エレギオンの女神

 エレギオンの始まりは伝説の彼方ですが、プラトンのアトランティスとの関連は薄いと見て良さそうです。ティマイオスやクリティアスでは、エジプトではネイト神がサイスの街を八千年前に作り、ギリシャではさらにその千年前にアテナ神がアテナイの街を作ったとしています。

 アテナイとアトランティスの戦いは九千年前ごろを想定して書かれていますが、さすがにその時代の人類に国家を形成するような文明は痕跡すら発見されていません。もちろん年代を下らせて、ミノア文明とサントリーニ島の大噴火を合わせて、これがプラトンのアトランティスだとする説も出ていますが、ミノア文明自体が近代以降の発見であり、プラトンが知っていた、あるいは聞き知ったとするのは無理があります。

 古代エレギオンについて記録されているものは非常に少なく、唯一残されているものとして、これを滅ぼしたとされるカエサルないしその幕僚が書き残したもののみとされています。これとて、原本は遥か昔に失われ、筆写されたものを読んだものの記録さえ失われ、読んだ者の記録をさらに読んだものの断片のみが伝わる程度されます。

 ところが神戸の天使の教会にはベネデッティ神父が書き残した古代エレギオンの記録がありました。これはカエサルの記録の原本に近いものを読んだとしか思えないものだそうです。ベネデッティ神父の創作の可能性も残りますが、他に記録もないので、ここから古代エレギオンの様子を考えます。

 これによると古代エレギオンの起源はシュメール人としています。ギルガメシュ叙事詩で有名なギルガメシュ王の祖父に当たるとされるエンメルカル王が、工芸都市アラッタを攻略した話が『エンメルカルとエン・スフギル・アナ』の伝説に語られていますが、この都市こそがエレギオンの祖先の地としています。

 考古学的には紀元前三五〇〇~三一〇〇年頃のウルク文化期のものとも推測はされますが、今から五千年以上前のお話になります。アラッタはエンメルカル王に征服されていますが、この時に逃げ延びた人々が立てた国がエレギオンであり、エレギオンの国名の由来は、シュメール語のキエンギ(君主たちの地)が後世にギリシャ語風に呼ばれたためとされています。

 この辺は確かめようのない世界ですが、古代エレギオンの政治体系は神聖政治であったとなっています。これは別に古代エレギオンのみの特徴ではありませんが、少し特異なのは神とされる人に、人たる王が仕えるスタイルになっています。この神とは、神の能力をもつ女性が生まれ変わりながら着座しています。

 構成は主女神とそれを取り囲む四人の女神となっています。主女神はルクスと呼ばれ、後の四神は首座の輝く女神、次座の微笑む女神、三座の静かなる女神、四座の喜びの女神となっています。これらの女神はチベット仏教のように、亡くなるたびに生まれ変わりが探し出されるのですが、これにも特徴があったそうです。

 首座の輝く女神以外は主女神も含めて、誰に生まれ変わるかはわからないのですが、首座の輝く女神のみは次代を指名できるとなっています。指名されたものは女神になるのですが、指名した者も女神として君臨するとなっています。そうなれば時に六人の女神が誕生しそうにも思えますが、首座の女神以外は終身制で死ぬまで女神は移動しないので、生まれ変わりが見つかるまで女神の座が空席になります。

 どうも空席分の女神を首座の女神は指名する事ができたようです。それでも六人以上になる時がありそうなものですが、決してそれは起らなかったとなっています。それと首座の女神とて主女神の空座を埋めることはできず、その場合は首座の女神が主女神の権能を代理すると考えられています。

 古代エレギオンは工芸都市として栄えますが、ポンペイウスのクリエンティスになったのも事実のようです。工芸都市は交易都市でもありますから、ポンペイウスによる海賊退治に協力するのは自然の流れであり、ローマ一の武将でもあったポンペイウスのクリエンティスになるのも同様です。

 ただそれだけではなかったようで、エレギオンには二つの先進技術が存在したようです。一つは製鉄で、ダマスカス鋼を作っていたとされます。ダマスカス鋼はインドのウーツ鋼で作られるものですが、エレギオンの近くで取れた鉄鉱石にはニッケルが豊富に含まれており、ウーツ鋼と同等の鉄が生産されていたとなっています。これを軍団の強化のために目を付けたポンペイウスがクリエンティスにしたぐらいです。

 もう一つは銅を金に換える技術です。もちろん、そんな事は出来ませんが、エレギオンには黄銅を作る技術が存在したとなっています。黄銅は銅と亜鉛の合金ですが、本格的に使用され始めたのは三百五十年前ぐらいです。

 これは銅に較べて亜鉛の融点が低く、開放式の還元法で精錬すると蒸発してしまうからです。また亜鉛の精錬も難しく、紀元前以前ではダキア人のみが精錬技術を持ち、インドで十二世紀から、中国で十六世紀から精錬が可能になり、西欧では産業革命以降となっています。

 一方で黄銅は紀元前四千年前から使われています。古代の技法は亜鉛鉱石のカラミン(わずかな酸化第二鉄を含む酸化亜鉛)を加熱して酸化亜鉛を作り、これを炭と一緒に加熱して亜鉛のガスを発生させ、亜鉛ガスを加熱した銅の中に浸透させて黄銅を作っていたと考えられています。古代ローマでも黄銅が利用されアウグストゥスは貨幣も鋳造させていますが、この時はカラミンの粉と木炭と銅をるつぼに入れて加熱して黄銅が作られたとなっています。

 黄銅は銅と亜鉛の混合比率で性質も変わりますが、古代エレギオンでは銅が六十%、亜鉛が四十%の六四黄銅が作られていたとなっています。六四黄銅は黄金色になりますが、古代エレギオンで作られた黄銅は黄金との区別が非常に難しかったとされています。

 この黄銅の生産技術に目を付けたのがカエサルとされています。ポンペイウスとの覇権争いで資金面の不安を抱えていたカエサルは、エレギオンの黄銅で贋金貨を量産しようとしたらしいとされています。

 現在にわずかに伝えられる話では黄銅技術の引き渡しを拒んだ古代エレギオンがカエサルに滅ぼされたとなっていますが、そうではなく古代エレギオンはカエサルに味方して、黄銅を提供したようです。贋金貨まで作ったかどうかは現物が発見されていませんが、黄銅の延べ棒を積み上げて見せ金に使ったらしいとはされています。

 ところがポンペイウスに勝ち、古代ローマの事実上の独裁者になったカエサルは、古代エレギオンの黄銅による贋金貨作りの証拠を封じる必要があると判断しました。そこで古代エレギオンの人々は強制的にシチリアに移住させられ、古代エレギオンの街は徹底的に破壊し尽くされています。

 エレギオン人は移住させられたためにダマスカス鋼の生産が不可能になっただけでなく、黄銅の生産も固く禁じられます。さらにはエレギオン人であることを名乗ることも禁じられたとされています。

 この古代エレギオンの黄銅がオリハルコンと後世になって呼ばれたともされます。オリハルコンの名前の由来はギリシャ語の山を意味するオロスと銅を意味するカルコムからと考えられ、ヘシオドスが書いたとされるヘラクレスの盾の中で、英雄ヘラクレスが、


『ヘーパイストスからの見事な贈り物である、輝けるオレイカルコス製の脛当てを装着した』


 またホメロス賛歌の中で、


『両耳よりオレイカルコスと尊き金で出来た装飾品を下げている』


 ただここでのオレイカルコスは青銅や赤銅、もっと広く銅製品を指し示している言葉と考えられ、プラトンがクリアティスで使ったオレイカルコスと同じではないと見られています。黄銅は亜鉛の比率が低いほど赤みが強くなり、高いほど黄色味を増しますが、古代の製法で六四黄銅を作るのは困難と考えられています。そのためプラトンがティマイオスやクリティアスを書くにあたって念頭に置いたのは、古代エレギオンの六四黄銅ではなかったかとも考えられています。


 さてカエサルによってシチリアに強制移住させられたエレギオン人は製鉄技術も、黄銅の精錬技術も封じられたものの、残された金銀細工技術を活かして帝政ローマ時代を平和に生きていたとされます。パクス・ロマーナの中で各地の技術を積極的に取り入れ、その製品の名声は広く伝わったともされます。

 シチリア移住後もエレギオンの遺民には五人の女神が着座し続け、王こそいなくなりましたが五人の女神への信仰はエレギオン人の心の拠り所として尊崇されていました。帝政ローマ時代は多神教の時代であり、宗教への寛容は大きかったのでエレギオン人の五人の女神への信仰になんの問題も生じませんでしたが、帝政ローマ末期になりキリスト教が勢力を伸ばして来ると様相が変わります。

 テオドシウス一世は三九二年にキリスト教以外を禁教とし、シチリアのエレギオン人の五人の女神への信仰も禁止になります。そこで首座の女神はエレギオン人の宗教を巧妙にキリスト教と融合させます。三〇四年に亡くなった聖ルチアと主女神をダブらせ、残りの四人の女神を聖ルチアに仕える四人の天使としたのです。

 シチリアは西ローマ帝国滅亡後に歴史の荒波にさらされ続けます。ヴァンダル王国への併合、東ゴート王国による占領、東ローマ帝国による奪還、アラブ人によるシチリア首長国の成立、ノルマン人によるシチリア王国、アンジュー伯シャルル1世による征服、アラゴン王ペドロ三世によるトリナクリア王国・・・

 転々とシチリアの支配者が変わる中、五人の女神はエレギオンの遺民を巧みに守りつづけましたが、十六世紀後半から熱狂的になった魔女狩りのターゲットにされてしまいます。エレギオン人も五人の女神の保護に奔走しましたが、エレギオン人の中にも魔女狩りへの同調者が現われ密告が行われ、ついに五人の女神に魔女狩りから避けられない状況となります。

 その頃、五人の女神に侍女として仕えていた東洋人の女性がいました。非常に数奇な運命にもてあそばれた末に、シチリアに奴隷として売り飛ばされていたのですが、これに深く同情した五人の女神が救い出しています。この侍女の出身地は、


「へい、ヒョウゴツというところで、セッツの国にあります」


 魔女狩りの手から逃げきれないことを悟った首座の女神は、ついにシチリアからの逃亡を決断しました。女神ですから宿主を変えればその場を逃げるのは可能ですが、魔女狩りが続く限り、新たに宿った女性もまた魔女狩りのターゲットから逃がれるのは困難の判断です。

 今、宿っている女性に関しては、悔しいですが魔女として犠牲になってもらわざるを得ません。これを最後の犠牲として、女神は遠くに身を隠そうとの計画です。そこで目を付けたのが東洋人女性で、この女性を故郷に送り届けると同時に、魔女狩りが荒れ狂う世界からの逃避を考えたのでした。

 首座の女神はまず他の四人の女神を取り込み、さらに東洋人女性の中に五人とも宿りました。目指すはセッツという国のヒョウゴツという街です。とにかくこれしか情報がなく、さらに女性の長旅です。様々な苦難に見舞われましたが、東洋人女性に宿った五人の女神はついに遥か極東の兵庫津に到着したのでした。

 兵庫津に三年の歳月をかけてたどりつた東洋人女性から首座の女神は、四座の女神から順に他の女性に移らせます。この時に首座の女神は異国の地でエレギオンの悲劇を繰り返さないように、女神の記憶を封じたとされます。その封印は、


「主女神と首座の女神に再び会うまで解かれることはない」


 首座の女神は、自らと主女神の記憶の封印と行い。五人の女神は歴史の中に消えて行ったとされます。

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