4 三ヶ月が経った。桜川教授とは毎日話し合う仲となっていた。


 三ヶ月が経った。桜川教授とは毎日話し合う仲となっていた。

 桜川教授は元々数学の専攻で数々の難問に挑戦したり教え子にその手がかりを教えていったそうだ。小さい頃から数学が得意でその暗算能力は素晴らしいものだった。掛け算のような単純計算ならいくつ桁を伸ばしても即答した。凄い能力だ。

 だがどうしても人の気持ちを理解するというのが苦手だったらしい。それは大人になっても変わってないという。

「いつも笑っていて気持ち悪いと言われたこともあれば、気持ちのいい奴だと言われたこともある。人間がわからないから数学に逃げたのかもしれないな」

 桜川教授は多分、笑った。しかしもう既に彼女は死人だった。感情が見えなかった。

「私もムラサキくんが常に笑っているように見える。まあ特に何も思いはしないがね」

「そうですか。あまりそう言われたことはありません。無愛想だとか、銅像だとか、死人だとかなら言われますが」

「死人! そりゃ酷いな。生きてるのに」

 桜川教授は紅茶を一気飲みした。

「うぇぷ。そうか死人か! なるほど……ムラサキくん、キミは疑問に思ったことは無いのかね?」

「何をでしょうか?」

「自分が生きているのか、死んでいるのか」

 私は俯きながら頭を捻った。

 自分が生きているか死んでいるか、だって?

 生物学上は生きているだろう。では何を持って死とし何を持って生とする?

 夢の有無か? 野心の高さか? 感情の豊かさか? 諦めの悪さか? 悩みがあるのか?

 人生は楽しいのか?

 目の前のコップには紅茶が張ってある。私はそれを少し飲んでこう答えた。

「死んでいるでしょう」

 それを聞いた桜川教授は特に反応しなかったが、また少し落ち込んでように見えた気がした。

 そして少しの間、会話は続かなかった。お互い紅茶を飲みあうだけとなった。

 だが桜川教授は切り出した。

「ムラサキくん、キミは私の命令ならなんでもこなすのかね?」

「基本的に私は仕事を選びません」

 私は桜川教授の問いに即答する。続けざまに桜川教授は話を進める。

「ならば世界を破滅に導くこともできるかね?」

 妙な提案だった。桜川教授にしては随分子供っぽい要求だったが私は真面目に返答した。

「支援があれば」

 端的にそう答えられた。事実やれと言われたらやる気でいた。

「支援なら、ある。"DG"の支援とキミさえいればなんでもできる」

 桜川教授も真面目に受け答えした。

「共に世界に破滅をもたらそうではないか」

 その言葉で今日の夜は別れた。寝る途中大きな笑い声が聞こえた気がしたが特に問題なさそうなので無視して睡眠を取った。


***


「素晴らしい夜明けだ!!」

 桜川教授は海岸に出て手を広げながら叫んでいた。さながら悪役のようだった。顔つきに生気が戻り気力に溢れていた。

 だが一番最初に出会った桜川教授とはとても同一人物に思えなかった。

「我々が世界滅亡を目指すのに清清しいほど平和を象徴する太陽だとは思わんかね! ムラサキくん!」

「あまり、わかりません」

「そうかね! それもそうか!! ははっ!」

 桜川教授は豹変した。が私は変わらなかった。

 私は桜川教授を見て何が違うのだろうと懸命に考えていた。

 そして我に返るのだ。私は、変わりたいのだろうか?

 目の前に現れる仕事ばかり考えてこなしてきたせいか、私はそんなこと思いもよらなかった。

 だがおそらく私は、変わりたいのだろう。今まではとは違うような人生を歩んでみたいのかもしれない。

 しかしだからといって今の仕事を投げ出す気は無い。こなさなければ。

 考えているうちに水平線からヘリコプターがやってきた。コンテナをぶら下げている。新しい物資だろうか。

「今日来るのは細菌兵器だ」

 桜川教授は嬉しそうに言った。

「人を大量に、無差別に殺すことができる!」

 ヘリコプターはコンテナを地面に落としロープを切って去っていく。

 桜川教授は子供のようにはしゃぎながらコンテナに向かい扉を開いた。

 するとコンテナからは右足が出てきて桜川教授を吹っ飛ばした。私はすぐさま拳銃を構えた。

 出てきたのは、真っ黒のコートを羽織った私と同じくらいの身長の少女。銀髪はツンツン伸びていて夕焼けの瞳が睨んでくる。

 顔に火傷と左目を貫くように縫い目、一目見ればわかる。それがフリーデ・アッカーマンだった。

「悪いやつはどいつだァ!?」

 フリーデは声高々に叫んだ。

「コイツか? お前か? それとも両方かァ!?」

「殺せ!」

 桜川教授も叫びながら命令を下した。

「コイツを殺すんだ!」

 私は命令通り仕事をこなそうとする。まずは拳銃を三発鳴らし額を狙ってみたが左腕をかざされ防がれた。血が流れることは無く金属を弾く音がするだけだった。

 フリーデは一度コンテナに逃げ帰り奥へと消えた。私はアサルトライフルに切り替えてコンテナの中を狙った。

 だがコンテナから出てきたのはRPG-7の弾頭だった。超反応して避けはしたが後ろのほうでは大きな爆発が起こる。

 そして同時にバイクに乗ったフリーデが飛び出してきた。私はすぐにそれを狙い定める。

 アサルトライフルをぶっ放しバイクに穴を開けると横転した。がフリーデはそれに勢いつけて飛びかかってきた。

 そしてそのまま銀色の左手で私に殴りかかる。私はとっさにAKを盾にしたが無駄だった。

 フリーデの左手はAKを粉砕し勢いそのまま拳は私の腹部に届いた。

 そのまま引きちぎられて胴体が二つになるかと思うほどの痛み。そのまま地面に吹っ飛ばされ地に落ちた。

 フリーデは右足で私を押さえつける。そのまま私の右手の拳銃や隠し持っていたナイフなどを見つけては自分の懐に入れていた。

「何しやがってんだっ。殺さないのかよ」

 私は痛みに耐えながらも破れかぶれに言った。だがフリーデはのん気に話しかけてくる。

「俺ァお前に手を焼いたからなァ。名前なんてったっけ?」

「ムラサキだ」

「そうそうムラサキ! お前つえーよな! 会うたび会うたび死ぬかと思ったもんだ」

「何が言いてぇんだ」

「一つ聞きたいことがあったんだよ」

 フリーデは楽しそうな子供のような笑みを浮かべてこう言った。

「お前、なんのために生きてる?」

「なんだと」

 私はまた揺さぶられた。

 何のため? 何をなそうと生きている、だと?

「ずっーと気になってたんだ。顔の縫い目も火傷も左腕も右足も、全部お前と出会って受けた傷だ。俺が、フリーデ・アッカーマンが生きてきた中でもっとも強い人間がムラサキ、お前だ。だから気になって気になってしかたなくて、この質問をするためにここまで来た。あとついでに子供の拉致事件の調査も」

「質問をするためだけに来た、だぁ?」

「ああ、三日前かな? 気になってしょうがなくてよ。じゃあ聞いたほうがはえーなって。答えてみろよムラサキ。なんのために生きている?」

 なんのために生きている、か。

 金のためだろうか。だが金で仕事を選んだ覚えは無い。では仕事のためだろうか。しかし好きで仕事をやっているわけでもない。

 では生きるためだろうか。それでも生きようとした覚えも無い。人を殺すためか。別に殺しに快感を覚えたことは無い。

 死ぬためか。死ぬために生きているのか。それでも死を渇望した覚えも無い。

 そう考えると私には何も無かった。

「何のためにも生きてはいない。ただ漂っているだけだ」

「なんだそりゃ。何かやりてぇこととかねぇのかよ」

「無い。特に欲も野心も無い」

「なら探しに行こう!」

 フリーデは快活に言った。まるで友達を楽しい遊びに誘うかのようだった。

「やりたいことがないのなら、探せばいいんじゃんか!」

「どうやって探す? 今まで生きてきてそんなものを見つけたことは無い」

「俺を見ろ!」

 フリーデは私に覆いかぶさり顔をぐっと私に近づけた。

「俺はやりたいことがいっぱいある! 何もかもやりたくてたまらない! お前はどうだ?」

 私は目を逸らしながら言う。

「私にはやりたいことが何も無い。何もかもが無価値に見える」

「俺を見ろ!」

 フリーデは再び叫んだ。

 私はフリーデの顔を見た。酷い火傷の跡。伸びている縫い目傷。夕焼けの瞳がまっすぐ私を見ていた。

 自信に満ち溢れ真剣な眼差しだった。それは確かに生きていた。

 そして思い起こされた。フリーデと戦う時彼女がどういう目をしていたか、その全てを思い出した。

 彼女は、フリーデ・アッカーマンは誰のためでもなく自身のために、ただの見栄で人助けをしている。欲求を満たすためだけに動き、そのために命も厭わない。

「わかった。わかったよ」

 そう言った時初めて、海辺のさざなみが聞こえたような気がした。

 私はフリーデ・アッカーマンを知った。


***


 フリーデの手を取り私は立ち上がった。腹部への強打はまだ響くがそれさえも愛おしく感じた。痛みを通じて生きている実感が湧いてきていた。

 だがそんな余韻に浸る暇は無かった。桜川教授が拳銃を構えていたのだ。

 桜川教授は震えながらフリーデに銃口を向けていた。

「我々の願いを妨げるのであれば許しはしない」

 そう桜川教授が呟いた時、私とフリーデは顔を見合わせた。

「さっそくやりたいことができましたぜ」

 そう言って私は桜川教授に一歩ずつゆっくり近寄った。

「なあ教授さんよ。私はずっと気になってんだがアンタは何が目的だったんだ?」

「黙れ!」

「結果的に私と教授は世界滅亡の旅に出ようとしたが本当にそれが目的だったのか?」

「黙れ!」

 桜川教授は銃口の向きを私に変えた。それでもお構い無しに私は歩いた。

「あの実験は、ストレス耐久テストの究極系みたいなもんだった。そんなのをどうしてやるんだ?」

「黙れ! ……極悪め」

 桜川教授は目に涙を浮かべ始めた。

「極悪か。確かに私は悪の権化そのものかもしれん。何も感じず人を殺せるし命令を下されれば世界だって滅ぼすだろう。じゃあ教授、アンタはどうなんですぜ?」

 私は桜川教授の目の前までたどり着いた。教授は息を呑みながら震え首を振ったり浅い深呼吸をしたりしてなんとか姿勢を保とうとしていた。

「教授、アンタは善人なんじゃないのか?」

「黙れえええええええええ!!」

 教授は指を引こうとした。だが銃の引き金は引けなかった。動かないのだ。銃には安全装置がついている。それが作動したままだったのだ。

 おそらく桜川教授は銃を初めて握ったのだろう。だから使い方を知らない、安全装置の外し方もわからないのだ。銃を使わない平和な土地に桜川教授が住んでいたと窺えた。

 私は教授の服を掴みそのまま背負って砂浜に投げた。砂が飛び散り教授は黙って泣きはじめた。

「アンタは悪になりたかったんだな、桜川教授。今までの犠牲を無駄にしないためにも悪を演じなければならない。それができなくなりつつある。だから泣いている。善人だから」

「……もっと言ってくれ」

 桜川教授は腕で目を隠しながら薄い声で言った。

「教授は多分、本当にどこにでも居る数学者だ。ただ少し疑問に思ったんだろうな。この世に悪がいないことについて」

「もっと言ってくれ」

「世界を滅ぼすような悪を見つけたかったんだろう。そこにスポンサーとその支援で私が現れた」

「もっとだ」

「アンタは悪に感化されすぎて騙された可哀相な人だ」

「もっと」

 桜川教授はすすり泣いた。

「……もっと私を許してくれ」

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