ラッキーデー
12月24日、僕は彼女との待ち合わせ時間よりも少し早くホテルに到着していた。
予めチェックインの手続きを行っておきたかったからだ。
早めの時間だからか、フロントは思っていたより混んでいなかった。
並んでいる僕に、何度か打ち合わせで会っていたコンシェルジュが気付いてくれて、
他のお客さん達が並んでいるフロントとは
別のデスクで手続きをしてくれる事になった。
「申し訳ございません、ご用意する予定のお部屋が、まだ清掃中でして。
もしよろしければですが、
ランクの高いお部屋にアップグレードさせて頂きたいのですが」
僕が予約した部屋は、そのホテルで下から3番目にお手頃な客室。
これでも大分奮発した方だ。
良い部屋になるならきっと彼女も喜んでくれるに違いない。
「お願いします!」
「かしこまりました」
そう言うと、コンシェルジュはインカムで何やらやりとりを始めた。
「申し訳ございません、清掃に少々お時間を頂戴するのですが、
よろしいでしょうか?」
僕はスマホの電源を入れて時間をチェックした。
15時過ぎ、もうそろそろ彼女が来る時間帯だ。
「大丈夫です。あ、この荷物だけお部屋に入れてもらって良いですか?」
「勿論でございます。カードキーはいつお持ち致しましょう?」
「うーん」
僕は腕を組んで少し考えを巡らせていた。
これからの予定はこうだ。
まず、電車から徒歩で来る彼女をホテルのエントランスで出迎える。
そのまま、
中2階の吹き抜けになったシャンパンバーでウェルカムシャンパンを楽しんだ後、
フランス料理店でディナーを取る。
その後、最上階のバーで少しまったりしてから部屋に戻る。
僕の計画では、部屋に戻るのは一番最後。
それならバーで飲んでいるときにコンシェルジュが鍵を持ってくるとか、
それはそれでオシャレじゃないだろうか。
「最上階のバーに行った時でお願いします」
「かしこまりました。今日は素敵な一日になる様、
私たちコンシェルジュも皆張り切っておりますので!」
満面の笑みを浮かべるコンシェルジュに、
少しだけ僕の緊張も解きほぐされた様な気がした。
コンシェルジュにカバンを預け、ホテルのエントランスへと足を進める。
僕がエントランスでソワソワしていると、すぐにドアマンが駆け寄ってきた。
「お話は伺っております。
ドアは私が開けますので、
どうぞお連れ様の手を取ってエスコートなさってください」
「は、はい」
緊張していたからだろう。
僕はドアマンの言葉にあまり注意を向けていなかった。
しかし、ふと冷静になって考えてみる。
このホテルのエントランスは自動ドア。
ドアマンの彼が開ける必要などないはずだ。
「あの・・・ドアを開けるって」
僕がドアマンにそう言おうとした矢先、
一台のハイヤーが僕とドアマンの前に止まった。
ドアマンがサッとハイヤーのドアを開ける。
中からはツイードのパーティードレスを纏った女性がコートを抱えて出てきた。
僕は完全に面食らった。
その女性が、本来歩いてホテルへ向かってくるはずの彼女だったからだ。
サッと彼女が手を差し出す。
僕は慌ててその手を取った。
「こ、この車は?」
「え?あなたが準備してくれたんじゃないの?」
違うと答えようとした僕にドアマンがそっと耳打ちした。
「どうぞシャンパンバーへとお進みください。
お荷物は客室へ、コートはその都度、各レストランへお持ち致しますので」
考える暇もなく、僕はまるでドアマンに操られるかのように、
彼女をシャンパンバーへとエスコートした。
「お客さん皆オシャレだね。流石スペリオルホテルって感じ」
「う、うん。そうだね」
正直、僕はもう緊張のピークで半分くらい上の空だった。
予約していたシャンパンバーの入口で名前を告げると、
一番奥のソファー席へと案内された。
打ち合わせの時はカウンターかテーブルになる予定だったはずだが、
きっと気遣ってくれたのだろう。
吹き抜けとなっていて眺めの良い中2階のバーは、
すぐ下にあるラウンジやカフェが見渡せる絶好の場所だった。
彼女は楽し気に下の様子を眺めていた。
程なくしてウェルカムシャンパンが運ばれてくる。
と、僕のグラスの液体は普通にシャンパンっぽい色あいをしていたが、
彼女のグラスは紫がかっている。
「あの、これは?」
「シャンパンカクテルのキールロワイヤルでございます」
「わー!私がコレ好きなの覚えててくれたんだ!有難う!」
「あはは。そうなんだ」
ハッキリ言おう。僕は全然覚えていない。
彼女とこのホテルに来たのは今日が初めてだし、
そもそも普段シャンパンなんて高級なものは頼まない。
きっとこれも、ホテルのサービスなんだろう。
彼女がこのカクテルが好きという偶然は、僕にとっては嬉しい誤算だ。
乾杯しようとグラスを重ねようとする彼女に、
僕はこういった場所ではグラスは重ねないで、
少し高く上げて乾杯するんだよと言うと、
彼女は
「やるじゃん」
と、まるで自分が言った様に誇らしく笑った。
彼女のこういうところが、好きなんだよな。と、僕もつられて笑った。
シャンパングラスを傾けながら、他愛ない話をしていると、彼女がふと指をさした。
「ねぇねぇ、あそこにグランドピアノとハープがあるけど、何かやるのかな?」
「さぁ、どうなんだろう?」
二人して眺めていると、
程なくしてピアノとハープの前で演奏者が準備を始めだした。
「凄い凄い!生演奏あるんだ!」
彼女は子供の様にはしゃぎだした。
僕はその様子を眺めつつも、頭の中は徐々に混乱し始めていた。
あれ・・・この時間帯って生演奏とかないって
コンシェルジュが言ってた気が・・・。
ポロン、ポロンとピアノとハープの音がホテルに響き渡る。
「あ。これ、私が好きな映画のテーマソングだ」
確かに、彼女が言う通り、彼女が好きなスパイ映画のテーマソングが流れ始めた。
ホテルの生演奏って、クラシックばっかりだと思ってたけれど、
映画のテーマソングとか、そんなキャッチーなものも演奏するんだと妙に感心した。
因みにその映画は、カジノホテルを舞台に、
イギリスの重宝部員がテロ組織の資金源を断つ為に、
ポーカーゲームに参加して・・・みたいな映画だったと思う。
ピアノとハープのみだからか、
重厚感あるテーマソングも凄く上品な音楽に聞こえた。
彼女は生演奏と一緒に、
テーマソングをふんふんと楽しそうに鼻歌混じりで聞いている。
その後も数曲、生演奏は続いたのだが、どれも彼女が好きな音楽だった様だ。
今日はきっとラッキーデーなんだと、僕は神様に感謝していた。
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