第20話 史晴的ショックポイント

「お前、そんなことを思ってたのか?」

「え?ああ、はい。すみません」

 定義づけをした日の夜。カワウソ姿になった史晴に詰め寄られ、美織はごめんなさいと頭を下げていた。何についてって、それはもちろん、カワウソを愛でたいという話だ。

「そうか。お前、そんな下心が」

「い、いえ、そこメインじゃないですからね。あくまで、そのカワウソに変化する呪いを掛けた人が、先輩を本物のカワウソにしてしまってペット化したかったんだろうって話ですからね」

「解ってるよっ」

「――」

 解っていると言いつつ、本気で憤慨しているカワウソ史晴に、美織は呆気に取られてしまう。いやはや、まさかそんな視点で見られているなんて、これぽっちも思っていなかったのか。

「カワウソって、ペットとして人気なのか」

 そして、ずうんっと沈む史晴だ。そこにダメージがあるのが予想外なんですけどと、美織はさらに呆れてしまう。

「人気ですよ。近年、密輸入が問題になっているほどなんですから」

「そ、そうなのか」

「ええ。そしてついに、輸入禁止になっちゃうらしいですし」

「――」

 史晴、その言葉にびくんと身体を震わせる。どうやら危機感が募ったようだ。

「ええ。ですから、このままカワウソになっちゃったら、そしてその状態であの関口に捕まっちゃったら、高値で売り飛ばされるかもしれないですよ。そして撫でくり回されて可愛がられちゃいます」

「し、死ぬより最悪の運命だ」

「は、はあ」

 まあ、カワウソそのものになってしまったら史晴という人格は消えてしまうはずで、そうしたら、結局は死んだのと変わらないのかもしれない。となれば、最悪なのは死ぬのと同じかそれ以上だろう。

「そうだな。カワウソになってしまえば、その先なんて俺には考えられないわけだ。ともかく、タイムリミットは同じというわけか」

「ええ」

「しかし、この変化が伶人の呪いを緩やかにしていると」

「みたいですね。ただ」

 人間としての時間は確実に奪われていますけどと、美織はどこにも安心がないと溜め息だ。

「まあな。ただ、呪いが複数だったというのは驚きだ。そりゃあ、どう調べても出てこないはずだよ」

「まあ、そうですよね。それに、関口に関しては何やら記憶を消されていそうですし」

「そうだな。本人がああやって名乗るまで、そういえば俺は伶人のことを完全に忘れていたし」

「そうですよ。だって、叔父さんがメキシコに行っているのだって、ただの旅行だと思い込んでいたんですよね」

「そうだな」

 ふうむと、カワウソ可愛いショックから立ち直った史晴は、困ったもんだと髭を撫でた。

「でも、本人が現れてくれたおかげで、ちょっとは進みそうですよね」

「そうだな。そういうことが出来たのは、お前のおかげだ」

 そこでふいっと史晴は横を向く。さっき無意味に責めてしまったので、気まずいらしい。

「別にいいですよ。先輩がこのまま死ぬなんて、私は絶対に納得出来ないですし、それに、凄い研究をするのはこれから先ですよね。私は、そんな先輩の未来を守りたいんです」

「椎名」

 言い切った美織に、史晴は見直したとカワウソ姿で拍手を送ってくる。そ、そんなに今までミーハーで頼りないと思われていたのか。そうなのか。ちょっとショック。

「だってなあ。まあ、お前は俺や加藤先生に足りない視点を持っていて役に立つんだが、ビックリすることを言うことがあるし」

「うっ」

「でも、今はそれが頼りなわけだが」

「そ、それって理系としては頼りないってことですね。自覚はあるものの悲しい」

 大学院まで進学してるのにと、美織はこの間、史晴がもみもみしていたクッションを殴る。

「まあ、ロマンチストだなとは思うんだよ。って、それはいい。ともかく、呪いが二つあるらしいということ。カワウソに関しては伶人とは全く違う発想から掛けられたのだろうということだな」

「そうですね」

 それは間違いないだろうと、美織は力強く頷く。だって、あの伶人は本気で史晴が死ぬことを望んでいる。しかも、科学が負けてしまうことを確信しているような言い分だった。

「そうだな。率先して伶人が物理学を、いや、科学の総てを否定しているというのは気になる。この辺に、失踪して変な技を使えるようになったことと絡んできそうなんだが」

 科学の否定に繋がるような何かがあったのだろう。そしてメキシコの学会に出席したことで、それが決定的になった。

「ああ、そうですね。自分の理論を完全に否定されたとか」

「どうだろうな。そこまでのでかい理論を考えていたのか、それを調べなければならないだろうが、そうなると、加藤先生の記憶にないのはおかしい」

「ああ、そうか」

 葉月も出席していて、それほど大きな議論を巻き起こすようなことがあれば、絶対に記憶に残っていることだろう。しかし、葉月は伶人の名前すら記憶していないようだった。

「メキシコに行く前になんかあったと考えるべきか」

「でしょうね。先輩、関口さんに関して調べましょう。メキシコで行方不明になったというのは確定したんです。今度はその前ですよ」

「ああ、そうだな。出身大学は関西のK大学だったと思うが」

「よ、よりによって関西」

「ああ」

 ちなみに美織たちがいるのは東京。史晴の出身はこの時初めて知ったのだが中部地方なのだという。

「くっ。こうなったら、調べに行きますよ。ついでに先輩たちの出身地付近もね」

 こうなったら日帰り小旅行だ。美織はそう決意するのだった。

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