第8話 二度目の変化もドキドキ

 夜。昨日よりも早め、九時には美織の部屋に入った史晴は落ち着かない様子だった。近くにあったクッションをもみもみもみもみ、無駄に揉んでいる。テーブルを挟んで二人で変化の時を待つというのは、確かに緊張する状況ではある。

「先輩。大丈夫ですよ。昨日は驚いて悲鳴を上げてしまいましたが、今日は大丈夫です」

「あ、うん」

 頷きつつも、史晴は微妙な様子だ。どうやら毎日のようにここに世話になるのが納得出来ないらしい。

「でも、先輩の家は想像以上に壮絶で、あそこではちょっと」

「――」

 美織が言うと、史晴は黙り込んだ。そう、史晴はカワウソに変化するようになってから、自宅ではカワウソとして潜むことしかできなかった。おかげで一人暮らしをしている二階建てのアパートはあちこち汚れ放題、ゴミは何とか片付いていたものの、ほんのり廃墟の匂いがする有様だった。部屋の四隅にはしっかり蜘蛛の巣まで張っていて、人が生活しているとは思えない状態だった。

「あれ、大家さんに怒られないんですか?」

「それは大丈夫だ。大家は俺の叔父だから」

「へ、へえ」

 何とも言えない、昭和の香りのするアパートは叔父さんが経営しているのか。美織はますます似合わないなあと、史晴からそんな叔父を想像するのは無理だった。

「じゃあ、叔父さんに掃除を頼めば」

「出来ればいいんだが、今はメキシコだ」

「――」

 さ、さらに想像できないと、美織はあの家に関しては諦めた。ついでに史晴にも諦めてもらうしかない。カワウソの呪いが解けるまでは美織の家で生活。これしかないだろう。

「く、寛いでくださいね。ご飯も用意しますし、ミルクも、いつでも温めます」

「あ、ああ。確かに温かいミルクは助かった。久々に、ほっと出来たし」

「――」

 よっしゃあと、美織は密かにガッツポーズ。私、グッジョブ。しかし、こうして変化を待つというのは緊張する。ここは何か喋らないとと、美織は必死に考える。

「あの」

「何だ?」

「えっと。加藤先生に変化するところを見せた時ってどんな感じだったんですか?」

「えっ。そうだな。今と、似たような感じ」

「へえ。じゃあ、見られていてもするっと変化できるんですか?」

「ま、まあね」

 そう言って史晴が俯いてしまったので会話終了。しまった。どうやら駄目な何かを含んでいたらしい。美織がおろおろとしていると、気を遣わなくていいと、素っ気なく史晴に言われる。

「で、でも」

「気を遣われると、カワウソになるのが怖くなる」

「あ、はい」

 そうだ。最もあの変化を怖がっているのは史晴だ。それを忘れていた。美織はしゃきっと座ると、気分を落ち着けようとする。が、何だかんだ言っても怖いのだ。あの変化前の状態はどう考えてもドラキュラ。吸血鬼さながらの状況だ。

「こ、コーヒー淹れますね」

「あ、ああ」

 史晴も落ち着こうと努力をしているのか、再びクッションももみもみとし始める。まあ、もちっと感触が気持ちいいクッションだ。それで落ち着くならば、どうぞ揉んでください。

「えっ?」

 しかし、美織が立ち上がったところでバチっと音を立てて電気が切れた。ブレーカーが何故か落ちたのだ。

「これ?」

「くっ」

 それと同時に、史晴の苦しそうな声がする。まさかと思って振り向くと、苦しそうに先ほどまで揉んでいたクッションに顔を埋めている。

「先輩っ」

「だ、大丈夫だ」

「――」

 た、確かに変化するだけだから大丈夫。しかし、毎回変化する度にこの苦しみを味わなければならないのか。この苦しみだけでも大変なはずだ。

 そうやきもきしつつ見守っていると、みるみると史晴の姿が縮んでいく。そして、昨日と同じく服だけが残った。そして、もそっとカワウソが服の山から顔を覗かせる。それと同時に、電気がぶんっと音を立てて戻った。

「あっ」

「大丈夫だ。加藤先生の時も同じだった。どうやら変化に伴って磁場がおかしくなるらしい」

「そ、そうですか」

 それは先に言って欲しかったなと思いつつも、カワウソ姿の史晴が元気なようで良かった。しかし、気になることは訊ねておくべきだろう。

「あの、変化するのって苦しそうですけど」

「ああ。たぶん背丈が急激に変わるからか、成長痛みたいな痛みが全身を襲ってくるな」

「ぜ、全身を」

 それって大変じゃないですかと、思わずテーブルをばんっと叩いてしまった。が、同時にあれっと疑問も浮かんだ。

「戻る時は?」

「別に痛くないな。そう言えば」

「――」

 カワウソになる時だけ激痛か。それだったら、単純に身長の変化だけとは考え難い。つまり、こっちの姿は無理矢理だからか。

「ああ、なるほど。いいところに目を付けたな。戻る時はなんか、するんと戻る感じだ。つまり、それが本来の姿だから。ま、当然だが」

「ええ。とはいえ、それが呪いだっていうのが確定するだけですけど」

「まあな」

 無理な姿に押し込められるから、史晴は痛みを覚える。とすると、カワウソ。ただプリティなだけではない何かがあるはず。

「ああ、でも、何でカワウソ?」

「それは俺が聞きたいんだよ」

 考えれば考えるほど意味不明になる呪いに、美織が頭を抱えるとカワウソの史晴も深々と溜め息を吐くのだった。

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