2-7 善悪の秤―果ての彼方―
響子の言葉に月歌以外の二人は、意味が理解出来ず頭上にハテナマークを浮かべていた。
「えっ、そんなの宮下夫妻が詮索任務に適任だと思ったからじゃないんですか?」
「雪愛。それはどういう理由で適任だと思う?」
「? そんなの実績とか経験とか、じゃないんですか?」
「普通なら、な」
「えっ⁉」
「月歌。もう分かるだろう?」
月歌は軽く咳払いして、間を作り、ゆっくりと喋り始めた。
「はい。雑な推測にはなりますが……宮下夫妻は、『ある術』を求めて日本にまでやって来ました。私は覚えていませんが宮下夫妻は、九年前に一度皇邸にまでわざわざ足を運んで来ている所から鑑みて、皇家に古くから代々伝わる『ある術』と宮下夫妻が求める『ある術』は、同一の可能性が高い。そして、何よりも宮下夫妻が行方不明となってすぐに上層部は、この特殊犯罪部門に任務を任命しました」
「なるほどな……上が響子さんに言った『やっぱり君とその部門が適任なんだよね〜』の真意はそういう事か」
出夢は納得したのかスッキリした表情を浮かべ、えっ、えっ、と雪愛はひたすら困惑している。
「―――ここで
パチパチと響子は軽く拍手し。
「見事だ、月歌」
「ありがとうございます」
「月歌ちゃんすごーい。探偵さんみたいだね~」
雪愛は「私、全然分からなかったよ~」とニコッとした笑顔を月歌に向けながら拍手する。
月歌は照れ臭くなったのか、耳を赤からめ下を向いた。
「これで一つ動機は見えた。だが宮下夫妻が『誰に』殺害されたのかというのは、まだ不明な点が多い。いや、それでも術師の事件にとって一番大事なことが知れただけで僥倖か」
そこでフワァと雪愛と出夢が同時に欠伸をして、互いにそれに気付き、両者気恥ずかしくなったのか二人共顔が赤くなっている。
「今日はもう遅い。明日は休みだが一応いつでも連絡が取れる状態にはしておけ。それじゃあ今日の所はこれにて解散だ。遅くまでお疲れさま」
響子の解散の合図に特殊犯罪部門のメンバー一行は、帰宅する事になった。
***
響子の運転する車は、本部を退社し、現在舞咲市に入っていた。
時刻は午後二十二時半過ぎといったところ。
月歌と出夢は、流石に疲れた様子で帰宅し、どうしてか雪愛がその助手席に座っている。
雪愛の住む橋永家は、皇邸より更に西の街に屋敷を構えていて、運転免許を所持していない雪愛は、本部まで片道三十分の電車通勤をしている。
「急に送ってくれなんてどうしたんだ雪愛? まぁ私は別に構わんが」
響子は赤信号になったのをきっかけに、終始無言だった雪愛に気遣うように声を掛けた。
「…………すいません響子隊長……」
俯きながら再度無言になる雪愛。響子はそれを見て溜息を吐き、青信号になったのでアクセルを踏む。
「どうせ宮下夫妻とその娘の事が心配なんだろう?」
「え―――っ、どうして分かったんですか?」
「はぁ……分からないとでも思ったのか? お前はすぐ顔に出る。良くも悪くもな」
「それ月歌ちゃんにも言われました……」
「で、誰が宮下夫妻を殺したんだろう、娘のリアーナは大丈夫なのかな、とか勝手な心配でもしてるんだろ」
「え―――っ、響子隊長って頭の中読めるんですか⁉」
響子は呆れたように再度溜息をつく。
「馬鹿、それが出来たら苦労しない」
「そう……ですよね」
「いいか雪愛。宮下夫妻は不幸にも任務中に命を失った。娘のリアーナはある日両親を失った。ただそれだけだ。
お前が同情する理由など一つもない」
「そうですけど……でも」
「分かってる。でもな、それが魔術師として、術師として生きていく上で一番大切な心構えだって何度も言い聞かされてきただろ?」
「それです……今日リアーナさんが何で魔術を使うんだって聞いてきて、その問いに月歌ちゃんは、ただそこに魔術があるからって言ってた……月歌ちゃんは魔術師として立派な心構えがあるんだなって……でも、でも、その場にいた私は、未だにその答えが分からないんです」
「…………何の為に、か。そうだな、そんな答え私が教えて欲しいくらいだ」
「えっ⁉ 響子隊長も分からないんですか?」
「ああ。大方何か目的があって、それに向かう目標なんて大義名分みたいなものだろう。月歌が言った、ただそこに魔術があるからって言葉は、案外真実だと思うよ。でもな、そこに意味を見出す理由なんてあるか?」
「…………私は人が何か目的を達する為には、理由や根拠がなくちゃ何も出来ない生き物だと思います」
「それも、ある。でもそれは先言った大義名分みたいなもので、実際はそこまで大した考えなんてない、と私は思う。少しでも歯車が狂えば、すぐさま体のいいように内容をすり替えるのが人の特徴だ」
「けど、私は」
「違う、だろ。そうだな雪愛は強い。月歌だってそうだ。実力だけならもうとっくに私より強いよ。神司は……まだ私の方が強い、ニッ」
「えっ」
「だからさ―――意味なんて考えなくていい。自分がそうしたいと思ったからそうする。それが結果として誰かを守ることも傷つける事になってもいい。
いちいち自分の中にある善悪を秤に掛けて良い事なんてないし、そもそもそんなに地球は狭くない。でもな、雪愛はきっと自分の善を信じることでしか生きれない。ならそれでいいんだよ―――ただ前を向いてれば、それでいいんだ……」
「…………フフッ、響子隊長って何か男の人よりかっこいいですね」
「うるさい。でもまぁ、魔術師としては失格だけどな」
意地悪そうに口元を吊り上げる響子。
そして響子は言った。その生き方は魔術師失格だと。
本当にそう思う。魔術師、術師の世界において善悪の秤なんて必要ない。重要なのはただ純粋に術を追い求めることだけ。そこに善悪が割り込む余地なんて微塵もなく、ただ邪魔なだけ。
雪愛も魔術機関に入ってすぐ、嫌という程その現実を見せつけられた。
それでも言ってくれた。自分を信じて生きていい、と。
今の雪愛にとってその言葉は、一番言って欲しかった言葉なのかもしれない。たとえそれが限りなく間違っているのだとしても……。
「あ、そうだ!」
雪愛は少し気が楽になったお陰か、何か思い出したように手をパンと叩く。
「うん?」
「月歌ちゃんから聞きましたけど、響希君ってまだ月歌ちゃんのこと義理のお姉ちゃんだって知らないんですよね?」
「あ、あぁ……急にどうした」
「いや~なんかそれを知った響希君はどうなるんだろうって思っちゃって……」
「はぁ……次は響希の心配か。全く、忙しい奴だな―――多分、大丈夫だよ響希なら」
「フフッ、それもそうですね。響希君ならどんな関係だろうと月歌ちゃん大好きですから」
「響希の奴、実はもう気付いてたりして……いやそれはないか」
車は国道を抜け、大橋の道路を走っていく。雪愛はもじもじと手を弄りながら、海辺を航海している電光の装飾が派手な客船を見つめ呟く。
「響子隊長、子供がデキるってどんな感じなんですか?」
「は? 雪愛……お前まさか妊娠してるのか⁉」
「し、してませんよ! 彼氏だってロクに出来た事ないのにぃ……」
「す、すまん何か」
「もう、謝らないでくださいよ~余計私が寂しくなるじゃないですか~」
「大丈夫、この無愛想な私だって結婚するなんて自分でも思ってなかったから」
「え……」
雪愛はジーっと響子を見つめる。明らかに自分に向けられた強い視線に響子は戸惑う。
「な、なにか?」
「嫌味ですか。私が彼氏出来ない事につけこんだ強い嫌味ですか?」
「違うに決まってるだろ!」
「で、子供ってどうなんですか?」
「うーん……」
響子は照れ臭いのか珍しく頬を赤らめている。
「正直、よく分からん」
ガクンと雪愛は肩が落ちた。
「もう何ですか分からんって! 自分が産んだ子供ですよね。月歌ちゃんは違うかもだけど」
「そういうのは……気恥ずかしいというかなんというか……」
「いいから正直に‼」
「えっ……その、まあなんだ―――愛おしい……というかそもそも私にそんな感情があったのか、というか……これはあれだな、一時の錯覚現象だな……でも守ってあげなくてはというか……けど」
その後もぶつぶつと小さな声で呟く響子。
「でもさ、本当にそれは一時の錯覚現象なんだと思うよ。別に私は、響希を産んだから特別愛してるって訳じゃないんだ」
「えっ」
「実はなこれ誰にも言ってないんだけど、災害時の時に月歌を見つけた時、正直ゾッとしたんだよ」
「なんでなんですか?」
「街も燃えて、あちこち瓦礫と死体の山。そんな中、少女が一人血だらけになって必死に生きてる姿は、心臓が何かに抉られたような気分だった」
「月歌ちゃんをそこで一旦助けるのは分かるんですけど、なんでわざわざ皇邸で育てることになったんですか」
「お母さん。って言われたんだよ。多分当時は、本人も混乱してたからもう覚えてないだろうけど」
「へっ、それだけ? きっと状況的にただ間違っただけだと思うんですけど」
「そうだ。後は眼を見た時、これは私が責任持って育てなくちゃいけないなって。まあご両親や親族次第だけど、その時はそう思ったよ」
「へーなんか信じられない話ですね……」
「雪愛も分かるよ。まあそんな時なんて滅多にないだろうけど……月歌も響希もさ、一緒に生活してるうちにあいつら本当に色んなとこで勝手に成長していくんだよ。それゃあ自分が育てたんだって思うと可愛いかもしれないけど、何もずっと可愛い訳じゃない。たまにぶっ殺してやろうかってくらい人の言う事聞かなくて腹立つこともあるし、それでも私は……ずっと助けられてる」
「良い家族なんですね。フフ、なんか羨ましいな~」
そうこうしているうちに車は、橋永家の屋敷前に到着した。
「ありがとうございました響子隊長。また月歌ちゃんとお泊まり行きます」
雪愛は頭を下げる。
「はいはい、それじゃ」
車が見えなくなったところで、雪愛はふぅーと息を吹き、顔を夜空に向けた。
暗闇の宇宙で大小疎らな恒星が光り、散在している。
赤みがかった老星や、表面温度が一際高く白く青みがかった明星まで。
その在り方は幻想的であり壮大的でもあって、何処か人間味をも感じさせるような。
そんな星の海を眺め、雪愛は自分の矮小さを感じられずにはいられなかった。
「…………フフッ、ホントだね。響子隊長の言う通りかも……。広いんだね地球って……」
届きそうで決して届かない星に手を伸ばし……そっと手を戻した……。
やがて夜は更けていく……。
遠く、深く、静かに……果ての彼方へ。
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