2 シェリーは一晩考えることもなかった。
シェリーは一晩考えることもなかった。元々バーで偽者の爆弾を手に持ちながら声高々に叫ぶほどに彼女は飢えていたのだ。学校をズル休みして行ってもいいのかなと迷った。
けれどもシェリーの何年にも渡る生活習慣が勝ってしまった。学校を休むには先生に連絡して風を引いたフリをしなきゃいけないし、もし出歩いていることがバレたら怒られるに違いない。
そう思ってシェリーは学校に行ってしまった。テロリストになりたい気持ちはあったが何もかも放り投げて目の前のことに急いで飛びつくこともないと自制した。
しかし学校に行ってもシェリーの気持ちはムラサキとテロリストのことばかりだった。どんなことを教えてくれるのだろう。効率のいい人の殺し方だろうか。いままでムラサキがやってきたテロの語りを聞くのだろうか。実戦として銃を握るのだろうか。
不思議と自分が爆弾に巻きつかれて町に放り出されそのまま爆破して死ぬ、という妄想をシェリーはしなかった。むしろムラサキと一緒にこの学校を襲って占拠する妄想が捗りに捗った。
あまりににやけすぎたのか、普段声をかけられない同級生に「何かいい事あったの?」と聞かれるぐらいシェリーは浮かれていた。
そうやって学校を無事過ごしたシェリーは授業が終わると真っ先に切り裂き通りへと向かった。
切り裂き通りは物騒な名前をしているもののパブや出店、八百屋に時計屋や風変わりな美術個展まで並んでおりその種類は多種多様で面白い道にシェリーには見えた。
シェリーがスマートホンで地図を使いながら切り裂き通り三四を目指すとその建物はあった。一階は緑の植物達が赤茶色のレンガを隠すように垂れ下がり黒いカーテンで覆われいて看板には「マカイダ」と書かれていた。シェリーには何の店かは全くわからなかった。
だがその謎の店が切り裂き通りの三四であることに間違いはない。シェリーはムラサキが二○二号室と言っていたのを思い返して二階を見ていた。そしてギョっとした。
二階の壁の半分は赤茶色のレンガではなく無数の黄色い木の板で打ち付けられていた。まるで手を抜いた修復作業のようだ。
この建物で何が起こっているのかシェリーは全く想定ができなかったが恐る恐る立て付きの扉を開き階段を上がろうとした。
するとシェリーの頭上から扉が閉まる音がしてカツリカツリと足音もしはじめた。ムラサキかと思いシェリーは上を見上げた。
だかその人物の風貌はシェリーの想定外をいっていた。顔の右半分に火傷を負いながら左目を貫くように縫い目が肌に結ばれた強面。銀髪を尖らせ真っ黒のコートマントを羽織りながら手は袖に伸ばさずポケットに突っ込んでいる。
夕焼けのような色をした瞳がシェリーを見つめていた。そしてその滑らかな肌色と顔つきから辛くも女性だと判別する。
シェリーにはどこからどう見ても、その人物がまともな人間に見えなかった。その顔の火傷や黒のマントコートからして殺し屋かマフィアにしか思えない。
そんな悪魔が二階からシェリーを値踏みするかのように見下ろしてくる。シェリーはそれを恐れて震えるぐらいの対応しかできなかった。
そしてその女性はシェリーを見続けながらゆっくりと階段を降り近づいていく。まるで獲物を逃さない狩人がごとくの眼力だった。
目の前まで近づかれるとシェリーはハッと気付いた。恐怖のあまりその女性があまりにも大きく見えたが身長がそんなに変わらなかった。シェリーの身長は百六十センチで同級生達と比べても平均並みぐらいだがそれとほぼ同等だった。
想定したより怖くない、と思ってシェリーは顔を見てみるがやはり火傷と縫い目は気になった。怖い。恐怖しか感じない。
「……メガネ」
「え?」
ボソリとその女性は呟き、そして勢いよく吐き出した。
「メガネがでけえ! でかい! でかすぎるだろ! なにそれ!? 特注!?」
まるではしゃぐ子供のようだった。シェリーは肩を掴まれなすがままに揺らされる。
確かにシェリーは大きい丸縁のメガネをしている。だが普段からそれを指摘されることは少ない。
「外していい!? 外していいか!? なァ!?」
「か、構いませんけど……」
「おおぉー……」
黒コートの女性はメガネを両手で摘み丁寧に外すと食い見ながら掲げた。時たま傾けたり裏返したりして丁寧に観察する。
だがその左手は肌色ではなく銀色に輝いており余計にシェリーは怯えた。
「おっけい。ありがとな! ……でも違うメガネのほうが似合うぜ?」
「よ、余計なお世話です。これは形見なので」
「そうか。そりゃわりいこと言ったなァ」
左手を縦に出して「スマン」と謝る女性。しかしその左腕は肌色ではなく銀色に輝いていた。シェリーはまたも怖くなった。
「……アナタは一体誰なんですか?」
聞かれた女性はハッキリと明快に声を出しながら答える。
「俺か? 俺はフリーデ・アッカーマン! 正義のヒーローだ。よろくしなァ」
そう名乗ってフリーデは傷だらけの顔で笑いながら手を伸ばした。
「正義のヒーロー……?」
シェリーは疑問に思いながらその手をとり握手を交わした。フリーデの風貌は見るからに殺し屋か悪党だ。シェリーには正義のカケラも見えなかった。
「そうだ。正義のヒーローだ! ……正義の味方だっけ? まあいいや……もしかして疑ってんのか?」
フリーデは顔を近寄らせシェリーに話しかけてくる。そのたびにシェリーはびくつきながら怖がり後ずさりする。
「疑いも何も、殺し屋にしか見えません!」
「おお。そりゃよく言われるな。なんでだろうなァ? 俺はひとっこ一人殺したことないぜ? そういうのはムラサキがよくやってたからなァ」
「……ムラサキさんと、お知り合いなんですか?」
「そりゃだって、同居してるし。そうか! ムラサキの知り合いか! はやくそう言えよ!」
そう言うとフリーデは二階へとジャンプして手すりを飛び越える。
「先にお茶だしとくぜー!」
そういってフリーデ・アッカーマンは二○二号室へと消えていった。
***
シェリーが二○二号室に入ると玄関からして散らかっておりピンク色をしている恐竜のフィギュアやサッカーボール、パズルのピースなどが散乱していた。
ヤシの木に似たものを生やす植木鉢と縦長い振り子時計が斜めに倒れおり、シェリーはあまりこの空間に入り込みたくない気分になった。
それでも恐る恐る足を進めるとリビングに出られた。大きなテーブルと小型のトランポリンが並べてあり大きなテレビもある。動き回れる程度の広さは保たれていた。だが部屋の端はぬいぐるみや小型の船の模型、木製の積み木などが邪魔者のように退けられていた。
そして堂々とフリーデが足を組みながら座っていた。その後ろの壁はレンガではなく木の板が無差別に張り付けられている。
テーブルには様々なシールが張られプラスチックのコップが置いてあった。フリーデはそこに牛乳を飛び散るように入れる。
それを見て気が気でないシェリーはまるで地雷原を歩くかのように恐る恐るゆっくりと椅子に近寄り、座った。
「で、ムラサキの知り合いだってな。どんな悪党なんだ?」
「あ、悪党!?」
「ん? 違うのか? 俺はてっきり極悪非道なテロリストか何かかと……」
フリーデは両手でコップを持ちながら飲む。左手が銀色に輝くのがシェリーにはまた確認できた。おそらく義手か何かなのだろう。
シェリーはフリーデを怖がって自分から話しかけようとはしなかった。だがフリーデはお構い無しに語りかける。
「悪党じゃないならなんだよ? 正義の味方?」
「違います!」
「悪党でもなければ、正義の味方でもない。じゃあなんだ? 普通の人?」
フリーデは何気なく言ったがシェリーにはその「普通の人」という言葉が突き刺さった。シェリーはまだ悪党でもなければ正義の味方でもない。何も持っていない普通の人に過ぎない。
「普通の、人です……」
「珍しいなァ。ムラサキの友達って普通の人少ないんだぜ? いっつも殺し屋仲間か中東の元同僚とかなんだ」
「じゃあフリーデさんも」
「俺ァ正義の味方だぜ?」
「そうは見えません」
「よく言われる!」
フリーデは快活に笑う。そして時たま膝を組みなおし机に肘を立てたりする。シェリーにはどうしてこんな粗暴な人とムラサキが同居しているかわからなかった。
「どうしてムラサキさんと同居してるんですか?」
「アイツは何もねぇからな」
フリーデは全く同じ楽しそうな口調で語る。
「ムラサキは強い。けど何も無い」
「何が、無いんですか?」
「全部だ」
フリーデは断言する。シェリーは再びムラサキという人物を想像する。
(……目つきが怖いけどそれほど悪そうな人じゃないよね)
まだムラサキと会って一日も経ってないが何も無い、全部無いとは言いすぎなのではないか。そんなに否定することがあるのかとシェリーは思った。
すると玄関ドアが開く音がした。ムラサキが買い物袋を持って帰宅したのだ。
「おおシェリー。すまんね、私もいつもここに居るとは限らなくてね」
ムラサキはリビングと繋がっている台所に行き買い物袋から牛乳やパン、野菜などを取り出して冷蔵庫にしまう。ついでに大量の粘土も並べ始めた。
「ムラサキ! 俺ちゃんと持て成したぜ!」
フリーデは褒めて欲しい子供のようにはしゃいで報告する。
「フリーデ。お前さんクラフトクラブに行くじゃなかったか?」
「あ! やべぇ!!」
するとフリーデは勢いよく立ち上がり百八十度反転すると木の板でできた壁を左手でぶん殴る。木製が割れる特有の音が鳴り響きフリーデは壁に穴を開けるとそのまま飛び入り外へ出た。
シェリーの前には大きく開いた穴が向いの建物を映していた。あまりに突飛で滅茶苦茶なフリーデの行動にシェリーは驚いて何も動けなかった。
「いつもああなんだ」
ムラサキは白いティーカップをテーブルに置きながら言った。
「気にしないでくれ。切り裂き通り三四の二○二号室ではよく壁が壊れる。一体誰が犯人なのかわからないから余計困ってるんだ」
ムラサキは今の起きた事件について全てを知らないようにすっとぼける。
「フリーデさんが原因ですよね」
シェリーが一刀両断するとムラサキは嬉しそうに頷いた。
「そうなのか。一緒に住んでるのにわからなかったぜ。今度説教しないとな」
座りながらクスクスとムラサキは笑う。
「フリーデさんって何者なんですか?」
「ヒーローだよ。唐突に現れては自分の信念で暴れまわる正義の味方さ」
「よく、わかりません。なんでそんな人とムラサキさんは同居してるんですか?」
「アイツは目的を持っている」
ムラサキは開いた壁の穴から吹く風に靡かれながら語った。
「フリーデ・アッカーマンはやりたい事を多く抱えている。そしてそのやりたい事を必ず実行する。ありとあらゆる欲望にそのまま従う人間だ。そのために一切妥協しない。たとえそこに壁があろうと顔を縫おうと火傷を負おうと、腕が千切れようと足が無くなろうと、心臓が止まろうとフリーデは自分のやりたい事を必ずやる。私に無いものをフリーデは持っているんだ」
「目的、ですか」
「そうだ。私には目的がなかった。持たざるものだからこうしてフリーデから学んでいるのさ。私には人生の目標がない」
「そんなこと、ないですよ。やりたい事なんてすぐ見つかります」
シェリーは条件反射でムラサキを励ました。だがムラサキは切り返す。
「ではシェリー、キミに聞こう。キミがやりたい事はなにかね?」
その励ましについてシェリーは何も言い返せなかった。
「さあシェリー。お互い何を持っているか何を目的とするか確認し合おうじゃないか。テロリストとして、ね」
***
シェリーとムラサキの二人は部屋を出て階段を降りる。そしてムラサキは地下室への鉄扉の鍵を開け、さらに階段を降りた。
そこはコンクリートで囲まれた四角い間取りの倉庫。並べられているのは銃器ばかり。ロケットランチャーも並べられていた。
まさに秘密の部屋だ。シェリーは普段見慣れない光景を見て目を輝かせた。
「さて訓練を始めますぜお嬢ちゃん」
ムラサキはひとつのダンボール箱を開ける。シェリーもそれを覗くと一丁だけ黒い拳銃が残されていた。それをゆっくりとムラサキは取り出す。
「M9だ。銃を持ったことはある?」
「な、ないです」
「じゃあ初めて持つことになるな」
ムラサキはその拳銃をシェリーに手渡す。シェリーは一瞬震えたがそれはすぐ喜びに変わった。生まれて初めて銃を持てた事に一種の感謝の念さえ覚えた。
「まず右手で銃を握るんだ。そこから右手を包むように左手で握る。しっかり握らないと暴れるぞ」
シェリーは言われたとおりに銃を手に持つ。
「安全装置を回して引き金を引けば撃てますぜ。あそこに的があるだろ? 撃ってみな」
「いいの?」
「これくらいの遊戯なら誰でも許すさ」
シェリーは恐る恐る安全装置を外して壁に貼ってある人型の張り紙に狙いをつける。
そして引き金を引くと弾丸の音が部屋中に響いた。シェリーは初めて銃を撃った。肩より上の空白に当たり人影から外れたものの興奮でシェリーは何かに生まれ変わりそうな気分だった。
「何発でも撃っていいぞ」
そうムラサキが言うとシェリーはもう止まらなかった。そのまま続けざまに一発ずつ人影に向かった銃弾を放った。何発か的にまばらに当たるとシェリーは何ともいえない幸福感に包まれた。
この非日常さがシェリーには堪らなく嬉しかった。
しかししばらく撃ってみると引き金を引いても撃てなくなった。弾切れだ。
「しまった。弾あったっけかな……」
ムラサキは倉庫を漁り別のダンボールを開けていくが中は空だった。
「すまんが今日はこれだけだな」
シェリーはちょっとガッカリした。もう少し長くこのコンクリートの倉庫に居たい気持ちでいっぱいだった。
何か他に手段はないかとシェリーは周りを見渡すと開いた跡があるダンボールから光が見えた。
近寄り中を開けるとそこには銀色に光り輝く拳銃が大量に積んであった。
「そいつはちょっとなぁ……」
ムラサキはそれを見て気が進まないようだった。
「何かいけないんですか?」
「コイツは人を殺す銃じゃないんだよ」
ムラサキはポケットから同じ輝きを持つ同型の銃を取り出した。そのまま片手で持ち的に向かって狙いを付け、発砲する。
すると先ほどとは比べ物にならないけたたましい音が鳴り響く。ムラサキの手首は反動で跳ね上がり拳銃からは見えるほどの煙が吹き上がる。コンクリートの壁には穴が目に見てわかるほど開いていた。
「デザートイーグルは威力がでかすぎるんだ。人を殺すのにこんなオーバーな銃は必要ないし、素人には扱いきれない。品の無い銃とは言うが正義の味方には必要だ」
「正義の味方?」
「そうとも。正義の味方は人を殺さない。だからこういう銃を好むのさ」
シェリーの頭の影に顔に火傷を負った黒コートの女性、フリーデが思い起こされた。
そして同時にムラサキがその銃を携帯していたことに違和感を感じざる得なかった。
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