樹の独白

神是:………乙梨悠仁、仮にも年下のお前に不意を突かれたとは……今でも認めたくないものだ。


転倒した時のあの表情、確かに驚きと混乱に満ちていた。今、目の前に横たわっている八重間重悟と同じで……


俺が知る限り、あの状態に陥った人間が反撃を加えられた試しはない。反撃できるような奴は、そもそもあんな間の抜けた面にはならない。


それに…(痛めた左手を握りしめる)

あの体制で、的確にメスを蹴り飛ばすなんてな。そもそも足が上がらない上に、握力を失わせるほど強烈な蹴りを放つなど……少なくとも素人には不可能。力が逃げるような動きになることが多い。


転倒して俺を至近距離に誘い、自らの足の長さやタイミングを完全に見計らって繰り出した一撃…


恐れるべきは、近視の矯正用眼鏡を外して成功させた点だ。………いや、冷静になってあの動きを見れば……ごく自然に事故で外れたように見せ掛けていると、気づけたはずだ。


自ら足を引っ掛け倒れこんだ一連の動き…何処までも得体の知れぬ思慮深さと言うべきなのか……?


後半、俺が抑制剤を塗布したメスを二本同時に投げたときもそうだ。


仮に叩き落とされても動揺を誘えたはずが……奴は全く臆する事なく、二本目を素手で掴みとった。


抑制剤が塗布されてなかったら……俺は負けていた。


…………いや、違うか。俺が勝てた本当の理由は………"乙梨悠仁が眼鏡を外さなかった"からだ。


連行後の事情聴取でチラリと呟いたあの台詞………


"掴むタイミングを間違えた。柄を掴むはずだったのに"


………あの時、もし柄で掴もうとしていたら…顔面と刃先の距離は、ほんの数センチだっただろう。


どう考えてもそんな危険な賭けはしない。万が一掴み損ねればどうなるのか、容易に想像できる。そんな危険な賭けを、迷わず選択肢に入れる判断力。


仮に失敗の可能性が全く存在しないとすれば、何故…あの瞬間だけは失敗したのか?ここまで完璧とも言える身のこなし、不確定要素があるとすれば…


前半に違和感を覚えた眼鏡、だろう。眼鏡を掛け直すかを躊躇っている瞬間があったのだ。


……普通、視力矯正は視界を確保する為にある。なのにそれを躊躇わざるを得ないとは……?


あくまで推察の域をでないが、距離が近すぎて……矯正が却って仇になった、のか?思い返せば、動きもやや鈍かった。二本目を認識するタイミングが遅れたから、勘で手を出したのかもしれない。

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古の記録 限前零 @rieru_sai

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