第14話 魔法使いの恨み

 現れた魔法使い、中折れ帽に三つ揃いのスーツを着た男は、ゆっくりと美織たちのいる校門に近づいてくる。

「間違いない。あいつだ」

 ひょこっとカバンから顔を出し、魔法使いを睨む史晴の目は真剣だ。それはカワウソであっても真剣だと解る。

「若そうですね。でも、見た目の年齢だけじゃあ判断できないか」

 美織はその男をじっと見つめる。何だろう。心がざわつくというか落ち着かないというか。恐怖に似た感情が湧き上がってきて困る。きゅっと持っていたスマホを握りしめる。

 男はゆっくりとした足取りで近づいてきているだけだ。それなのに、何だか怖い。威圧感があるというか、存在感があるというか。彼の周りだけ、空気が違う感じがする。

「寒い」

「えっ?」

 急にカワウソの史晴が寒いと言い出すので、そんなことはと思ったが、美織も寒さを覚えた。あの男を見ているだけで、体温まで下がってしまったかのようだ。夏だというのに鳥肌が立つ。

「俺を待っていたようだね」

 そしてついに、男が目の前までやって来る。そして美織に向け、口元をにやっと歪ませて訊いてきた。至近距離まで近づいてきているというのに、帽子のせいで顔は判然としないままだ。

「そして、ああ、そうか。君と出会わないと思ったら、この時間はその姿なんだな」

 さらに、男は美織のカバンに目を向けてそんなことを言う。その中にいる史晴に気付いているのだ。

「やっぱり、あなたのせいなんですね」

 美織は何とかそう訊ねる。そして、史晴を渡してなるものかと、カバンをぎゅっと抱いた。

「そう。俺がそいつに掛けたんだ。まさかカワウソになるとは思ってなかったけどね」

「え?」

「誰かの未練だろうなあ。まだ、そいつに死んで欲しくないようだ。俺は、さっさと死んでもらいたいがね」

「――」

 不吉なことをさらっと言われ、美織は萎縮してしまう。怖い。いや、それだけではない、こいつはおかしい。

「あ、あなたは」

「関口伶人。カバンに隠れている史晴は知ってるはずだよ。さて、どうして俺がこんなことをしたのか、解けるかな?そして、科学的直感に反する数々に、史晴や君は対抗できるのかな?非常に楽しみだ。せいぜい、その寿命が尽きる日まで足掻け」

 男は、関口伶人は静かな口調のまま、しかし、史晴が死ぬことを確信し、楽しんでいる調子でそう言い放った。そして、言うべき事は終わったと、さっさと身を返す。

 それを追い掛けることが出来れば良かったのだろうが、美織は腰が抜けてしまった。ぺたんっとその場に座り込んでしまう。

「せ、先輩」

「聞こえてた。ともかく、大学の中に入ろう。話はそれからだ」

「は、はい」

 震えていると、史晴がカバンからにゅるっと顔を出し、ぺちぺちとほっぺたを叩いてくれる。その感触に、ますます何とも言えない気持ちが込み上げて、美織は泣いてしまった。

「ううっ」

「だ、大丈夫か?悪かった。相当怖い思いをさせたようだな」

「ち、違います」

 確かに怖かった。しかし、史晴の死を本気で望み、楽しんでいる関口伶人が許せない。そんな気持ちが大きい。しかも、カワウソになるのは予想外だったなんて。

「ともかく、中へ」

「はい」

 何とか立ち上がると、美織は急いで研究室へと向かったのだった。





「はあ、怖かった」

 まだまだ誰も来ないだろうということで、研究室の中に入った美織は史晴をカバンから出してやる。にゅるんと出てきた史晴は、とても深刻な顔をしていた。

「先輩」

「ああ。まさかあの男だったなんて」

「知り合い、なんですよね」

 明らかに知り合いとしての会話だった。そして、伶人は史晴を恨んでいる。それだけではない。科学的に証明できないことで、史晴のプライドそのものを粉砕しようとしている感じだ。そして、絶望の中で死ぬことまで望んでいる。

「ああ。しかし、まずあり得ないことなんだけどな」

「え?」

「関口伶人。もしその人が俺の知っている男なのだとしたら、そいつは十年前に行方不明になり、もはや生きている可能性はないだろうという状況だ」

「――で、でも、行方不明ならば」

「単純な行方不明じゃない。奴は津波にさらわれたんだ」

「――」

 意外な単語に、そして、行方不明が単純なものではない事実に、美織は呆然としてしまう。

「それも日本ではなく海外でだ。どこか遠洋であった地震の影響で波が高くなっていたらしくてな。それで足を掬われ、そのまま海に」

「そんなっ」

 ということは、生死不明だから行方不明扱いだったのか。もしかしたら生きているかもしれない。しかし、その可能性は限りなくゼロに近い状態だと。

「それにだ。三十代というのは、その関口が海にさらわれた年齢だ」

「えっ」

「つまり、この十年全く年を取っていないことになる。あの人は童顔じゃなかった。だから、もし生きて四十代になっているのならば、それなりに老けた顔をしているはずだ」

「う、浦島太郎ですか?」

「さあな」

 史晴はカワウソの髭を撫でながら、何一つ理解できない状況だと顔を顰める。

「その人と先輩の関係は?というより、十歳も年上の人が、先輩を恨んでいるんですか?」

 もはや研究とは関係のないレベルですけどと、美織は混乱が続く。ただでさえ理解できないのに、またまた謎が増えたのだ。

「ゆっくり話そう。それより、時間的に君の家に戻るのは大丈夫だよな?」

「え、ええ」

「服を取りに戻らないと拙い」

「あ、そうですね」

 時計を確認すると朝の七時半。そろそろ誰か来るかもしれないし、史晴が唐突に人間に戻ってしまうかもしれない。それに、色々と整理もしたい。そう考え、美織は再び史晴をカバンに入れ、急いで自宅へと戻ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る