2 「ムラサキさん、質問してもいいですか?」


「ムラサキさん、質問してもいいですか?」

「いいですぜ。なんでもこいさ」

 カリーから質問してくるとはいい。さっきまでは私しか話を切り出さなかったからだ。いい予兆だと思った。

「ムラサキさんは人を食ったことがありますか?」

 だが飛んでくる問いはとんでもないモノだったが。人を食ったことあるかないかなど多分人生で初めて聞かれた。中々経験にないもんだ。

「すみません、ないですよね……ごめんなさい」

 カリーは自分が言ったことの不自然さに気付いて先に謝ってしまった。

「ありますぜ」

 そういうとカリーは即座に顔を上げ私を見る。

「すまんが私は色々と出自が変なのでね。中東の紛争地域で生まれたんだ。小さい頃から銃を握って人を殺してきた。ある日敵陣深く切り込みすぎた私は孤立した。ちょっとやそっとじゃ自陣に帰れない状態になった。だが下手に動いても敵に見つかり殺されるだけだ。私はなんとかそこを脱出した。するとどうだ、味方は撤退しかなり後方まで戻っていた。私は限界に達し空腹に襲われた。日照りが強い区域だ緑もなければ虫もいない。ついに私は人の死体に手を出した」

「……味は?」

「覚えていない。もう十年も前なのでね」

 言い終えるとカリーは吹き出した。

「くくっくくくっ」

 変な笑い方だった。おおよそ今までのカリーとは似ても似つかない笑みをしていた。

「くくく。そんな話を信じるとでも?」

「そう判断するのはカリー、お前さんですぜ」

「くくくくっ。そう来るとは思わなかったよ」

 小刻みにカリーは笑う。口調も大分変わり大分元気になっていた。臆病だった態度が気丈になっていく。これが本当のカリーなのかもしれない。

「じゃあ"僕"とムラサキは仲間ということになるね。人食い仲間だ」

「人食い仲間、か。つまりカリー、お前さんも人を食ったことがあると?」

「ああ。僕は人食いの殺人鬼さ」

 カリーは口調と性格を変貌させ一気に語り始めた。

「僕には恋人が居たんだ。同い年でとても仲が良かった。気さくな男でね。つい調子に乗ってカッコイイところを見せようとするんだけど、いつも失敗する。そういうところがカワイイ奴だった。深く愛し合った。だが私の愛は普通ではなかった」

「愛に普通も何もないですぜ。全ての愛は不可解だ」

「愛する人の肉を食べてみたいとしてもかい? そのために愛する人を殺めても構わないという思考は普通かい?」

 カリーは雄弁に語る。私はそれに圧倒される。

「残念ながら僕は普通じゃなかった。僕は彼を殺して肉を食べた。それはとても美味だった。僕は彼の死体を全て回収して食い尽くした。肉が尽き果てるともう一度食べたいと思った。それが十三回続いた。つまり僕は十三人も恋して人を殺し食らったんだ」

「猟奇的だね。でもたいした数じゃない。スコアなら私のほうが百倍上だ」

「確かにムラサキが言うとおり僕が犯した罪は過去の大罪人と比べて小さいかもしれない。だがいささか一般的ではないだろう?」

「それはそうだが……」

 私はカリーを再び見る。緑色のパーカーに血が付着している。そしてカリーは怪しく笑っていた。不可思議さを髣髴させる。それが彼女の魅力なのかもしれない。

「さて僕の欲は満たされることなく十四人目に至った。ムラサキも見たあの死体だ。さあ驚いてくれムラサキ。僕はあの時なんて言った?」

「助けてくれと言った」

「そうだ。僕は見知らぬ人に助けを求めた。何故か? 答えは肉が不味かったから。それで我に返ってしまったのさ。『私はなんのために人の肉を食っているんだ?』とね」

 笑える話だろう、とカリーは付け加える。

「味覚的に、この肉は食べれそうに無い……そう確信した。ゲロも吐いた。狂気から目が覚めた。覚めてしまった。そして思考がぐちゃぐちゃになってね。味覚は愛なのか、料理したほうがよかったのか、そもそも食わなくて良かったんじゃないか? などと、よくやく気づいてね。今まで重ねた罪の数と有意味の量、良識とか倫理とか感情とか、将来の不安とかいろいろこんがらがって……全てに押しつぶされた時、ムラサキが現れた。私は本能的に助けを求めてしまった」

「……この話を私が信じるとでも?」

「ムラサキの話より大分マシだと思っているのだけど、ダメかい?」

「……」

 私は黙った。この話が即興で作られた偽物だとは考えずらかった。カリーはあの時、本当に錯乱していたように思う。だからこの話は本当なのだろうと思った。

「なら問おうカリー。お前さんは助かりたいのか?」

「いや、僕はもう助かった」

 カリーは椅子からゆっくりと立ち上がる。

「遅かれ早かれ警察は僕に辿り着くだろう。今まで散々欺いてきたが今回ばかりは騙すと思うのは阿呆だ。ならば最後まで足掻き逃げるが、潔く覚悟を決め自首するか。美学の問題だ」

「どっちを選ぶ?」

「後者だ。ココアは美味しかったよ」

 カリーはそう言って歩き出しそのまま去ろうとした。

「待て!」

 私も慌てて立ち上がりカリーを引きとめようとした。

「カリー! 私はお前の味方だ! 私を頼れ! 逃げ切れるかもしれないぞ! 助かるかもしれない!」

 私は説得した。確かにカリーの罪は重い。だが私も悪行を積み重ねてきた人間だ。罪人は罪人に同情できる、力を貸す事ができる。それが私の信念であり"やりたい事"だ。

 だがカリーは首を振った。

「ムラサキ、僕はもう既に君に救われている。君が考える時間をくれた。君が僕を思い通りの方向へ導いてくれた。それで充分だ。恩人に迷惑をかけるわけにはいかないよ」

 そう言うとカリーはドアノブに手をかける。切り裂き通り三四の二○二号室から出ようとする。

 私はなんとかカリーを引きとめようと思った。恐らく二度と会うことはない。二度とカリーを救うことはできない。だがカリーは既に救われている。

「傘だ」

 思いのほか、自然に言葉は発せられた。

「カリー、傘ぐらい借りてもいいだろう。迷惑のうちに入らんですぜ」

 カリーは振り返る。そして黒い傘を手に取りコクリと頷く。

「気遣いに感謝するよ」

 そしてカリーはドアを抜け、静かに閉めた。

 私は打ち破られた壁の穴から外を見る。黒い傘を差したカリーが雨の中歩いているのがわかった。

 それを私は見えなくなるまで眺めるしかできなかった。


***


 私は眠れなかった。ただリビングで考え事をしながら座っていた。だが体調を崩したような気分だった。

 悪党としてカリーに何かしてやれたのではないか。そう思った。だがカリーは拒否した。

 今まで色んな悪党を助けようとしてきた。そして失敗してきた。成功例はほぼない。フリーデ・アッカーマンという原因はわかっているが取り除けるものではない。

 だが助けを求められなかった事例は果たしてあっただろうか。記憶にない。

 やはり何かしてやれたのではないか……考えは巡る。

 すると突然フリーデが部屋から飛び出てきた。

「助けを呼ぶ声がした」

 そう静かに言うとフリーデは破られた壁をくぐり抜け、切り裂き通りの道に飛び降りる。雨も気にせず飛んでいった。

 フリーデは突然こういう行動に出るが空振りに終わったためしはない。必ず事件が起きている。そしてフリーデはそれを殴りに行く。

 私はフリーデを追いかけた。珍しいと思う。普段追いかけても間に合わないからだ。悪党を救えることはない。

 だがそれでも私はフリーデを追いかけた。雨が降っているが関係ない。そういう天候の戦場などいくらでも走ってきた。何も問題はない。

 走り続けて私は追いつく。そこには三人の人影があった。

 一人はフリーデで、もう一人の男の首を左手で掴み持ち上げていた。そしてもう一人が地べたに倒れいた。

 倒れていたのはカリーだった。

 私はそれに気付いてすぐ駆け寄るがどうも様子がおかしい。カリーの胸元にはナイフが突き刺さっている。そこか新鮮なら血が溢れ出ている。

「許してくれ! 事故なんだ!」

 フリーデに掴まれた男はそう叫んだ。

「俺は今日誕生日だったんだ! だけど貧乏だから祝う金もなくて、ケーキを買う金もなくて……だかくせっかくの誕生日、ちょっといい思いをしようとしただけで! ナイフで脅しただけだ! 殺そうとだなんて全然考えてなかったんだ!」

 男は泣き叫びながら許しを請う。フリーデは何も動じず男を睨んでいた。おそらく許す気は微塵もないのだろう。

 私はカリーの脈を確かめた。だが確かめられない。脈が感じられない。手を遅れだ。死んでいる。助からない。

 カリーの体は雨に濡れてとても冷たくなっていた。その横に傘が放り投げられている。私は傘を手に取りカリーを覆うように差した。

「許してくれ! 頼む!」

 男は相変わらず泣き叫んでいた。見苦しい光景と思われてもしかたなかった。

 それでもそこの男を救えるのは悪党の私だけだろう。

 私はフリーデに銃を突きつけた。使うのはM9。

「放せフリーデ。そいつは悪人だ。なら私が救わなければならん。たとえ目の前に正義のヒーローが居たとしてもその男を私は救える」

「ムラサキ、お前泣いてるぞ」

 フリーデは私を見ずに言った。

「冗談はほどほどにしてくれ。私は泣いてなんかいない」

 馬鹿馬鹿しかった。フリーデは私を視界さえ入れてないのに泣いていると言ったのだ。雨が降っているにしても洒落が効きすぎる。

「強がりやがって。泣いてるのはお前が辛いからだ。自分が作った信念を曲げたくないが本当は曲げたいんだろ。その葛藤を無理して押し込んでんだよ」

「何を言う。私は悪党だ。だからどんな悪党にも同情できる。どんな悪人も救える」

「ならハッキリ言うぞムラサキ。お前が救いたかった悪党が別の違う悪党に殺された時、お前はどうしたい?」

 私はフリーデの問いに答えられなかった。答えられるはずだった。ついさっき私は宣言し今もフリーデに銃を向けている。それが答えのはずだ。

 だが私は何も言えなかった。

 その虚を突いてフリーデは私を蹴り飛ばした。銀色の右足で力強く頭を打った。


***


 目が覚めた時は見慣れた枕だった。私は切り裂き通り三四の二○二号室に運ばれていた。

 ベッドの横はフリーデが足を組み腕も組んで背もたれによかかっている。不遜な態度で待っていた。

 私がフリーデを睨めばフリーデも私を睨み返した。

「……あの男は?」

「警察に突き出した」

 フリーデとして当たり前の回答だった。私はカリーについては聞かなかった。聞けもしない心境だ。

 カリーは救いを拒否した。そして救われなかった。たられば私は救えた可能性があった。

 完全にではないにしろ一緒に警察署まで付き添うぐらいはできたはずだ。

 だから私は後悔する。カリーを救えなかったから。

 しかしその重みはあの男を救えなかったのと同様のはずだ。だが私はカリーのほうに比重を重くしてしまっている。

 潔く罪を認め理不尽に死んでいったカリーと言い訳がましく捕まったあの男を比べ、カリーを選んでしまっている。

 罪の比べなら数多く殺したカリーのほうが上だろう。だが私はあの男には同情しにくかった。カリーを殺したからか。それとも殺した上に見苦しかったからか。

 ならば私はどうすればよかった? どちらの味方だ? 何の味方だ?

 私が本当に味方したいのは悪なのか?

「ムラサキ」

 考えに老け込んだ私をフリーデは呼び戻した。

 フリーデは右手を私に差し伸べながら言う。

「まだ俺と一緒にいろ。俺がお前を救ってやる」

 ありがたいね。とてもありがたい。

 フリーデは正義の味方を自称している。その志は真剣だ。だから私のような悪党は許さない。けれど今は許してくれる。

 私はフリーデが羨ましい。自在に信念を曲げられるフリーデ・アッカーマンが羨ましい。

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