〈幕間〉神童は、やがて火の焔となす

 

 女魔術師の名はエノア・アトレア。

 エノアは、アメリカ合衆国ミーズリ州セントルイスにて生まれた。

 魔術家系であるアトレア家の長女として、幼少期からアトレア家に代々伝わる『火』の属性魔術の才能を開花させ、両親を度々驚かせた。

 エノアの赤い髪は、アトレア家のおまけみたいなものだった。

 しかしエノアの恐るべき才能は、魔術そのものよりも、その類稀なる魔気エーテル血管の『質』と、その圧倒的『解放数』にあった。

 この世界で生まれてくる人間という生命体は、皆が『魔気エーテル血管』を持って生まれてくる。

 これは誰しもに与えられた、唯一平等な天恵ギフトなのかもしれない。

 主に一般者はこの魔気エーテル血管という存在事態を認知する事も無く、解放させる事も無く閉じたまま死を迎える。

 それはまるで、神の贈り物を拒んでいる行為にも等しいのかもしれない。

 しかし魔術を含むその他の術は、時代と共に歴史の表舞台から消え去っていったのも事実。

 魔術師を含めその他の術師は、生誕時には閉じている魔気エーテル血管を、鍛錬や実践を積み重ね、解放させていく。解放については、一概に鍛錬や実践のみといった方法だけではなく、例外もある。

 ここで一つ。幼少期からエノアが魔気エーテル血管を多く解放させていった原因がある。

 それは彼女の男勝りな性格だった。

 わんぱくはやがて負けず嫌いへ繋がり、その先は自分より優れた人は許さない圧倒的自己エゴへと変貌していく。

 エノアは魔術を使わなくても、男女関係無く束ねるカリスマ性を備え、その裏に潜む傲慢が同級生を震え上がらせ、同時に惹きつけもした。

 両親は少し心配したものの、この先エノアが魔術師としてやっていくなら、それぐらいの気概があって丁度いいとこの時は思っていた。

 だが、事態は大きく変わっていく。

 エノアは自分の住む街では飽き足らず、セントルイスに隣接するイーストセントルイスにまで手を付け始めた。この街は治安の良いセントルイスとは違い、スラム街が存在する。

 この時点でエノアは十三歳。

 世間一般で言う所の中等教育ミドルスクールの女の子だ。

 スラム街のギャング達にとって、『身代金』を要求する格好の餌食だった。

 しかしエノア・アトレアにとってギャングこそが、『飢え』を晴らす格好の餌食そのものだった。

 エノアはあっという間にイーストセントルイスのスラム街を束ねあげ、自分に逆らう愚か者には、容赦なく鉄槌を下し、その命を葬った。

 この頃からエノアの手癖の悪さは日に日に悪化し、魔術を一般者に不必要に行使するようになっていく。

 流石に目に余った両親は、魔術機関ニューヨーク支部に特例で十四歳という若さで入隊させて貰うよう措置を懇願した。

 要約してエノアは、正式に魔術を行使出来る立場になったものの、その傲慢な性格は、現場の先輩を困らせ、やがて任務先でも彼女の必要以上に振るわれる暴力性は、手に負えないようになっていく。

 だが一方で魔術師として確かな強さと才能を持ち合わせているエノアは、上層部からも認められ、凶悪犯罪事件の依頼が日に日に舞い込んできた。

 エノアはそれを嫌だと微塵も感じた事は無かった。

 むしろ彼女の『飢え』は、それでも増していくばかり。

 しっかりと実績を残していくエノアは、十七歳になった。

 そこで魔術師として人生の転機とも言える世界九天階位の階位が与えられた。

 ―――『天九位:神童』―――

 魔術師としてこの上ない名誉称号だが、エノアは特に喜びを覚えることも無かった。

 彼女にとって名誉称号は、『飢え』の渇きを潤すものでもなかったのだ。

 そうして『天九位:神童』の満期である二十歳を迎え、エノアは世界魔術機関の会議にて新たな階位を与えられることになる。

 ―――『天七位:魔女』―――

 ここで一つ勘違いしてはいけないのは、一度天階位に就いたからといって、一生天階位が外れないという訳も無く、外されれば、只の魔術師にも戻ることもざらである。

 天階位の中でも『天七位:魔女』は、少々特殊な階位で、一つの階位に八人の『魔女』が存在する。

 火焔の魔女

 水源の魔女

 氷雪の魔女

 土鉱の魔女

 雷電の魔女

 光陽の魔女

 闇陰の魔女

 風翠の魔女

 勿論、この魔女の階位は、空席の状況も頻繫にあり、むしろ一時代に八人の『魔女』が埋まった事など、世界九天階位制度が始まって以来一度もない。

 それ程に世界九天階位は、一生涯で辿り着けば奇跡のような階位である。

 エノア・アトレアは、その中でも【火焔の魔女】の階位に座した。

 それは二十歳という異例中の異例で、エノア・アトレアという名は、瞬く間に世界に広まっていった。

 そこから五年の歳月が経ち、エノアは二十五歳になっていた。

 以前同様、そのまま歳を重ねたようなもので、エノアが任務に付けば敵は皆殺し、これは確定事項みたいなものになっていた。故に魔術機関もエノアを任務に派遣する際は、最新の注意を払い、適切な任命を心掛けていた。


 ***


 二〇三三年 十二月。

 それはうんと寒い日だった。

 いつものように任務に任命されたエノアは、アメリカ合衆国カルフォルニア州にある渓谷へと足を運んでいた。

 雪は降りしきり、足場は踝まで雪が積もる。少し風も強めで、後に吹雪ブリザードとなる恐れも予報されていた。

 総勢五十人の指揮を執るエノア。その後ろに隊列を連ねるのは、同じNY支部の部下二十九人と、日本の東京支部からやって来た二十人だった。

 この日は、敵の混合犯罪独立組織に、日本人が多くいるとかの関係上、合同任務になっていた。とはいっても指揮を執るのはエノア。

 勿論、やることはいつもと変わらない、だった。

 任務は順調に進んでいき、残るは敵が数人といった所。

 やがて残った敵の数人が命乞いをしてきた。これもいつもの光景。

 今日は珍しくその中に日本人も数人いた。ただ、それだけだった。

れ」エノアは部下に指示した。

 それに従った部下が、【魔棒剣】を敵の首に振り下ろそうとする。

 ――――寸前、その動きがピタリと静止した。

「何をしている? さっさと―――」

 そこでエノアは異変に気付いた。

 部下の腕辺りの関節がしている事に。

「誰だ?」

 エノアの問いかけに、後方からザクリザクリと雪を踏む足音が聞こえ、振り返る。

『敵は命乞いしています。それに事件内容をちゃんと白状するとも。それに魔術機関に必要な情報は、全て吐くと言っています。

 彼らはどの道、【地下アンダー監獄プリズン】行きです。これ以上不必要な殺害は無用です』

 若い日本人女魔術師だった。

 エノアもまだ世間一般では若い部類に入るが、いま目の前に居る女魔術師は、見た目十代のあどけなさが残る少女だった。

 慌てた同僚の日本人魔術師が、その少女を止めにかかる。

 だが少女は、それすらも退けエノアの前に立ちふさがる。

 真っ直ぐな瞳だった。

 世界を善悪などという簡便な概念で分けていいのなら、それは確実に善の瞳だった。

 その誰にも媚びない瞳が、エノアをじっと見つめる。

 エノアが魔術師になって十一年、初めての事だった。自分が指揮を執った部下に、モノを言われるのが。

「貴様。誰に刃向かっているのか、知ってのことか?」

『失礼を承知で申し上げている事は、分かっています。

 申し遅れました。私は、魔術機関 東京支部 精鋭部門に所属するはしながと言う者です』

 その名を聞いた部下の数名がざわついた。

 エノアはさして興味もないが、任務中に部下が、よく魔術世界の情報交換をやり取りしているのを耳に挟むことがあった。

 自分が『天九位:神童』を退き空席が数年続いた。その後に日本人の女がその座に就いたとか。

「…………お前、神童か?」

『はい。名前負けもいい所ですが……』

 神童は恥ずかしそうに頬を染める。

 エノアは何故一発で見抜けたのか、部下の情報交換よりも確かな情報が目の前で起きたからだ。部下を瞬時に凍結させ動きを止めたあの行為が、エノアの直感をくすぐらせた。

 瞬時に魔力マギアフォース解放リリース、それを放出させる速度スピード。おまけに動いている者の関節だけに命中させる精度コントロールが、尋常では無かったから。

「ならお前の命令は、魔術機関内であれば大方の奴が聞かなければいけない。だが私は――『魔女』だ。分かるな?」

『はい。それを承知でエノア指揮官に申し上げているんです』

 周りにいた部下に緊張感が走るのをエノアは感じた。それもそうだろう。今までこんな奴いなかったのだから。

 エノアは笑った――今までの『飢え』は、何だったのかと。

 エノアは嘲った――神童? こんな奴が。魔術師のクセして、正義ズラしてやがる。

 エノアは嗤った――奥底に眠る魂が呼びかけてくる。こいつを今すぐ――『殺せ』と。

「おい、神童」

 エノアの一声は、今までとは別人のように冷酷さを孕んでいる。

 ただでさえ寒い周囲の温度が、より一段と下がったように部下達は感じた。

『何……でしょうか?』

 エノアの雰囲気の変わりように気付いた神童は、少し怖じ気づくも、その瞳はエノアを逸らさない。

 ―――大したものだ。エノアは心の底からそう思った。

 今の威圧を受けてまともにエノアを見つめ返せる部下は、一人もいないだろう。

「条件がある。そこの者達を殺さない代わりに……このあたしと殺し合い手合わせしろ」

『えっ……』

 その場の空気が数秒間凍り付いた。

「どうする? さっさと選べ。あいつらが殺されるか。それともお前があたしと殺し合い手合わせするか」

 数秒間の沈黙。

 渓谷に吹き荒れる風は、一段と勢いを増していく。

 普通の者なら間違いなく、犯罪者が殺されるだけで済む方を選択するだろう。まだこれからも長く生きたいのであれば、それが賢明な判断である。

 それは魔術師としても、弱肉強食の世界としても当たり前の常識だ。

『……分かりました。やります』

 ニヤリとエノアは獰猛な牙を見せた。

 エノアは知っていた。―――こいつはそういう奴だ、と。そもそもここで引き下がるような奴なら最初からあたしに刃向かいはしない、と。

 周りの部下が必死に神童を止めようとする、がしかし『どいてください』とエノアの前に立ちふさがった。

「後になって後悔なんてするなよ? 死ぬ気で掛かってこい」

『はい! 宜しくお願いします‼』

 この時、部下達は皆等しく同じことを思った。

 神童は、ここで間違いなく―――『死ぬ』と。

 瞬時に場の気温が急上昇した。

 エノアを中心に漏れ出る陽炎の如く魔力マギアフォース

 雪は水に溶け、その水は天に昇るように蒸発していく。

 反対に神童の方は、変わらない。

 正確には、舞い降る雪に紛れるよう神童を中心に、粉雪が不規則に周期しているように見えたのは、エノア含めその場にいるたった数人だけだった。

 部下達は為すすべもなく、巻き込まれないようにその場を離れ、両者をチラチラと心配そうに見守る事しか出来なかった。

 互いに立ち尽くし、見つめ合う。

 三………………。

 二…………。

 一……。

 零…。

 パチン! と先に指を鳴らしたのはエノア。

 瞬間、プロミネンスの如き火焔が、雪愛に襲い掛かる。

 ダンッ! と遅れて足を踏み鳴らしたのは神童。

 瞬間、雪面が反り立つよう動き出し、ブリザードの如き暴雪風が吹き荒れる。

 火焔とそれを消し飛ばす勢いの暴雪風が――激突する。

 刹那、大爆発の如し白煙が巻き起こった……。

 すかさずエノアは、追い打ちをかけるように手を縦に軽く振った。その動作のみで大気中に生成された三十発の火弾を神童に撃ち込む。

 最早大気中の気温や舞い降る雪では、その火弾の勢いを弱めるどころか無残にも蒸発してしまうだけ。

 それに対し神童が軽く手を横にスライドさせる。

 その動作だけで三十発の火弾は、空中でカチンと凍結して地面に落ち、硝子のように粉砕した。

 エノアはフルコースで言う所の前菜にも満たないこのやり取りに、心の底から歓喜した。

「フフ………そうだ……これだ……これなんだよ。フッ、フフフ……フハアアアアア‼」

 エノアは決して見逃さなかった。

 三十発の火弾に近づく粉雪が、放出された魔力マギアフォースと大気中の魔気エーテルを結び付かせ、瞬間的に火弾を包み込むように凍結させたのを。

 その場で観戦する部下達の中に、その魔術操作に気付いたのはエノアだけだった。

 神童の技術は確かなものだが、それを見抜くエノア自身の動体視力もやはり並大抵ではなかった。

 ―――いかれた動体視力と魔力マギアフォース制御コントロール……これが、今の神童か……。

「そうだ………もっとだ。もっと見せてくれ………お前の力を……ククッ……さぁ殺し合おうぜぇええ神童―――ッ‼」

 エノアは曝け出す。剝き出しの感情を……顔に出し、魔術に変貌させて。

 無意識的に漲ってくる、溢れんばかりの火焔を両手に。赤く美しい花のように添えて……。

『火焔の魔女』は――わらう。

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