――いやなものはいや(結月26歳、湊27歳)

「ヤダヤダヤダ、ぜっっっっったいにいやだ、長瀬のやつ、何でイタリアで結婚式なんかするんだ。私は飛行機が嫌いなんだ。ああ、船にすればよかった。塚本君、今からでも遅くないから船にしないか。」


「大丈夫ですよおじさん、飛行機は落ちたりしませんから。それに船だと悠人と凛先輩の結婚式には間に合いませんよ。」


「父さん、ここはもう空港で搭乗口一歩手前まで来てるのよ、いいかげんにしたら?どうしてそう飛行機を嫌がるのよ。」


 長瀬家の人と母さんと凛姉は一足先にイタリアに行っていて、仕事の都合で遅くなった父さんを私と塚っちゃんと湊さんで連れて行くところ。

 咲良も一緒に行くはずだったけど、ちょっと前におめでたがわかって、大事を取って行くのを断念した。残念だけど、仕方ない。


「医者が飛行機に乗ると、絶対と言っていいほど『お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか?』ってなるだろう!私は整った設備と熟練のスタッフとオペ看は大国君か清水さんがいないと何もできないんだ!ああ、どうしたらいいんだ、凛の結婚式に父親が出ないと体裁が悪いのはわかっているが、大ピンチだ!」


「大丈夫ですよ、桜宮先生。俺は何回も飛行機に乗ったことありますけど、そんなことになったの一度もありませんでしたよ。スーパー銭湯ではかっこよく処置してたじゃないですか。」


「飛行機の中では絶対に先生って呼ぶなよ、医者だとバレるだろう!今までなかったからと言って今回も大丈夫だとどうしていえるんだ。空の上には救急車は来てくれないんだぞ。天王寺君といい、長瀬君といい、なんでこんなに殺意しか湧いてこないんだろう。塚本君だけが頼りだよ。」


「塚っちゃんは咲良の旦那だからね。殺意は湧かないわよ。それよりも父さんが挙動不審過ぎて出国できなかったらどうするのよ。落ち着いてよ!」



 なんとか飛行機に乗り込んで座席に落ち着く。

 父さんの希望でなぜか塚っちゃんが父さんの隣で、私は湊さんの隣の席。

 ここまでくれば後はイタリアで降りればいいだけ。


「父さん、何をキョロキョロしているのよ。テロリストや密輸してる人より怪しいんだけど。」


「具合悪くなりそうな人はいないか?」


「大丈夫ですよ、いざという時は俺もいますから。」


「国家試験受かったばかりの若造が何を偉そうに、ああ、他にも優秀なお医者さんが乗ってくれていますように。お願い、頼む!」


「塚っちゃん、父さんを寝かしつけて。」


 離陸した後も、機内食を食べているときも、父さんはテンション高めだったが、ようやく眠ってくれて静かになる。


「今まで家族で飛行機に乗るような旅行をしたことなかったのは、単に貧乏・節約気質な家のせいかと思っていたけど、父さんがこれじゃあね。」



 楽しくしゃべったり、ウトウトしていたらあと二時間弱で到着するらしい。

 何事もなく…と思った途端に不幸は予約していたかのように襲い掛かってきた。



『お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか。』


 ひえぇぇぇ、どうしよう、タイムリーに心臓が具合悪くなった人ならいい(?)けれど、頭とかお腹が痛くなった人だったら、手に負えるのかしら。ドラマだとどんなピンチでも手際よく処置して解決しているけど、父さんと湊さんで出来るの?

 っていうより、父さん名乗り出ないつもりじゃ……。


「こうなることはわかっていたよ。」


 予言者のようなセリフを言って父さんは、タクシーでも止めるようにすっと右手を上げ、左手で塚っちゃんをガッチリつかんで立ち上がった。父さんかっこいい! CAさんが飛んでくる。


「お医者様ですか、急に具合の悪くなった方がいて、ご案内しますのでこちらへお願いできますか。」


 CAさんは明らかにほっとする。

 今ここでどんなイケメンアイドルやイケメン俳優もがいても、少しハゲていてお腹が出ているベテラン感ありありのおじさん医師の方に走り寄りたいであろう。


「わかりました。」


 飛行機に乗る前の取り乱しようが嘘のように、父さんは落ち着き払った様子で対応する。塚っちゃんを離さないままで。


「あ、俺も行きます。」


 さすが湊さん、頑張って。


「あの、僕は医者ではありませんが、英語と中国語なら自信があります。」


「塚本君は心の支えとして一緒に来てほしい!」


 どう考えても私は役に立たなさそうなのでそのままじっとしていることにして、塚っちゃんには同行してもらう。

 以下は男チーム三人のたどった修羅場の様子。


 ◇◇◇◇

「こちらです。」


 案内されていった先にいた患者さんは…明らかにお腹の大きい外国人の妊婦さんで、彼女はパニックに陥っていた。青ざめる男三人チーム。


「「・・・・・・」」


「何とかしろ、天王寺くん!君の方が最近勉強してるだろう!」


「俺が血液内科に進んだの知ってるじゃないですか!心臓に比べたら出産なんて病気じゃないし、やはりここはベテランの桜宮先生が!他の場合ならともかく、こういう時一番診てもらいたいのは、ベテラン感のある医師に決まってます。俺だと大丈夫かこの若いやつでって思われますし。」


「何言ってるんだ、胎児にもしものことがあったら…。とにかく、いつから陣痛が始まっているのか、間隔は何分なのか、この人が何歳で初産か経産婦か、破水してるのか、まず何人で英語が通じるのか、パニックを何とかして落ち着かせないと。ああ、何から手を付けたらいいかもわからない!指示の順番もわからない!」


「ドクターたち落ち着いてください。英語通じるみたいです。優秀なドクターが二人も来てくれたって言った、ら妊婦さん少し落ち着いたようです。」


 塚本が落ち着いた様子で妊婦さんの手を握り、英語で優しく話しかけている。


「やる時はやるなあ、塚本。で、イギリス人か、アメリカ人か?」


「いや、ドイツ人のヒルダさん。僕ドイツ語は無理だから、英語話してもらってるだけ。」


 英語ってすごいなあ。いや、感心している場合ではない。


「塚本、まず深呼吸してもらって。そして絶対にヒルダさんに俺たちが心臓外科医と血液内科医だってことばらさないで。どうですか、桜宮先生。」


「CAさんと塚本君からの情報と、診たところだと正常分娩で、ここで生まれるか病院までもつか私ではわからない。下手に手を出さない方がいいだろう。よくわからないが、きれいな布とお湯の用意だけしておいて。あとは妊婦が不安にならないように励まそう。天王寺くん、産科医を演じろ。地位は人を作るというじゃないか。演じれば産科医になれるかもしれない。」


「そんな!こんなに短期間にですか?」


「今必要なのは全員落ち着くことだ。妊婦がリラックスして落ち着くことが一番大切だが。何といっても飛行機の中で産まれそうなんて、パニックにもなるよ。」


 塚本は慣れた手つきでヒルダさんのお腹や腰をマッサージしてあげて、大丈夫ですよ、と声を掛けている。こいつ、何者なんだ。確か大手の銀行に就職して、どこの支店にも必ず一人はいそうなザ・銀行マンとして会社に溶け込んでいたのに。


「咲良の出産に備えて、つい最近本で読んだばかりだったのが良かったです。」


 なるほど、妻の出産に役立たずな失態を見せて一生ぐちぐち言われる夫が多いってテレビでやってたな。俺も気をつけよう。まだ先の話だけど。

 俺もニッコリと微笑んで、あることないこと励ましまくった。


「ドクター桜宮は年間に何千人ものベビーを取り上げる優秀な産科医です。私も若手産科医のエースです。あなたはラッキーですよ。このままここで産んでも何の問題もありません。空港には救急車も手配済みですから。」


 ニッコリと微笑む偽産科医のドクター桜宮と俺。でも男三人チームの胸のうちは頼むからここで産まれないでくれと色々な神に祈っていた。

 妊婦のみならず飛行機のスタッフまで騙されて、大パニックの空間は和やかな雰囲気になる。結局飛行機の中で赤ん坊は産まれず、空港到着後、病院までもった。



「近年まれに見る大ピンチだった。どんな難しい手術よりも。天王寺くん、結月との結婚式は頼むから国内にしてくれ。」


「えっ、結月との結婚を認めてもらえるんですか?」


「ちょっと、私まだプロポーズしてもらってないというか、してないっていうか、そういう話でてないんですけど。」


「いいじゃないか、おめでたい話だし。僕と咲良が挙式したホテルだったら割引きできるよ。」


「割引!魅力的な話ね。あそこ良かったし、そうしようかな。」


「なんにしろ、今回一番活躍したのは塚本君だよ。天王寺君はもっと勉強した方がいいね。専門分野だけっていうのはどうかと思うが。」


「……はい……。」

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