第39話 最後はみんなで証明だ!

「すげえな。そんなところまで理解できたんだ」

「というか、いつの間にそんな楽しい展開に」

「ええっと」

「煩い。邪魔するだけならば帰れ!」

 葉月の怒号が飛び、興味津々に話を聞いていた学と裕和は首を竦めた。こうなったら人海戦術。すでに関わった連中は総動員となって呼ばれた二人だが、カワウソ姿の史晴に驚きと興奮の最中だったのだ。

「いいから、手伝ってくれ。虚数解に関わることだ」

「ほおい」

「で、あの箱は最終兵器なんだよな。開けるのはいつか、ワクワクしているんだけど」

 裕和は計算を手伝い、学はあの箱の管理を引き続き任される。しかし、学はあの箱が魔法の、しかもマイナスの力が関わっていると知って興奮気味だ。

「開けないに越したことはない」

「ええっ。ってか、せっかくキュートなカワウソ姿なのに、中身はまんま占部なんだな」

 学は面白くねえなと唇を尖らせる。とはいえ、特別に見せてもらえたことには満足しているのだ。朝の七時集合なんてふざけるなと思ったのも、吹っ飛んでしまう驚きだった。

「カワウソって、本当に人気があるんだな」

 でもってその史晴はずれた感想を言っている。史晴の中でカワウソって何だったんだろう。気になるところだ。

「それにしてもマイナスが魔法になるか。神様も理系とは驚きだよ」

 裕和はまあまあと二人を宥めつつ、なるほどねと解析が進んだ論文を読んでいる。

「どう考えても理系だろ?聖書の冒頭だってマクスウェル方程式に置き換えられるんだし」

「いや、それはただの理系ジョークだから」

 メンバーが二人増えるだけで、こんなにも騒がしくなるのか。美織は呆れてしまった。これって作戦ミスでは。時間がないから、美織だけではサポートが限界だから二人を巻き込んだけれども、余計に時間をロスしている気がする。

「おい。手を動かせ。陣内、あの箱の物質は特定できたのか?」

 しっかり葉月が怒鳴って場を締めつつ、箱の中身は何なのか訊ねる。

「ああ、はいはい。何だか質量のでかいものなのは確かですね。小箱の割に重かったでしょ?」

 葉月に持ち上げましたよねと学は確認する。

「ああ。あれは箱の重さだと思っていたが」

「いえ。あれこれやってみた結果、箱の重さは大してなさそうです。薄さ五ミリくらいの板ですね。それで何かを覆っているわけですよ。つまり、中身がみっちり詰まっている状態です」

「ほう」

 そうだったのかと、葉月は感心した様子で頷く。意外な事実に美織もびっくりだった。一体、伶人は何を最後に残したのだろう。ただ、反物質ではないよなと自分でツッコミ。反物質を現実世界で維持するのは、いくら魔法がマイナス作用とはいえ無理だろう。

「マイナスに対抗できる物質か。咄嗟には思いつかんな」

 葉月も似たような推論をしていたようで、首を捻っている。確かに咄嗟にこれとは思いつかなかった。

「ま、何にせよ、放射性物質ですからね。相当危ないですよ」

「そうだった。放射線を出しているのは間違いないな」

「ええ。だから、重たい物質というのは合ってますけどね」

「質量的には、か。まあ、すでにあり得ないことは色々と起っているからな。中身がヒッグス粒子だと言われても驚かん」

「ああ。あり得ますねえ。素粒子の詰め合わせの可能性」

 そんな詰め合わせは嫌だなと、美織は苦笑してしまう。しかし、次元の穴に対抗できるもののはずだ。質量が大きな何か。ううむ、まだ解らない。

 その間にも史晴は裕和とどう求めるのが最適な虚数解かという難しい議論に突入していた。ホワイトボードには山のような数式がすでに裕和によって書き出されている。

「次元の重ね合わせの部分が虚数になればブラックホールとして観測される穴になるっていうのならば、これはどうだ?」

「そうだな。しかし、それだと数値がおかしくなる」

 という感じの議論なのだが、院生の美織にはまだまだついて行けないレベルだった。

「虚数か」

 しかし、その結論は意外性はないなと思うだけの知識はある。つまりは物質世界の反対側を考えること。何度も出てきているが反物質の世界を考えることと同じだ。これは量子力学の分野に入ってくる。

 ちなみに宇宙論も突き詰めれば量子力学と重なってくるものだ。ただ、今のところ相対性理論と量子力学の相性は悪く、それを統合する理論は出来ていない。ここが厄介なところだ。

「あっ」

 ということは、今やっている議論が解明できるっていうのは、その相性の悪いはずの理論が統一できるということではないか。物理学者ならば誰もが考える大統一理論。総ての力が一つになった理論。それが、あの論文から導かれるのではないだろうか。

「先輩」

「何だ?」

 カワウソのままの史晴に見つめられ、今さっき考えたことを手早く答えた。数学的には何も解っていないが、大枠は大統一理論じゃないか。そう伝えると史晴も裕和も驚いた。

「なるほど。禁忌の香りがぷんぷんするな。しかも今、その統一理論のためには素粒子の標準理論を見なさなければってところまで来ているしね」

 裕和はあり得るなと頷いた。そしてどう思うと史晴を見る。

「そうだな。あれは超対称性粒子を仮定したり、それこそ別次元やブレーン理論、超弦理論となっている」

「ああ。まさに証明できない領域だな」

 そう言って三人は、正確には二人と一匹は固まってしまった。証明不可能な領域は、すでにそれだけ議論されているのだ。では、他の人には何も起らないのは何故か。

「違う。考え方が違うんだ。しかも、俺たちは次元の行き来を論じ、それが触れてはならない領域、つまりは知ってしまっては駄目な部分を見つけるんだ」

「そうだな。今ある理論はこの宇宙で確認できるか、もしくは別の次元が丸まっているとか、薄い膜だとか、泡状だとかって議論だもんな。多層的ってのとは、ちょっとだが違う」

 その微妙な差が、神と呼ばれる別次元の誰かを怒らせるのだ。いや、干渉してしまうというべきか。そう、こちらにも干渉できる何かが、怒りに触れるポイントだ。

「そうだな。それこそ鍵なんだろう。その数式を知ってしまうと次元に穴を開けれるようになる。伶人は気付いていなかっただけ、清野は一般解ではなく特殊解だっただけで」

 そこで、四人は押し黙った。ここからが危険だという線引きに近づいた。その感触が確かにあったからだ。

「穴を開けられるのは、向こう側からも同じなんだよな。だから、二人の人間が死ぬ結果になった」

「ああ」

 裕和の質問に史晴は頷く。つまり、数式そのものを特定した瞬間が最も危ないのだろう。

「虚数解であり、次元の穴か。つまり、次の層は虚数」

「ああ。そうか」

 そこで史晴は気付いたようだが、なんせカワウソのままだ。筆記は出来ない。

「先輩、何かに気付いたんですか?」

 すかさず美織が助けを出すと

「ああ。悪いけど、ホーキングの出したブラックホールの数式を書いてもらえるか」

 と言われた。ここに来てホーキングと思ったが、美織は伶人の論文に関わるようになって暗記してしまった数式を書く。それはホーキング放射と呼ばれている現象を示す数式で、ブラックホールが徐々に質量を失うことを示すものだ。

「これを虚数にする。それが答えに繋がるはずだ」

「ああ。そうか。これは別に恒星から生まれたブラックホールに限らないってことか」

「ああ。質量に関係するだけだからな。時空の穴だとしても、それはこちらの空間にある質量と向こう側にある質量によって出来ているはず。いや、そこでプラスとマイナスが相殺されるからこそ発生する穴だ。そう、まさに特異点として現れる。それが僅かに虚数、マイナス要素が大きくなることで通過できるようになってしまうんだ」

 史晴のざっとした説明に、全員がそれだと頷いた。最後の問題は、その微妙な数値を弾き出せる数式を導き出すことが出来るのか。途中までは伶人がやっているとはいえ、かなり難しい数式が続くことになる。しかも今度はペンローズの理論にホーキングの理論を足すのだ。一体何の因果だと、物理学に詳しい人は思うことだろう。そのくらい凄い話になってくる。

「後は、あの箱の傍でやるべきじゃないか?」

 ここで解くのは危ねえぞと学が提案する。するとすぐに葉月が史晴を持ち上げた。

「うおっ」

「さあ、行こうか。最後の鍵を開けに。ここにいる奴らは全員、向こう側に神がいることを知っているんだ。最後の瞬間は全員で迎えるぞ」

 葉月はそう言って全員を実験室へと招いた。美織はホワイトボードを持って追い掛けることになる。

「おう。もう何か解ったのか?」

 そこにはすでに待機を命じられていた徳井がいて、のほほんとしていた。謎の物質がある部屋で呑気に論文が読めるなんて、なんとも肝の据わっていることだ。

「もうちょいまで来たんでな。一応の避難も兼ねてだ」

 葉月はそう言ってカワウソを箱が保管されている容器のある台の上に置いた。今までだったらそれでブラックホールが出来るのではとビビっていたというのに、何とも大胆なことだ。もちろん、カワウソの史晴が傍に寄っても、箱には変化がなかった。

「ヤバくなったら開けろと言っていたくらいだからな。箱に近づくのは安全なんだよ」

「ですよね」

 髭を撫でながら解説するカワウソ史晴に、美織はそれもそうだと頷いた。しかし、徳井はそんな史晴を面白そうに見ている。

「いやはや。本当に占部だ」

「楽しまないで手伝え」

 にこにこと観察を始める徳井に、葉月は容赦がない。万が一に備え、いつでも箱を開けられるようにしておけ。そういう命令だ。

「ほいほい。じゃあ、一応はこの部屋をいつでも遮蔽できるように準備しておくよ」

 そう言って徳井は名残惜しそうに実験室の横にある操作室へと消えていった。やはり、誰もがカワウソを可愛く思っている。が、その事実が史晴には気に食わないようだ。

「ちっ。なんでカワウソなんだ」

「それは――向こう側の神様に文句を言ってください」

 たぶん、川辺で変化する妖怪に該当する動物がカワウソしかいなかったんですよ。その部分は伝えないでおくかと美織は飲み込んだ。史晴もここで終わらせてやると、そう決心するだけだ。

「じゃあ、最後だな。境界線の向こう。ここからが踏み込んではならない領域。その証明と実証の時間だ」

 そして、そう宣言をしたのだった。

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