第30話――セレブの避暑もやってみた
「初めからこっちに来ればよかったのに……。」
庶民のキャンプ場は一泊二日で、二日目には車で一時間位離れた天王寺家の別荘に移動する。ケータイが圏外から抜け出し、つながるようになってホッとした。
咲良からラインがけっこう来てる。長瀬君からも。
ケータイが調子悪かったって送っておこう。
車から降りて、木立の中の別荘の玄関まで土の道を少し歩く。
「桜宮先輩、そこの段差、危ないですよ。」
颯君がすっと手を差し伸べ、思わず出した私の手を握って、軽く引っ張り上げてくれた。これくらい自分で登れるけど、女の子扱いされるとうれしい。
颯君のさり気ない優しさって一つでもポイントが高いのに、結構な頻度で優しくしてくれるから、天王寺先輩の期間限定彼女じゃなくてフリーだったら絶対に舞い上がってたわ。
別荘だけど部屋はいくつもあって、全てが快適な状態で用意されていた。
ここ、マジで個人の所有物件なのかしら。
「事前に管理人の山田さんが準備してくれているけど、何か足りないものがあったら言ってちょうだいね。」
「雅、結月姉さまと一緒の部屋がよかったのに。あっ、それと薪が三束くらい欲しいの。山田さんには割らないでってお願いして。」
「友達との旅行じゃないんだから、桜宮さんにご迷惑よ。薪は多めに頼むわね。」
「ごめんなさい、私あまり寝相には自信なくて、一人で寝させてください。」
ゲストルームは確実に私の部屋の三倍くらいは広く、年間で何日も泊まらないのに家具調度も高級品だろう。よくわからないけど。
もうここに住みたい。
この別荘で、私たちは乗馬や釣り、サイクリングとあれこれ楽しんだが、特に家族全員でテニスをしたのが楽しかった。
「どうして先輩はそんなにテニスができるんですか!」
「初等部の頃、習ってたから。」
私はコートの中をあちこち走り回り汗だくなのに、先輩は涼しい顔で素人にはとりにくいバックサイドにボールを返してくる。
「結月姉さま、湊兄さんになんか、スマッシュを顔面に叩きつけてやればいいのよ!意地悪なんだから!」
やれるものならやっている。
雅ちゃんと私ペアと先輩と颯君ペアは圧倒的にこっちが不利。
颯君は返しやすいところを狙ってくれるが、先輩は容赦ない。
こちら側でわあわあやっている隣で、ダンディと美魔女が真剣なラリーをしていて、見ていてもテンションが高くなるほど素敵。
「とってもお上手ですね。もしかしてお二人の出会いは避暑地でのテニスですか?うーん、ロマンチックですね。一目で恋に落ちたやつかしら?」
休憩中に美魔女に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「いいえ、出会いはK学院のテニス部の同級生よ。」
「えっ、そうなんですか?じゃあ、おじさまから告白されて…。」
「いいえ、この人全然、気がついてくれなくて。」
「いつもテニスコートを油断して歩いていると、渾身のサーブやスマッシュをお見舞いしてくるから、嫌われてるかと思ってたんだよ。」
「女心のわからない人よね。しょうがないから、家の庭に咲いてた白薔薇で花束を作って叩きつけてやったわ。」
「えっ、白一色の花束のはじまりって、おばさまなんですか!」
「いいえ、もっと前からあったらしいわ。なんでも大正時代くらいから。みんな知ってるだろうから、白い花束を使わせてもらっただけよ。薔薇を大切にしていた父には物凄く叱られたけれど。」
「はぁ、でもよかったですね、思いが通じて…。」
他にも庭にハンモックをつって、のんびり読書とか。
「これはどうやって乗っかればいいのかしら。」
「結月姉さま、おしりから、えいって乗れば大丈夫よ。」
「よかったら僕につかまってください。」
「ありがとう、颯君。ちょっとつかまらせてもらうね。あっ出来た。」
「降りるときは足からです。やってみて。」
降りるのは少し難しくて颯君に
読書用の本を取ってきて、もう一回ハンモックに乗っかろうとすると、天王寺先輩が「つかまるか?」と聞いてくれたけど、「もうできるから、大丈夫です。」とお断りさせていただく。
夜は大抵、別荘の暖炉に雅ちゃんが割った薪で火をつけて、家族全員でおしゃべりをした。
雅ちゃんと颯君は薪をくべたり、火掻き棒で火のついた薪をならしたり、暖炉に張り付いている。
「家の中に暖炉って素敵ですね。炎にこんなに心が引き付けられるなんて、思いませんでした。」
「子供たちが小さい頃は危なくて全然使ってなかったんだ。桜宮さんのおかげで雅が薪割りを習得して、火の具合も調節できるようになって有難いよ。家族のコミュニケーションにはもってこいだ。」
「こんなに家族が集まれるなら、もっと早く暖炉を使えばよかったわ。夏に火をたくなんて思いつかなくて。」
「いつも仲良しな家族に見えますけど。」
「最近子供たちは、自分の部屋で過ごしがちだからな。桜宮さんがいると場が和むし、話題に事欠かないから会話も弾むよ。」
「そうね。別荘に来てもらって、本当に良かったわ。」
「……そう言ってもらえて、うれしいです。」
「桜宮先輩、少し元気ないですね。食欲もないみたいだし。もしかして家が恋しくなったとか?」
「雅と一緒に寝ます?」
「ううん、大丈夫よ。心配してくれて、ありがとう。」
…もうダメだ……。
一昨日くらいから、いや、もう少し前から気がついていたけど、気づかないふりをしていた。
私は天王寺家の皆さんを
先輩と共犯だけど、皆さんに良くしてもらうたびに心が痛んだ。
私にはここにいる資格がない。これ以上、彼女役は無理。
なるべく早めに先輩に期間終了を申し出でて、フェードアウトしたい。
先輩ごめんなさい、期待にそえたかわからないけど、小心者の私を許して――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます