレスの女が、怨嗟の如く正拳突きを、木にぶつけていたのだから。

 勿論、手には『身体強化』の魔術が施された薄緑色の光が灯っている。

 見つかったら不味い、いや面倒だと感じた正希はそうっと退散するように森を背にした。

「待て!」

 瞬間、よく通る鋭い女の声が正希を呼び止める。そしてすぐ近くにあった木の中心に一本の薔薇が刺さった。

 途端、木が真っ二つに割れ、片方が正希の方へと倒れてきた。

「え、え、ええぇええええええ⁉」

 なし崩し的に木片に倒された正希は、そこで気を失った。


 夢の中なのに凄く痛かった。正希がそう感じた理由は、一つだけ。

 急速に意識が現実に引き戻される。

「痛っ……イタイタイタイタイからっ⁉」

 目前には美しい顔たちをした女が不満そうに見える。

 正希は仰向けに女の――響子の顔を見て叫んだ。

「頬っぺたつねるの止めてぇ!」

「起きたか」

 響子はようやく正希の頬っぺたから手を放し、興味無さげにそっぽを向いた。

 正希はやっと冷静さを手に入れた時、自分が何故寝ていたのかを思い出した。

「あっ⁉」

 ともう一つ。自分の頭部がとても柔らかい感触に包まれているのを知った。

 目を開けば響子の顔と膨らんだ胸部が見える。

 転がるように響子から離れ、立ち上がる。

「なっ、なんのつもり何ですか?」

 せっかくの正装は汚れ、頑張ってはたいてみるも、効果はあまり期待できない。

「お前。弱いな」

 急な物言いに、たじろいでしまいそうになるも、慌てて余裕の表情を取り繕う正希。

「……そうですね。私は弱いです。貴女みたいに何でも暴力で済ませるタイプではないので」

 皮肉混じりに答える正希。

「少し、羨ましいよ」

「えっ⁉」

 予想とは違った答えに正希は響子を見た。

 そんな響子の表情は、何処か儚げだった。瞳に映る青空は、灰色のように虚ろいで見える。

「私、昔からずっとこんなだから……」

 響子は形の整った唇をぎゅと閉じた。

 普段はあまり化粧を積極的にしない彼女が、今日だけは使用人に無理やりメイクを施され、真っ赤な口紅を差しているのだろうと正希にも察しがついていた。

「貴女は、その、婚約したいのですか?」

「……別に。いいなって思う人なんていないし。母が五月蝿いから今だけ仕方なく」

「フフッ。それじゃあ私と一緒ですね」

 正希の自然と漏れ出た微笑みを響子は見た。

「お前も……なのか?」

「……そのお前っていうの止めてくれませんか。私の名前は若森正希。同じ東京支部で『事務管理部門』に所属しています。って一応あなたよりも先輩ですから」

「若森……まさき。事務管理部門……」

 言葉を反芻するように響子は、何度も正希の名を告げた。

「弱そうな名前」

「プッ⁉ だからそういうこと言ってるから、誰も貰ってくれないんでしょう! だいたい貴女は少し自覚が足りないようですね。全く、これだから精鋭部門のエリートって奴わ」

 ハァハァと息を肩で息を切らす正希。

 その一瞬だった――――

「フフッ」

 響子が今日初めて微笑んでいた。

 それはとても、とても綺麗だった。お世辞抜きにして少なくとも正希はそう感じた。

 今の美しい笑顔を見れば、婚約どころか人付き合いにも困る事なんて何一つないのにとも思った。

「その笑顔ですよ。それです」

「……」

「その綺麗な笑顔を、見合い相手に見せれば一発で婚約成立しますから」

「笑……顔……きれ……い」

 響子は自分の頬っぺたを引っ張ってみせた。

「私からのアドバイスはそれだけです。ではまた機会がありましたら何処かで」

 正希は響子に背を向けて館内に戻ろうとする。

「待って!」

 ヤバいと直感的に悟った正希は、同じ轍を踏むまいと周囲の木を観察し、いつ薔薇が刺さっても逃げれるように警戒した。

 だが、薔薇は一向に刺さる気配を見せない。

 恐る恐る首を曲げるようにして振り返る。そこで正希は眼を見張った。

 あの無愛想な響子が恥ずかしそうに斜め下を向き、頬を朱に染めながら自身の胸元辺りの黒髪を詰っている。

 正希は顎があんぐりと外れそうだった。

 その姿は何処からどう見ても戦場で戦う者ではなく、ごく普通の乙女の者だった。

 こんな姿は、魔術機関では決して見れない光景だろう。響子は美人だが性格に難あり故に高嶺の花なのだ。こんな光景を画像に収めでもすれば、マニアが食いつき相当な額になるが、正希の命が同時に消え去ってしまうのは自明の理だった。

「な、何ですか……?」

「あ、あの……ありがとう……正希、さん」


 正希と響子は、この関係をきっかけに何度か両親を混ぜた食事会をし、連絡を取り合うようになっていく。

 それは、何事にも執着しなかった男が、人生で初めて何かに執着した時間だったのかもしれない。

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