3-1 心の在処

 

 時刻は午前五時四十六分。皇邸の中庭にて。

 中庭と言っても野球場の半分くらいの広さはあり、中央には、ランチなどが楽しめるように白い机や椅子が配置されている。

 周囲には整備された芝や花が朝露に濡れて、昇り始めた朝日が気持ち良く反射するように輝いていた。

 月歌はその中庭の片隅にて、剣術の型稽古を行っていた。

 一通り型稽古を終え、動きやすいランニングスタイルの服装は、薄っすらと汗ばみ始めていた。

 因みにミニパンツの左端に、変な顔したウサギのワッペンが刺繡されている。どうやら本日の、月歌オススメチャームポイントらしい。

「……朝から元気なようじゃ。おはようさん、月歌や」

 しわがれた声で中庭の白イスに腰掛けようとするのは、皇恵子。

 いつものエレガントな服装に手には、お気に入りの黒の鱗模様で加工された杖を握っている。

 月歌は握っていた魔棒剣に流れる魔力マギアフォースの流れを断ち切る。すぐさま赤光の刀身は、淡い粒子となって霧散した。

「おはようございます。恵子さん」

 丁寧にお辞儀をする月歌。それを呆れたように見た恵子は、じっと月歌を見つめた。

「何年振りじゃ。月歌がこの老い耄れに修練に付き合っておくれなんて……長く生きてれば嬉しいこともあるんじゃのう」

 恵子の口元は微笑みを湛えている。

「いえ、こちらこそ無理言ってしまい、申し訳ありません」

 バシュッ! 

 瞬間――月歌は魔棒剣を機動させ、凄い勢いで飛んで来た風弾を斬り飛ばした。

「ホッホッホツ……どうやら腕は落ちとらんようじゃ」

「……恵子さん……」

 意地悪そうにニヤつく恵子に月歌は溜息を吐く。

「どれ、それじゃ手始めに軽く掛かってきんさい」

 恵子はゆっくりと重い腰を上げて杖をトン、と地面についた。

 杖はその動作に反応するように赤い光を照らし始める。

 それと同じく月歌も剣を構え、中腰の姿勢を取った。

「宜しくお願いします!」

「なに、可愛い孫娘の為じゃ……久々に血が滾るの……」


 ***


「ハァハァハァハァ……」

 月歌は息を切らし、芝生で大の字になって寝転んでいた。白くきめ細かな肌は、水玉を弾き落とし、芝生の朝露と溶け合う。

「ヒッヒッ、随分と腕を上げたな」

 反対に恵子の方は、汗一つかかず嬉しそうに顔をニヤつかせながら、中庭にある椅子に腰掛けた。

「……まだ、まだまだです」

「謙虚な奴め。いやはやそれとも傲慢か」

 少し落ち着き呼吸が楽になった月歌は、上半身を起き上げて体操座りをする。

 空に昇り始めた陽射しが眩しい程に輝いている。

「なあ月歌や」

「?」

 ぼそりと呟く恵子は、何か物言いたげな表情で月歌を見やる。

「そろそろ皇邸ウチに戻ってきたらどうじゃ」

「――っ?」

「目的はもう、達せられたじゃろうに」

「……別に、最初から目的なんて」

 月歌は花の蜜を美味しそうに吸う、二匹の蜂を見つめている。

「……フッ、それは敵の組織を破壊させた挙句、皆殺しにしてもまだ物足りんモノかね?」

 月歌は顔を強張らせた。

「憎しみは、別の新たな憎しみを生む。じゃが憎しみは、憎しみだけでは殺せまい。身に染みてやっかいじゃったろ? 月歌や、お前さんは今までよう頑張った。少しは肩の力を抜きんさ。もう一人で頑張る事もない」

「ぅん……」

「誰かを頼るのは、怖いかの?」

 額の汗を拭いて月歌はコクリと頷いた。

「……だって、その人達といつまでも幸せが続くなんてこと、ないから……」

「いつまでも……そうじゃったな。お前さんは昔から優しい子じゃったからの。じゃがな、よーく周りを見てみんしゃい。それでもまだ、一人を望むか?」

「一人でいた方が、傷付かなくてすむ。から」

 恵子は座っていた椅子から立ち上がり、体操座りで俯きがちな月歌の頭を優しく撫でた。

「お婆……ちゃん?」

「月歌……孤高は修羅でもなければ道楽でもない。それ故にただ孤高、それ故にただ孤独じゃ」

「えっ?」

「それでも一人で生きるなら止めはせん。孤高に生きる魔術師だけが辿り着ける叡智はあるじゃろう。じゃがな、響子が何故あの日、お前をさんを連れて帰ってきたか、よ〜く考えて、自分の答えを出しなさい」

 言葉を言い残した恵子は、杖を突きながら洋館へと戻って行く。

 月歌はその後ろ姿を見つめ、咄嗟に何か言わなくてはという焦燥に駆られた。

「お、お婆ちゃん‼」

 恵子は、首を曲げて月歌の瞳をジッと見やる。

「いつか、いつか必ず戻ってくるから!」

 恵子は数秒間、月歌を見つめた後、顔の皺を寄せかんと微笑んだ。

「なるべく老い耄れがくたばらないないうちにしてくれると嬉しいのう」

 恵子はゆっくりと杖をついて洋館へと戻って行った。

 空はすっかり晴天。

 もう時期、本格的な梅雨がやってくるなんて微塵にも思わせない。

 だが、それでも梅雨はやってくるだろう。

 それはきっと――物事の始と終と同義なのかもしれない。

 生と死。朝と夜。男と女。表と裏。善と悪。

 そう、どこぞの陰陽術師なら、きっとこう言う。

 ―――――万物は流転し―――循環する、と。

 月歌はそんな青空を見上げ、何か今までとは違う、モノを感じていたのかもしれない。

 稽古が終わればそのままマンションに帰るつもりだった進路を変えて、少女はうーんと気持ちよく背伸びをした。

「……響希でも起こしにいこ……」

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